ミヤコの元に現れた男、ソレは
「せんせ?」
目の前の男を見てルビーは惚けた声でつぶやく。背は高く、スリムな体形。ワックスでガチガチに固めている訳でもないのに若干トゲトゲした髪、掛けているだけで頭が良く見えるスクエアフレームのメガネ。端正な顔立ちからは二十代後半を思わせる。着ているのは近くの病院のよくある白衣。距離のせいで文字は読めないが名札を首に下げている。
記憶にある姿とは少し異なるが死に別れしてからもう20年近く経つのだ。多少変わっていても仕方ない。むしろそれだけ時間が経っているとは思えないほど若々しい姿。ミヤコのように美容を気にしていたのだろうか。
そんなことは少なくとも今はいい。それより彼が雨宮吾郎なのか、それとも顔が良く似た別人なのか。それが問題だ。
「せんせ?」
もう一度
男はルビーの顔を見て驚いてしまったのかじっと見つめたまま首を傾げる。そこでルビーはやっと自分が天童寺さりなではなく星野ルビーだったことを思い出す。転生を信じない彼からすれば今のルビーと天童寺さりなが結びつくはずがない。
「えっと、君は?」
「せんせ、私──」
「待って、
「私、さりなだよ」そう言おうとしたが言い切る前に大人っぽい声に制止させられる。その声の主はルビーの目の前に立つ硝太。青い瞳こそ見せないが、鋭い目つきで雨宮吾郎を睨む。
その時ルビーは雨宮吾郎が来る前に硝太に感じた違和感を思い出した。
第一に軽い。持ち上げた時も思ったが最近何らかの心労で筋肉が衰えたからなのか体重が持てばわかるほど明らかに減っていた。必然的に身体も細くなり、弱々しく見える。それだけなら怪我人の硝太の変化としては急だがおかしくは無い。問題はその変化が急すぎたこと前日までは普通にしていたような気がする。いくらなんでも変わるのが早すぎる。
第二に言動。撮影場所で寝てる警戒心の薄さに加えて今思えば警察に絡まれた時から何か仕込んでいるように見えた。警察の連絡もコミュニケーション能力の低い硝太よりアクアにさせた方が自然。まるで『警察に連絡するように見せかけて別の場所に連絡したがっている』ように受け取られる。そして硝太はあの日からルビーのことを「姉さん」と呼ぶ。二人きりになろうと「ルビー」と名前で呼ぶことは無い。
第三に左腕の怪我、まだ完全には治っていないはずなのに先程から左腕を庇うような動きをしてる様子がない。三角巾をつけて左腕が使えない現状に慣れていないようにすら見えてしまう。
「──誰?」
この子供は、硝太ではない。目が青く光ることもないし、弟らしい何より可愛げがない。この子供は誰だ。なんで硝太のフリをしていたのか。本物は何処にいるのか。気付いた途端に別の疑問が湧き出す。
硝太──いや、誰かがルビーの方を向いて微笑む。その笑みは安心させるためのものなのだろうが硝太の顔で、硝太ではない誰かがやっていると言うだけでルビーの体は震え出す。
「ルビー!」
隠れようとしていたアクアがルビーの手を掴み、硝太のフリをした誰かから遠ざける。理由がなんであれ、方法がなんであれ硝太の形をした何かは危険だとアクアは当然の事として判断した。
アレは硝太ではない。誰かが硝太に変装している。硝太が二重人格になったとか他人の空似だとかそういう話ではない。おそらく旅行当日の朝から、硝太に変装してついてきていた。旅行で舞い上がっていたとしても硝太の言動がおかしかったのにもう少し集中するべきだった。復讐する必要がなくなり気が抜けたのだろうか。
変装に気付き納得感を得ると同時にいままで気付けなかった自分の不甲斐なさに苦しくなる。アクア目線で硝太は旅行を楽しみにしていたように見えた。体の都合もあり、旅行に行くこともなかった硝太にとっての初めての経験。飛行機にしがみついてでも行くと言っていたほどで身体も健康。準備も整え、初めての遠出に期待していた。そんな硝太が誰かに自身に変装して歩くことを依頼するだろうか。元より、硝太がそんなことを依頼できるような人がいるのか、それも硝太とほぼ同じ背格好の人。そんなことはありえない。
そんな硝太のふりをした誰かの目の前に立ち続ける雨宮吾郎の名札を下げる謎の医者。アクアは既に混乱していた。アクアの記憶の中にいる自分、雨宮吾郎。前世のアクア本人であり、もう死んでいる、生きていてはいけないはずの人間。白骨死体としてならともかく生きてる人間として現れるはずがない。
間違いなく何者かによる変装なのだが、変装するにしても雨宮吾郎はアクアとルビーの産まれた時にはもう行方不明になって16年以上。覚えている人がいないのも病院に直接確認済。雨宮吾郎を騙って出来ることなどたかが知れている。ただの医師として変装したいなら雨宮吾郎の名札をとってまで偽る必要は無い。それで騙せる相手なら白衣を着るだけで十分。つまり、変装しようにも騙す相手もメリットもない。まだ警察官の変装したヤツらが軽く化粧で顔変えてから来た方が騙せる確率は高いだろう。
硝太の偽物と
そして何故か硝太の偽物は雨宮吾郎の偽物に怒っている。硝太の本来の声に若干似ているが別人だとわかる女の声。何らかの手段──おそらく首に付けている装置だと思われる──で変声していたのを解いた。そして左腕を強引に振って三角巾を落として左手を自由にすると、そのてを首の辺りに持っていき、一気に被っていたマスクを取り払った。硝太の顔の下に隠れていたのは肌の薄い、白髪の少女。少女について、アクアとルビーは見覚えはない。
彼女の名はツクヨミ。旅行前から硝太とずっと協力関係を築いてきた神そのもの。そして、今回の旅行に際し、硝太が仕込んだ一番大きな嘘でもある。アクアやルビーが存在すら知らない、硝太しか知らない上に背格好がほぼ一致している味方として硝太の代わりにアクアやルビーの護衛を請け負った。硝太がギリギリまで敵の目に触れずに母親のミヤコを、護衛する為に。
その為、最低でも硝太がミヤコの護衛を完了するまではツクヨミは正体を明かしてはならない。それを知っていながら正体を自ら明かすほど、ツクヨミは怒りを感じていた。
雨宮吾郎は16年も前に死んでいる。だが目の前にいる雨宮吾郎は確かに動いている。先程までのツクヨミがそうしていたように何者かの変装を疑ってしまうが実際はそうでは無いとツクヨミは気付いた。
──死者を傀儡にする方法。
入院中の斉藤硝太を襲った
そしてそこまでして雨宮吾郎を使う理由なんて
「人の心の隙に漬け込もうとするなんて、卑劣な男」
被っていたマスクを投げ捨てて
硝太に変装していた時は普段の人と付き合うことが下手な子供を演じていたツクヨミだが、その正体を自ら明かしたということはもうその気は無いということ。怒りの感情のまま神としての力で雨宮吾郎を叩き潰そうと近付く。
「なにやってんの君?」
雨宮吾郎は何が何だか分からないようで困惑しているように見える。おそらく直接ルビーやアクアを倒すような攻撃命令はされていない個体なのだろう。ルビーを騙して誘導出来ればそれでいい、雨宮吾郎本人を元にして傀儡にするならそれが限界なのはわかっていたがだとしてもそんな使い方しかできないことにツクヨミはここにはいないだろう者に怒りを募らせる。
とはいえ、変装ではなく魔法にかかった傀儡。硝太が戦ったもののように単純な身体能力なら格闘技のプロでも正面から叩き殺せるだけはある。ツクヨミが勝つには硝太の仮面を剥いで神として処刑するしかない。
だが、ツクヨミが手を下すより先に雨宮吾郎の身体がビクッと小さく跳ねた。ツクヨミが違和感に気付いてルビーとアクアを庇える位置に後退すると雨宮吾郎の腹から小さな果物ナイフが突き出る。傷口から血が滴り落ちる。
「せんせー!」
「やめろっ、ルビー!」
「離して!せんせが!せんせが!」
──男の背後に、誰かがいる。
雨宮吾郎が刺されたのを見たルビーが助けに行こうとするがアクアに体をがっちり止められて前に進まない。
──気づかなかった、何にも!
怒りに支配されていたとはいえ、周囲の警戒を怠った訳ではない。だがここには雨宮吾郎とツクヨミを除くとルビー、アクア、そして部屋の隅に有馬とあかねの4人しかいなかったはず。最初から隠れていたようにも見えないのでおそらくごく普通に鍵のかかっていない玄関から侵入して雨宮吾郎を刺したのだろう。そんなことが出来るのなんて本物の硝太ぐらいだが硝太は母親の護衛をしているはずなのでこんなところに来るはずがない。
となると、硝太の他にそんな芸当のできる誰かがいることになる。そしてそれは間違いなくツクヨミの敵だ。
「誰っ!?」
雨宮吾郎を貫いていたナイフが抜け、死体はそのまま力なくその場に倒れる。その影に隠れていた真犯人をツクヨミの視界に捉えさせる。
そこに居たのは紛れもない『魔女』だった。白っぽい銀髪に一般的に思いつくであろう魔女の姿の黒いローブ。ハロウィンの渋谷に行けばこんな
ルビーは魔女の姿を見て思い出す。まだアクアが『東京ブレイド』の舞台に立つ前。アクアが稽古していた時期に出会ったことを。ルビーとアクアしか知らないはずのルビーが転生者であることをサラリと言い当てた底知れない存在。彼女は確かに「高千穂で会おう」と言った。それを果たしに来たのか。
「久しぶり、星野ルビー」
魔女はルビーの方を向いて、にこやかな顔を見せて、釣られてアクアはルビーの顔を確認する。
急な状況の移り変わりにアクア達は感情が追いついていない。有馬とあかねはアクアに押し込まれた押し入れの中からこちらを覗くことすらせずじっとしている。パニックになって暴れ出したり、逃げ出したりしないのはこちらの状況を把握していないから、分からないがまだアクア達は首の皮一枚繋がっている。
硝太への不信感は相手が硝太に変装していた偽物だったからで説明ができる。何故そんなことをしたのかは後で本人に聞けばいい。ルビーの場合は目の前の魔女が味方になるのかどうかで決まる。魔女は見た目は怪しさ満載だがどう考えても危険人物である雨宮吾郎(の偽物)に敵対行動をとった。敵の敵は味方、とまでは行かないが今回だけでも友好的に済ませられれば助かる──のだが、ルビーは唇を噛みながら魔女をキッと睨む。ルビーは魔女を敵視している。それも、魔女が出てくる前の
「急になんなのよ…!」
「なんなのって私は助けてあげただけだよ?このお人形さんから」
ルビーが怒っているのに気が付いていないのか、魔女は余裕そうにお人形さんと呼んだ雨宮吾郎の偽物だったものを蹴る。
ルビーを煽っているのか、と思ったが本人にその意図は無いらしい。魔女は次にアクアに顔を向けて話しかける。
「お兄さん、この死体見て変だって思わない?」
「──刺された位置の割には出血量が少ない」
本当なら雨宮吾郎がここにいて生きてるはずがないと言うべきなんだろうが。アクアは前世でみにつけた医療技術から魔女が要求した変な点を言い当てる。
魔女が刺したのは心臓の辺り。その辺は太い血管が多いので刺したら出血量はかなり多い。そのまま出血多量で死ぬケースも珍しくない。ナイフが刺さったままでも不思議だが、魔女は既にナイフを引き抜いていて、ナイフ確実に男の胴体を貫通している。実際に雨宮吾郎の傷はうっすら向こう側が見えるような傷穴になっている。だと言うのに出血量自体はちょっと紙や葉っぱで指の腹を切ったような、ほんの些細な血のみ。魔女の果物ナイフが若干血に濡れている程度で魔女には返り血が一滴もついていない。
「大正解。この人形はね、血が通ってないんだよ。元々死んでるから」
「どういうこと!?」
「そういうのは私より彼に聞いた方がいいと思うよ。斉藤硝太くん、だっけ?弟なんでしょ?」
魔女は死体が動いているとでも言っているのだろうか。ルビーとアクアは魔女の言っている意味がわからない中、予想が的中してツクヨミは唇を噛み締める。硝太が隠していた秘密が、ルビーとアクアにはこの時点で全てバレてしまった。そして同時に、雨宮吾郎の偽物がある意味アクアより雨宮吾郎本人に近いと言える、正真正銘の本物であることも示されてしまった。つまり、雨宮吾郎の偽物は本物の雨宮吾郎の死体から作られている。
もう聞くことしか出来ないルビーの問いに魔女は硝太の名前を出す。B小町の弟としてネットに情報が出ているとはいえ、あくまで地下アイドルから毛が生えた程度の今のB小町のことを知るものは少なく、必然的に硝太とルビーの関係を知るものは少ない。
魔女の発言から、敵か味方かさておき、魔女は硝太のことを知っている。そして硝太と何らかの秘密を共有していることが分かる。おそらくそれは
「硝太がなんだって言うの!」
「インスタントバレット。…世界を破壊する弾丸それがあの男の正体だよ」
「…」
──お前、頭おかしいんじゃないのか?
そう言いたかったが、口に出すことははばかられた。インスタントバレットという単語も、世界を破壊する弾丸という妙に厨二病っぽい例の表現も、硝太がそれだということも。二人とも知らないがほんの数十分で非現実的なものを見すぎて判断力が鈍っている。
「それ以上言うな──!」
ツクヨミが殴りかかって止めようとする。──が、ツクヨミが動き出した途端、膝から上がピタリと止まってその場で膝をついて倒れてしまう。──まるで、殴り殺したという結果を消し去られたように。
──しまった──これが──!
身体が痺れて動かない中、ツクヨミはこの力の正体を見抜く。魔女の
「ハイハイ、じゃあ私は帰るよ。『奇蹟』の彼が来たら面倒だし」
ツクヨミがうずくまる中、魔女はつまらなさそうに入ってきた扉から出ていく。情けをかけた──という訳ではあるまい。魔女は硝太のことにも詳しい。なら、ここでルビーとアクアに手を出せば無傷で済まないことも当然知っている。それを見越した上でルビーとアクアの前に姿を現した。
つまり彼女の狙いは硝太と星野兄妹の間に不和を生むこと。硝太がインスタントバレットだと言って同時にその証拠を示す。雨宮吾郎の偽物をギリギリまで放置したのも、ツクヨミが正体を明かして反撃することを見越して居たから。ツクヨミが派手に雨宮吾郎の偽物を破壊してしまえばルビーはツクヨミを憎んで終わってしまう。だから『雨宮吾郎の偽物の正体は本物の雨宮吾郎の死体』だと分かる証拠を残したのだ。
「──やられた」
魔女がその場から居なくなった後、ツクヨミは体の痺れが弱くなったのを感じながら床を殴る。魔女は既に補足出来ない場所にいることは確か。そうでなけれはツクヨミが開放されるわけが無い。ルビー達に怪我がないとはいえ一番知られるとまずい情報を全て伝えられてしまったのは明確な敗北にあたる。八咫烏のうち一羽がツクヨミの様子を見て遠くに羽ばたいて行った。
実は、これまで旅行についてきていた硝太の正体はツクヨミだったのだ!
──まぁ前話で大抵の人が気付いたでしょうけど。アクルビが「この硝太…なんか変…」ってなっていたのでずっとドキドキしていたであろうツクヨミさん。原作ではアクルビの子供時代をやって本作では合法ショタの演技したのか…芸達者だな。
今回はルビー曇らせ回のフリをしたアクアがずっと困惑してる回でした。そりゃ目の前に弟の変装した女の子と自分の死体がいたら混乱するわ。しかも自分の死体が魔女の格好した変態女に刺されるし。普通は夢を疑うと思うし現実だと知ったら頭おかしくなる。
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遂にアクルビの耳に入ってしまうインスタントバレットの単語。魔女は2人に干渉して何を考えているのか。