【完結済】気付いたらパワプロで適当に育てた選手に転生してた話 作:いちごケーキ
1軍選手達と少しずつ打ち解け始めた伊川は、9月下旬に突如として解き放たれたかのように覚醒した。
かつて課されていた2軍選手との交流禁止令……俗に言われる「真田先輩禁止令」が解除されると、彼のパフォーマンスは一段と異常な領域へ到達したのだ。
今までの打率は8割5分。戦前まで遡っても類を見ない、圧倒的な戦歴である。
だが、それすらも彼の本領を示すものではない。
9割を超えるのではないかという噂が流れ始め、誰もがその異次元の数字に戦慄していた。
「伊川始」という男の名は、もはや球界における神話の一部となりつつある。
「盗塁は勇気だ!刺殺を恐れずに走れ!」
「はいっ!」
そんな世紀の天才に対する、高原監督からの命令は一見意外な事であった。
打撃や守備ではなく、盗塁を極めろというのだ。
彼本人は賭けのようなプレーは嫌いだが、もはや選択肢など存在しない状況に追い込まれているのである。
___なにせ、彼の前に立ちはだかる投手達は既に「戦い」を放棄していた。
打席に立つ伊川を目にした瞬間、彼らは勝負を避け、四球を選ぶのだ。
バットを片手で持って不敵な笑みで挑発しても、相手投手はただ恐怖に怯えるばかりだった。
ボール球を意図的に振ってワザとツーストライクに追い込まれても、なお四球を選ばれる始末なのだ。
それが何を意味するか。
彼に課された使命は「塁上で掻き乱す事」だった。
この異常な現実の中でも、伊川始は観客の目を釘付けにする圧倒的な存在感を放ち続けなければならないのだ。
ある試合で栄えある20連続四球選択記録を達成した直後、彼は記者にこう語った。
「俺は代走要員だったのかもしれないですね」
彼は冗談として片付けられるだろうと安易に話しただけだったが、その発言はファンの心を更に掴んだらしい。
嘗て薬師時代の取材で語った「野球の中では打撃が一番好きです」という言葉が人々の記憶に残っていただけに、この状況の皮肉さが一層際立ったのだ。
だが、その悲哀の裏側には、誰もが認めざるを得ない圧倒的な実力があった。
名だたる投手達が彼の一挙手一投足に震え、彼の圧倒的な存在感に誰もが飲み込まれていく。
それは正に「日本の一等星」の相応しい姿だった。
伊川擁するヤクルスは、公式戦を1位で通過した。
シーズン中、他チームを圧倒するその戦いぶりは、まるで運命が定めた勝者のようであった。
そして大量得点に大量得点を重ねたヤクルスは、クライマックスシリーズでも圧倒的な火力を発揮し、ストレートで突破。
投手陣にはやや不安が残ったものの、今年ドラフト1位で指名されたルーキーが毎試合2得点を叩き出し、その活躍が勝利を確固たるものにしたのだ。
日本シリーズで相対する相手は北海道ツナ。
最近では、1軍で活躍している高卒2年目の成宮鳴や、お試し登板をした高卒1年目の本郷政宗などの新鋭が頭角を現し、近年注目を集めるチームである。
特に成宮は高校時代から天才に立ち向かい続けた物語性や、そのカリスマ性で観客達を惹きつけて、メディアでは彼の成果ばかりが注目されていたのだ。
圧倒的な戦力を誇るヤクルスワローズの主砲、アスリートにしては悲観的な考え方が目立つ伊川始すら、日本シリーズでも優勝出来るだろうと考えていた。
彼の発言や態度からは、昔とは違い強者ならではの風格と余裕が漂い始めている。
「俺達の勝率は7割3分、北海道ツナの勝率は5割6分。
つまり俺達の日本シリーズ全体での勝率は約91%。勝てる可能性が非常に高いです」
「なんだソレ!」
「んなの、何処のデータを見たら分かるんだよ〜!」
ヤクルスの選手達は、試合が始まる前から勝った様な空気が流れていた。
彼の言う通り、ヤクルスと日本ツナの実力差は今までで類を見ない程に大きいのである。予想外の敗北になど慣れている彼らですら、勝てると思い込む程に。
絶対的な主砲が勝敗を冷静に計算する姿に、知性と信頼を感じていた事も大きいのだろう。
「フツーに数Aとか数Bで習った奴で確率の計算したんスよ。元々は大学志望だったんで、これくらいはまぁ」
『へ〜』
現代の様に学力の高いスポーツマンが少なかった時代に学生時代を過ごしていた先輩達は、本当にどうでも良さげな顔をしている。
勉強など出来なくても野球は出来ると考えている人間が大多数を占めているからだ。
それでも伊川の言葉に、ただのジョーク以上の重みを感じていた選手は多かった。
興味がなさそうな顔をしていたが、その内心には彼への信頼が根付いていることが感じられる。
彼の存在そのものが、1軍チーム全体に余裕をもたらしていたのだ。
結局、伊川が細かい事情を総スルーして、この話題は呆気なく終わった。
だが彼本人は、その「91%」という数字に過度の期待を抱いている訳では無い。
勝てると言う客観的なデータが欲しかっただけの彼は、数値の詳細になど興味が無かったのだ。
……つまり普通に1戦位は負けると言う情報は、選手達は知らないままだったりする。
まるで彼がいるだけで、ヤクルスは既に勝利を手にしているかの様な異様な雰囲気であった。
野球には、勝ち運と呼ばれるものがある。
好投出来なくても味方打線の大量得点により勝ち投手の権利を得る機会の多い投手の事を良く「勝ち運がある」と、誉め言葉なのかなんなのか分からない呼び名で呼ぶ。
実際の所、その現象は運による物だけでは無い。
野球選手も1人の人間である。他者の言動によって、調子が出たり出なかったりする事など日常茶飯事だ。
つまり勝ち運とは、打線にやる気を出す事の出来るピッチャーを指す。
「___次こそ……次こそ薬師に勝つ!」
成宮鳴はその名の通り、神宮のグラウンドで磨き上げられ着実に成長を遂げ、彼の名が今やその地を踏む全ての者に強く鳴り響き渡っている程の野球の天才である。
しかし、彼の本質は才能だけでは語りきれない。
成宮は才能を持つ者として傲慢であり、全てを野球に捧げる程の努力家であり、敗北から立ち直る事に時間が掛かってしまう繊細な一面も持っている。
それでも彼は、伊川に勝つ事を決して諦めない。
何度負けようと、何度でも立ち上がり、世界最強への挑戦を続けている。
その強い意志を感じる瞳に、多くの人々が目を奪われているのだ。
「つっても薬師のメンバーは1人しか居ねぇけどな」
「成宮、アイツを抑える策でもあんのかよ?」
正直伊川に勝つのは無理があると感じている先輩達。
彼らは、いつか成宮は伊川によって完全に心が折られてしまうのではと心配していた。
本人からすれば余計なお世話だろうが、彼には妥協が必要だと考えられているらしい。
「伊川以外を全員抑えれば勝てる!そうしたら俺達の勝ちだよね!」
『あぁ、まぁ……』
流石に成宮も、伊川を無安打に抑えると言う様な無茶は言わなかった。
投げた瞬間に軌道を察知する相手を完璧に抑えるなんて、野球のルール上だと不可能に近いからである。
それでも、彼の言葉に迷いはない。
勝利を投げ捨てた無茶な挑戦をしないものの、成宮はしっかりと信念を持っている。
絶対に無理な事を言わないまま、現実的な勝利への道筋を示しているのだ。
「___だから打ってよ!先輩達の事、信じてるから」
「任せろ!」
「負け続ける訳にゃ行かねぇからな」
「ベテランの意地を見せてやる!」
成宮の笑顔は太陽のように明るく輝き、言葉以上に強い勝利への情熱を伝えていた。
彼の言葉は、ただの励ましではない。
それは「勝利への確信」であり、「俺たちなら絶対に勝てる」という力強いメッセージだった。
次期エースの純粋な信頼を見せられたベテラン達は、心の奥底に眠っていた勝利への情熱を呼び覚まされた。
迷いや不安を感じていた彼らの心にあった迷いや不安さえも溶かしていき、成宮の「俺達なら勝てる」という確信が全員の心に刻み込まれたのだ。
一瞬の静寂の後、ベンチの空気が一気に熱を帯びる。
絶望的な戦いに挑む緊張から解放され、湧き上がる闘志が声や動きに表れ始めた。
成宮の導きによって、チーム全体が一つになり、確実に勝利を掴み取るための準備が整ったのだ。
1軍選手達の視線が交錯し、それぞれの決意が言葉を超えて繋がっていく。
「俺達なら___ああ、絶対に勝てる」
成宮の言葉に迷いはない。
彼の瞳には、どんな困難にも打ち勝つ覚悟が宿っている。
仲間達の表情にも同じく力強い光が宿り、表情からは迷いがなくなり、成宮の見せた笑顔と同じ熱を発していた。
グラウンドへと向かう足取りから戸惑いが消え、彼ら北海道ツナの選手達は勝利の瞬間を掴むために堂々と進んで行く。
勝利へと他者を導くその姿は、まるで暗闇を照らして進む勇者のようであった。
伊川始は世界最強の野手として名高い。
出塁率9割以上を叩き出す彼は、セイバーメトリクスで考えると約5人分の働きをしているらしい。
大雑把に言うと彼が打席に入る打順の時、投手には7人打ち取るのと変わらない労力が掛かると言う事である。
その力は圧倒的で、誰もが「勝つ事など不可能だ」と感じる存在であった。
確かにそんな既存のルールを破壊する様なプレイヤーが相手にいては、どんな一流の選手達が戦っていても、何処か諦めの気持ちが生まれてしまっても仕方ないのだろう。
___だが、そんな誰からも勝ちの目の見えないその暗黒の中で、敗北を覆しうる存在が……
もし、確かな勝機を、その燈火を示せる選手がいたら。
どんなに困難な状況でも、一切の迷いを見せずに前進する。チームを鼓舞し引っ張ることで、確かな希望を生む選手がいたら。
そう、成宮鳴は再び成れるだろう。
希望の光に、勝利への道標に。
『一番星』に勝るとも劣らぬ、彼等の『勝利の星』へ。
彼が、彼こそが、チームの希望なのだ。
日本中が注目する今大会、ヤクルスワローズは圧勝を期待されていた。
世界レベルの有力選手2人が出場せず、世間が注目していた元薬師部員を1人も招集出来ず、北京オリンピックでメダルを逃してしまったプロ野球界。
だが北瀬による熱狂の渦は止まらず、日本最強を決める今大会は大いに脚光を浴びていた。
メジャーリーグでも歴代最高峰の投手である北瀬涼と、同格と呼ばれる伊川始の圧勝劇が期待されている。
日本野球は弱くない、招集出来なかった監督が悪いと言う言い訳の矛先を探されているのだ。
『い、が、わっ!い、が、わっ!』
そんな熱気の中、空間をビリビリと震わせる様な声で名を呼ばれ続ける伊川。
前までの伊川だったら嫌な顔をしていただろうが、今の彼は感情を揺さぶられていなかった。
慣れたのだ。自分が熱狂の中心に立つ事に。
「先発投手は成宮さんかぁ、最初にエースが来ないのは少し不思議です」
スタンドから響く観客のざわめきが静かに広がる中、彼は涼しげな表情で先輩に話しかけた。
だが淡々とした声色に、少しだけ何か引っ掛かるものを感じ取っているような微妙な間がある。
別に誰が来ようと、誰が何を考えようと、1選手である自分のやるべきことは変わらない。
打って走る、それだけだと考えている筈だった。
それでも伊川は、今回の選出に対して妙に引っ掛かるものを感じていた。
「知名度かもな。アイツ、実力以上の人気があるし」
常識的に考えて特に何の理由もないと考えている先輩は少し眉をひそめ、グラブを片手で軽く叩きながら答えた。
別に仲良くもない若い選手が、実力以上に持ち上げられ続けている事が少し気に食わなかったのだろう。
成宮は北瀬世代の選手として、恩恵以上の弊害を受けてきた事は理解している。
それでも感情と理性は別の話だったのだ。
彼はグッズの総売上数がたった2年目の彼に抜かされた事に、実は内心苛ついていたらしい。
「成宮さんは顔が良いですからね。それに話す事も得意ですし、マスコミから持ち上げられるのも理解出来ます。
まぁ、試合の勝敗は別の話になりますが」
伊川の冷静な声が、徐々に高まるスタジアムの熱気の中に溶け込んでいく。彼の言葉からは、特に何の感情も感じられない。
先輩はその言葉に答えず、ただ短く息を吐いた。
伊川の頭の奥底で、かすかな警鐘が鳴った。
しかし、彼自身はそれを深く気に留めることなく、バットを握り直すだけである。
自らの直感を信じ続けられる自信が無かったのだ。
結局彼は、第六感が鳴らした警報に気付かずスルー。
いつの間にか生まれていた気の緩みを誰も正さないまま、いよいよ日本最強を決める試合が幕を開けようとしている。
成宮が最初の先発に起用されたのは、野手陣のやる気を引き出した事が加味されたからです。
いずれ勝利の星と呼ばれる精神面が、監督の選出に大きく影響しました。