東京都某所。
釣り堀の上で今日も斉藤壱護が川に向かって竿を振っている。しかしその目は釣りを楽しみに来たと言うより、兎に角1人になりたい、と言っているように見える。それを証明するように男が足元に置いた水汲みバケツにも壱護が椅子代わりに使っているクーラーボックスの中身にも魚1匹も入っていない。
何も無い、そんな現状が斉藤壱護の心象を表しているようにも見える。
「今日釣れてますか?」
そんな彼の背後から1人の少女の声がかかる。壱護が振り向くとそこにはうさぎ耳のついたパーカーを着用した1人の女がいた。背格好から大体女子高生だとわかる。
『生命』のインスタントバレット。その名を藤波木陰。警視庁警備局『
硝太との戦闘で戦闘員の大半が
だが藤波はこうして壱護の前に姿を現した。壱護は藤波をアクアとルビーと同年代の女子高生が暇つぶしに遊びに来たと解釈してしっしと追い払うように手を振る。
「迷子か?ここはガキの遊び場じゃねぇぞ」
「なら大人の遊び場かよ。おっさん、随分とくたびれてるな」
「…キャバクラの客引きか何かか?そういうのは興味ねぇんだ。さっさと行った行った」
藤波の言う通り、現在の壱護は同年代の男性と比べてもかなりくたびれている、というより生気が無い。死んでるわけでもなければ生命力がない訳でもない。ただ情熱、やる気、使命感と言ったものが抜けた抜け殻のような形になっている。
それでもルビーの仕事の手伝いをしてルビーをブレイクさせてしまえる手腕はアイが生きていたあの頃と変わらない。
そんなおっさんに身内でもない花の女子高生が訪ねる理由なんてない。精々金だけ持っていそうな雰囲気を感じて
「ただのおっさんならな。けど──B小町のアイの父親代わりってなら話は別だ、斉藤壱護
藤波の言葉に壱護が顔を向ける。
壱護をただのくたびれたおっさんではなく苺プロの元社長として見るのなら身内以外にもわざわざ訪ねる理由ができる。
一つはドームライブ直前まで行ったB小町を引っ張った壱護のプロデュース力を見込んだスカウト。スカウトでこそないが今のルビーもこれにあたる。
もう一つは、旧B小町の不動のセンターであり壱護の
──ルビーの件か?いや、今の苺プロにこんなガキはいねぇ。芸能人って顔もしてねぇな。ストーカーか、いや記者の方か。
壱護は改めて藤波木陰を注意深く観察する。見覚えのない顔に目立つ服装。雰囲気や言葉遣いも芸能人にはとても見えない。そのくせ年齢は若いので芸能関係者っぽくは見えない。
ならばアイの件について記事を書きに来た記者か──と問われるとそれも難しい。藤波は現在メモを取ったりする様子もなく、それらを持っているようにも見えない。一応警戒されない一般人を使って情報を引き出す記者も最近は増えてきており、それで使われた一般人、という線はあるがどうも疑わしい。
壱護は現在ミヤコ達との連絡や交友を絶っているだけで世捨て人になったわけでも逃げ隠れていたわけでもない。それなりに優秀な記者なら場所を見つけることぐらいならできるはず──だがそれでも簡単では無い。いくらもう辞めているとはいえ元芸能事務所の社長、そんな相手に取材するのも簡単には行かない。それを素人にやらせるのか。
「そういうのはやめろって言ってんだろ。もうアイはいないんだ、俺とアイに関わんな!」
壱護はクーラーボックスを蹴り飛ばす勢いで立ち上がると藤波に詰めかけて怒鳴る。
ただの女子高生ならこれでビビって逃げ出す…と壱護は思ったのだが、藤波はビビるどころか楽しそうに口角をあげる。まるで仕掛けておいた罠に太った獲物が引っかかったのを見た捕食者のような目。
ここで初めて壱護は自分の推測が全て的外れなものであると気付いた。目の前の女は壱護を襲いにきた──化け物の類いだと。
いくら女子高生に見えるとはいえその正体なら化け物なら壱護には敵わない。逃げるか、と思って周りを見渡すもここは川近くの釣り堀。近寄る人なんでそういない。そのくせ周囲は開けて遮蔽物になるものはない。
「悪いけどこっちにも事情があんだ、そうはいかない。ああ、一応言っておくけど助けを呼ぶのと私を倒そうってのは無駄。私は魔法使いなんだ」
壱護が逃げようとしてる気配を感じ取った藤波が更に一歩、距離を近付ける。
壱護は気付いていないがその手には既に彼女のインスタントバレットで作られた植物の種が握られている。指で種子を潰せばすぐに成長して壱護を捕獲することが出来る程度の力はある。魔法使いである藤波の前には多少身体の大きいだけの大人の男はでかいだけの的でしかない。
余裕を感じた藤波はフードを外して魔法使いだと名乗る。その言葉に壱護は一瞬だけポカンとするもすぐにその真意を理解して椅子代わりにしていたクーラーボックスに再び腰を下ろす。
「…ちっ、そういう事か」
「意外と諦めがいいな。まさかアイから話を聞いてたのか」
「俺からすればアイは娘同然、あいつの事は本人の次に俺が知ってる」
藤波と壱護は初対面。藤波は壱護について多少調べているが壱護側は高校生ぐらいの年齢の女、だが生身は人間と呼ぶにはおぞましい化け物とわかる程度。
だが「魔法使い」の一言で諦めがついた壱護が腰を下ろした。それはつまり壱護がインスタントバレットというワードを知っているかどうかは別として魔法のような超常現象の存在を知っていることを示す。
当然そんなことインターネットを調べ尽くしても手に入る訳でもない、芸能界にポンポンと生まれてくるものでも無い。本来なら存在すら知らない、聞けば「アニメや漫画の見すぎだ」と笑いとばされるぐらいが正常な反応だと言うのに壱護はその存在を知っていた。壱護が知れる機会といえば一つしかない──アイだ。星野アイというインスタントバレット、彼女からその不思議な力があるのを聞いたのか、共に過ごす中でそういうものがあると知ったのか。どちらかは分からないが壱護からすればアイは娘同然、彼女のことを知るなど親として当然の義務、ということだろう。
親だとしてもそれを知るのは相当厳しい筈だが──知っているのなら説明する手間が省けるのも事実。藤波は舌打ちしそうになるのを抑えて代わりにため息を零す。
「まぁいいか。安心しろ、殺しはしないし、抵抗しなきゃ痛めつけもしない。下手に斉藤硝太に殺意向けられても困るからな」
「あ?なんであいつの名前が出るんだ──ああ、そういやまだ生きてるんだったか」
「あのな、アイが娘ってんなら
壱護も一応硝太の父親、硝太が何より大切にするのが家族なので硝太の気を引く材料としては丁度いい、と思った藤波だが直後に壱護から出た言葉でその考えを諦める。
壱護は硝太が記憶喪失になって以降、苺プロに姿を見せてない。彼はとある目的のため苺プロから既に離れており、硝太を引っ張るには力不足としか言えない。だが、これ自体は当然の帰結だった。硝太の凶暴性、人並外れた戦闘力を見て自分の子供だというのは常人では厳しい。一度自分の手から離れられる機会があったのなら尚更、この件においては彼の妻であり、現在硝太にとって唯一の保護者である斉藤ミヤコの方が異常者側。ミヤコがいるから壱護も似たようなタイプなのか、と疑った藤波だがその辺りは常識的に考えた方が良かった、ということになる。
「あ?何言ってんだお前。マトモなのは俺の方だ、あんな化け物と比較すんな」
「…まぁ、そうだろうな。それで?お前はその化け物から逃げてると──なら私達が手伝ってやろうか?手を貸してくれれば斉藤硝太を殺してやるよ」
壱護を使って硝太を誘導するのが不可能なら、次の手段に手を出す。それは硝太を殺すのに協力させる。もちろん藤波達『世界の端っこ』が一度ほぼ全戦力を投下して負けたので力押しで勝てないのは十分承知している。大切なのは壱護がどれだけ硝太のことを憎んでいようと彼が硝太の父親であることは誰も否定できないこと。父親としての言葉や存在で硝太を殺しきれなくても何らかの手段として使えるかもしれない。
だが壱護はそんな藤波の思考を読んだようで視線を外しながらも文句を垂れるように呟く。
「殺して死ぬような
「クッソ、結局邪魔なのは斉藤ミヤコかよ──ああ、もういい。お前に引っ付いても大したもんは無さそうだ」
あくまで硝太が付き従うのは母親の方。父親の方は一般的価値観から外れたように見える一般的な父親。硝太をどうこうするのに壱護に利用価値は無い。そう判断した藤波は回れ右をして来た道を戻る。その藤波の腕を壱護が掴む。
敵わないと知った相手に抵抗してこなかった壱護がまさか動くとは思わなかった藤波は少し驚くもそれを顔に出さずに見据える。
「なんだよ」
「お前らミヤコ達に何かする気か」
先程まで生きるのを諦めたような顔をしていた割にはミヤコにはある程度情があるらしい。考えてみれば硝太がいなくてもこの二人はアイを通じた関係性であり、ただの職場の同僚とはかけ離れた繋がりがある。アイの復讐を優先した壱護と残った子供を優先したミヤコという違いこそあるが、アイを大切に思っていたことは変わらない。これまでの壱護が悪人のように見えるのはインスタントバレットに覚醒するほどの化け物である硝太が相手だからなのでいわば外れ値、生き物としての外れ値と応対するのだから対応もそれ相応になるのはむしろ当然。それを除けば壱護がミヤコやアクア、ルビーに『情』を感じるのは当然だ。決して壱護は悪人ではない。娘を愛して離れていても
ならば、と藤波は腕に掴まれた手は振り払うができるだけ優しく答える。
「こっちがどうこうしたいのは斉藤硝太だ。母親にも姉にも用はない」
「──そうか」
『世界の端っこ』の脅威はあくまで同じインスタントバレットである斉藤硝太ただ一人。中小の芸能プロダクションもそこに所属する事務員も芸能人も、『世界の端っこ』からすれば文字通り何が起ころうとどうでもいい。この言葉が壱護に信用されるかどうかは話が別だが、少なくとも藤波の言葉に嘘はない。
藤波は今度こそ来た道を戻って姿を消す。流石の壱護もその後を追う程の気概はなかった。再びクーラーボックスに座り、張り詰めていた緊張の糸をゆっくりと緩める。
「魔法使い…か」
──『魔法』だよ、多分。
深呼吸をして体を落ち着かせると思い出されるのは苺プロにいた頃、アイが見せたささやかな『奇跡』。その後の彼女の人生何一つとして影響を及ぼすことはなかった、ただの平和な日常の一幕でしかない。偶然の産物と言ってもいいだろう物をアイは『魔法』だと言い張った。多分、とつけておきながら偶然だと言っても聞かず、「魔法じゃなければ魔術だ、能力だ」だの、変なこだわりを見せていた。彼女なりの冗談、という訳でもなさそうなので「まぁアイが変なことするのは今に始まった話じゃないよな」とその頃は適当に納得していた。
今になって理解したあれはアイが引き起こした魔法だった。そして同じ魔法使いが壱護の前に現れた、ということになる。冗談だと笑い飛ばしたくなるが最後まで名乗ることはなかった女がただの厨二病や妄想癖の類には見えない。
「
アイの娘のルビーが偶然目の前に現れて数ヶ月。次はアイの冗談だと思っていた「魔法使い」が目の前に現れた。
しかもその魔法使いが硝太を狙っているというのだからおかしな話だ。それこそ偶然を疑いたくなってしまう。
「…おい待て」
そこまで考えて壱護は一旦過去を懐かしむのを辞めて、分析を始めた。あの魔法使いを名乗った女は何者か、何故ここに、今のタイミングで来たのか。
女は壱護の名前を知っていて明らかに逢いに来たように見える。壱護も逃げ隠れしながら生活している訳では無いので見つかること自体は別におかしな話ではない。
だが女の話からして硝太を何とかするために壱護に頼みに来たように見えた。何とか、というのは「殺したい」という意味だ。だが壱護は既に苺プロから関係を絶っている。ルビーの仕事の斡旋や指示をしてこそいるが苺プロの経営方針や仕事を実際に回すのかどうかは現社長のミヤコがやっていて現在の壱護には口を出す権利はない。
壱護の場所を調べられるのならこれぐらいのことは簡単に調べられていいはずだ。その前提を知れば硝太に手を出すのに壱護が邪魔になるはずがない。殺人鬼に協力する気もないが硝太を守る気もないのだからどうなろうと苺プロやミヤコに影響が出なければ知った話ではない。何故あの女は壱護を使えると勘違いしたのか──それはこの情報が第三者から提供されたものだから、と考えれば筋が通る。
そして、その第三者はおそらく硝太を殺すために何人か殺すことになる。目的は硝太なので硝太さえ何とかすれば手を出すことはないが──それでも心配になる。とはいえ魔法使いが狙ってる、なんて言ってもルビーが信用するわけもない。ストーカー云々を話すならまずは警察に頼らせる。しかしその場合営業などに影響が出ないとは言いきれない。
ならば何とかするのは硝太の方だ。あいつを孤立させて「魔法使い」を名乗った女に襲わせるなりすれば女の方はミヤコやルビーに興味を失う。
「一応ルビーの方にも連絡しておくか」
──これから厄介なことになるから硝太に近付くな。
核心には触れぬように気をつけながらルビーにそう言いつけることにした。──しかし壱護のこの行動は悪手となる。
その理由は大きくわけて2つ。1つ目はルビーが既に魔法の存在を知っていたから、壱護が確信に触れなくともルビーは壱護の言葉からなんとなく状況を察することができてしまった。2つ目は、今のルビーが硝太を目に入れても痛くないほど可愛がっていたこと。硝太への危険を感じたルビーは、守るために最後の切り札を切った。アイの演技──母親への侮蔑になると知りながら、何より大切な母親を悲しませる行為だと知りながら、ルビーは最悪の手段を使ってしまった。硝太を押さえつけるために最後の切り札を使わせたのはそんな何気ない、善意による気遣いだった。
斉藤壱護とかいう本人に物理的な力はないのになんか多方面から信頼されてるやつ。仕事人としては優秀なんだけどね、それとは話が違うよね…
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ルビィィィ!親父危険だぞ!