地獄の道は善意で舗装される…
違和感はずっとあった。
「もう居ない」と教えられた父親の存在。仮にも息子であるというのに死んだのか、別れたのかも聞かされていない。正直もう居ないのならどうでもいいと思う心もあった。だから必要以上は聞かず、放っておいた。
考えてみればおかしな話だ。息子が物心着く前に消えたとしても血を受け継いだ親の話を母親が極力しないように務めているのは単純な話ではない、別の事情があると考えるべき。
──イチゴ、硝太はアイと同じことをルビーにしてあげようとしているみたいよ。ねぇ、貴方ならどうしてた?
B小町のマネージャーになると言った時に母親が隠れて零した言葉。母親の声色からも複雑な事情を伺える。「イチゴ」──本名「斉藤イチゴ」が自分の父親。硝太はようやくその時自分の父親の名前を知った。ただその時ですら「もう居ない父親のために頑張らないと」と思った程度で父親について詳しく調べようとはしなかった。
もう意識の外に放り出されるほどの時間が経ち、ルビーの行動が明らかに変わった時、またその名前を見ることになるとは思わなかった。きっかけはルビーが彼女の生霊と思われる存在と話をしていたことだった。話の内容は弟──つまり硝太がチョロチョロ動き回らなくなったことを喜ぶ生霊とそれを煩わしく耳を塞ぐ姉。話に自分が関わっていることを知った硝太は生霊を消してしまう手も考えたが、一先ず生霊が発生した原因を探ることにした。一過性のものなら放っておけばいい、だが最近のルビーがアイドルを楽しめなくなり、顔では笑顔を作りながら痛みを感じているのを見るとそうとも見えない。
そこでルビーのスマホの着信履歴を確認、しかしルビーは履歴を念入りに消していた。本来ならここで諦めてしまう所だが硝太は偶然時間が有り余っていたので取れる手はいくらでもある。ルビーのスマホをハッキングしてキャリアから消した通話履歴を探る。その時に出てきた名前が──斉藤壱護だった。
「…斉藤壱護、僕の父親…せめて顔でも分かれば」
頭の片隅に置いていた記憶を呼び出して見るが大したものは出てこない。顔のような一目で本人だと特定できるものがあればいいのだが手がかりはない。兄や母に話すような案件でもないので一人で導き出す方法を見つける。
苺プロにいたと思われるので過去の社員の個人情報を抜き出して見るが既に対策されていたのか見つからない。アルバムも探してみたが硝太が見られる範囲ではそれに近い相手はいない。
まるで臭いものには蓋をしろ、を徹底しているように斉藤壱護という人物の記録が消されていた。主犯は間違いなく母親だ。相当酷い相手だったのか、母親自身が忘れたい記憶なのか。当然推測の域を出ないが動機ならいくらでも考えられる。他に考えられる人物だとアクアマリンとルビーがいるがどうしても結び付きが薄い。本人がやった、とも考えられるがそれだったDNAの半分を持っている
「やっぱりあからさまに隠してる。なら…」
苺プロ内部から情報を出せないのなら別の情報を出してしまえばいい。一番最初に思いつくのは戸籍だが、国の戸籍情報はインターネットに繋がっていないのでハッキングは不可能。そもそもそのレベルの情報をハッキングで見つけ出すのは相当難しい。
「まずは東京都全域の監視カメラをハッキングして、僕に似た顔をピックアップするか」
次に考えたのはSNS情報。だが妻を置いて逃げるような男がSNSで居場所をわかるようにするとは思えない。その為まずは対象が東京都にいると仮定して監視カメラの情報をできるだけハッキングする。その後AIの力を借りて自分の顔を老けさせてそれに近い丁度いい年齢層の男性をピックアップする。
地道かつ、確実とは言えないが現在硝太一人で対処する方法を考えるとそれぐらいしか無かった。見つけ出した人物の情報を出して足跡を辿り、住所を見つけ出して本名を調べる。一人一人繰り返していると意外と早く答えを導き出せた。
「──いた。こいつが」
テレビ局に出入りしているサングラスをつけた金髪の男。年齢は見た目から考えて母親より10歳は老いているが芸能界ではその程度の年の差婚はそこまで珍しくない。監視カメラに写った名刺の名前を拡大し、ボヤけた文字を修正すると『斉藤壱護』の名前を確認した。あとは付近の監視カメラやSNSの情報から人物像をあぶり出していく。
結果的に数時間パソコンと睨めっこすることになったが斉藤壱護の居場所や行動パターンを作れた。──因みに、これまでの行動はそのほとんどが立派な犯罪だが今更それに気にするほど硝太に余裕はない。
居場所が分かったのなら、行動がバレて対策を取られる前に攻めるのが手っ取り早い。後日、週末にルビーが仕事に行っている間に外出の準備をする。今まではルビーの仕事には苺プロ内で済ませられるものを除き、同席していたが、この間母親からその任を解かれた。斉藤壱護について多少人となりや、これまでの功績等調べていたが何が起こるかわかったことではないので荒事になるのを前提としてナイフを忍ばせ、サングラスと帽子を着用する。
「お母さん、僕ちょっと外出る──あれ?」
母親に外出の旨を伝えるために仕事場に行くとそこにはほかの従業員が同じように仕事をしていた。
小学生時代は不登校で母親にベッタリして離れなかった硝太は苺プロの従業員は全員顔なじみだ。学校のクラスメイトなんかよりよっぽど信用してるし硝太が母親を任せられるほど人当たりがいい人間しかいない。だがその中で一人、知らない──という訳では無いが本来ここに居ないはずの人物がいた。
気弱そうな顔に目元にはハッキリとした隈。確か『深堀れ☆ワンチャン!!』にいた吉住という名前のAD。レギュラーのいる事務所とはいえADが直接来るのは珍しい──というか聞いた事がない。
アクアは家にいて、ルビーは今現在別番組のロケをしているはず。『深堀れ☆ワンチャン!!』のADが来る理由は考えられない。それでも実際に来ているので理由は聞くしかない。
「姉さんに何かあったの」
ルビーになにかあったのか吉住を睨みつけながら聞く。もしルビーに何か問題があってその謝罪か何かで来たとするのならそれ相応の仕返しはさせてもらう腹積もりでいる。
だがミヤコは仕事から目を離さずに吉住を手招きする。
「ああ、丁度いいし紹介するわ。新入社員の吉住君。この子は息子の硝太。」
「あ。よろしく、お願いします」
吉住は若干あたふたしてるがすぐに頭を下げる。ルビーの撮影現場に同行している弟ということは既に知っているはず。ここでミヤコが自分の息子と硝太を紹介したことでルビーと硝太がミヤコの実子だと吉住の頭の中で変換された。細ない話をするとルビーは引き取られた子供なので実子ではないのだがそれをわざわざ指摘するものはいない。
「新入社員?」
「あ、はい。AD辞めて、苺プロに再就職を…」
「明日から吉住君にはB小町のマネジメントをしてもらいます。私の代役ね、硝太も理解してあげてね」
B小町のマネージャー。これまで社長業と共にミヤコがやってきたことだが、ルビーのブレイクと共にほかのタレントも忙しくなってくるのでB小町の為のマネージャーを雇ったということだろう。
一応最初は硝太が名乗りをあげたマネージャーだが、怪我やらなんやらで空席だったのを埋めた。それはつまりミヤコの中で硝太をもうB小町のマネージャーには形だけでも当てはめる気はないということになる。硝太としてはやると言ったことを貫けなかった後悔はあるがそればかりは仕方がない。ルビーや有馬の為の始めたが結局不要だった事は自分が何より理解している。だが何よりその席に誰とも知らない人間が座ったことに複雑な感情を抱いていた。アクアマリンやミヤコのようにルビー達のことを深く知る人物でも繋がりが深い人物でもなく、ただの元ADのおっさんが売れてきたルビーのマネジメントをする。
感情だけの話をするなら当然嫌だ。だが同時にADとして働けていた吉住の方が硝太の何倍も仕事をできてミヤコの負担を減らせるのも事実。
「…そっか」
何より大切なのは硝太の感情よりミヤコの決定だ。社長だからという理由もあるがそれ以上に母親の答えは硝太にとって母親の身の安全を除いた全てより優先される。
複雑な心も欠片も見せることなく受け入れる。
「じゃあ僕ちょっと外出るから」
「お昼までには帰ってきなさい。あとGPSも忘れないでね」
「うん…わかった。行ってきます」
出来るだけ感情を見せずに仕事場から離れる。ミヤコは仕事が忙しいのかかかりきりで、顔色すら見えない。そういえば最近家族の時間はかなり短くなっている気がする。売れるって言うのはそういうことだ、個人的な時間を出来るだけ切り詰めて結果を出すことだと知ってはいるが喜ぶことは到底出来ない。
ミヤコ達の仕事場を離れるとそこには本を読んでいるアクアマリンの姿があった。マルチタレントとして仕事をしているアクアマリンもルビー達ほどでは無いが最近忙しそうにしている。『深掘れ☆ワンチャン!!』のレギュラーもそうだが『東京ブレイド』の舞台が成功したおかげかあかねもいる劇団「ララライ」に次の舞台にも呼ばれてるそうだ。もう一端の舞台俳優である。彼の少ない休日はほとんどこうして家にいるかあかねとデートしているだけ。ルビー達B小町への接触もほとんどなくなり同じ番組で共演しているルビーもルビーがリポーターという立場のせいか直接話をすることは少ない。それでも最近は少し前と比べるととても明るくなった。いつも近くにいる家族でもないと気付かないような変化だが、表情のバリエーションも増え人間らしくなったように見える。
「硝太、どっか行くのか?」
「うん、ちょっと調べ物」
「そうか…わかった」
「行ってきます」
アクアマリンは少し違和感を持っているようだったがあえて興味を持たない風を装うことにしたのか追求することなく読書を再開する。
そんなアクアマリンを背に硝太は家を出ると調べておいた場所に向かう。『斉藤壱護』の行動パターンから考えて今現在何処にいるのか推理した場所。車も使えなければ電車もバスも苦手なので徒歩で向かう。向かった場所はそこまで遠くない住宅街の穴場的スポット。穴場と言うだけあって監視カメラも無ければ人は多くなく現時点で確認出来るのは一人しかいない。ボサボサの手入れされていない金髪に老化を感じさせる背格好。安物の椅子に腰掛けて地面に竿を立てたままその動きを見てるだけ。釣りが趣味なのだろうがまるで精神安定の修行のように見える。
──いた。
件の人物がいるのを確認して硝太はかけていたサングラスを外してその人物の背後に立つ。袖からナイフを出して横に一閃すれば男の首は胴体から離れて即死する距離。音も立てず、気配も殺してその距離から詰めることも離すこともせずナイフを抜く。
そしてゆっくり腰を落としながらその首筋にナイフの峰を優しく当て、耳に口を近づける。
「動くな」
高圧的な態度と声はアクアの真似。演技も出来ない硝太の真似はずっと共に過ごしている兄だとしても大してうまい訳でもなく、ただ圧が強いだけ。それでも一定の効果はあると見込む。
男からすれば何も無いところから現れた謎の人物に首に何かを当てられ脅されてる、ということしか分からない。だが考えを巡らせれば硝太の存在はバレるはず。バレれば見捨てた実の息子に情報を渡してくれるとは到底思えない。フリルでもいれば話術で落とし込められただろうが硝太単体ではそんな器用なことはできない。卑怯ではあるが脅して聞き出すしか硝太が取れる手段はない。その間に聞き出さなくてはならないことを全て聞き出す。
「子供がやるには笑えない冗談だな」
「質問するのはこちらだ。お前は斉藤壱護だな?」
声質からか相手──つまり硝太が子供だとバレた。大の大人にこんな冗談を仕掛ける子供が世の中にどれだけいるか、そんなこと考えなくてもわかる。用事はすぐに済ませないと不味い。
「ああ、それで?」
「星野ルビーという人物を知っているな、B小町という駆け上がりのアイドルの…」
斉藤壱護だと認めたので次に焦りを気づかせないように本命のルビーの件について聞き出す。もしルビーに仕事の指示をしているなら現時点の苺プロに関わっていくつもりなのか。聞き出さなければならないことは多くなる。
「不動のセンター。アクアの真似か?欠片も似てないぞ」
だが、それより先に壱護が動いた。首を回して顔を確認することすらせず硝太の正体を見抜く。オマケにアクアの真似をしていることすら見抜かれては正体を気づかれる前に聞き出す作戦は取れない。
「質問するのはこちらだと言ったはずだが?」
「勘違いしてんのはそっちだろ」
壱護の声に怒気を感じる。普段感じることない気配に硝太がみを強ばらせた途端、壱護の手がゆっくりと動き、硝太のナイフを掴んでいる右腕を掴む。
「いつから自分が強いって勘違いしていた?」
首を回して見えたのはサングラスをかけた男の顔。そのサングラスの隙間から小さな瞳が見えた。自分と同じ、人殺しの覚悟ができている瞳を。
ここまでの覚悟ができるのなら拷問の類も使えない。脅しも効かないのなら情報を広げられるのが面倒なのでここで殺すしかない。
掴んできた壱護の腕を掴み、柔道の要領で投げ飛ばす。本来ならここから馬乗りになってしまった方が有利だが、壱護との体重差はパッと見た見た目だけでもそれなりにある。逆に投げ飛ばされるなりにして馬乗りになられたら硝太はナイフ以外の得物が使えない。
組み伏せることはしない。ただ相手が何もしてこないとは限らない。疑惑でしかないとはいえ自分の父親なら自分が持っているDNAの半分は持っている。インスタントバレットのように、とまではいかないまでも最低限の戦闘技術はあると踏んでも間違いではない──と感じていた。
しかし投げ出された壱護は受身を取ることすらせずコンクリの地面に叩きつけられる。
「いだっ!」
──弱い。
抵抗の意思はあった。その上で素の力でさえ硝太は目の前の男を上回っていた。壱護に怒りの感情が消えた訳ではなく、むしろ強くなってきている。なのに、こんなにも弱い。技もなければ力もない。何も無いくせに覇気だけは確かにあった。硝太はナイフでとどめを刺す気にも慣れず半歩退く。もちろん、壱護の体たらくが演技の可能性も考えてナイフは抜き身のまま、周辺の警戒も怠らない。
だが予想していた斉藤壱護とのあまりに乖離していることに困惑する。
──こんな男が、僕の、父親?お母さんの相手で…B小町を率いた男?
もちろんアニメやゲームのキャラクターの世界ではないので暴力が強かったとしても抱えてるアイドルが売れるわけではない。もしそうなっていたのならB小町はとっくにドームライブを成功させている。斉藤壱護が暴力の才能がないことなど簡単に予想できた。むしろ息子が強いのだから父親も強いなんて誰も考えないはず。だと言うのに硝太は壱護をまるで『創造』で作られた化け物と対峙する時のような警戒と緊張感を持っている。
──怯えている?こんな奴に?
人の目がある訳でもない。ナイフで一突きしてしまえば遺言すら残させず殺せる。死体が見つかっても、罪を被せられないようにすることだって容易。警戒したとしても怯える必要なんて欠けらも無い。そう理性では理解しているのに本能がそれを強く否定する。
「出迎えがこれかよ」
「…」
「巫山戯るな、なんでお前なんだ。あの頃と変わらない、お前が!」
「──っ!」
壱護の勢いのある言葉に硝太のナイフを握っている手が思わず緩む。たった数秒で力の差を見せつけられたのを理解しているというのに怒りも覇気も欠片も揺るがない。
──「なんでお前なんだ、アイじゃなくてお前が!」
不意に、斉藤壱護の声が聞こえた。
だが壱護の口は動いておらず、幻聴であるのが分かる。問題はいつの記憶か、であるがそちらについては硝太は想像出来ない。斉藤壱護と過ごした記憶は無いのだからその発言も覚えているはずがない。今までの掛け合いや調べたデータから出た想像の幻聴だろうか。それにしては自分の動悸が激しい。
──いつの、記憶だ。なんで僕は、ずっと怯えている。
ナイフを構えた体制を崩さず、恐れを見せないように壱護を睨む。壱護は怯むことなく立ち上がり同じように硝太を睨み返す。
「質問をするのは僕だ!お前は今何をしている、姉さんに──星野ルビーに何をしている!」
壱護がルビーに何をしているのか、それは壱護が過去B小町のプロデュースしていたのをすればなんとなく予想はつく。仕事の斡旋、売れる手段、といった売れる地盤を作る話から今のルビーを形作る技術面の話。あらゆる所に手が届き伸ばすことができるだろう。大切なのはホワイダニット、何故そんなことをするのか。ルビーが壱護に依頼出来るほどの金を持っているとも思えない。身体を売る、という可能性もあるが年の差は開きすぎてて対象として見るには無理がある。仮にそういった対象として見れたとしてもルビーが純潔であるのは右目で見ている為間違いない。
目的が理解できない。
「…お前正気か?俺が裏にいること知っておいて、何をするのかも想像してないのか?」
「話せと言っている!」
ナイフを突きつけているのに怯えもしない壱護に対して、硝太はナイフの先がブレないように意識を再び落ち着かせる。そうでもしないと今この場で発狂してしまいそうだ。しかし壱護が硝太を恐れていない以上ナイフを突きつけても分の悪い戦いしかできない。
──足でも切り落とすか、でも。
壱護との交渉をすることを前提とするなら硝太が目的を達成する為には壱護に恐怖感を持たせるしかない。逃げ回るのを防ぐ為にも両足ぐらいは切り捨ててもいいかもしれない。
だが同時にそれを取ってしまった時、硝太は家に帰れなくなる。たとえ殺さなかったとしても、たった一時でも母が愛した家族を傷つけては硝太は斉藤家に戻る資格を失う。──こんな奴を傷つけたという理由で家に戻る資格を失うのはメリットとデメリットが見合わなさすぎる。
「…ああ、そうか!ルビーが言ってたのはそういう事か!クソッ!とんだクズを産ませちまった!」
しばらく硝太を見て何かを考えていた壱護だったが何かに気付くと怒りのまま自分が座っていた椅子を蹴り飛ばす。
「俺はルビーに入れ知恵したんだよ。テレビでの目立ち方、お偉いさんの気の引き方、お前には一生理解できないことをな」
「それは見てれば分かる。目的はなんだ、金か?それとも、お母さんか?」
ルビーからのアクションが斉藤壱護が動いた理由でないのならば壱護の動いた理由は別にある。考えられるのはルビーが売れることによる経済効果を狙ったもの。或いはルビーを売れさせた結果を持って苺プロに自分を売り込む、その上でミヤコと寄りを戻すこと。どちらも有り得るが硝太が警戒しなくてはならないのは後者。前者ならまだ放っておいても対処は苺プロで出来る。だが後者の場合、ミヤコの為に斉藤壱護が売り込みをする直前で殺さなければならない。一度妻を見捨てる夫が再び妻を見捨てないと証明する方法はこの世に存在しないからだ。一時的にミヤコの立場が強かったとしても盛り返せる力があるのでミヤコに近づけさせてはならない。
だが壱護はそんな硝太の想像を馬鹿にするように乾いた笑いを見せる。
「ミヤコに申し訳ない気持ちもある。アイツがルビーをドームに立たせたいんならとことん手伝ってやるつもりだ」
壱護の言葉は「お前が想像するほど下世話な人間じゃねぇ」と言っているように聞こえた。
ただ壱護の言葉が真実ならばミヤコに手を出す心配はない。ただ罪悪感で動いているのならむしろ守ろうという気持ちになる。だがそういう知性と情を持っているのならば、何故逃げたのかという疑問が出てくる。
「なんだと?」
「勝手に出ていったこと。ルビーとアクアの養育も任せたこと。何より俺のエゴで孕ませたことも」
「…エゴ」
「お前、ミヤコが子供を産みたくて産まれてきたとでも思ってたのか?ご機嫌な頭しやがって。お前は俺が産ませたんだよ、アイの為にな」
硝太自身、考えたことがないといえば嘘になる「ミヤコが斉藤硝太を産んだ理由」。
腹の中にいる時から子供がまともな生き物ではないと知る術はおそらくなかっただろうがまずもって相手は隠していたとはいえアイと同タイミングで子供を孕んだのか、気になったことはある。
だが壱護から語られる事実は硝太は疑い深く、かかってしまうような言葉だった。「アイの為に産ませた」壱護が産ませたとしてもそこに何故当時苺プロに所属していただけのアイの名前が上がるのか。
「アイさんの、為?」
「本当に記憶なくしてんのかよ。あんなにお姉ちゃんお姉ちゃん言ってアイに迷惑かけたくせに」
──お姉ちゃんも硝ちゃんのこと大好きだよー。
壱護の苦虫を噛み潰したような顔を見て何処かで聞き覚えのある声が脳内で再生される。今のような顔をした壱護とは対照的に太陽のような笑顔をこちらに見せて抱きしめてくれる女性。
「お前からすれば赤の他人だろうが俺からすればアイは娘なんだよ。だがアイは母親から虐待を受けて全く愛されてこなかった。このままだとアイドルの業務に支障が出るのはもちろん、幸せになれない。だからミヤコに頼み込んだんだ、アイツの兄弟を作って欲しいってな」
アイは母親から虐待を受けて育ったため、家族を愛する、家族から愛される経験が無かった。仮に完璧なアイドルとして周囲を欺き続けていても、人間としての本質までは完全に隠し切れない。意図せず脆さが露呈することだってある。このままでは今後のアイドル、更にはアイドル引退後の芸能人としての活動にも支障が出るかもしれない、そんな危うさを抱えていた。
そんなアイを見て壱護はこう考えた、妹か弟のような存在がいれば可愛がることで彼女の心の隙間を埋めることができ、人間として大きく成長できるのではないか。実際アイはアクアとルビー出産後大きく成長しているので壱護の見込みは全く間違っていない。問題なのは壱護一人ではそれを出来なかったこと。孤児院から適当な子どもを拾って来ようとしてもアイを引き取る際にかなり無理をしたので二度同じ手は使いづらい。アイはその頃から斉藤夫婦の養子として戸籍に入れていた。一人引き取って暮らしておいてもうひとり欲しい、それも一番最初に引き取った娘のため、なんてペットでもない限り話受け入れられるわけがない。何よりそれをアイにバレてはならない。
その為壱護は取ってはならない選択をしてしまった。ミヤコとの実子を産ませることだ。ミヤコとの関係は当時から部下と上司に近く、一般的な恋愛関係から夫婦になった形より契約としての側面が強い。いつかミヤコが壱護と離婚して若いイケメンと再婚する目的なのも壱護は知った上でミヤコと夫婦となった。だからミヤコと夜の営みは一度として行ってこなかった。それなのに急に子供を産んでくれと言われてミヤコと「はいそうですか」と納得するはずがない。ミヤコとの交渉には長い時間がかかった。──その間にアイが妊娠しているとも知らずに。
結果的にミヤコに納得させて子供を産んでもらうことになった。だが同時期にアイが妊娠していることを知ってしまった。出産は硝太が生まれる数ヶ月前。アクアとルビーだ。
「予想外だったのはアイ本人が妊娠してたことだ。何度も下ろさせようとしたがアイは産む気だった。父親もろくに知らない子供をな。だからミヤコに妊娠した子供を下ろさせることにした。ミヤコが妊娠したという事実以外もう要らなかったんだよ」
だがアイは頑なに「産む」と言った。ならばと壱護はミヤコに下ろせと言った。元々子供を望んでいた訳でもないミヤコだ。すぐに納得すると踏んでいた──だが、ミヤコの答えはアイと同じだった。
子供を欲しがって妊娠した訳でもないのに、妊娠してしまったら産むと頑なに譲らなかった。結果
「初めから兄さんと姉さんをお母さんが産んだつもりにする為に」
「だがミヤコはそれも拒んだ。…本当は俺なんか捨てて面のいい若い男と結婚したかったろうにな。夢を見たせいで引っ張られてんだ。それは間違いなく、俺のせいだ」
壱護が認めるように硝太が生まれたのは壱護の企みのせいだ。最初からミヤコに相談する前にアイに言っておけば、こんなことにはならなかった。その反省と後悔をした上で壱護は硝太を許せない。
詳しい話を聞いた硝太も考えは同じだった。皮肉にも、親子として思考が似通ったのだ。
「じゃあなんで産まれた僕を殺さなかった!そうすればお母さんの身体もアイさんも守れた。機会はいくらでもあっただろ!」
「母性本能って言えば分かるだろ、子供を産んだ母親はな、その子供を守るためならなんだってするんだよ。そこまでしてミヤコが産んで育てたのがお前だ。だって言うのに、お前は何の役にも立たない。それどころかアイを殺した」
「アイさんを…?」
硝太は役に立たなかったのは自覚がある。そんな硝太を育てたミヤコは母性本能が強くなっており、自分で産んだ子のみならず、子供として全員愛して育てて来た。それも知っている。だが硝太は「アイを殺した」と言われても理解ができない。アイを殺したのは貝原亮介と呼ばれる当時大学生だった男、決して硝太ではない。だが壱護はヒートアップし始める。凶器でも出すのではないかという気迫で硝太に詰め寄る。
「俺はずっとぶっ殺したかったんだよ、アイをあんな目に合わせたやつを!」
「アイさんを殺した貝原亮介は既に捕まったよ。ニュースにはなってないから、知らなくても無理はない。きっともう、二度と陽の光を浴びることはないだろう。それで、僕を殺したいのか」
「それだけか?まだ終わってねぇ、終わってねぇだろ!」
アイを殺した犯人、貝原亮介は既に
だがその事実を受け入れても壱護は止まらない。「まだ終わっていない」と声高々に叫ぶ。言いたいことは硝太でも理解できる。当時大学生だった貝原亮介がアイの家を特定してドームライブ直前に刺し殺すには無理がある。それだけの情報力があったのか、或いは情報提供者、共犯者がいるのか。
警察やアクアは後者で考えている。硝太も同様に考えているので、壱護がその思考でも全くおかしくない。
「共犯者か?」
「ああ。そいつも殺して、お前も地獄に送ってやる」「…そうか」
硝太が恨まれる理由は、一般的に見れば八つ当たりに近いが硝太はそれを自分のこととして受け止めた。
理由は分からないがアイの死亡に深く関わっている。硝太の記憶がアイが生きてた頃のものがない、つまりアイの死後記憶喪失になったことも考えると有り得ない話ではない。
そうするとひとつの懸念が脳裏をよぎる。
──今ルビーがこうして変わってしまったり、アクアが最近まで暗かったのは全て自分のせいではないのか。
二人の変化はアイの死が原因なのは言うまでもない。失ったのが幼い頃だろうと──否、幼い頃だからこそその傷はいつまでも深く残り続ける。壱護の言う通りアイの死が硝太のせいならば硝太が産まれてこなければ二人はこんな目に遭わなかった。
「僕は最初から…お母さんも利用して!」
自分は最初からアイさんの人生の為に産まれてきた。それはいい、子供なんて多かれ少なかれ親のエゴで産まれてくる生き物。むしろ産まれた意味を持たされただけ硝太は幸福な方だろう。
だがミヤコを利用したのは許せない。優しい人を利用して個人的に利益を得る。それは硝太が家族に危害を与えることの次に許してはならないことだから。
詰め寄ってきた壱護にナイフをチラつかせながら譲る気はない。
「ミヤコの件は本当に悪いと思っている。だからルビーの件が償いになればって思ったんだ。──それで?お前には何ができる?」
壱護に警戒して彼の人間性を少しづつ理解してきただけに壱護の言葉が強く硝太の中に響いた。
「ミヤコの人生めちゃくちゃにしたってならお前にも罪はあるだろ、アイの死も、ルビーの今も…だって言うのにお前は何もしてないどころか一人で忘れて知らんぷりか」
「違う!」
現時点で、ミヤコに対してどれだけ負担をかけたか、迷惑をかけたかという話をするのなら硝太と壱護は同罪、だが壱護にはミヤコを助けることができるだけの力があり、表立って動く気はなく陰ながらとはいえ、ルビーの仕事に援助をすることでB小町をこれまで以上に進化させた。だが硝太はどうだ。やれることをやると言ってもそもそもの能力が低く、B小町の援助どころか足を引っ張ってばかり。アイのいた頃の記憶を失い、家族の悲しみを共有することすら出来ない。まだ存在しない方がマシだと言える。
しかしそんな結果がある上で壱護は陰ながら支え続けて硝太はさも当然のように家に帰って共に過ごす。これでは本当に卑怯者だ。両者を分けたのはただ一つ、子供か大人かという小さな違い。それがここまで2人の差を徹底的に分けるのなら、こんなに酷い話はない。
「知ってるか?アイは最期にお前を抱きしめて亡くなったそうだ。実の子供であるアクアとルビーの居場所を奪ってお前はアイを殺して、二人の心に闇を落とした。──お前にできるのはそれだけだ。気付いているんだろ?」
「黙れ!」
勢いのあまりナイフを放り投げて壱護を押し倒す。格闘戦をするなら技術と力はともかく体格と体重に恵まれない硝太が取るには最悪の選択とも言えるマウントポジション。
本来ならどれだけ頭が狂っていても敵を殺す手段だけは間違えないはずの硝太が我を失うだけではなく斉藤硝太としての動きも失った。
「ははっ、そうやって怒るって事は認めるってことだ。お前が持つのは暴力だけ。だから子供の癇癪で俺を投げ飛ばすこともできる」
それを知ってか知らずか斉藤壱護は一人笑う。暴力を振るということは言葉では否定できないということ、つまり硝太が壱護の主張を認めたということ。
壱護の言う通り、子供の癇癪と何ら変わらない。
「斉藤壱護!」
「じゃあ言ってみろよ、お前は一度でも誰かを心の底から笑顔にさせたことはあるか?アクアとルビーの感情にも気付いてないで、勝手にひとりで理解者ヅラしてたんだろ!」
「う、ああっ、っ」
再び、壱護の言葉が深く突き刺さる。
硝太は一度だって家族の役に立ったことはない。貝原亮介の襲撃を止めたのだって元は硝太のインスタントバレットが狙いだったのだから、硝太がいなければ襲撃事態発生しなかった。
硝太は存在してはならなかった。最初から、最後まで産まれてきた意味も果たせず、ただ親のスネをかじっていくだけの生き物に存在価値はない。勝手に必要だと自分で解釈して理解者の顔をして近付いただけ。詐欺師と同じだ。まだだましている自覚があるだけ詐欺師の方がマシだろう。
「そんなお前が今更俺を否定するなら、まずお前が死ね!ミヤコの為に、ルビーの為に、そしてアイの償いの為に!」
「勝手なことを、言う、なっ」
壱護の言葉に最早言い返す言葉がない。苦し紛れの発言も何かを変えるわけではない。
否定できないのは、壱護の言葉を誰より硝太が理解してしまったから。斉藤硝太は産まれた時から暴力だけは強く、それは今になっても変わらない。暴力で殺したり黙らせてしまったりするのは硝太にとっては挨拶より簡単で早い手段となってしまっている。インスタントバレットと呼ばれた力はその代表的なものだ。だが少なくとも現代日本においてそのあり方は害悪としか言いようが無い。
その上全員が耐えて明日へと進むために乗り越えようとしているアイの死に家族の中で一人だけ逃げた。臭いものには蓋をする要領で記憶を塞ぎ込んで全部忘れて1人だけ楽になった。前に進むこともせず、苦しみを分かち合うこともせず、ただしっぽ巻いて逃げた。
そんな自分が母親の助けになるなんてよく言えたものだ。恥ずかしさと情けなさで自分の頭を殴り壊したくなる。
───硝ちゃん。
頭の中で繰り返し聞こえるアイの声。それは声色は優しく聞こえるが裏に怒気を孕んでいる。
──やっと理解したんだね───嘘つき。
「うううっ、うわぁぁぁぁ!!!」
その瞬間溢れ出す
アイと共に過ごした4年にも満たない、短い時間。
次回──0章──
アイがいた頃の記録──