エクセル日本海軍   作:佐竹福太郎

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1892年9月14日~10月18日 ウラジオストク沖海戦

 エクセル日本海軍 9月14日~10月18日 ウラジオストク沖海戦

 

***

 

 第2次宗谷海峡海戦で勝利を収めた日本海軍であったが、それによって日本海軍が本土近辺の制海権を完全に握ったわけではなかった。

 

 

 戦争を通じて、ロシア帝国海軍は3隻の戦艦を喪失したが、極東には未だ戦艦パーベンツが健在であり、依然としてロシアの海上総戦力は日本に優越していた。日本海軍は戦争を通じて戦艦戦力の不足を痛感していたが、防護巡洋艦といった補助艦艇の不足も感じ始めていた。9月にはロシア海軍巡洋艦部隊が通商破壊へと任務を切り替えたことにより12隻の日本商船が撃沈されていた。2隻の防護巡だけでは北アジアの外洋通商路全てを警備するのは困難であり、軍令部は撃沈されていく民間船を指を咥えて見ていることしかできなかった。

 

 

 しかし、装甲巡洋艦戦力では日本海軍は既にロシア帝国海軍を超え、5隻の装甲巡洋艦は健在だった。それに加えて、新型の十勝級装甲巡3隻が完成しており、スエズ運河を抜けて、イギリス海軍の護衛を受けながら日本に回航されていた。11月に3番艦雄物、そして、イギリスからの装甲技術の提供、12月に2番艦横山、来年1月には1番艦十勝が佐世保に到着予定だった。

 

 

 制海権を握ることはできなかったが、海上戦闘では日本海軍が有利に進めていく下地は整っていた。

 

 

 余談だが、10月には海軍工廠のドック拡張工事が一段落し、国内で9,000トンまでの艦船を建造することが可能となったが、8インチ砲と9インチ砲の国産化の目途は立っておらず、日本造船業界の技術は海軍の要求を満たすことは当分無理そうだった。

 

 

 第2次宗谷海峡海戦で敗北したロシア帝国海軍は、確かに戦力では日本に対して有利であったが、開戦以来、常に敗北を続けていたことから慎重にならざるを得ず、10月の聯合艦隊による第2師団の陸上支援に対しても全く行動を起こさなかった。蔚山沖海戦の敗退から、対馬海峡付近からも撤退し、東シナ海や太平洋への進出も控えていた。日本の内海航運を襲撃することにも慎重になり、ウラジオ艦隊は巡洋艦不足から平時は守勢に回らざるを得なかった。

 

 

 ロシア側が艦隊温存の道へ舵を切ったと判断した軍令部はこれを機に攻勢に出ることにし、ウラジオストク軍港への沿岸襲撃作戦を計画した。第2次宗谷海峡海戦によって第1戦隊と第2戦隊は整備中であり、手の空いていた第3戦隊を運用することにし、10月17日、装甲巡磐手、八雲、常盤が出撃した。これが、ウラジオストク沖海戦の始まりだった。

 

 

***

 

 10月17日18時頃、日の入りに乗じて沿岸部を襲撃するため、第3戦隊はウラジオストクへと北上していた。

 

 21時58分、ウラジオストク付近に第3戦隊は到着、旗艦磐手が北から南下して来る不明艦船を発見した。既に夜はふけており、視程は4,000ヤード(約3.7キロメートル)にまで低下していた。

 

 21時59分、磐手は19ノットに急加速すると、不明艦に並走するように180度回頭した。磐手は不明艦を戦艦クラスの大型艦艇だと識別したが、詳細な艦種は未だ不明だった。

 

 この際、不明大型艦の北部に2隻の不明艦船を視認したが、磐手は無視することにし、目前の不明大型艦への対応に集中した。

 

 22時01分、後続の八雲、常盤も不明大型艦を視認した。

 

 しかし、不明大型艦が敵艦艇かの識別はできておらず、並走するのみで即座に砲撃はしなかったが、実は、この不明大型艦は装甲巡クロムボイであった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 22時02分、八雲が不明大型艦に発砲、命中し、ウラジオストク沖海戦の戦端が開かれた。

 

 クロムボイと第3戦隊は約1,000ヤード(914.4メートル)で砲戦を開始した。

 

 第3戦隊の砲撃は次々とクロムボイに命中していった。

 

 22時08分、最後尾の常盤が、第3戦隊の後方を航行する敵不明防護巡を視認したが、砲戦はそのまま続行された。

 

 22時17分、クロムボイは北に180度回頭し、逃走に入った。

 

 第3戦隊も追跡を開始したが、僅かに出遅れ、クロムボイを見失った。

 

 しかし、22時25分、再度ウラジオストクへの接近を開始した第3戦隊は、戦隊の針路を東に航行して横切ろうとする不明艦船を視認した。

 

 磐手はそれを敵不明装甲巡と識別した。そう、それがまさにクロムボイであったのだ。

 

 クロムボイの後背を取った第3戦隊は、背中を刺すような形で砲撃、命中した。

 

 第3戦隊はクロムボイを追跡するために東に回頭した。

 

 22時42分、クロムボイと入れ替わるような形で不明艦船が真正面から第3戦隊に突撃したが、第3戦隊の戦力を確認したのか、即座に東に回頭して逃げに入った。

 

 22時50分、磐手は不明艦船が輸送船だと識別した。

 

 沿岸襲撃の主目標は敵輸送船、商船の撃沈であったため、第3戦隊はクロムボイを無視して輸送船を砲撃するために針路を変更した。

 

 輸送船は小型商船であり、恐らく、ウラジオストクに入港するために付近を航行していたのだろう。まことに不運な船だった。

 

 小型商船は数発の6インチ砲弾を被弾し、航行不能になった。

 

 小型商船を沈めた第3戦隊は、沿岸目標を破壊するためにウラジオストク沿岸部へ針路を変更した。

 

 10月18日00時02分、磐手は沿岸目標を視認した。

 

 沿岸砲台だと判断した第3戦隊は砲撃を開始、奇襲を受ける形となった敵沿岸砲台はすぐさま3発の6インチ砲弾を被弾した。

 

 その後、第3戦隊は沿岸砲台を徹底的に砲撃、2時間に及ぶ砲撃で敵沿岸砲台は著しく損傷し、2時11分、火災が発生した。

 

 しかし、数時間にわたる戦闘で第3戦隊も消耗し、主砲弾の在庫が半分を切っていた。

 

 4時20分頃に沿岸砲台を破壊したと判断した第3戦隊は、舞鶴への帰投針路を取り、ウラジオストクから南下を始めた。

 

 しかし、4時44分に不明艦船を磐手が視認した。46分には2隻目の不明艦船を視認、互いの相対距離は急激に縮まった。

 

 4時48分、通過しようとする第3戦隊に対して2隻の不明艦船は並走するように回頭、また、2隻のうちわけが、敵不明防護巡と敵不明装甲巡と識別された。

 

 敵不明装甲巡は最初に遭遇したクロムボイであった。

 

 第3戦隊はクロムボイを追撃しようとしたが、損害が蓄積していたために再度帰投を決意、舞鶴への針路を取った。

 

 その帰り際に常盤が敵輸送船を撃沈した以外は何もなく、第3戦隊は舞鶴へ帰投、ウラジオストク沖海戦は幕を閉じた。

 

***

 

 結果、ウラジオストク沖海戦で、第3戦隊は磐手が小破する被害を受けたものの、敵輸送船2隻を撃沈、沿岸砲台を破壊、装甲巡クロムボイを小破させ、沿岸襲撃を成功させた。

 

 これは、極東方面のロシア帝国海軍が弱体化していることを示唆するものだった。しかし、第3戦隊はクロムボイを撃破することに拘らなかったため、結果的に通商破壊艦として脅威たり得る艦艇を逃がしてしまうこととなった。

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