エクセル日本海軍 10月19日~11月22日 八島級戦艦
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ウラジオストク沖海戦の終了した後の10月25日、大日本帝国陸軍第2師団は、樺太におけるロシア帝国陸軍の抵抗を完全に排除・占領を達成した。
第1次・第2時宗谷海峡海戦における日本海軍の勝利は、第2師団の補給線と火力支援の安定に寄与し、最終的に大日本帝国は初めての海外植民地を獲得した。
また、10月21日には装甲巡洋艦雄物が佐世保に到着し、現地で待機していた久保木金治海軍大佐以下660名の乗組員が訓練を開始した。
日本海軍の装甲巡戦力は格段に増強されていった。
雄物含め十勝級装甲巡は、浅間級や十勝級とは別の部隊に編成されることが決まっており、雄物が到着したことにより、新たに第4戦隊が設立された。ただ、部隊として使い物になるのは、十勝の到着時期も考慮すると半年後となるとされ、早期の前線投入は難しいというのが、軍令部の考えだった。
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雄物の到着後、予算に余裕ができたと判断した日本海軍は、新たな艦艇の建造を計画し始めた。
伊原
戦争を通じて、海域を制圧する戦艦の不足を感じたのか、10月21日以降に新型戦艦の構想・設計作業が始まっていた。
2号戦艦、又の名を八島級戦艦である。
装甲はイギリスで新規に開発されたハーヴェイ鋼を使用し、ベルト装甲は10インチを誇った。しかし、砲塔装甲などを除くそれ以外の装甲は2インチ程度しかなく、排水量に占める装甲重量は17パーセントしかなかった。この点から、八島級戦艦は経費節約のために軽装甲にしていた日本海軍の寒い懐事情も垣間見える戦艦であることを暗示している。
主砲はイギリスで新規開発された9インチ砲であり、以前のものと比べて装甲貫徹力が優れていた。この砲を連装砲塔2基に収め、4門搭載した。副砲には6インチ速射砲を12門搭載し、十勝級には劣るものの高い副砲火力を確保し、補助砲は3インチ速射砲20門を搭載した。
最高速力は17ノットと比較的高速であり、北洋艦隊やロシア帝国海軍の戦艦を相手取るには十分な機動性を備えた。
この性能を実現するために排水量は11,000トンまでに大型化し、10インチ未満の主砲を有する戦艦にしては大規模な艦船だった。
大幅な戦力増強を望んだ日本海軍は、戦艦3隻の増強を目標にしており、そうなると、十勝級に比べて大幅なコスト増は避けたかった。
実際、八島級戦艦の月あたりの建造コストは十勝級の1.1倍だった。
総じて、八島級戦艦というのは、軽装甲、平均的な火力、高い機動性の3点を揃えた戦艦だったと言える。
なお、この艦艇を建造する技術力とインフラを日本は保有していなかったため、イギリスの全面的な支援下で、イギリスで建造されることとなった。
理想的な戦艦とは言い難かったが、兎も角、八島級戦艦がこの先の日本の海上戦力の中核を占めることに変わりはなかった。