エクセル日本海軍 1892年5月26日 蔚山沖海戦
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1892年5月26日4時56分、修理と乗組員の補充を完了した第3戦隊は、ウラジオ艦隊の巡洋艦数隻が出撃したとの「蝶の箱」の報告を受け、その迎撃のため佐世保を出港し、蔚山沖を航行していた。
既に金剛丸といった砲艦たちは捜索のために、対馬海峡と朝鮮海峡の巡回を開始していた。
7時3分、第3戦隊は南西西距離26,500ヤードの地点に不明艦を1隻発見。報告のロシア巡洋艦かどうか確認するために19ノットまで加速し、西に変針したところ、7時5分には3隻の不明艦を捕捉。乗艦していた因幡兎海軍大将は、これが出撃したロシア艦隊だと判断した。7時8分には更に1隻を捕捉した。最終的に、不明艦は4隻のロシア海軍巡洋艦だと判明し、第3戦隊は戦闘態勢に入った。
敵艦隊はバヤーン級装甲巡洋艦のボガティール、ヴェスタ級防護巡洋艦リンダ、ボヤーリン、グリデン級防護巡洋艦の
ボガティールは1890年竣工の新型装甲巡だったが、6インチ砲を片舷7門指向可能な常盤級の敵ではなかった。寧ろ、最高速力22ノットを発揮するリンダとボヤーリンは、ここで逃して通商破壊艦になってしまえば、厄介なことになるとして警戒されていた。
7時33分、両艦隊は互いに距離5,000ヤードで砲撃戦を開始、これにて、釜山沖海戦が勃発した。
8時4分、第3戦隊に対して最前線で砲撃を繰り広げていたリンダが退避、ボガティールが矢面に立った。
この時点で、防護巡の火力を有効活用しなかったロシア側の敗北は確定していた。
ボガティールはほぼ一方的に砲撃され、8時39分には速力は15ノットまで低下、バヤーン級が常盤級に比べて唯一優れていた機動性が失われた。
風上に立った第3戦隊からの榴弾の雨により、9時24分、ボガティールは炎上し速力は10ノットまでに低下。もはや、艦を立て直すことは不可能になっていた。
9時42分に、状況の不味さを認識した防護巡部隊がボガティールを庇うように機動を開始したが、常盤級の火力を受け止められる艦艇は、もうロシア側に居なかった。
11時15分、第3戦隊に蹂躙されたボガティールは大破炎上し、機関部が機能を停止し航行不能に陥り、沈没した。
その後の追撃戦で、第3戦隊は16時49分に囮のグリデンを撃沈したが、残弾が残り少なかったことや、グリデンの献身的な囮作戦により、足の速いリンダ、ボヤーリン2隻には逃げられ戦闘は終了した。
第3戦隊は、そのまま整備と補給のため、北九州に帰投した
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この海戦で、ロシア側は装甲巡1隻、防護巡1隻を喪失、防護巡1隻が小破する被害を受けた。日本側は装甲巡1隻が小破する損失に留まり、日本海軍の完全勝利となった。
しかし、この時に逃した2隻が、後に通商破壊戦で苦しめられることになる。この後、第3戦隊や因幡海軍大将は、グリデンの追跡に時間をかけたことに対して非難を受けることとなる。