自分の他に巻き込まれることになる《誰か》を絞りこめない硝太はあえて絞り込まずに誰も巻き込まない方針を採ることにした。その後最高のハッピーエンドへと家族に隠れてせっせと頑張っていた硝太だったが不知火フリルのストーカーの存在に気付く。
しかし時すでに遅し。不知火を庇った硝太の左腕からは大量の血が溢れた。
「──不知火さん!」
車内の窓から不自然な光沢が見えた瞬間、反射的に左腕で不知火を突き飛ばした。少し遅れて重い箱でも落とした音と複数の痛みが左腕、具体的に言うのなら左腕の上腕に走る。
裂ける痛み、焼ける痛み、押される痛み、刺される痛み。どれも感じたことがない訳では無いがその全てが強烈で尚且つ一拍もおかずに同時に訪れる。何かされたと気付く前に身体に強い衝撃がかかり、強引に耐えたからか左腕の骨が軋む。
何かが起こったと気付いた時には左腕の上腕にはシャーペンが通りそうな穴が空いており、それを止めるかのように漏れ出す大量の血液が腕を伝っていた。
「───っ!!」
あまりの痛みに悲鳴をあげそうになるのを押さえて冷静に現状把握を始める。先程の音はだいたい60dBから90dBほど。一瞬のみかつライブ会場の近くということもあり、遠くにいる人からすればなにか鳴ったな、という程度にしか思われないだろう。車との距離は凡そ5m。車の窓ガラスは何故か開いておりその奥にはガタイのいい男が鉄パイプのようなものを持っているのが見える。
「ウェルロッド…」
頭に浮かぶのは第二次世界大戦中にイギリスが制作した特殊作戦用の拳銃、ウェルロッド。銃身のほとんどがサイレンサーという特殊な拳銃でその特異な形状から射程は23mと明らかに短いものの、銃器とは思えないほど静かな音で射撃ができる。グリップが弾倉を兼ねており、取り外せるからか見た目以上に持ち運びがしやすく拳銃ではとても珍しいボルトアクション式のおかげで構造もとても簡単。装弾数は確か8発か、9発。9mmパラベラム弾と.32ACP弾を使用するタイプの二種類があるが遠めでは断定不可能。
忘れてはならないのはウェルロッドは個人制作の銃などでは無いれっきとした軍用銃。アメリカならともかく日本ならモデルガンすらそうそう見ない。実銃にもなれば日本人は直接目にするものは数えられるほどしかいないだろう。暗い上に遠めの為まだ特定出来ず鉄パイプで作られた個人制作の銃の可能性もあるがそんなものがおいそれと出てきていいわけが無い。
──相手の使用武器はナイフじゃ無かったのかよ。…僕はまんまと騙されたって訳だ
考えてみれば藤波もナイフで刺された結果『斉藤硝太』は死ぬとしか言っていないのでそれまでに銃で撃たれようが車に轢かれようが最後の決まり手がナイフならいいわけなので嘘は言ってはいない。しかし流石に適当にも程がある。他にも理解できない点はあるがそれよりこの状況でやらなくてはならないのはなんでそんなものが出てきたか、ではなくそんなものが相手の手にある状況下にあるということである。
「ごめん、不知火さん」
運がいいのか悪いのか、ウェルロッドはボルトアクション式の拳銃。一般的なオートマチックの拳銃と比べて再装填にはそれ相応の時間がかかる。残った右腕で不知火を抱えて一旦建物の影に隠れる。
「怪我は無い?」
「斉藤くん、腕、それ」
「まだ動く、平気」
不知火は突然の状況に頭が追いついていないようで呆然とした顔でこちらを眺めてくる。実際何も聞いていない状態でサイレンサー付きの銃声が鳴っても銃を使われたとは分からないだろう。それより一緒にいた男に急に突き飛ばされたと思ったらその男の左腕から血が出ていることに驚いている。
左腕がまだ使えることを確認しながら車が止まっていた方向を伺う。武器がナイフしかないのなら代わりに刺されるだけでやりようはあったが拳銃まで持っているとなると話は別だ。この場所はどれだけ穿った見方をしてもマンションやアパートの廊下には見えない。『斉藤硝太』が殺される場所はここでは無いと判断していい。つまりこの場所なら自分が死ぬことは無い、生存保証がされている。もちろんその男を取り押さえるなんてことも無謀になってしまう。だからどれだけ暴れても死ぬことは無いのだろうが、だからといってあの男を放置していい訳では無い。車という移動手段を持っている以上、今さっき離れたばかりの家族が無事では無い保証ができない。少なくとも
男は車内から出ることはなくおそらく装填を終えたウェルロッドをこちらに向けている。発砲こそしてこないがこのまま睨みあいをしていたら間違いなくこちらに来る。その時左腕がマトモに使えない自分が勝てるとは思えない。殺されることが無くても気絶されて不知火が危険な目にあう可能性がある以上『命大事に』で行動する必要がある。
──それに、不知火さんのこともある。『巻き込まれた』だけならこの時点でもう充分巻き込まれているけど。
無事な右腕で抱えている不知火は一見普段なクールな姿でいるように見えるが呆然とした表情が出血した左腕を見て恐怖に変わっているのが分かる。未来視で見られた未来が『巻き込まれる』だけならこの時点で既にクリアしている為、どこか安全な場所例えば交番などで保護してもらう選択もある。しかし今目と鼻の先に拳銃を持った大男がいるのに誰一人として人がいないという不自然さと未来視で自分が襲われる未来は確定しているという点を踏まえると警察そのものが信用ならない。
となるとあの男を余計なところに逃がさないように逃げ続けるしかない。それも不知火を連れながら、不知火を危険に犯し続けながら。刺される場所までの自身の生存保証は出来ても不知火の生存保証は出来ていない時点で共にいるのも危険、不知火狙いと思われる敵が目と鼻の先にいる時点で置いていくのも危険。隠すにもリスクが高すぎる。
──お母さん、僕はどうすればいいの。
心の中で唯一絶対の指針である母に助けを求めるが既に帰宅した母本人には頼れない。母ならなんて言うか、と頭を悩ませても答えは出てこない。出てくるのと言えばきっと母親がこの場にいたとしたら、何がなんでも不知火を守ろうとしたことぐらいだ。
そう思っていると不知火が何か納得した顔でハンカチを取り出すとそれを左腕の穴が開いた場所に当て始めた。不知火の持っていたハンカチに赤い血が滲む。
「ごめん、私のせいで」
自分のものを汚しながらも直接圧迫止血をする不知火を見て硝太は先程までの情けない自身を恥じた。
守れる自信がある訳では無い、それでも斉藤ミヤコの息子としてやれることはあるはずだ。不知火はきっと僕よりも驚き、恐怖を感じている。理解出来ないことばかりで怖いだろうに、思い出してみれば一番最初に言ったのはこちらの腕を心配する言葉だった。自分がそうなった可能性もある、急に突き飛ばされたことだって怒っていいのに。怒るどころか負った傷を止血し始めた。そんな彼女に報いるには一つしかない。自分が死ぬことになってでも不知火の生命を守りきる。そんな当たり前の事だがそれ故に大切な事で、やらなければ話にもならない。
「待ってて、救急車呼ぶ」
「いやそれより警察──待てよ」
出血が止まらないので救急車を呼ぼうとする不知火を手で制して違和感に気付く。今現在車内にいるであろう男、仮に不知火のストーカーだとしよう。彼はなぜこちらに来ない。
いくら装填に時間がかかるとはいえそれも数秒。初弾を当てたあとの装填はとっくに済んでいる。ならば二発目を撃つか、見つからないのならこちらを探すような素振りを見せてもいいはず。場所が分からなかったとしてもこのまま睨み合いをしていれば間違いなく警察を呼ばれる。そうなればすぐに捕まえられる、なんてこと誰でも直ぐに思いつくことだ。なのに相手はそれに対して逃げることすらせずに近くに止まり続けている。
警察には既に手を打っている、と言わんばかりの所業。犯人の計画性の高さと武器から考えて突発的なものでは無い。不知火フリルが人目に触れない瞬間を狙ってまでしてるくせにやっていることが中途半端すぎる。追い詰めてこちらの出方を伺うには悠長すぎる。
仮に警察に対してやれることがあったしても個人で出来るのは賄賂で口封じしかない。それも一人二人ならともかく通報されたのを止めるのは無理がある。となると組織的なものと見ていいが今度はそれが出来る組織があるのかということになってしまう。
考えれば考えるほど不安な点が増えていく。アクアマリンなら相手の思考を完璧に読んだ上で間違いを犯さずに判断していただろう。あかね義姉ちゃんの時のように。しかし今不知火が頼れる相手は自分しかいない。アクアマリンもミヤコもルビーすらいない現状、戦えるのは自分しかいない。
──僕がやるしかない。
「不知火さん。ごめん、不安な思いにさせて」
右腕で再び不知火を抱えて彼女の顔と向き合う。日本が誇る美少女の顔は精巧で美しいが故に感情が細かく読み取りやすい。何が起こっているのか恐怖の感情がみて取れるものの、同時にそれらを見せないように堪えている姿も見える。そんな彼女に出来るだけ優しく言葉をかける。
「だけどこれだけは信じて欲しい。僕は君の味方だ。君の身体は何があっても僕が守る。だから僕のことを信じて」
何も出来ないただの餓鬼の言葉だ。信用出来る言葉では無いことなんて最初からわかっている。それでも僕が守ると言い切る。彼女の不安を少しでも払うには、自分が脅えていてはいけない。
不知火が左腕を握る力を強くしながら頷く。
良かった、どうやら自分はまだ彼女に信頼出来る人間として認識されていたらしい。小さい身体で抱きしめられた彼女は地面に足をつかないように足を腕にひっかけていわゆる「お姫様抱っこ」の体勢を作る。
彼女の信頼に答える為に言葉通り彼女の身だけは守らなくてはならない。
「アイツから逃げてみる。僕に掴まって」
右腕を不知火の腹に回すと不知火が腕を首に回して左腕を強く握りながら体勢を固定する。それを合図に姿勢を下げ、両足に力を加える。向かうは『斉藤硝太』が刺されることになるであろう建物。
相手が車内から狙い撃ちが出来ないのをいいことに今出せるトップスピードに一歩目から辿り着く。走り出したのとほぼ同時にまるで指示されたように車がバックしたことを示すバックランプの赤い光が反射して見えた。手段は不明だが逃げ出したのがバレた。刺される場所がここではなかったことからバレること自体はわかってしていたがそれにしても早すぎる。相手がこのタイミングこちらが逃げると最初からわかっていたような動き。やはり何か仕込んでいる、と見ていいだろう。
命をかけた最後の鬼ごっこが始まった。
ウェルロッド
第二次世界大戦中にイギリスで開発された特殊作戦用の消音拳銃。主にイギリスおよびアメリカの工作員や特殊部隊員によって使用され、硝太が劇中で考えたように9mm弾のMarkⅠと7.65mmのMarkIIがある。
拳銃としてはかなり珍しいボルトアクション機構でサイレンサーが銃身にくっついたような不思議なシルエットをしている拳銃。その為射程は短いわ威力は低いわとかなり酷いが静音性高はかなり優れており、ほかの銃器が100dBを軽く超えるのに対し、50dBほどで押えられている。
なんで硝太は瞬時にこんなマイナー銃当てに行くんですかね?いや、単に僕(作者)の銃知識が遅れてるせいでウェルロッドは有名銃なのかもしれませんけど。
それはそれとして今日は襲われながらもフリルを守る決意をさらに固めた回ですね。なんつーかフリル目線の硝太すごい子になるな。左腕撃ち抜かれてまだ逃げる余裕あるどころか運ぶとこまでやってくれるんだから。
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急に襲われた上に左腕撃たれてるくせになんだかんだ冷静な男。尚本人は不知火さんすげー、この人にここまでやらせるやつクズだな!どこのドイツだ!あ、僕だ。ってなってる模様