一夜明けて。
モモンガとアヴェ、そして森の賢王が出会ったのは月の出た夜だったので、如何わしい事は何もなく。
ただそっとお互いを思って抱きしめあったモモンガとアヴェが気づいた時には太陽が木漏れ日を作る程度に上がっていただけだ。
さらに森の賢王が二人の空気に置き去りにされている間に爆睡し始めて、目を覚ましたのが陽が中天に上ろうかという頃合いだった。
それだけである。
そしてさらに太陽が中天を過ぎて森の賢王が食料にありついてから話し合いを再開する。
「それで。結局決めかねるなら某の縄張りに滞在してはどうでござるか?」
「いや、それなんだけど。悪いけどこの辺りでお前の分かる人の来る方向まで案内してくれないか?」
「それはいいでござるが。結局人間の集落にいくでござるか?」
「まぁ、そうなるかな」
「やっぱり、野生に生きるのは私にはちょっと無理そうだから……」
「そうでござるか。正直アヴェ殿には某の毛並みのお手入れをお願いしたいところなのでござるが……」
「ごめんなさいね」
人族の領域に行く、という二人の意見を聞き、自分の希望も述べつつ、モモンガもアヴェも決意は固いとみると、森の賢王は後脚で立ち上がり、前脚で胸を叩くと、快く彼らの願いを聞き入れた。
「まかせるでござるよ。直接人里に案内することはできないでござるが、縄張りの際までお送りするでござる」
「ありがとうな、森の賢王」
「ありがとう、森の賢王さん」
「いいってことでござる。正直、圧倒的に拙者より強い生き物と遭遇して友好的に別れられるだけで拙者ラッキーでござるよ」
「そうなのか?」
「某基本的に恐れられる者なれど、時折討伐せんと縄張りを訪れる命知らずが拙者より強ければ狩り取られる立場にて」
礼を述べるモモンガとアヴェに世知辛い事情を語るも、森の賢王は暗い空気も見せることなく、それが当然の事という自然体でいる。
そんな森の賢王に、二人とも何を言えばいいか分からないようだ。
「世の中弱肉強食故、お二人ともあまり某の事は気にしない事でござる。それにモモンガ殿の強さは測り損ねたでござるが、拙者それなりに相手との力量の差は解るつもりでござるよ。危なく成ったらすたこらさっさでござる」
そういって、かんらかんらと笑う森の賢王が「こっちでござるよ」とモモンガとアヴェを人の来る方角に誘導を始めようとしたその時。
「ちょっと待って森の賢王さん。本当に少しだけ」
アヴェが森の賢王を引き留めた。
「んん?何でござるかアヴェ殿。何かやりたい事でも思いついたでござるか?」
「ええ、そうね。お礼になるか分からないけれど、ちょっと試したいことがあるの。その為に貴女の血を少しくれないかしら」
「血でござるか?ううむ、さすがにそれは何をするのか聞いてからでないと差し出せないでござるよ」
困惑する森の賢王に、アヴェは衝撃的な言葉を告げた。
「貴女の血を取り込めば貴女の種族の雄を生んでいけるかもしれないわ」
その言葉を受けた森の賢王の反応は劇的だった。
「血!血でござるか!?如何ほど差し出せば!?」
アヴェの身体をぐわんぐわんと揺らさんばかりの勢いでアヴェの肩を掴む森の賢王を、アヴェは何でもないようにそっと抑える。
「そんなに大量にはいらないわ。つま先から一滴くらいの量を貰えれば行ける。そんな確信があるわ」
「お、おお……お頼み申す……お頼み申す……某に番をくだされ……」
「顔を上げて、森の賢王さん。これはちょっとした恩返しの先渡し。もし貴女が力及ばず倒れたとしても生きた証を残せるように、私に何ができるか考えた結果。ただそれだけなの」
「アヴェどのぉ……」
目を潤ませ、ひげをくしゃくしゃにしてヒシっとアヴェにしがみつく森の賢王を、この時ばかりはモモンガは見守る。
「それじゃあ、血を貰うわね」
「うむ!さぱっとやってくだされ!」
「それじゃ……ん」
素早く糸切り歯を動かし、森の賢王の堅い前脚の皮一枚を切って、わずかな血を嚥下するアヴェ。
そして目を閉じしばらく呼吸を整える様子を見せていたかと思うと、「ちょっと失礼」といって森の賢王から離れて、下半身の蛇体を長く伸ばす。
「ん……ふぅぅぅ……」
すると、見る間にアヴェの下腹部がぼこりぼこりと膨らむと、徐々に蛇体の中央あたりに向けて森の賢王以上の大きさのものが入っていて、生まれ出でようとしているのが解る。
「お、おお……」」
その光景を、喜色満面で見ている森の賢王の前に、森の賢王の一.二倍ほどのサイズの胞衣に包まれた、蠢く物が排出された。
「は……ふ……よしよし、よく生まれたわね。これが世界よ、貴方はこれからここで生きていくの。この森の賢王さんと一緒にね」
荒い息を吐きながら、アヴェが小山のような胞衣を手で破るとそれに呼応するように内側からも胞衣を破る動きが加わり、生まれたばかりとは思えない逞しい森の賢王の同族が顕れた。
「お、おおおー!逞しい拙者の旦那様でござる!拙者、これには興奮を抑えきれないでござるよ!」
喜び、雄の同族の首筋の匂いを嗅ぎまわり、まだ湿っている背中の毛を手で撫でつける森の賢王。
「逞しい雄でござる!これでは某貰いすぎになってしまうでござるよ!」
ほお袋から吐息を零すように笑いながら雄に寄り添う森の賢王に、アヴェは息を整えて微笑む。
「いいのよ。右も左もわからない私達に、兆しだけでも行く先をしめしてくれたのは貴女なんですから。これは転移先で最初に出会った貴女への記念。大事にしてあげてね」
「当然でござる!むはー!これは案内にも気合が入るでござるな!」
元気はつらつと言った感じで気勢を上げる森の賢王と、それを見て微笑むアヴェ。
そしてすでに目も開き周囲の状態を伺いだしてせわしなく頭を動かす雄の賢王と対照的に。
モモンガはアヴェの出産という生々しい現場を直視するのは何かが不味い気がして全力で背を向け、遠くを見ていたのだった。