星野アクアは困っていた。
始まりはアイ初めてのドラマ撮影日。血の繋がらない戸籍上は弟の硝太が来てすぐに五反田監督の股間目掛けてパンチという事件が起こってしばらく。トイレに籠っていた監督が復活した時のこと。アイの言葉があるとはいえ当然の事ながら硝太を監督や他関係者の前に出す訳には行かず、車に詰めている時だったので出てきた五反田を見て慌ててアクアが対応してしまったのだ。
「ウチの子供が本当に申し訳ございません!今後はこのような粗相はないように努めますのでどうにか今後も弊社のアイを何卒…」
「めちゃくちゃ喋るなこの赤子!どこで覚えたそんな言葉!あの餓鬼といい凄いな、最近の子供は、時代だな!」
まさか前世は医者をしていた男が生まれ変わりました、なんてこと言えるはずもなく「出会って即座に相手の金玉潰す狂犬」と「頭が低くめちゃくちゃ喋る赤子」という両極端な兄弟がいるのを面白がった五反田に気にいられてしまったのだ。
「早熟な子役は結構見るがここまでのは初めて見た」
「あ、いえ…」
早熟な子役なんかより前世の記憶があるアクアの方が大人なのは当然。困惑するアクアを他所に五反田は名刺を渡す。
「今度映画をやるつもりなんだ、そこでお前が出るのなら今回の件は何も無かったことにしてやる。…そうだ!あのアイドルも出してやる。もちろんデカイ役をな」
「ヴっ…」
「今回の件」というフックがあるとアクアはどうしても断れない。硝太の件をチャラにしてくれる上にドラマ撮影で名前を売りながら映画の仕事まで取れるというのだから悪い話ではない、むしろ都合が良すぎる。五反田がここまで言う以上はほとんどエキストラの配役なんてありえないだろうし映画によってはそこから売れる可能性もある。片方だけでもアクアを人質に出すには十分すぎる条件、それを簡単に言ってのけるが嘘のようには見えない。
「それ、本当なんですよね」
「ああ、もちろんだ。俺からはもちろん、他のスタッフやらも絶対に言わせない。なんなら契約書書かせたっていいぜ」
かなり大きく出た。「売れる」とは言わないものの、箝口令まで敷かせる気となるとかなり本気だ。
結果、その監督の口に載せられることで星野亜久亜海、一歳の赤ん坊は星野アクアとして子役デビューすることになった。そこまではいい、監督は言った通りドラマ放送後すぐに苺プロに映画のオファーを出してきた。アクアを出すのを条件にアイを出す、所謂バーターというものだが出番としてはアイの方が圧倒的に多い。
映画はあらすじは簡単に言うと自分の容姿に自信の無い女が何故か田舎にある病院で手術を受ける…簡単に言えばモンスターパニックとかではないゾクゾクするタイプのホラー物。
アクアは序盤も序盤、主人公が田舎の村に入る時に出会う気味の悪い子供達、出番はワンカットのみ。セリフはそれなりにあるが映画に出る時間としてはかなり短い。役どころもあって注目されるわけではないだろう。それに対してアイは病院にいる美人役。容姿に自信の無い主人公との対比の為美人であることが要求されるためアイは雰囲気的にもバッチリの役。セリフも出番もそれなりにあるので傍から見ればむしろアクアの方がバーターに見える。
「本当はあの
まさか硝太まで採用しようとしていたとは思わず、撮影現場に着いた後にその話を聞いた時には驚いた。硝太を採用した日にはホラーはホラーでもモンスターパニックに変わってしまうだろう。冗談であって欲しいが五反田の顔色を見てもどうにも判断ができない。
五反田もそれなりに経験のある監督。おそらく前世の分を足してもアクアより芸能界の知識はもちろん社会経験も、苦労した経験もあるのだろう。
「いや、あいつは無理だよ。医者役を蹴り飛ばしかねない」
「それはそれで面白いな」
前回の件を考えれば冗談で終わるような話ではないがこうして笑い飛ばしてしまう五反田はかなり肝が据わっている。
前世の頃、総合病院で高齢者も相手にしていた経験から何故かは分からないが「ジジイは若者に砕けた態度取られると喜ぶ」傾向にあるのを掴んでいるので砕けた態度で五反田の懐に入ろうとするが門を開けっ放しにはしてあるが突っ込むことができない距離感を保たれている。
ちょっとした挨拶をした後、楽屋という程でもないが小さな部屋にルビーと硝太と共に押し込まれる。いくら撮影に出る子役とはいえ撮影準備をしている大人達に混じる訳にもいかないので当然の対応だ。硝太は前回の行動から車に閉じ込めておくのかと思ったが言いつけさせておいて他の人と会わないようにしておけば問題ないというミヤコの判断により楽屋に入れられている。おそらく、閉じ込めておくと体罰だとか心象が悪いがだからといって預けて置ける場所もないのが原因だろう。ルビーは当然そんな硝太が変なことをしないように監視している。
「ねぇ、ママは?」
「アイの出番は俺達と違うんだよ」
「なんでよぉ!ママと一緒にいたいよ!」
因みに本日アイは撮影日ではないのでいない。ミヤコに聞いたが「別の仕事をしている」としか説明はなかった。オフの日だったら撮影のあるアクアはともかくルビーと硝太は預けられるのでオフではない。
そんな理由でアイが居ないためルビーは今すぐにでもギャン泣きして暴れそうな声量で叫んでいる。前世が何歳だったかアクアには想像すらできないがいい歳して恥ずかしくないのだろうか、と思ってしまう。
実際はこれでも人の目がある場所なのと目の前に目を離したら問題行動を起こしそうな末っ子がいるためセーブしてるのだがそれはアクアには知る由もない。
「お姉ちゃん…いない…」
反対に硝太は窓の方を眺めてポツリポツリと呟くばかりでかなり静かだ。体幹が素晴らしいのだろう、備え付けの椅子を器用に傾けさせて窓から外を見る姿は大道芸人にすら見える。危ないので止めるべきなのだろうがその形で固定されているのかと思うほど揺れずにピタリと止まっているため口を挟むのも憚られる。
そこにバンっと何かを机に叩きつける音が鳴った。音がした方を見るとそこには一人の少女が怒り心頭、といった様子で立っていた。
年齢は今のアクア達より少し上、二歳か三歳頃。幼い顔にツヤツヤの赤毛。そしてそんな頭をすっぽり覆うような大きな麦わら帽子。子役なので当然だが純粋に顔がいい。
「ちょっと!ここはプロの現場なんですけど、遊びに来たなら帰ってよね!」
監督のように台本を丸めて棒のような形にして突きつけられているが、あまりにも真っ当な意見にアクアも黙る。
「えっと、誰?」
「共演の有馬かなよ」
有馬かな、アクアと同じ「主人公が村に入る時に出会う不思議な子供」の演技をする子役だ。年齢はアクア達より一つ上、つまり二歳である。アクアとルビーの前世の記憶がある子を見てからだととても見えないがそんな歳の女の子にしてはかなり大人っぽい。二歳といえば短い言葉がほとんどでまともな演技などできた訳では無いだろうが先程の発言からそうではないことがわかる。
「有馬…?確か重曹舐める天才子役って」
先程までの見てるだけで恥ずかしくなる叫びを止めたルビーがいつの間にかアクアの背後に隠れて有馬を見る。テレビで見覚えでもあったのだろう、「重曹舐める天才子役」という肩書きを口にする。
「10秒で泣ける天才子役!ドラマでの泣き演技がすごいって話題になってんの!」
重曹舐める天才子役。10秒で泣ける天才子役の聞き間違いだが、一瞬有馬が重曹をぺろぺろ舐めるのを想像して笑い出しそうになる。
有馬にその顔が見られたからか有馬は怒りのボルテージを更にあげる。
「知ってるわよ、あんたコネの子でしょ!本読みだとあんたもアイドルの子もいなかったのに、どうせアイドルらしく媚びだけ売ってヘッタクソな演技するんでしょ!」
2人にとって何より大切なアイに好き勝手な暴言を吐かれてカチン、と頭の回路が切り替わる。
もちろん切り替わること自体はイメージだが擬音のイメージ通りアクアとルビーの堪忍袋の緒が切れ、顔が般若のようになる。2人が前世の経験のない子供だったらそのまま有馬を殴り殺してしまいそうな勢い。
因みに前回アイが出たドラマではアイの出番はほとんどカットされることになった。だが演技が下手かと言われるとそんなことはなく、ただ主演の「可愛すぎる演技派女優」と銘打たれた女優より可愛く映りすぎた、という理由。もちろん当時の撮影現場にすらいなかった有馬がそんなことに気付けるはずもなく、有馬の中ではアクアとアイは監督に媚びを売って映画に出番を無理やり差し込んだ演技下手のド素人、作品のレーベルとしての価値を下げる邪魔者として映る。実家有馬と比べてしまえば2人とも演技経験の少ない素人であることも、五反田が無理矢理出番をねじ込んだのも事実。
般若のような顔をした2人に怯えるはずもなく、有馬はつまらなさそうな顔で楽屋を出ようとする。しかしその瞬間、椅子でバランスを取っていた硝太がジャンプをして3人の頭上を通って有馬の目の前、楽屋の扉とのギリギリの間に着地する。
「んみゅ」
「な、何よ!」
手を出してくることはないアクアとルビーには興味を示すことすらなかった有馬も目の前に現れた少し大きな年下の男にはさすがに驚く。硝太の身体は有馬と扉の人一人入れないようなすき間のギリギリに収まっている為両者身動きが取れない。頭を突き出せば当たりそうなゼロ距離にアクアは怒りを一旦忘れてかけ出す。
アイを怖がらせただけの監督が殴られるのなら、侮辱した有馬を硝太が殴らないと考える方がおかしい。
「お姉ちゃんいじめちゃだめだよ」
「はぁ!?」
しかしアクアの予想に反して硝太は両腕を横に出して有馬を威嚇するだけで攻撃はしない。アイが注意したことを守っているのだ。
しかし通せんぼされた上に本人の見えないところで悪口言っているだけで虐めている訳でもないのに「いじめるな」と言われても有馬は意味がわからない。
「お姉ちゃん頑張ったもん」
「うっさいわね、お姉ちゃんってあのアイドルのこと?ここはプロが作品を作るところよ!素人が頑張ったとか観てる人からすればどうでもいいのよ!」
「プロ?」
「そうよ、私は演技で才能あるって評価されてんの!ずぶの素人が下手な演技したら映画が面白くなくなって私が活躍できないじゃない!」
「…」
有馬の最もな言葉も一歳の硝太には欠片も響かない。アイに言われたことはやったので次をする気は無いのか立ち尽くしているだけで何かをする様子もない。殴ったりする気はないようだが念の為に近付いたアクアは脇に腕を入れて有馬から無理やり引き剥がす。
「硝太、もう良いだろ」
「むぅ〜」
硝太はじたばた暴れている間にその横を通り抜けた有馬が楽屋から出ていく。本当なら先程の発言について追求したいところだが騒ぎ立てたのはこちらだ、有馬になにか文句をつけることはない。有馬が居なくなったのでアクアは楽屋の中央で硝太の拘束を解いてルビーの方に転がす。
時間的にもうそろそろ撮影、撮影している時間帯はミヤコが硝太を見に来るだろうがそれまではルビーに押し付けるのが最も良い。
「俺は撮影行ってくる、ルビー任せた」
「はいはい、硝太来て」
「う、ううう」
ルビーは呆れながらも丸くなって転がっている硝太を抱き寄せる。危なっかしい弟の前では流石に赤ちゃんムーブは出来ない。
硝太も落ち着いたようなので安心して一息ついたアクアは撮影の方に心を切り替える。生前の演技経験なんて小学校の学芸会ぐらいなもので映画やドラマのエキストラすらやっていない。演技力は当然の事ながらズブの素人。マトモにやっては演技力のある有馬との差で目も当てられないことになって恥をかくのは考えるまでもない、有馬が言っていたように映画がつまらなくなるだけだ。
ならばどうするか、気味の悪い子供の演技で戦えないのは五反田も理解している筈。そう考えると五反田がアクアを使った意図は───
「うわぁぁぁぁぁん!!ママァ!」
アクアが演技プランについて考えている時、不意に硝太が大声で泣き始める。普段から泣くような事も無い、先程まで何事もなくしていたどころか初対面の有馬相手に話していて怖がっている雰囲気も毛ほども感じられなかった。なんで泣き出すのかアクアとルビーには理解できない。
「え、えー?」
困惑したルビーが撫でてあやそうとするが反応はあまり泣く硝太は何かを訴えかけようとしているのか泣き喚いたまま止まらない。ルビーのそれと違って大人が子供エミュをして甘えているわけではない。正真正銘本物の赤子として自由に生きているのだ。
「うっさいわね!ちょっとは黙れないわけ!?」
そこに先程楽屋を出たばかりの有馬が注意してくる。しかし硝太は有馬のことを無視して泣き続ける。度重なる邪魔に有馬も額に青筋が浮かぶ。
「硝太!」
しかし有馬が何かをする前にこれを読んでいたのか、或いは撮影の邪魔になるからと警戒し続けていたのか、すぐさまミヤコがやってきて硝太を抱き上げる。
「なぁに、どうしたの?」
「ん?」
ミヤコに抱き上げられて硝太は落ち着いて周りを確認する。赤子と母親の身長差ゆえ少し離れた位置にいる兄姉。彼らと母親を除けば誰もいない。先程まで泣いていたのが嘘のように静かに胸の中で収まる。赤子らしく母親がいなくて寂しかっただけだろうが、なんとも迷惑なものだ。
「もうこの子よくわかんない…」
赤子らしいともただ気まぐれとも言える硝太の扱いに疲れたルビーがポツリと呟いた言葉が妙に耳の中に残った。
◇◇◇
「カット!OKだ!」
そこからしばらく経ち、撮影が終わる。アクアの出番はたったのワンカットなので短い言葉だけ、五反田が撮影した映像を見て満足そうに頷いたのを見て再撮影がないと分かり、アクアはほっと息をつく。
「君凄いねーお姉さんゾクって来ちゃった」
「そうですか?良かったー」
主演の女優さんも怖がって貰えたようだ。
とは言っても今のアクアは演技においてズブの素人。演技力においては隣にいる有馬と比べたら天と地ほどの差がある。なら何故主演の女優が怖がるような演技ができたのか。結論はとても簡単、演技をしない。
アクアは素の自分、つまり雨宮吾郎の頃の自分を出してセリフだけ従った。まだ一歳の子供が大の大人のような口調や仕草で語りかければ気味の悪い物として映る。
普段から素を出しているルビーからすればつまらないものと映ったようで硝太と一緒に寝てしまっているが大人達からすれば何より気味の悪い子供がそこにいた。面倒を見ているミヤコでさえも驚いている。
「よう早熟。お前の演技、俺の想像にピッタリだったぜ」
ただ一人ここまでの流れを驚かずに、というより最初から仕組んだ側としている五反田は近くのベンチに腰を下ろすとアクアの頭の上に手をやる。
ドラマ撮影の時アクアを見た瞬間からここまでの流れを全て計算し尽くしていた。考えてみれば最初から最後までこの男は一切の負担を負わずに作品としての価値を高めている。やり手の監督というのはそういうものなのだろう。評価されているのも間違いではない。
「あの子の方が演技凄かったよ、俺はいつも通りやっただけだし」
「演出の意図を組み込めるのも役者として必要な
前世の年齢を足しても届かないようなおじさんに褒められ、流石のアクアも照れるのでぶっきらぼうに返す。
五反田はアクアが下手な子供の演技をするのではなく、大人の記憶がある──という真実には気づいていないだろうが、大人の精神性を持つアクアが演じることなくカメラの前に立つことを期待して、アクアはその期待に答えた。言語化出来ない監督や演出家の意図を察して演技できる俳優というのはどうやら貴重らしい。
そんな話をしている二人の背後から有馬が近付く。ズブの素人と見下げて幼いながらもプロとしてのプライドがある有馬からすればそんな相手に実質負けたことにプライドが傷つくどころか壊れるほどの衝撃があっただろう。
「監督、やり直して」
「ん?いや、問題なかったぞ。お前の演技も」
「ダメだった!今のかな、あの子より全然ダメだった…ねぇもっかい!もっかいやり直させて!」
プライドが壊れた有馬にとって自分を慰める方法はひとつだけ。もう一度やり直させて完膚無きまでに打ち倒す。
だがそれは叶わない。監督として先程の有馬の演技とアクアの演技で欲しい画は取れてしまったのだから。個人制作ならいくらでもやり直しが効くが、カメラマンや音声といったほかの多くの人の仕事として働かせている以上、俳優一人の意見で撮り直しはできない。監督、或いは大御所俳優のような発言権があるのならともかく、今の有馬には何もない。意識だけはプロなただの子供。
他のスタッフが有馬を慰めるが五反田はそれ以上を声をかけることなくその場を後にする。どれだけ優しさを込めようとやり直しはしない。そこだけ決まっているのならどんな声をかけようと有馬の心に傷をつけるだけだ。アクアも同様の理由で有馬から視線を外して離れる。
「今日の撮影は終わり?」
「お前らの分はな。子役を働かせるにはもう時間切れだ、さっさと帰りな」
五反田はそうとだけ言い残すと他のスタッフに声をかけて次の撮影の準備を始める。冷淡で合理主義…に見えて何かと情を感じる。
アクアとしても撮影が終わったのならこれ以上ここに残る意味はない。五反田の性格上、約束を反故にするなんてことは無さそうなので意識を尖らせる心配も無い。子供だらけの時間は終わり、これからはB小町のアイドル『アイ』の出番だ。作品の為にバーターするという摩訶不思議な体験も終わり、不思議な日常へと帰る。
──この時は泣いているただの女の子が、後のB小町のメンバーになるなんて夢にも思わなかったのだから。
過去編における有馬の出番終了。
原作でもこんなもんだったので…つまりここまでは推しの子、ここからは硝子玉の子になります。過去編の範疇の話ですけどね
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過去編における硝太は本編とは別キャラのように扱っています