エクセル日本海軍 1890年 8月・9月・10月 予兆
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1890年8月、9月の2ヶ月間に、列強と日本で構成された小さな世界に、大きな変動は訪れなかった。
1890年6月に発生した、オランダ領東インドの崩壊、フランスとオランダによるインドネシア統治という大きな変化を後に、1890年は平和裏に正月を迎えられる。日本人の大部分、いや、列強諸国の首脳や市民も、そう思っていただろう。
極東に、大きな問題を抱えた国があったことを無視して。
国家経済の規模を超えた軍事予算を堅持する、東アジアの覇権国家、清である。
重税に業を煮やした山東省の農民たちが、反乱を起こし、青島と威海衛の北洋艦隊の海軍基地を包囲、鎮圧に向かった北洋軍との衝突が発生すると、それに触発されて、北京近郊などの各地で農民反乱が発生。一方、中国への影響力拡大の好機と見た列強諸国、イギリス、フランス、ロシアは、現地邦人の保護を名目に共同派兵を開始した。
他国の介入を防ぐために準備された海軍戦力が、結果的に列強の内政干渉を招いてしまったのは、ある意味皮肉である。
一方、清の隣に位置する日本でも、政府内や軍で、中国進出に乗り遅れることへの危機感から、英仏露の3か国連合軍に参加するべきという意見があがり、日本もこの共同出兵に参加することとなった。
意外なことにも、反乱の当事国である清は、日本のこの動きを歓迎したが、英仏露、特に、中国東北地方への勢力圏の拡大、南下政策を行おうとしていたロシア帝国は、日本のこの動きを警戒し、以後、日本をアジアにおける最大の脅威と位置づけていく。
市ヶ谷事件(南進論派との衝突)で、影響力低下を抑えたかった「声の箱」も、軍・政府のこの意見に同調したが、これが、後に日露間の大惨事に繋がることを予期できなかった。
日本海軍は、知らず知らずのうちに、茨の道を歩み始めていたのだった。
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アメリカとイギリスの融和が進む一方で、スペインとアメリカのカリブ海をめぐる対立が熾烈となる世界で、日本海軍は、1890年10月3日に、イギリス海軍の最新鋭戦艦、フッド級の5番艦、ジュピターの完成予想図を手に入れた。
これが後に日英の外交問題に発展するが、このジュピターの完成予想図が、日本海軍の次期戦艦に与えた直接的影響は計り知れない。
技術後進国でもあった日本で、情報部がヨーロッパから仕入れる新鮮な情報は、日本海軍にとっては全てが糧だった。
余談だが、8月にはドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦ヴィネータの完成予想図も入手している。ヨーロッパからは離れた国であったが、諜報活動は活発に行っていた。
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1890年8月、9月は、日本海軍は460の赤字を計上し続けたが、共同出兵による列強との対立から、日本政府は年間予算が65250を69050に増額し、月あたりの予算は5438から5754と、316増額され、460の赤字は175に軽減された。
また10月に(また)常盤の建造が、資材調達の問題から遅延したことによる返金で、資金は9月から10月にかけて、3704から4626に増えている。
しかし、幸か不幸か、予算が増えたことにより、首の皮1枚で繋がる危機的状況からは脱すことができたのだった。
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【艦艇紹介】
防護巡洋艦和泉
※日本の未発達な造船業により、設計速力から1ノット下回っている。しかし、サイズの割には火力は非常に優秀。実は、浅間級装甲巡洋艦より高火力。