歯車が噛み合い、地獄の道が舗装されていく
「お母さんがお母さんじゃなかったら僕はそのまま燃えるゴミの袋に詰められて焼却されてました!」
扉越しにその発言が聞こえた時、自分の中でプツン、と音を立てて何かが切れた。それは人間性かもしれないし、命を捨ててでも守りたい神秘だったのかもしれない。
その正体は今のルビーにはもう分からない。分かるのは
「お姉ちゃんの言うこと、
「──うん。
硝太が人形のように直立不動で固まる。それを見てルビーの頭には強い後悔が生まれる。やってしまった、出来てしまった。硝太が右目を青く輝かせながら優しく微笑む姿は洗脳して手懐けられたようにしか見えない。
フィクションで行われる催眠や洗脳は味方の強いキャラクターを敵にするための舞台装置のようなものでフィクションの中でも最強格の能力に見えるが少なくとも硝太相手ではこの世の中のあらゆる催眠や洗脳、現実改変でも最上位にあたる力をルビーは使えてしまった。インスタントバレットや転生のような現実に紐づかない『魔法』ではない、あくまで個人の『才能』として。
アイなら硝太を止められる。同時に硝太の人間性を剥奪できる。そう証明できてしまった。
「じゃあお姉ちゃん達動画撮ってるから、そこで待っててね」
「──うん」
ルビーに言われた通りの場所に硝太は正座する。人形のように表情は変わらず正座してからは静止画のように動かない。
「ねぇルビー。硝ちゃん大丈夫なの?」
「え?なんで?」
「流石におかしいわよアレ、なんかいつも以上に人間味がないというか、夢みたいな…」
硝太の急変にMEMちょと有馬は撮影を始めようとしていたルビーを囲み、耳打ちする。元から素直であると同時に機械的な子であったが今回の変化では流石に違和感を持たれた。
MEMちょと有馬は先程の会話で硝太が壊れてしまったのではないかと心配している。ルビーの仕事が増えて結果を残していくのを間近で見て自信を失うのは
先程の発言は硝太の元々の思考であり、今の急変はただ思考回路を
「あはは、ごめんごめん。でも
──そんな訳ない。
ルビーの口ではそう言いながらも、内心では「そんなわけが無い」と繰り返す。アイの言葉に忠実だった硝太だが、彼自身の判断能力を奪われているという訳ではなく、むしろアイの為に何ができるかを考えてそうなるように動いていた。今の変化はアイがいた頃の硝太とはかけ離れている。それでもルビーの誤魔化す笑顔に演技っぽさは感じられない。ルビー本人ですら何を言っているのか、よく分かっていない。
「そうだっけ…まぁルビーが言うなら…」
だがMEMちょ達はそれをあっさり信じる。不安そうに硝太の方をチラチラ見るが干渉はしない。気にはなっていたようだが撮影自体は滞りなく進んだ。MEMちょが言ったように今日の動画は短めで撮影はすぐに終わった。
「はい、じゃあまたね〜っと。今日はこんなもんかな。いいぐらいの時間帯だしどっか食べにでも行く?」
撮影が終わると、MEMちょが立てておいたカメラを取って撮りおった動画を流し目で確認を始める。そのカメラの時計を見て今の時間帯に気付いたのか夕食を誘う。今の時間帯は大体一般家庭では夕飯を食べ終わった頃。ちょうどよくお腹も空いたのでタイミングとしては丁度いい。
だが有馬は2人に背中を見せるといち早く自分の荷物を持って帰る準備を行う。何か用事があるかのような動きだがこの後有馬が何か用事は無い。
「いい、撮影が終わったなら私帰るわ」
「私もいいよ、ミヤコさんが作ってくれてるだろうし」
「ふーん、そっか」
2人に断られてはMEMちょも取り付く島がない。硝太はマザコンなのでミヤコさん残して食事には行かない。すこし残念だが今日はここでお開きとするしかない。MEMちょはチラリと一瞬だけ硝太の様子を確認する。
「硝ちゃん?」
「……うん、あ?ごめん。なんだっけ?」
軽く肩を叩いてみると硝太は、はっとした表情でビクンと小さく跳ねる。まるで授業中に寝ていたのを注意された学生のようだ。硝太は撮影中警戒する必要が無いと言っていたし、気を抜いていたのだろう。固まった笑顔のような表情を抜けて瞳も両目ともにミヤコさん譲りの赤色に戻る。
「なんでもないよーミヤコさんがご飯作ってくれるまで宿題でもやってよ」
「──」
だがルビーの言葉に硝太はまた笑顔が張り付いたような顔に再びなり、右目が青くなる。
その声をMEMちょは聞き逃さなかった。また、アイの声を出していることを。
──ルビーの声に硝ちゃんが反応してる?でも、どうして。
MEMちょはアイとルビーの関係性について知らない。アイの全盛期から亡くなるまでまだルビーは幼稚園児、その頃にアイドルを推していたとしてももう供給もない亡くなったアイドルをまだファンであり続けるのは厳しい。考えられるのはここ数年でアイドルをやりたいという欲が出て再燃したか、苺プロという繋がりからミヤコが教えたのだろう、ということぐらい。
今までのルビーはその認識でも矛盾しなかった。きっかけはなんであれアイドル好きの娘が自分のいる会社のアイドルに興味を持つのもそれを推すのも自然な流れ。同じグループ名で再建するのも、メンバーカラーとサイリウムの色を揃えたのも純粋なあこがれと見えた。同じ曲を歌っているのでちょっとした声真似ぐらいなら出来てもおかしくない。だが、ルビーが硝太を止めた声、そして今先程聞いた声はそんな次元の話ではない。声帯から発声まで100パーセントコピーしたような声質。憧れとか、推しの感情でできるものでは無い。どちらかと言うと恨みつらみに近い執念の塊。いつ、何が彼女をそうさせたのか。
そして、何故ルビーがアイを真似した声で硝太が止まるのか。硝太は形ではB小町を推すファンであるが、実際は苺プロのアイドルだから、姉のルビーがいるからという理由でB小町を推していて、アイドルという職にこれといった興味があるようには見えない。これまで他のアイドルや芸能人に興味を持つような仕草がなかったので本人としては芸能界も身内が働いている場所、という認識しかないのだろう。そんな彼にアイの声で異変が出るのは辻褄が合わない。ルビーと同じ予想、「ミヤコにアイのことを教えられて映像などを見た」としても過去目立っていたアイドルという認識でしかないはずだ。ルビーの怒っている声が
「MEMちょ?」
「ううん、なんでもない。じゃあ私も帰るね、またねー」
現状では予想できても干渉することは出来ない。ルビーの怒っている理由が硝太の失言なら硝太の膝を合わせて話してもらうしかないが、それが出来ないほど二人の関係が拗れているようには見えない。心配してもなんだかんだ仲のいい姉弟だ。明日には修復している可能性も全然ある。
MEMちょは荷物をまとめると少し足早に苺プロの建物から出て行った。MEMちょが出ていくとそこには黙ったまま表情を動かさない硝太とルビーが残る。
ここには2人を除いてもう誰もいない。
「──」
「
「──」
黙ったままの硝太がいて、いたたまれなくなったルビーはその手に触れて、引っ張る。だが硝太の足は置物のように動かない。口も表情もピクリともせず、張り付いた笑顔は人形のようにしか見えない。
アイの声で呼ばれた硝太の身に何が起こっているのか、ルビーは知らない。トラウマを刺激して、硝太は心を閉ざしてしまったのかもしれない。文字通り壊れてしまったのかもしれない。
「あ、ああ…」
「
硝太が優しい声をかけてきた。少しだけ上擦った、柔らかい声。ミヤコさん相手にすら出したことがない、甘えるようでその実甘えさせる声。その話し相手は本当はアイだったはず。その声で「お姉ちゃん」と呼ばれるのはアイだけのはず。
その事実にルビーの罪悪感はただ溜まっていく。ルビーがアイの声で硝太を騙すということは、硝太の中にいるアイを殺してしまうようなものだ。
ルビーの目から涙が零れる。自分が愛した二人を一度に壊してしまった事実を受け入れられず、硝太の顔と声が見えないように両耳を閉じて俯く。
しかし同時に自分に泣く資格はない、と突き放す誰かの声が聞こえる。硝太をこうしてしまったのは星野ルビー、つまり私だ。だから私は苦しむしかない、愛した人を傷つけるしかないのだと。──そう発言するのは間違いなく
「ごめん、違うの。そんなつもりはなくって」
「…なんで泣いてるの?」
泣くルビーの手を硝太は軽く拭うように取る。力一杯耳を押し付け声を聞こえないようにしていた手が軽く払われ、改めて力の差を思い知る。逆立ちしてようと勝負にもならない力を持った硝太に掴まれた手が軽く震える。
「ただ、私。硝太が大変な目にあって欲しくなくて」
「何言ってるの、お姉ちゃん。僕は大丈夫だよ。アクアマリンとルビーにも恥ずかしいところは見せられな──」
アクアとルビーの二人の父親ぶったような言い方は北海道ライブのリハーサルを思い出させる。しかし文字通り身体は子供、
ルビーの手を掴み、ルビーを第三者として扱う発言をして、現実と自身が浸かっていた妄想との乖離に気付く。硝太は投げ飛ばすようにルビーの手を離すと後ずさりをして近くの壁に背中をぶつける。
「あ、アレ?ルビー、だよね?お姉ちゃんじゃ、ない?」
「硝太、ママはね…あのね」
ルビーとアイを別人と気づきながら混同したせいで混乱している硝太。そんな硝太に「君のお姉ちゃんであるアイは死んだ」と言うしかないルビーは顔を歪ませながらも硝太に抱きつく。
しかしルビーが止めるより先に硝太の口が動いた。
「ああ、そうだ。僕が─ボクが殺したのか、殺したんだ!僕が、僕が!」
抱きついていたはずのルビーはその瞬間勢いよく投げ飛ばされる。浮遊感を感じるより先に背中に強い衝撃が走る。感じたことの無い痛みに肺の中の空気が全て吐き出されたルビーは本能で呼吸を優先する。
運がいいのか、痛みは一瞬で息を整えた頃には背中はほんの少し痺れるぐらいで大したダメージにはなってない。間違いなく、硝太が手加減してくれたのだろう。そうでなければルビーはその一瞬で命を刈り取られていた。
硝太を止められない。そう気付いたルビーは体を投げ出すように硝太から逃げる。苺プロの建物は二階がルビーとアクアの部屋や撮影部屋があるが、一階にはミヤコたちのいる事務室がある。
ルビーが止められないのなら、もうミヤコしか頼れない。だが、それはミヤコに今の硝太を見せることになる。そうなれば必然的にその理由もミヤコにバレる。
「待って、待ってお姉ちゃん!いや、違う。この手は、ルビー。お姉ちゃんじゃ、ない!」
逃げたルビーを見て硝太は何かを重ねたようで袖からナイフを出す。まるでマジックのように何も無いはずのところから現れた何処かで見た記憶のあるナイフは刃こそ出ていないが、その中に殺意が詰まっていることだけはルビーでもわかる。
今の硝太には最早何が見えているのかも分からない。目の前にいるルビーともう死んだアイを同一人物だととらえる耳と別人だと捉える瞳の情報が混雑して脳に入っている情報全てを理解できなくなっている。そうした硝太がとる行動はひとつだけ。
硝太はナイフを軽く振って鞘を天井に向けて投げると抜き身になった刃を自分の腹にあてがう。気が狂った状態でありながらもその動きは迷いなく、高速でルビーは反応すらできない。そのまま少し腕を振るえば腹を切って死ぬだろう。だがそれより前に硝太の動きがピタリと止まる。
「硝太」
「…お母さん」
名前を呼ばれただけで硝太は呼吸を落ち着かせ、ナイフを素早く鞘を回収して元々隠していた袖へとしまう。どんな状況であろうと無駄のない慣れた手つきで得物を動かし何事も無かったように目の前から消してしまったのは知識や経験に結びつくものではない、本能的なものを感じさせる。
先程の混乱が嘘のように硝太は落ち着いたが、逆にルビーはいたたまれなくなり顔を背ける。硝太がこうなった原因は間違いなくルビーのアイ演技。その理由も硝太の行動を制限する為でしかない。
「ミヤコさん…これは…」
「ごめんなさい、硝太」
視線を外しながらも弁明しようとするルビーではなくミヤコは硝太を抱きしめる。
例えルビーがアイの演技をした事が原因だと知ってもミヤコはルビーを叱れない。同じアイドルであるのもそうだが亡き母親の真似をする娘を叱ることなんて養母でしかないミヤコにはできない。
何より、ミヤコからすればこうなった原因はルビーでもアイでもない。自分自身だ。
仕事を言い訳にしてまだ精神障害が感知していない硝太にルビーのお守りをさせようとした。例え本人が望んでいたとしても、売れてきたアイドルなんてメンバー間の人気の諍いや調子に乗ったファンの心のないコメントは毎日のようにある。そんな場所に居させたらマトモな精神をしていても潰れてしまう事すらある、だと言うのにまだ不安定な子供を居させるなんて正気の沙汰ではない。さっさと壊れろ、と言っているようなものだ。
高千穂の死体の件も、硝太が殺し合いに巻き込まれた件も全部親として対処するべきだった。それぐらい硝太は弱い子供だという認識がいつの間にか外れていた。
「ごめんなさい」
硝太を力一杯抱きしめる。すると震える体を硝太はゆっくりと抱き締め返した。
前回取ってしまった、ルビーが絶対に取ってはいけなかった選択肢。つまり、硝太のトラウマを刺激してアイと誤認させる。それは大成功しました。まぁそんなことしたらどうなるか、ここまで読んでいただいた方なら分かりますよね?っという話です。
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こんなはずじゃない──そう思ってた、のに──