フリルは硝太の異常について詳しく知るため斉藤壱護について調べ始める。だが時は平等に流れるもの、その頃既に最悪の形で歯車がハマろうとしていた。
ルビーの「深掘れ☆ワンチャン!!」の撮影は滞りなく進み、番組の中でも存在感を現してきていた。──否、レギュラーよりも目立つ、番組の顔とも言える立ち位置となっていた。まるで一匹の寄生虫が巣全体を支配するように番組はルビーがどう動くかに傾き、スタジオにいるアクア達はルビーの動きにどう反応するかという話になっていく。
売れている芸人やタレントも多くいる番組で新人アイドルが番組を支配するなんて異例中の異例。普通に考えれば別の事務所の人間がルビーの映る時間を減らして自社のタレントが映るように圧力をかける。実際そうして圧力がかかっている場所もある。だがそれ以上に、「ルビーを出せば視聴率が取れる」という事実があるせいでそう大きな動きを取れなくなっていた。
「はぁ、何だか凄いことになっちゃったね〜」
「元々顔はいいからね、大手だったらもっと早かったわよ」
学生とは思えないほど埋まっているルビーの日程を見てMEMちょはため息を零す。ルビーのブレイクによってB小町のチャンネルは既に100万人を超えていた。その数は国内でも30万チャンネルあると言われているYou〇ubeチャンネルの中の凡そ0.1%。もう既に大手と言ってもいい、事務所の取り分引いて3人で割ったとしても食べていくだけなら動画の収益だけでも十分と言ってもいいほどの収益を生み出していた。有馬とMEMちょの懐にもそれ相応の金額が流れてくる。
しかし、2人はそれだけ売れた理由が自分達ではないことを知っている。動画の再生回数もルビーについての動画が桁違いに膨れ上がり、コメントもルビーの内容で溢れている。ルビーが売れたから、チャンネルの登録者数が増えた。言葉にしてしまえばB小町がスタートダッシュを決められた理由であるMEMちょがいたから登録者数が増えた、と似たような流れではあるが指数関数に増えた登録者数がその時とは明らかに違う事を感じさせる。自分達が頑張ったから、結果を残したから報われた訳ではなく隣にいるルビーが目立つから売れた。その事実が2人の芸能人としてのプライドを侮辱していく。
自分の努力が報われたという理由で売れるのなら両手を上げて喜ぶ。自分が頑張っても報われなければ努力の仕方が悪かったか、そもそも無理だったのかと諦めがつく。だが自分ではない他人のお陰で盛り上がって資金が手に入ると今までの努力に価値を見いだせなくなってしまう。それは他人に「お前の努力は無駄だ」と言われるより精神的にクるものがある。それで受け取れる資金に目を移してルビーに寄生してでも生き抜いてやろうと思える薄情者なら二人は気楽に生きられた。だが二人とも自分たちの力で結果を掴んできた人間だ。そんなこと許せるはずがない。
「スターってこういうことなんだろうねぇ…」
当然、ルビーがこれまで売れたのも3人で積み上げてきた結果なので2人のこれまでのアイドル業務が無駄だった、なんてことはありえない。
それを知っていながらも、どうしてもルビーばかりが目立つ現状にフラストレーションが溜まっていく。
「2人とも、お疲れ様」
そんなところに撮影を終えたルビーと付き添いの硝太が帰ってくる。まさか先程までルビーが売れたことに対して複雑な気持ちを吐露していたとは思わず、ルビーは2人の間に収まるように座る。
仕事から帰ってきた直後のルビーだがここで落ち着いて一服──というわけには行かず、そのままB小町の動画撮影が入っている。
「ごめんお待たせ!さぁ、今日もやろうか!」
一番疲れているはずのはずのルビーが笑顔でそう言うのを見るとルビーが売れた理由がわかる気がしてMEMちょと有馬は思わず目を逸らしてしまう。
MEMちょも有馬も決してルビーのことを嫌っているわけではない。誰もが好きになるようなアイドルであるルビーを隣で、一番近くで見てきた彼女達には星野ルビーというアイドルに既に魅せられている。譲れないのは自分の意思。1年程度でもアイドルとして積み立てた矜恃と言える。
「あれ?なんかあった?」
「ううん、なんでもないよ。じゃあさっさとやっちゃおうか」
「おー!」
とても口には言えない気持ちを抱えながらアイドルの仕事を続ける。そんなこと今更できる出来ない言うようなことではない。ルビーが嘘をつくように、二人もキャラクターを作る。
ルビーの合図で動画撮影を始めようとした瞬間、ルビーの懐から着信音が鳴る。
「あ、ごめん」
「ちょっと、気をつけなさいよね」
「ごめん、ちょっと準備してて。もしもしーはい、星野ルビーです」
軽く謝罪しながらルビーはポケットからスマホを出して電話を受ける。そのままゆっくりと部屋から出ていってしまう。背中を見せて少し距離を作る程度ならともかく、部屋を出ていくとなると少し勘ぐってしまう。
MEMちょと有馬には聞かせられないような話──あんな束縛強そうな兄弟がいて男はありえない。となると仕事先からの連絡だろうか。「深堀れ☆ワンチャン!!」で人気を画したルビーは他の番組からも声がかかり雛壇のメインを飾ったりすることも最近は増えてきた。アイドルに興味が無い層には「B小町」より「アイドル星野ルビー」の方が有名なのではないかと思うほどに活躍している。
「あれ?二人とも何してるの?」
ルビーが出て行ったのと入れ替わるように、今度は硝太が部屋に入ってくる。一瞬ルビーが出ていった方に視線を送るも、ルビーの姿がないからか首を傾げながら部屋の隅に座る。
「動画の撮影しようってとこ」
「あーそっか。えっと今日のネタはなんだっけ」
「POP IN 2」のバズからショート動画などを使ってほぼ毎日動画投稿しているB小町チャンネルだが別会社の人間が絡む仕事では無く、苺プロ内で完結する仕事に警戒することは今更あるはずもないので細かい情報については調べずに全て事務所の人間とMEMちょに任せてしまっている。そのせいで動画のネタを忘れたり撮影の予定自体を忘れてしまうことがある。
「この前のライブの裏話と前の放送の質問返答だね。今度はお料理ネタを考えてるから今回は短めー」
「了解。姉さんも忙しいから、少し調整してくれると助かる」
ルビーが来なくて撮影が始まらないなら、と硝太は外向き用のサングラスと帽子を外してその場で寝転がると、大きなあくびが出た。
人間離れしたらスタミナと体力を持つ硝太でも疲れがない訳では無い。苺プロ内ならともかく、外に一歩でも出れば周囲を警戒しない時間はない。撮影中も、なんの前触れもなくスタッフ全員がルビーを襲おうとしても手を出す前に仕留めるだけの余裕と警戒を一瞬の隙も許さずに続けているので筋肉的な意味ではともかく脳の疲労は相当溜まる。
「よいしょっと、お疲れちゃんだね〜」
「僕は警戒すればいいだけだから簡単だよ、姉さんの方が疲れてる」
「何だか雲の上の存在になっちゃたよね、ルビー」
すかさずMEMちょは寝転んだ硝太に近付いて硝太の頭を自分の太ももの上に転がすように乗せる。手入れされてないはずなのに綺麗な髪に指を通しながら遊んでいるMEMちょの表情が少しだけ緩む。しかし硝太はルビーのことを考えるとまだ表情が固まったままだ。
警戒し続ける、とは言っても所詮全員の動きを確認し続け、ルビーを守れ撮影の邪魔にならない位置取りをし続ければいいだけの硝太と違ってルビーはマイク片手にインタビューをしたり、暑くなってきた道を日傘無しで歩いている。肉体的な負担の面で見ればルビーの方が明らかに大きいだろう。
ルビーは頑張っている。タレントとしての人気は既にアクアマリンを上回り、苺プロ一番だと思われる。しかし、それでもみんなの夢──ミヤコの夢には届かない。
「…でもドームライブが出来るって程じゃないんだろ?ならまだ必要なものがあるはずだ」
納得出来ない──とは口にはしなかったがそう言った感情を染み込ませた声色で現実を言う。
ルビーは新進気鋭のアイドルとは思えない人気になった。B小町は大手アイドルグループとも戦える、集客力がある。だが、それでもドームライブが出来る人気にはまだ遠い。ドームは選ばれた一握りのアーティストが立てる舞台。そこに手をかけた中小のグループはアイがいた頃のB小町を除いて他にない。
現実的な視点で言って、ルビーたちがドームライブを成功させるにはもう一人のアイとも言える人材が必要不可欠だ。圧倒的なカリスマ性と人気、美貌を兼ね揃えた『誰か』が。
「ミヤコさんの夢なんだよね」
少なくとも硝太はドームライブが夢だと母の口から聞いたことは無い。それは記憶喪失後の硝太が言葉を覚えられるほど成長した頃にはミヤコが諦めてしまったからだろう。
硝太がドームライブがミヤコの夢だと気付けたのはミヤコがアイがいた頃の記録を手放せていなかったから、という簡単な理由。仕事に疲れる母親の机に、写真立てが伏せてあった。立ててみるとそこには撮った記憶のない写真入っていた。1枚は夜景が見えるマンションの部屋から夜景をバックに撮った家族写真。もう1枚、ドームを背景にアイドル「アイ」が笑顔を見せる写真──写真立てに入れながらも見えないように伏せておいた想像するににあまりある。
苦悩しただろう。何せ手の届きそうだった夢だ、もう一度手を伸ばせば届くかもしれないと思ったことは一度や二度ではない。その度に傍らに蠢く子供の存在が鬱陶しく感じなかったことが無いなんて人としてありえない。自らの人生か、それとも子供か。選べるのは片方のみ。天秤にかけて考えた。そして彼女は、子供をとった。
「うん。僕らを育てる為に一度捨てさせた夢だ。僕にはお母さんの夢を叶えさせる義務がある」
「真面目ちゃんだ」
「まさか。僕は手のかかる餓鬼だったからね。兄さんと姉さんの2人だけだったら、旧B小町のメンバーを入れ替えるだけでアイドル業務を続けさせられたよ。姉さんだって、MEMちょだって、有馬先輩だって、本当はその一員だったろうに…」
「硝ちゃん」
アクアマリンとルビーは幼少期から手のかからない子だと聞いたことがある。それは迷惑かけてばかりの硝太と比較したのかもしれないが幼い頃からいい意味で大人のような子だったのが一番の理由だろう。
もしミヤコの負担がそれだけで済んだのならミヤコは子育てと仕事、どっちも取るという選択肢すら選べただろう。
アイが亡くなり、象徴を失ったB小町のイメージダウンは変わらないだろうがそれでも新メンバーを入れるなりアイが作った仕事の繋がりを活かすとかの手段で再びドームライブを目指すこともできた。
その努力が実を結ぶかどうかは別問題だが、挑戦権があったのだけは変わらない。硝太がミヤコから奪ったのは夢の挑戦権。手を伸ばすことすら出来ないのなら、ミヤコとしては捨てるしか道はなかった。
硝太の発言に、夢を捨てて仕事をしてた頃を思い出したのかMEMちょが反応する。MEMちょの場合は母の病気だったがミヤコと同じように夢の挑戦権を失ったのは変わらない。それでもMEMちょは母を恨まず、弟を恨まず、ただ真っ直ぐに生きた。こういう人間が世間では優しい人間と呼ばれ愛される良いように使われる。
「なんで親って子供を無条件で愛してしまうんでしょうね。愛してしまったら、自分が変えられてしまうって言うのに。これじゃ人は獣だと証明しているようなものじゃないか」
遠くを見ながらすぐ近くにいるはずのミヤコを想う。
親は子供を愛するものだ、という
愛し守るのは当然で、少しでも目を離せば責任は全て親に乗せられる。弱い肉体では仕事を代わってくれない所かむしろ仕事を上乗せされる。どれだけ傷つけられても美談として語られてもそれが報酬にはならない。リスクばかりでリターンが存在しない。それを許容するのは一時の
それはいいことなのに、どうしても哀れに思ってしまう。彼女は優しくなければ、今より幸せになれただろうに、と。
「会った時から言おうと思ってたんだけどさ。アンタ、母親が社長でよかったわね」
母親に自分を育てなければ幸せだったのではないか、と感情を見せる硝太は有馬からすれば幸せものの高望みにしか見えない。
有馬は少なくとも親子関係が良好で幸せそうな硝太に皮肉っぽい言葉がこぼれる。子役として年齢を重ねて、売れなくなっていった有馬を見る母親の目が、有馬の見えないが大きな傷になっている。
羨ましい、なんてプライドから決して口には出せないが態度には既に現れていた。
「本当にそうですね、お母さん凄いですもん。えへへ」
しかし言われた当人はそんな皮肉も有馬の真意にも気付かず、誇るように──いや実際に誇りを持って素晴らしい母親だと喧伝する。
その無神経さが有馬の神経を逆撫でする。有馬が対等な相手として見てるならここで一度噛みつきに言っただろう。ルビー待ちでなければ悪態をついてさっさと逃げることもできた。
しかし有馬は無神経さが目立つ硝太すらも可愛げのある弟として見ている。肝心なところで気付かなかったり、急に変なことをして迷惑をかける男代表だが硝太の見た目が幼いのもあり、少しだけ「子供だから許してあげよう」という気持ちが芽生えてそれが可愛げに移る。ノンデリ気味なところもあるがなんだかんだルビーを支えたりB小町が成功することに喜んでくれる良い子だ。なので今回もため息ひとつ零すが呆れの感情と共に「この男は私がいないとダメね」と世話焼きな気持ちも芽生える。
「笑い事じゃないわよ──普通の親はそうじゃないってこと」
「え?」
「社長は特別よ。普通アンタみたいな子が産まれたら自暴自棄になるわよ」
「ちょっとかなちゃん」
無神経な硝太に注意をする有馬だが──有馬自身も社会経験が笑顔で相手を称えながら裏で皮肉と陰口で溢れる芸能界がほとんどなこともあり、決して口は宜しくない。いくら本物の姉弟顔負けの仲がいい二人とはいえ捨てられて当然なんて流石にライン越えの発言だ。ルビーが聞いた日には大喧嘩になりかねない。
有馬自身、自分を捨てた親とミヤコを比較して精神病を抱えた末っ子の世話をしながら社員の仕事を守りきった女傑を
硝太が反応を示すより早くMEMちょが有馬をたしなめる。
「ええ!僕もそう思います!お母さんがお母さんじゃなかったら僕はそのまま燃えるゴミの袋に詰められて焼却されてました!」
だが硝太は怒るどころかこれまでにない満面の笑みで同調してきた。敵意なんて欠けらも無い表情なのに、発言からは狂気すら感じる。
捨てられてた、という有馬の言葉でさえやり過ぎだったというのに硝太の発言はそれ大きく超える加虐性を持つ。子供を使えないと見捨て、怒りをぶつけて支配欲を満たしたりする訳でもなくただ無感情に殺して次の日にはさっぱり忘れてしまう。
執念も、後悔も、怒りでさえも微塵も感じられない。まだ理不尽でも憎悪を向けるなり怒ってくれた方がマシだ。怒りでも憎悪でもその感情で他人と繋がることが出来る。もちろんそれは痛みを伴うものだが他人と関わることができることが最低限の救いになる。もしかしたらその痛みが取れて正しい関係を結べるかもしれないという希望もある。だが、硝太が口にしているのは徹底的な無感情。そんな夢を奪う相手を無価値としてしまう──否、無価値だと定義付けることで自分を守る行為。
何より発言を聞いた有馬とMEMちょが恐怖したのはこの発言が考えた訳でもなく自然と出て来たこと。誰かに言われたわけでもなく硝太自分の口で淀むことなく言ったのは
「───あ、いや。違うのよ、そういう意味じゃなくてね?」
一瞬で有馬とMEMちょの顔が青ざめる。自分が数秒前まで可愛がっていた弟が言葉で通じ会えない化け物のように見える。表情はいつも以上に幼く可愛らしいのに、吐き気すらしてくる。
声は聞こえる。言葉は理解できる。思考力も並の人間より少し高い程度でIQが高すぎて話が通じない訳でもない。言葉も文化も違う異国の人間よりは理解できるはずなのに──分からない。何故そんな言葉を平気で吐けるのか、他人に向かってではなく自分にそうであれと命じるように吐く姿を理解出来ない。
流石の有馬も硝太の発言には言葉が詰まる。
「え?じゃあどういう意味なんです?」
「いや、その、その──」
純粋に有馬の発言の真意が理解できず首を傾げる硝太に対して歯切れの悪い有馬。そのまま静寂が訪れる…かと思ったら部屋に勢いよくルビーが入ってきた。入ってきたルビーは冷たい目で硝太を見下ろす。
──あ、しまった。
硝太を膝枕で寝かせたままのMEMちょは自身の判断ミスに今更気づく。ルビーはただ電話をしていただけなのですぐに戻ってくる可能性は充分あった。それなら──このようなセンシティブな会話を聞かれる可能性も当然ある。
そしてルビーが今この瞬間に戻ってきたと言うことは先程の会話は聞かれたものと思ってもいい。どこから聞いていたのだろうか、有馬の失言からか、それとも硝太の無感情にも思えるような発言だろうか。どちらにしろ、ルビーが怒らないはずがない。
「硝太」
「あっ、姉さん。ごめんね、ちょっと長話しちゃったかな」
MEMちょの心配を他所に硝太はルビーに話が聞かれたことは察してもそれを問題に思うことなく、身体を起こして軽く伸びをすると入れ替わりで部屋を出ようとする。しかしその横を通る直前、服の袖をルビーに勢いよく掴まれて動きを止める。
力一杯に振ったので硝太の腕を殴るような形になったので怒っているのは傍目でも分かる。硝太は疑問にすら思っていないのかまた首を傾げた。
「そうだよ。硝太にはお姉ちゃんの動画撮影見てもらわないといけないから」
「いや、苺プロで護衛は必要ないでしょ。僕邪魔しちゃ悪いし課題でもしとくよ」
「何今更言ってるの。硝太はお姉ちゃんの弟なんだから」
いつものルビーについて行っているのを護衛としている硝太にしてみれば警戒心の強い彼でも安心できる苺プロの中でルビーのことを心配する必要は無い。動画撮影の邪魔になるので抜けるというのは自然な発想だが、先程の発言を聞いて逃がすほど、今のルビーは甘くない。
やっと硝太も今のルビーの怒気に気付いたのか、素早くルビーの拘束から抜ける。力を使った訳でもなく腕を振ってまるで掴んで無かったかのようにするりと抜けた。こういった力を使った勝負では硝太の方が圧倒的に上手──だが今回は硝太の力はほとんど役に立たない。
「姉さん?」
硝太は拘束こそ外したものの、逃げることなくルビーの顔を見上げる。その違和感を否定することはないが、ルビーから逃げるほど腐ってもいない。
それを見てルビーの表情がまた変わる。舌打ちでも聞こえてきそうなほど目が鋭く、硝太の顔一点のみを瞬きなく見つめる。それはある種の迷いにも、ある種の懺悔のようにも見えた。
「ルビー待っ──」
「お姉ちゃんの言うこと、
感情のまま硝太を糾弾すると思って止めようとしたMEMちょだが、ルビーの口から聞こえたのは怒りでも罵倒でもない。ただ、親が子に躾けるような優しい声色の声と言葉。
だが明らかにその声はルビーと違った。まるで飴を転がしているような甘く、活発さよりゆっくりとした滑らかさを感じる声。MEMちょはその声に聞き覚えがある──それどころではない、その声が乗ったCDを擦り切れるほど聞いた、今更聞き逃すはずがない
──聞き逃すはずがない。その声は、アイだ。
何故ルビーの口からアイの声が出たのか、声真似だとしても精度が高すぎる。まるで超高音質の録音機で事前にアイの声を録音して流したようだ。だがそんなことはありえない。アイは既になくなっており、MEMちょの耳を騙せるほどの超高音質の録音機はアイが生きていた時代には存在すらないのだから。過去の声を繋いで加工した、というレベルでもない。紛れもなく本人がその場にいて硝太に言い聞かせている。アイ、旧B小町のファンであるMEMちょですらそうとしか思えないほど不自然さもないのが不自然な声。
それに、硝太は頷く。
「──うん。
その瞳は青く、優しい目つきでルビーを見上げる。古い玩具に久しぶりに電池を入れたような──そんな無機質さこそ感じるものの、硝太は先程までの反応が死んだように直立不動となる。その動きにMEMちょと有馬はただお互いの顔を見合せながら今自分たちがいるのが夢であって欲しいと強く願った。しかしそんなはずもなく、ルビーとの撮影は続行されることとなった。
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最悪の方向に、歯車が噛み合っていく──