エクセル日本海軍 1891年2月・3月
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1891年2月、海軍兵学校第18期生の訓練航海が行われた。参加した艦艇は、防護巡洋艦浪速、和泉の2隻。装甲巡洋艦は第1級の戦力であり、慣熟訓練の最中であったため、戦時に通商護衛を担当することになっていた、この2隻の防護巡洋艦が、第18期生の訓練航海を行うことになっていた。
本来なら、戦艦富士がこの訓練航海を担当することになっていたのだが、装甲巡洋艦部隊と同じ理由により、富士が訓練航海に参加することは無かった。
と、いうのが表の理由であり、本当のところ、装甲巡洋艦を訓練航海に出すことは、世界中に最新鋭艦艇を見せびらかすようなものであり、特に、ロシア本国の神経を逆撫でしかねなかった、ということもある。軍艦はその国の武力の象徴であり、砲艦外交は余計な緊張を招くこともあったのだ。
1891年2月に、イギリス海軍東洋艦隊から、日本海軍に対して、インド洋にロシア帝国海軍の装甲巡洋艦2隻、防護巡洋艦3隻が出現したとの報告が入っていた。
当時のイギリスは、アイスランドをめぐってロシア帝国と対立しており、第2戦線として日本に支援を行っていた。常盤級や十勝級の建造も、その一環である。
これは、ロシア帝国海軍の黒海艦隊の巡洋艦戦隊だった。一度に航海に出せる艦艇には限りがあり、ロシア帝国海軍は、まず不足する巡洋艦部隊を極東に派遣しようとしたのだった。
これが、ロシア帝国海軍の極東派遣軍の先遣隊だった。いつ戦争が勃発しても良いように、即応できる部隊が動いたのだ。
2月にはイギリス製装甲巡洋艦常盤の就役が報じられ、日本海軍は最新鋭の戦力を整備し始めており、装甲巡洋艦を4隻しか保有していなかったロシアは、早急な対応をせねばならなかった。
そして翌3月には装甲巡洋艦十勝、横山、雄物の起工がイギリスで行われ、建造中の艦艇も含めて、日本海軍とロシア帝国海軍の装甲巡洋艦戦力比は逆転してしまったのだった。
これは、戦艦戦力では追いつけないと悟った日本海軍が、技術の進歩によって、旧来の戦艦を逆転できる存在ができるまで待とうと決めたことが影響しており、日本海軍の戦力整備計画の結果だった。
両国の艦隊は、日本海に集結しつつある。
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1891年2月、3月の予算規模も変化は無いが、ロシア帝国海軍に対する海軍情報部の諜報戦のための資金増額、十勝級の設計が完了し、十勝級の十勝、横山、雄物が起工したことにより、3月の建造費は4,601と、常盤級と同程度の費用が計上された。
国内ではなく、海外の造船所に投資を行うことに対し、依然として経済界からの反発は強かったが、当時の日本の技術ではイギリスと同じ水準の品質を持つ8インチ砲の製造技術が無く、日本海軍が次期装甲巡洋艦に求めた排水量7,400トンの艦艇を建造可能なドックは存在していなかった。
顧客の要求を満たせない企業に注文が来ないように、日本海軍は国内造船業に防護巡洋艦の建造でしか期待が無かった。
また、防護巡洋艦和泉が設計速度を満たせなかった過去の失敗が、対ロシア戦という緊迫した状態の日本海軍に国内造船所への艦艇発注を妨げた。
この高額な建造費と、情報部予算の増額により、2月には2,279の黒字から2,179の黒字に。
3月には十勝級の発注により、629の赤字となった。
これは、海軍の新型艦艇導入のペースを落としたくないという希望の現れだった。
常盤級建造時期より大きい赤字であったが、資金は13,299あり、十勝級の建造期間が20か月であることを考慮すると、資金は1892年11月には719残っていることになり、負債を抱えることにはならない計算だった。
戦時予算下であっても、日本海軍は艦艇建造ペースを落とすという考えは無かったようだ。
何か知りたい艦艇とか、提案があったら(あんまり無いと思いますけど)、感想に載せても構いませんよ。