エクセル日本海軍   作:佐竹福太郎

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大分空きましたが、動画投稿の目途が立ったため、こちらも順次開放です。


1894年 国産戦艦建造計画

 エクセル日本海軍 1894年 国産戦艦建造計画

 

***

 

 1894年9月ごろ、海軍省に軍需企業群から、国産艦船の発注をして便宜を図るように、要請があった。

 

 当時、先述の通り、日本海軍はイギリスのヴィッカース社に3隻の戦艦、八島、敷島、播磨を発注しており、その以前もイギリスに6隻以上の装甲巡洋艦を発注していた。

 

 日本の軍需企業群が最後に建造したのは、防護巡洋艦和泉1隻のみであり、既に4年以上、国産艦艇の就役には空白期間が存在していた。この間、造船業界には大口の契約が無く、財務的に、厳しい状態に置かれていた。

 

 予算のほとんどをイギリスに支払う海軍を国内に引き戻すため、財閥をバックにした造船所・製鉄所は、海軍工廠との本格的な共同開発に着手し始める。この努力によって、海軍の指定技術は着実に発達し、1894年3月には、ようやくハーヴェイ鋼と27式11吋(インチ)砲の開発が完了した。

 

 1年以上遅れて、日本の重工業はようやく欧米列強の技術を国産化することに成功した。

 

 しかし、八島級戦艦3隻の工期は、まだ半分近くを残しており、建造予算に空きは無く、新規の艦船の発注は見通しが立たないことを理由に海軍省は要請を拒否した。事態を重く見た政府が、海軍予算の増額を提案したものの、海軍予算に対する国民の不満が無かったわけではなかったため、海軍省、「声の箱」は海軍予算の引き上げも反対した。

 

 結局、政府や重工業企業のこのような提案はことごとく却下されてしまい、取り付く島も無かった。ただ、皮肉なことに、「声の箱」が無分別にポストや予算を求める官僚組織ではないことが証明され、政府の「声の箱」に対する、海軍の統制機関としての評価は上がった。

 

 しかし、綺麗事で片付けようとしても、海軍からの拒否というものは、政府の予想外のことであることに変わりは無く、国内軍需産業との摩擦は、国防戦略に悪影響を与える可能性もあったため、政府は頭を悩ませた。

 

 ただ、当時の海軍省の史料を見るに、防護巡洋艦不足に喘いでいた海軍も、企業と政府の提案に対してかなり迷っていたことが窺える。戦艦建造は無理だとしても、防護巡洋艦の発注程度なら可能かもしれない、と考えていたようだ。しかし、国民感情も考慮すると、この提案を呑むことは躊躇されたようだ。海軍は、政府機関の中でも、特に大金喰らいだったからである。

 

 しかし、ここで造船所や軍需産業側も引くわけには行かず、9月中に海軍と秘密裏に様々な協議が行われた。

 

 交渉にあたった海軍士官の日記や報告書に、「執拗」と書かれるほどに、この協議はほぼ毎日開かれた。

 

 この時期、「声の箱」では既に、次期建造計画はイギリス製の装甲巡洋艦で内定が進んでおり、国産艦船を建造計画の優先事項に据えるかは不透明だった。

 

 しかし、連日の企業側からの強い要請に、最終的に海軍側が折れ、次期戦艦は国内建造をすることが約束された。

 

 これによって、海軍内部で次期戦艦建造計画がスタートした。

 

 この計画では、主砲に11インチ連装砲塔を2基備え、副砲に従来通り6インチ速射砲をケースメイトに収め、14基以上搭載するとされた。要求速力は18ノット、これを満たす戦艦を建造することが海軍内部で決定された。

 

 計画自体は温め続けられ、数年後に、ようやく、企業と技師たちの努力は日の目を見ることとなる。

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