エクセル日本海軍 1891年9月・10月 アイスランド進駐
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1891年9月の日本海軍の財政に特筆すべき変化は無いため、本稿では述べないでおく。
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1891年9月に、中国では日本海軍の急速な装甲巡洋艦戦力拡充に警鐘を鳴らす者たちが居た。
申報館である。
彼らは当時の中国で最も影響力を持ったメディアであり、自由で民主的な論調の日刊新聞「申報」を発行していた。
そんな彼らは、同時に、中国の行く末を案じる愛国者でもあった。
当然、同じアジア人であるが、朝鮮をめぐって対立する大日本帝国海軍のことも注視していた。
急速に国内造船業を発展させ、大量の巡洋艦をイギリスに発注し、軍拡を進める小国の海軍。
しかし、それは戦艦の保有数でのみの話であり、巡洋艦戦力という点で見れば、日本海軍の方が北洋艦隊より優勢だった。
常盤級を就役させた日本海軍の装甲巡は総勢5隻であり、また、質と量双方において日本海軍は勝っていた。
ところが、北洋艦隊は装甲巡の保有数が4隻であるばかりか、予算のほとんどを鈍足な戦艦の建造に割り振っていた。
仮に北洋艦隊と日本海軍が交戦した場合、制海権は北洋艦隊が握るかもしれないが、圧倒的に機動力で優越している日本海軍の装甲巡戦隊が戦艦部隊と装甲巡部隊を各個撃破してしまう可能性があった。
故に、1891年9月3日、7日、18日の朝刊で、申報館は北洋艦隊の建造計画を批判し、装甲巡の大規模建造を行うべきだと進言した。
しかし、北洋艦隊の反応は鈍く、彼らが装甲巡戦力の大規模拡充に動く兆しは見えなかった。
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1891年10月、日本海で聯合艦隊とバルチック艦隊極東分遣艦隊が睨み合う仲、イギリスとロシアの対立は絶頂を迎えた。
1891年10月23日、アイスランドで親露派のクーデターが勃発。アイスランドの政権は倒れ、翌日、親露派が実権を握った。
アイスランドは即座にロシア帝国との同盟締結を発表し、ロシア帝国海軍はアイスランドの保護の為にバルチック艦隊を一部を派遣。ここに、ロシア帝国海軍大西洋艦隊が編成された。
アイスランドのクーデターにロシア帝国が絡んでいると発表したイギリスは反発し、本国艦隊「グランドフリート」を展開し、ロシア海軍大西洋艦隊を威圧した。
イギリスと関係の悪化していた日本だったが、ロシア帝国のアイスランド進駐に対して、在ロシア日本大使館を通じて日本政府は最後通牒を突きつけ、アイスランドからの即時撤退を通告。
この最後通牒は、「アイスランドをイギリス植民地帝国の魔の手から守る」という大義を掲げるロシア側の大反発を招いた。
日本国内でも、日本政府の最期通牒を無視してアイスランドに居座るロシア帝国に対して、世論はあまり良い感情を抱かず、日本とロシアの関係は完全に凍り付いた。
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ここからは、歴史ではなく、私の個人的な推測であるため、事実と無闇に信じないで欲しい。
後世の歴史家は、この出来事をこう評価している。
「日露戦争の最期通牒」
「日本のロシアに対する宣戦布告」
日本政府は、この無意味としか思えない最後通牒をどうして出したのか。
最近の研究で、「声の箱」が関与している可能性が言及されている。
これは明確に示す史料が僅かしかないため、ここから先に書かれることは、あくまで推測であり事実ではない可能性もあるが、私は著す価値があると“主観的に”判断したため、書かかせてもらう。
1891年のアイスランド進駐に対して、「声の箱」が日本政府に宛てた提案書の写しが残っている。
ロシア帝国に対し、最後通牒を通知せよ。
実は、1891年終盤の東アジアの状況は、日本海軍に非常に有利な状態である。
これは以前も書いているが、ロシア帝国海軍太平洋艦隊は未だ編成されておらず、バルチック艦隊のごく一部しかウラジオストクに到達していなかった。
しかも、アイスランド進駐によってバルチック艦隊は思うように動けない状態だった。
政治家なら、ロシアとの開戦を避けることを考える筈だが、海軍軍人は恐らく違う考えを持つ。
彼らはほとんど政治的なセンスを持ち合わせずに、このように考えるのだ。
今なら、ロシア海軍を各個撃破できる。
一体いつから「声の箱」がそのように計画していたかは定かではないが、「声の箱」は、自らを有利な状態で戦わせるために、意図的にロシアと日本の関係を悪化させ、ロシア帝国海軍の戦争準備が整わないうちに開戦させる「早期開戦」を計画していたようだ。
もし、これが事実であったなら、「声の箱」とは陰謀論めいたかなり恐ろしい存在である。偶然にも、彼らの陰謀を証明する史料はほとんど残っていない。
「声の箱」は、戦争を有利に導くために、国家間の関係を操ったのだ。
私は、この機関が現在に存続していなくて良かったと心底思う。