【完結済】気付いたらパワプロで適当に育てた選手に転生してた話 作:いちごケーキ
突然現れた高校最強の投手、北瀬涼に負けてしまった青道高校。
僕の球を取れる捕手さえいれば自分こそこの世代で、否高校最強の投手であると、心のどこかでそんな自惚れが自分に全くなかったかと言えば噓になる。
練習不足によるスタミナやコントロール不足に変化球の甘さ、自分の課題を克服すればその領域に行ける人間だとそんな考えがなかった訳じゃない。
だから僕と同じ年代で、僕の持っていない全てを兼ね備えた投手がいるだなんて思いもしなかった。
試合後のロッカールームでは、言葉が出ない沈黙が流れていた。
結城先輩は、静かにみんなを見回していた。
普段は誰よりも落ち着いている彼が、今は少しだけ肩を落としている。
先輩はチームを甲子園に導くことができなかったことに、どこか責任を感じているのかもしれない。
伊佐敷先輩は、何度も拳を握り締めている。
その拳には、どこか怒りと悔しさが込められているように感じた。彼が、ここまで静かでいるのは珍しいと思う。
小湊君のお兄さん、亮介さんは、淡々と荷物を片付けていたけど、その動きはどこかぎこちない。
彼の毒舌や皮肉は今日は聞こえてこなくて、ただ黙々と作業を進めているだけだった。
そしてエースの丹波さんは、投手としての責任を感じているようで、何度も自分の手を見つめていた。
彼はいつも僕に投げ方や心構えを教えてくれたけど、今日は自分の苦しい内側と向き合っているみたいだ。
薬師との試合での敗北は想定外で、特に北瀬涼という絶対的エースの登場は、チーム全員にとって大きな衝撃だった。
あの速球と切れ味鋭い変化球は、まるで異次元の投手と対峙しているようで、何もできなかった。
バスに乗り込む前に、先輩たちは静かに肩を落とし、無言のままバスのシートに座っていた。
伊佐敷先輩が車内で小さくため息をついたのを皮切りに、結城先輩が前を向いて何かを言おうとしたが、結局言葉にならずそのまま口を閉じた。
僕は窓から外を見つめながら、今日の試合を思い返した。
北瀬くんのピッチングが脳裏に焼き付いて離れない。
投球の一つ一つが、まるで完璧に計算されたようなコース取りで、悔しくてたまらなかった。
「降谷、あの北瀬ってやつ……なんだったんだよ」
隣の席に座った沢村くんがぽつりと呟く。
「……わからない。でも、あれは、僕達が会ってきた今までの誰とも違う。すごく……強かった」
ただ目を伏せて。頭の中では何度も自分のピッチングと重ね合わせ、北瀬涼とどう戦うべきだったのかと考えが巡り続けていた。
だけど、答えは出ない。
「アイツが、薬師高校のエース……」
そう呟く沢村君の声にはただ悔しさと虚しさだけが込み上げていた。
彼の存在が、僕たちの自信を次々と揺さぶり、試合を通じて完全無欠に打ち砕かれた。
それでも僕達は、ただ立ち尽くすのではない。
抱いたのは新たな決意。北瀬涼を超えてみせる。それが、2人の新たな目標だ。
この日を境に、沢村くんと僕はこれまで以上に厳しいトレーニングに取り組むようになった。
試合に敗れて、3年生たちの引退が決まった。
悔しさでいっぱいだったけれど、それ以上に彼らが築いてきたものの重さを改めて感じていた。
引退が決まった次の日の、青道のグラウンドにはいつもの活気がなく、ただ静かに時間が流れていた。
その日は午後から3年生とのミーティングが行われ、片岡監督が3年生1人1人に声をかけ、短い言葉でねぎらっている。
自分がもっと頑張っていれば、もっとチームの役に立てていればという悔しさで胸がいっぱいだった。
ミーティングが終わると、3年生たちは1人1人言葉を交わしながら、部室に向かって歩いていった。
引退の寂しさはみんなの表情に滲み出ていたが、それでも誰も後悔の言葉は口にしなかった。凄く強い人達だと思う。
部室に入ると、結城さんが笑顔で後輩達を迎え入れた。
主将としての強さと優しさがにじみ出ているその表情に、降谷は少しだけ気が緩んだ。
結城前キャプテンは普段通り、冷静でどこか達観した雰囲気をまといながら全員に感謝の言葉を述べ始める。
「皆……ここまでチームを引っ張ってくれて、本当にありがとう
俺達3年生はもう引退だが、お前達にはまだチャンスがある。次こそ、片岡監督を甲子園に連れて行って欲しい」
結城先輩の言葉には、ただの感謝以上のものが込められていたように感じた。
力強く語りかけてくるその言葉には、悔しさと期待が入り混じっているのだろう。
青道を甲子園へと導くという彼の夢は叶わなかったけど、それでもキャプテンの存在はチームにとって大きな支えだったことに変わりはない。
彼の冷静なリーダーシップ、勝負強さ、そして人一倍の努力は、降谷にとっても尊敬しているものだった。
話が終わった後、伊佐敷先輩が部室の片隅で筋トレを始めた。
普段から賑やかな彼らしい行動に、場の空気が少し和んだように思える。
彼はいつも強気でガンガン攻めるプレースタイルが印象的だったけど、今日はどこかしんみりしている。
いつもとはどこか違う静かなトレーニングの姿に、降谷は彼の心中を思った。
「つーか降谷、お前どうしたんだよ。いつもより更に静かじゃねえか」
「……すみません、先輩。もっと投げられたはずなのに」
すると伊佐敷先輩は僕の肩を軽く叩き、「お前はよくやったよ」と、いつもの豪快な笑顔を見せてくれた。
彼は、悔しさと同時に胸の中に温かさを感じた。
「情けねえ顔ばっかりするもんじゃねえ、バカ!……それに俺だけじゃ俺たちはここまで来れなかったさ」
彼の言葉から降谷は、仲間への感謝と共にどこか寂しさを感じた。
それでも伊佐敷先輩は決して弱音を吐かず、最後まで自分のやるべきことを貫いたのだ。
そのころ増子先輩もその巨体で部室の奥に座り込み、静かにグラブの手入れをしていた。
増子さんはいつも温厚で、後輩たちにも優しく接してくれる先輩だった。
沢村くんや倉持先輩とのやり取りでは、時折厳しい面を見せることもあったが、結局はみんなを包み込むような存在感をしていた。
そんな彼が無言でグラブを手入れする姿に、降谷は胸にこみ上げるものを感じている。
その後、3年生たちは最後の片付けを終え、部室を出る前に全員で集合写真を撮った。
その写真には、引退の寂しさとこれまでの努力が詰まった表情が映っている。
結城さん、伊佐敷さん、増子さん――それぞれの姿が、後輩達の心に深く刻まれた。
これから自分がどう成長し、どうチームを支えるかを考えながら、先輩たちの背中を見送る。
彼らが残したものは、確かにここにあるのだ。
そしてその意思を引き継ぐために僕らはは新たな一歩を踏み出した。
新生青道部員達は、ミーティングルームで試合の振り返りをしていたある日の事。
特に注目されたのは、北瀬涼の圧倒的なピッチングと伊川始と轟雷市の破壊力ある打撃。
薬師3強、特に北瀬の圧倒的パフォーマンスは誰もが予想しなかったものであり、その影響で敗北を喫した事実に部員たちは悔しさを滲ませている。
ミーティングの途中、誰かが呟いた。
「こいつら、なんで今まで無名だったんだ?」
その疑問は全員の心に突き刺さるように響いた。
彼等のような才能が、どうしてこれまで表舞台に出てこなかったのかそれが理解できなかったのだ。
いや薬師の監督の息子である轟雷市はまだ分かる、既に取材で困窮した家庭であることが判明しているからだ。
野球に限らずスポーツは金食い虫、そういった家庭では子供に経済的に負担が大きいチームでのスポーツをさせるのは職を失った人間には難しい。
だが仮にも野球部に所属していたであろう2人が、無名であったというのはどういうことなのだろうか?
「……私達スカウトは驚異的な能力を持つ彼らの存在を知った市大三高戦の後、血眼になってその痕跡を探したわ」
彼らは高島さんの言葉に耳を傾けた。
彼女がこうして話す前に躊躇するのは珍しいことだろう。
深い息をつき、意を決して話し始めた。
「北瀬くんと伊川くんが通っていた学校は、極東亜細亜恒久平和中学校……略して、極亜久中学と呼ばれているところよ」
その名前が発せられた瞬間、先輩たちの何人かはまるで爆弾が落ちたかのような顔をしている。
でも僕は、それがどんな場所かは知らなかった。
後ろから聞こえるざわめきの中で、御幸先輩と倉持先輩が一瞬目を合わせるのが見える。
「きょ……極亜久って、まさかあのゴクアクのことですか!?」
「まさかあいつら、あそこの出身だったのかよ……そりゃスカウトも行かねぇ訳だ」
御幸先輩がため息をつきながら呟く。珍しく、彼の表情には驚きが混じっていた。
「ちょっと待て、それってそんなにやばい学校なのか?」
川上先輩が不安そうに尋ねると、東京出身の面々が顔を見合わせた。
その時、沢村くんが急に大きな声を上げる。
「なにぃ、極亜久高校!?……ってどこっすか?」
その場にいた全員がズッコケた。
御幸先輩が顔を手で覆って肩を震わせているし、倉持先輩は声を出して笑い始めている。
御幸先輩が「お前な……」と肩をすくめながら言う。
「だって俺、長野出身っすから!聞いたことないっすよ、そんな学校!」
沢村くんの無邪気な反応で部室の緊張感が少し和らいだ。
彼の凄い所は、ピッチングだけじゃなくてこういう所だと思う。僕には真似できない。
倉持先輩はまだ笑いながら、「お前、本当に救いようがねぇな」と言って、頭を軽く叩いた。
「僕も知りません……」
「まぁ、北海道出身の降谷には縁もゆかりもねぇからな
極東亜細亜恒久平和高校、略して極亜久。最初は『きょくあきゅう』って呼ばれてたけど、すぐに『ごくあく』って呼ばれるようになったんだ
……理由か?そりゃ生徒の素行が最悪だったからだよ」
その言葉に場の半数ほどが頷く。
東京出身の人達や倉持先輩は知っているらしい。だけど、僕や沢村君、他の地方出身者はまったく未知の世界だ。
「平和高校…なんか、名前は立派な学校ですけど」
「名前だけはな……極亜久っちゅうんは治安が悪いどころか、この国では最悪レベルの地域にある中学やぞ」
極亜久中学校を知らない人は、前園先輩の言葉に驚いた。
日本最悪……そんな事を言われる場所が本当にあるのかと、正直想像も付かなかった。
「それにまぁ治安の悪さとかもそうだけど、そこの学校自体もかなり荒れてる
正直イカレてる連中の集まりだから、あんま関わりたくねー場所ってイメージ?」
御幸先輩は軽く頭を抱えて、「だからさ、あんまり聞きたくない場所なんだよ」と呟いている。
「それに、賽銭から金を盗むのが流行ってたって噂とかは序の口、周辺を歩けば一般人に度胸試しをしかけてくる奴がそこらへん普通にいるらしいんだ
校庭をバイクで走り回って生徒を入院させたなんて話もある。おかげで半数は転校するか不登校で、卒業生の受刑者率はめちゃくちゃ高い
裏社会とも繋がってるって言うし、犯罪者養成学校って呼ばれてもいる……何て言うか、昭和のマガジンじゃねーんだぞってツッコみたくなるくらいヤバいトコだ」
地方出身の面々の沢村くんや金丸くん、そして僕達1年生は、まだその深刻さを完全には理解出来ていない。
というか、今話されているのが本当に現代日本の話なのかすら現実味が沸かない。
やがて、彼らが中学時代に所属していた極亜久中学野球部の状況が明らかになった。
学校周辺と部活動の治安の崩壊と先輩の事件、対外試合禁止の処分――試合の経験の一切を積むことなく、2人はずっと無名のまま。
その話を聞いた瞬間、部屋の空気は一気に重苦しいものになった。
沢村は北瀬と伊川の境遇を知り、胸の内が揺さぶられるのを感じた。
俺は中学時代、故郷の仲間たちとただ野球ができるだけで幸せだった。大会に出る機会もあり、笑い合いながらプレーできた日々があった。
しかし薬師高校の2人は、どんなに高い才能を持っていてもそんな普通の喜びすら奪われていたのだ。
沢村は彼らの状況に対する動揺を隠せなかった。
北瀬が持つ究極レベルのピッチングも、伊川の圧倒的な打撃力も、その才能が試合の場で輝くことはなかった。
才能に恵まれながら、そのすべてを無駄にせざるを得なかったことが信じられない。
彼らが今、こうして高校野球の世界で輝きを放っていること自体が奇跡なのだ。
そして同時に、青道が敗北を喫した理由もまた、彼らの誰よりも強い意志と努力にあったのだろうを痛感した。
部室の重たい空気の中で、沢村や春市は深く考え込む。
試合中は北瀬と伊川の圧倒的なプレーを目の当たりにし、その実力にただ圧倒された。しかし2人の過去を知ると、言葉にできない衝撃が心に広がっていた。
「……あんな才能があって球が投げれて、誰にも見てもらえなかったなんてそんなことあるのかよ……」
誰かがぽつりと呟いた。
グラウンドに立てる喜び、打てる楽しさ、そして何より、仲間たちと一緒にあらゆる瞬間を分かち合うこと。そんな当たり前の時間が、彼らには許されていなかったのだ。
「俺は中学のときなんか、チームに友達がいて野球が出来て、それだけで幸せで
あれだけの力があるのに誰も見てくれなくて、それでもあの実力って……」
沢村の言葉に、この時ばかりは静かに耳を傾ける。
たとえ彼等が歴史上最高の野球の才の持ち主だったのだとして、それでもあそこまでの完成されたボールを手に入れるために、一体どれ程の苦難があったことだろう。
降谷もその話に心を揺さぶられていた。そして、自分の中学時代を思い返していた。
自分の投げる球が速すぎて、受けるキャッチャーがいない。仲間と一緒に野球をすることができず、孤立していた日々。
そんな降谷の過去と北瀬の境遇は重なる部分があったが、それ以上に大きな違いがあることに気づく。
僕は速すぎる球を受ける人がいなくて、一人で壁に向かって投げていた。でも、それはただ一人でやってただけだった。
誰かに見てもらうわけでもなく、自分が好きでやってただけで……
いや、そうすることでしか自分の中の鬱屈したものを発散できなかったから。
あるいはそうする事で何かを誤魔化していたから。
ふとあの日、マウンドに立っていた北瀬くんの姿を思い浮かべる。
誰もいない場所で試合の機会もない中、ただひたすらに自分の全てを磨き続けた男を。
降谷は自分と彼の決定的な違いを感じた。
僕はただ投げていただけだったけど、彼はいつか試合に出ることを諦めず、見えない場所で戦っていた。
誰に見せるでもなく、決してその中学の間にはその努力が報われることがない事は承知で。
その道程を思い、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
自分とは異なる道を歩んできた北瀬に対する複雑な感情。そして、もっと強くなりたいという新たな決意。
僕も、青道のエースとしてこれまでの自分を超えていかなければならないという強い意識を持ち始めていた。
青道野球部の選手達は北瀬や伊川の事を、ただ才能に恵まれたプレイヤーではないと感じた。
勿論恵まれた才能もあっただろうが……悲惨な境遇にもめげず、今まで不断の努力を続けて来た不屈の人だと感じたのだ。
北瀬達の境遇を聞いた青道高校の選手達は、自分の甘い考えを反省し、更に俺達も努力をしようと決意した。
なお北瀬と伊川についての思い込みは、半分くらい勘違いである。
知らない方が良い事も世の中にはあるのだ。