少女はどこかで聞いた聖歌を口ずさみながら、何度となく白い大きなリボンを結び直し、鏡の前で金の髪と白いリボンの交わりを矯めつ眇めつ眺める
ようやく満足し、もはや獣除けの香の残り香さえも完全に消え去ったことに気付き、家へ帰ることにする
腑分けした病巣のような浮腫んだ月の下、ガスコイン邸を後にし、菩提樹を脇に見て、裏路地へと入ったところで背後に胡乱な足音が聞こえた
あなた、今、私たちの家から出て来なかった?
今は誰もいないはず、この家に何か用?
少女に聞き覚えのある声だ
その昔、少なからず交わりもあったものだ
少女は立ち止まるが、しかし振り返らない
それに、その白い大きなリボン
私の失くしたリボンによく似てる
ねえ、リボンをよく見せて
少女が何も言わずにいると足音が背中へ近づいてきて、何者かの手がリボンに触れた
少女は振り向きざまに飛び退き、庇うようにリボンを掴むと髪から外れてしまった
ガスコインの娘が困惑と怒りを綯い交ぜにした瞳で少女を睨み上げている。どこで得たのか、ガスコインの娘は医療教会の象徴たる聖布を首に巻いていた、まるでガスコイン神父のように。その胸元には血のように真っ赤な雫型の石を嵌め込んだブローチが輝き、まるで獣狩りのように全身に赤黒い血を浴びている
見た目にも顕著だが、何よりガスコインの娘の内側に大きな変化があっただろうことが見て取れる
このリボンは…私のものよ…
何か勘違いしているのではなくって?
少女は嘯くが、ガスコインの娘は聞く耳を持たない
よく見せてくれたら、判るよ
お母さんに貰った大切なリボンだから、そうしたら見間違えたりしない
ガスコイン家の娘が手を差し出すが、少女はリボンを握りしめ、病的な目つきで拒むように退く
ウフ、ウフフフフフッ
ヴィオラの娘は小さなため息をつき、胸元のブローチを外すと拳の内に握り込む
それじゃあ、力尽くで見させてもらう
少女は受けて立つことを示すように、白い大きなリボンを握りしめ、両の拳を構える。そしてリボンを握り込んだ拳をヴィオラの娘の脇腹に目掛けて放つ、が軽快な足取りでかわされる。もう一度、今度はその憎々しい顔面に目掛けて拳を繰り出す。
が、ヴィオラの娘は拳から腕、脇腹にかけて潜り抜け、背後に立つ。
すかさず少女は体を翻し、余所者の娘を打ち据えんと曲線的な軌道を描いた裏拳打ちも、またもやかわされた。少女は向きになって盲打ちに拳を放つが、悉くを躱されてしまう
攻守交替とばかりにヴィオラの娘から放たれる拳はその身に似合わず鋭く重く、少女の身を守る腕を抉る
体格の差を活かし、ヴィオラの娘の腕の届く範囲の外側から拳を放つが、容易く防がれる
一方ヴィオラの娘は足取り軽く少女の拳の裡へと潜り込み、猛然と連撃を繰り出す
たまらず後ろへ跳躍するが、追って繰り出される拳に少女は防戦一方だった。少女の放つ拳がヴィオラの娘を捉えることがあっても、再び返される拳の重さには少しの躊躇いも疲労も感じられない
一体この獣狩りの夜に、ガスコイン家の一人娘の身に何があったというのか、少女には知る由もない
牽制を交えた拳に少女は翻弄され、徐々に少しずつ追い詰められる。獣狩りと「獣の病」の罹患者の如く、振るわれる拳の奔流に呻き声を漏らしながら身を守るのが精一杯だった
真っ赤なブローチを握り込んだ拳が、白い大きなリボンが纏わりついた拳を掠めると、握りしめた指が緩み、リボンが解き放たれてしまった
数瞬、宙を漂うリボンを二人の視線が追う
先に動いたのは少女だ。隙だらけのヴィオラの娘を横目にリボンへと飛びつく。しかし右足が梯子を越え、少女の体は大きく傾く
助かろうとする右手には白い大きなリボンが纏わりつき、その伸びた指の先によそ者の子供が目を見開いて手を伸ばしている。この期に及んでリボンに拘り、奪おうというのだ
少女はリボンを守るため、抱え込むように腕を引っ込め、体は重力に従う。離れ行くガスコイン夫妻の娘に悲しげな表情で見送られる