王道をゆくド名作少女漫画『今日は甘口で』の実写化から仕事を取ってきたアクア。
試しにその漫画を読んでみる硝太だったがヒロインに共感する。
そのまま闇堕ちしそうな硝太を慣れた様子で救い出したミヤコとルビーと並んで実写化された『今日は甘口で』を見ることに。
しかし素人目でもわかる、自分よりマシとしか言えないひっどい演技を見ることになる。
「まぁ、大丈夫でしょ。兄さんいるし」
達観的かつ冷めた性格をしているがその根元ではお人好しで、自罰的な自慢の兄。
学業は優秀。人混みの中でも一際目立つ金髪とそこに隠れがちの左目と紛うことなきイケメン。人付き合いも悪くなく、女性の理想をそのまま絵に書いたような人物。
少し勝手な所もあるが悪意を持って動くことは少ない。僕が知っているのはそれこそ中学生の頃にあったルビーを虐める男子を撃退した時ぐらいだろう。あの時は凄かった。当人であるルビーですら若干引くほどに容赦が無い姿には重い家族愛を感じた。実際あれだけのことをしてシスコン、で済ませている辺りルビーもかなりのブラコンであると思う。
そんなアクアマリンを僕は心の底から尊敬している。
だからこそ今までの彼がするとは意識もしていなかった演技の仕事も大丈夫だろうと思っていた。
──帰ってきたアクアマリンを見るまでは。
帰ってきたアクアマリンの頬には赤い痣がついていた。傷に見えるような化粧をしたのか、否。それなら帰る前に落としてくるしそもそもテレビ越し、カメラ越しならともかく直接こんな至近距離で見てそれが分からないほど僕の目は節穴では無い。
「それ、どうしたの」
「撮影で当たっちまっただけだ。相手にも謝ってもらった」
この期に及んでアクアマリンは最初から準備しておいたと思われる言い訳を出す。
確かに頬の傷はそこまで深くない。ただ殴られたとするなら弱すぎる。アクアマリンの役がストーカーということから見て主役に殴られたのだろう。素人目に見ても演技力のない主役だ。殴るふりを出来ずに実際に殴ってしまっても仕方がない。
だが今回殴られたのは演技では無い。加減したようには欠片も見えない。尚且つ演技で殴られたにしては主役とアクアマリンの身長などから踏まえても傷が少し内側に入っている。
「当たった?当てさせたの間違いでしょ?」
「...」
細かな推理は言わなかったが、当てさせたのはあっていたようでアクアマリンは黙り込む。
恐らくアクアマリンが主役に生の演技をさせるために煽るなりなんなりして殴らせたのだろう。有馬先輩の演技力は不明だが、アクアマリンと主役が大立ち回りを見せればセーブする必要がないと気付いて本気を見せてくれるかもしれない。小学生の学芸会レベルの演技力を演出で修正していたあの現場の人達がそれを上手く受けとり、反映できないはずもない。確実にいいシーンが撮れただろう。
アクアマリンらしい考え方だ。多少自分が傷を負っても誰かの為に行動する。それは確かに善だ。影のある陰キャに見えて人のいいアクアマリンならそういう行動をとる。
だが、彼は知らない。それは自らを差し出した結果摩耗したものは簡単に補充出来ない。失ったらそのまま永遠に戻らないものだってある。アクアマリンはその覚悟を済ませられるからまだいい。だが周りはどうだ。覚悟も済ませる暇もなく家族が傷をつけて帰ってくる。なんならそのまま死亡してしまうかもしれない。ちょっと殴られるだけ、ちょっと傷をつけるだけとだんだん線引きを甘くしていくといつの間にか大切なものを失う。そして、それは再びとる、取り戻すなんてことは出来ない。
ここで誰かがキツく言わなければアクアマリンはまた同じことをする。この時点で止めるしかない。
「兄さん、もうちょっと自分の体を大事にしなよ。自分が痛いのは我慢できても、母さんと姉さんがどう思うか、兄さんが分からないわけじゃないでしょ」
「悪かった」
「待てよ、話は終わってない」
言葉だけで謝り、逃げようとするアクアマリンを止める。アクアマリンが心底面倒くさそうな顔でこちらに顔を向ける。
アクアマリンがため息をついて視線を外す。長くなるなと話半分の諦め気味モード。
「気にしすぎだろ、ちょっと当たっただけだ」
「殴られただけ、なんて思ってたら次はもっとでかい傷になるよ。こいつは傷つけていい、って思われたら終わりだ。...いや、そもそも兄さんが自分の体が多少傷つこうが問題ないって考えてる。なら当然相手はそこを利用してくるよ」
もし僕にアクアマリンより優位な点があるとするならそれはたった1つ。僕は、地獄を知っている。
言葉も喋れない子供を実験用のマウスのように見てくる大人達。面白半分で寄ってくる記者やマスコミ。口に入れるものすら何かわからない恐怖。最早何もせずに餓死した方が幸せだと何も知らないはずの脳が理解してしまうほどの地獄。
もしお母さんと出会わなければ体をぴくりとも動かさず、ただ最期の時を待つだけの植物のような人になっていただろう。
僕はあの日の地獄を知っている。あの日の地獄をまだ覚えている。だからわかる。優しくて多少の傷もドラマを良くするためなら受けられるアクアマリンはいつか僕以上の地獄に落とされると。
「だからそこには行かせない」
地獄を知っているのは僕だけでいい。地獄を味わうのは僕だけでいい。アクアマリンもルビーもお母さんも、みんな優しいからあの地獄には似合わない。あんな地獄にいるべきでは無い。
「...そうか。次は気をつけるよ」
こっちの言い分を理解したのか、それともそれでも自分の意見を押し通したいのか、話が終わったと思ったのかアクアマリンはそのまま自室へと行ってしまった。
──わかっている。
今回の件、僕はアクアマリンを責めるように言ったがアクアマリン本人は何も悪くない。アクアマリンはドラマをいいものにしたいと思ってたら行動をした。有馬先輩の為なのか、原作好きな誰かの為なのか。それは分からないがアクアマリンは誰かの為に傷つくことが出来る人間だ。悪いのはアクアマリンのその行動理念、思考回路を知っておいて事が起こるまでただ突っ立っていただけの僕だ。
一言「怪我をしないように」と伝えればよかった。アクアマリンに無理を言って撮影現場に乗り込めばよかった。有馬先輩にアクアマリンのお節介焼きなところを伝えるだけでも効果はあっただろう。
なのに僕は何もしなかった。ただお節介で優秀なアクアマリンに任せておけばなんの問題もなく解決すると楽観的に考え、あらゆる可能性を思考しなかった。
僕の罪だ。
「くっそ...」
それを自覚すると、頭を抱えて項垂れるしか、僕にできることはなかった。
◇◇◇
後日。
『今日は甘口で』打ち上げパーティー。
最終回を除き評価は最低、最終回で大半のファンが手のひらを返し狭い界隈で話題になったが全体的には駄作で赤字収益という事実が覆ることはなかった。
だがパーティーが開かれるだけあり、和やかな雰囲気に包まれていた。
そこに入る3人の男女。
「いいか?他人の迷惑になることはしない。食事は腹八分目までに抑えること。知らない人にはついて行かない。いいな?」
「任せてよ!」
「心配だ...」
白のフォーマルなドレスを着たヒロイン役の有馬。久しぶりの主役級の役というのもあり、周りより一段階目立つ、煌びやかな格好になっている。
白のセーターに動きやすいズボンと動きやすさ重視に見えるストーカー役のアクア。パーティーとしてみるならラフな格好だが、それがある意味アクアらしい。
そしてどこからどう見ても上下ジャージに身を包み、厳ついサングラスをつけた関係者ですらない硝太。はたから見たらランニング中にパーティー会場に迷い込んだ迷子にしか見えない。
「なんでこいつ連れてきたのよ」
「ボディーガード代わり。撮影で殴られたから念には念をおいて、とは言ってた」
有馬は苦虫を噛み潰したような表情で目を輝かせている硝太を小突く。打ち上げパーティーなのだから普通に考えるなら関係者以外立ち入り禁止のはずだ。
アクアもその意見には同意するが言い訳として殴られた最終回での件を出す。撮影で殴られたからボディーガードを呼んだというのは少し過剰な気もする。そもそも本当の理由はパーティーに興味を持ってごねた弟を言い訳をつけて連れてきただけなのだが。
その証拠に硝太はボディーガードの名目を忘れて机に並んだ料理の方へと行ってしまった。
「すっごい料理だよ兄さん!?」
「騒ぐな騒ぐな。お前一応部外者なんだからな」
頭頂部から生えているアホ毛を犬のしっぽのようにブンブンと元気よく振り回しながら並ぶ料理に目を輝かせて早速食事を始めている硝太に連れられ、有馬とアクアもパーティ会場の中心に入る。
パーティの中は役者達を始めとして華と気品がある人達ばかりで芸能界に幼い頃からいる有馬は兎も角硝太からすれば現実離れした異界にのようにすら感じられる。周りの雰囲気に当てられ、体調を崩しやすい硝太も食欲が全てに押し勝ったのかサングラスをつけているとはいえ平然としている。
「ほんとにこいつ役に立つの?」
ボディーガードが必要になるような事態が想定しずらいとはいえ、危機感のきの字もない硝太の動きに呆れた有馬がジト目で硝太を睨む。
アクアからすれば硝太のボディーガードとしての素質は決して高くは無い。単純な喧嘩、あるいは殺し合いならこの場の誰よりも強いだろう。とはいえならボディーガードの仕事が出来るかと言うとそれとこれは全く違う話だ。戦えるのと戦う選択が取れるかは全く別のカテゴリ。そもそも硝太は誰かに暴力を振るえるような男じゃない。
「なんで硝太がボディーガードなんだ」
連れ添い、で完結していればそれで良かっただろうに。そうつけ加えて小声で呟いた言葉はアクア本人以外誰にも聞こえず風もないのに流されて消えた。
代わりに有馬の悪態を聞いた硝太がよそってきた山盛りの料理を口にしながら器用に反論する。
「ほふへっほうふほいへふよ(僕結構強いですよ)」
「食べるか喋るかどっちかにしろ」
「...」
「いや黙るのか」
アクアに言われて有馬に何か言うより食べることを選んだ硝太はアクア達から少し離れて食事を再開した。名前だけであろうとせめてやる気は見せて欲しい。
「撮影お疲れ様でした」
そこに30代ほどの女性が声をかけてきた。硝太より少し暗めのふんわりとした茶髪に丸眼鏡をかけた物腰柔らかな女性。『今日は甘口で』の作者、吉祥寺頼子。
原作者の登場に先程まで食欲のみで動いていた硝太の対応で気を抜いていたアクアと有馬も背筋を伸ばす。
「あっ、先生」
有馬の表情は暗い。原作者にとって作品は我が子と言ってもいいものだ。それほど愛情をかけた作品を「売りたいモデルがいる」なんて理由で駄作まで落とし込んだのだ。演技が売りの女優としてヒロインをしていたのだからより「自分がそうした」という事実を受け入れざるおえない。
「この度は...その...」
なんて言うべきか迷う有馬は途端に口篭る。頭の中では一話を見た時の落胆した吉祥寺の顔がずっとリフレインしている。
せめて自分だけでも精一杯の演技をしていたら、他のモデルもついてきてまともな作品になれたのではないか、そんなありもしない可能性を頭の中でこねくり回し続けている。
そんな有馬の様子を見て吉祥寺の表情が少し和らぐ。そして周りの目がないことを確認した後深深と頭を下げた。
「この作品は有馬さんの演技に支えられていたと思います。ありがとうございました」
暗くなった有馬の目に光が宿る。
原作者から認められ、感謝される。メディアミックスに関わる役者としてこれ以上の功績は無いだろう。
感動のあまり有馬の瞳から涙が零れる。正しい意味で彼女の頑張りが報われた瞬間だから。
「こちらこそ、ありがとうございました」
有馬も深深と頭を下げる。
最終回こそアクアの手が入ったことで評価されたとはいえこの作品は『そこだけ』では無い。評価そのものははっきりいって最終回と比べたら月とすっぽん、天と地の差だがそれでもそこにあって観れる作品にするために手を尽くした人は確かにいたのだから。
「先輩、どうぞ」
先程まで食事に熱を出していた硝太も流石に有馬と吉祥寺の感情に当てられたのか、あるいはただ漫画が面白かったと吉祥寺に言うためなのか不明だがいつの間にか食事を中断して有馬の横からハンカチを出して有馬の涙を拭いとる。
口元にソースをつけた顔で。
「最終回、良かったですよね。ウチの兄は最強なんです。だから有馬先輩もきっとのびのび演技が出来たんだと思います。二人とも、凄い役者なんです」
有馬の涙を拭った硝太は手早くハンカチをポケットに入れると2人の間に入り、サングラスを外しながら優しい声で吉祥寺に完全に視聴者目線の感想を言う。
このような場においてもいつも通りの硝太にアクアは目を見開いて驚くが態度には表さずに後ろに一歩だけ下がる。
硝太にとってサングラスは人口密集度が高い場所では必需品のひとつだ。見た目が悪いとはいえ、それを外してしかも自分から挨拶するなんて硝太が乳児だった頃から見てるアクアからすれば有り得ない反応。有馬の前例があるとはいえ、硝太にしては警戒心が薄すぎる事実にアクアは夢でも見てるのかと考えてしまっていた。
「君は...えっと...」
「失礼しました。僕の名前は斉藤硝太、ストーカー役を務めた星野アクアマリンの、弟です」
そんなアクアを視界にすら入れず、知らない小学生ぐらいの子供に少し驚く吉祥寺。彼女に対して胸の上に手を置いて硝太はゆっくり答えた。
兄さん守る!→食欲!への流れが子供すぎる硝太君(15)
ああいう場は基本会話をする場で食事を楽しむ場ではないのですけど硝太からすれば知らないおっさんおばさんが沢山いる代わりに美味しそうな料理が沢山並んでる場所になる訳で。
有馬もいるならそりゃ行くよね、って感じです
そういう意味で過去1で硝太が硝太らしい(?)回となりました。次回は入学式。今作のヒロインたちの顔見せもあります