大正探偵奇譚 ~あの桜のくものように~   作:高見一樹

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第3話

 駅での一件が終わって。

 司と所長は事務所前に戻ってきていた。

 

「結局、パーツは買えませんでしたね」

 

「むう、しかしこの絡繰にあのような値段……だが、投資とも思えば。いや、だが」

 

 安物のパーツであっても、数十円の値段がつけられている事にいまだに衝撃を残しながら所長は呟いている。

 

「しかしだな、わかっているのだ。カネを惜しむと肝心な時に金が手に入らないと。だが、確実に取り戻せると分かっていないでも限りあのパーツに数十円、いやそれなりの数を買うとなると数百円。いや千円以上も払うなどというのはやはり受け入れがたい現実というか、だな」

 

 何も聞いていないのにぺらぺらと話し始める所長に、司は苦笑していると事務所の近くに見慣れない姿がある事に気づいた。

 

「どうした?」

 

 司の瞳に警戒の色が浮かぶのを見て所長も訝しむ。

 

「いや……」

 

 視界におさめた相手が、一度思い浮かべた相手と違っていたことがわかり、司は強めた警戒をいくらか下げる。

 だが、それでもその人物に対する警戒をゼロのはしない。

 

 そしてやがて、その人物がこつこつとこちらに近づいてくる。

 

「陸軍の大神大尉だ」

 

 軍人――それもおそらくは偶然であろうがあの男と同じ大尉。

 無意識のうちに身体がこわばる。

 

「警戒されるのはわかるが、落ちついて欲しい。君達をどうこうしにきたわけではない」

 

 大神大尉はそんなこちらの反応を見透かしたように言う。

 

「それは失礼。それで、その大神大尉が何の用なのだろうか」

 

 そんな大神大尉に対し、所長が対応する。

 

「だからそう警戒しなくてもいい、といっても無理があるか」

 

 一つ嘆息してから、大神は続ける。

 

「最近、御活躍のようではないか。後藤新平氏の暗殺未遂の件なども聞いているぞ」

 

「……そうですか」

 

 この時点でも満州やら台湾などで功績を残しており、この後には東京市長や内務大臣として関東大震災からの復興に貢献する人物の暗殺未遂事件の事を持ち出される。

 見たところ、素直にその事に対する称揚の言葉だが、この大尉の目的がどこにあるか分からない以上、やはり警戒心は解けない。

 

「それでその、何の用でしょうか」

 

「そうだぞ。依頼人でないのであれば、申し訳ないのだがお引き取り願いたい

のだが」

 

「こう見えても、軍人でな。系統が違うとはいえ、ある程度の情報は入ってくる立場にいる」

 

「情報?」

 

「ああ。何やらこの事務所周辺に、怪しげな者たちが監視しているという話が入ってきてな」

 

 急に出てきた物騒な話に、つい司も所長と顔を見合わせる。

 そんな二人の反応を見てから、大神は訊ねる。

 

「怪しげな者たちが? 誰ですかそれは」

 

「それは知らん」

 

 短く早い返しだった。

 

「それで、大神大尉はその事で自分たちに忠告しにきてくれたと?」

 

 警戒を解かないまでも、失礼にはなりすぎないようにしながら大神大尉を司は見据える。

 

「そうだ。こう見えても、軍人でな。系統が違うとはいえ、ある程度の情報は入ってくる立場にいる」

 

 そういってから、大神は訊ねる。

 

「それで、何か心当たりは?」

 

「心当たりとは言われても、ないな。我らは品行方正、謹厳実直。軍と揉め事を起こすような事をした覚えはない」

 

 所長の返しに、大神は呆れてみせる。

 

「こちらが何も知らないでいると思っているのか?」

 

「……何の事でしょうか?」

 

 大神に対し、探るような視線を向けてから訊ねる。

 

「加藤大尉」

 

 大神に名前を出される。

 魔人・加藤。

 かつて司らと一悶着あった憲兵大尉だ。

 

「魔人の異名を持つ彼と、何度か揉め事を起こしているようだな」

 

「……別に揉めたつもりはないですよ」

 

 司にしては珍しく、棘のある口調で返す。

 彼に関しては、どうしても好感を持てないのだ。

 

「まあ、別にどう接したところで構わんのだが、変な真似をされては困るのでな。彼がキミ達をどうこうしようとすれば、我らも迂闊に手が出せん」

 

「ほう、それは随分と弱腰だな。天下の帝国軍人らしからぬ態度だ」

 

 所長の挑発ともとれる言葉だが、大神は冷静に返す。

 

「そうだな。自分も加藤大尉と同じ階級とはいえ、今の彼は将官よりも権力を持っているという噂すらある。実際に、一介の大尉ではまともに接見できないような相手とも繋がりがあるようだしな」

 

「将官よりも、ですか」

 

 軍隊という組織において、階級は絶対的だ。

 だからこそ、その中で大尉であるという彼がそれほどの力を持つという事の異常性は大きい。

 

「ふむ、ではそんな危険な相手と揉め事を起こしたという我々と、こうして接触している貴殿も危ないのでは?」

 

 所長の問いに大神も平然と返す。

 

「まあ、こう見えて自分も敵が多くてな。今更、敵が増えたところで変わらんさ」

 

「難儀な立場のようだな」

 

 皮肉とも労いともとれるその返しに、大神の目も細まる。

 

「難儀な立場、か。それは貴女も同じではないか?」

 

「何の事だ?」

 

 一見すれば堂々とした返しだが、わずかにその返しにブレがあった事に司は気づいた。

 

「……所長?」

 

「まあ、良い。今の自分に貴女に強制的にどうこうする権利はない」

 

「そうしてくれると助かるな。私は職業選択の自由に従い、探偵をしているだけだ。軍人にどうこう言われる筋合いはない」

 

「そうだな。とにかく。いう事は言った。そろそろ、この辺りで失礼させていただくとしよう。自分がこうして接触した以上、多少は良からぬちょっかいを出しにくくなるだろう」

 

「それゆえの接触だったと?」

 

 こうやって公に接触することによって、何か企んでいる者がいても牽制になる。

 それゆえに堂々と正面から来たのだろう。良識的な軍人というわけだ。

 

「さあな、だが必ずしも軍は善良な民の味方をできるとは限らん。異国の者とあっては猶更な」

 

 それだけを言い終えると、今度こそ大神大尉はこの場から立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

「……疲れましたね」

 

「そうだな。まったく、帝都にはおかしな御仁が多い」

 

 自分もそのうちの一人だという事を棚にあげ、所長は一つ息をつく。

 

「あの、さっきの大神大尉の最後の言葉ですが」

 

 明らかに所長の事を分かった上での発言としか思えない言葉。

 気にならないといえば、嘘になる。

 

「ん? ああ。気にしないでくれ――といっても無理があるか。だが、色々とこちらにも事情があるのだ」

 

「そうですか」

 

「何。私の方にも色々と事情はあるが、お前を放って一人で祖国に帰るような真似はしないさ」

 

 そういって、ぽんと司のベレー帽に手をのせてみせる。

 

「もう、またそうやって……」

 

「はは、すまんな。だが心配するな。もし話せる機会があれば、話す」

 

 事務所内に戻ってから、手洗いうがいをすませてから、そんなやりとりをする。

 

「何にせよ、依頼は達成せねばな。もしまた借金生活にでも陥って、地下帝都にでも落とされたら洒落にならん」

 

「地下? それって何のことですか?」

 

 思いもよらぬ単語がでてきて司は聞き返す。

 

「ん? ああ、司は知らないか。こんな噂が帝都にはある。借金を抱えたものを、強制労働させる地下帝都と呼ばれる存在がある、とな」

 

「地下帝都?」

 

 また妙な単語がでてきた、と思いながらも興味が出てきて聞き返す。

 

「そうだ。そこで働かせて金を返させるのだとな」

 

「お金を?」

 

 強制労働施設などといったものは、この時代でも。これから先の時代にもいくらでも存在しているだろう。

 だが、そんな大規模なものとなれば話は別だ。

 

「何というか、都市伝説じみていますね」

 

 漁船や炭鉱といったものならば、まだわかる。

 だがこの帝都東京の地下にそんな大規模なものがあるとなると現実味が一気に薄れる。

 既にタイムスリップなどという驚異の経験をしているといっても、これはまた別の話だった。

 

「第一、そんなところがあったとして、お金を返したら地上に戻れるわけでしょう?」

 

「ん? まあ、そうだな」

 

「だったら結局、秘密が守れないじゃないですか」

 

 そんなところに捕まっていたなどという情報、脅したとしても完全に隠し通せるとは思えない。

 それでも隠せるとしたら、その地下帝都とやらの支配者がよほど強い権力を持っているか、あるいはよほどの弱味を握っているかだ。

 

「ふむ。まあ、眉唾ものだと私も思っているさ」

 

 そう言ってから所長は続ける。

 

「未来にはないのか? そういった話は」

 

「いえ、ありますよ。都市伝説としてですけど」

 

 東京の地下には秘密の要塞がある――そんな都市伝説は割とポピュラーだ。

 地下鉄のさらに地下に、非常時に御偉方が利用するシェルターとなっている施設がある、地底人の住処となっている、古代文明の生き残りがいるなど、様々なトンデモ説が入り乱れている。

 古今問わず、そういった噂話が人は大好きだという事かもしれない。

 

「それにしても地下に多くの人を収容する街、か。とんでもない金がかかるだろうに」

 

「そう考えてもあまり現実的じゃあありませんね」

 

 6年前にあたる1914年に東京駅と中央郵便局の間で、地下の運搬路線が造られたりしているが、この話とそれとは規模が異なる。

 監視の人間も含めれば、少なく見積もっても数百人単位の人間を収容する地下施設など膨大な金がかかる事だろう。

 

「それだけの施設をつくる金があるなら、その一部でもよいので私にわけてくれないものか」

 

「所長……」

 

 案の定な考えのお方に思わず司もあきれる。

 

「もう。そういった事言ってると、余計にお金が遠のきますよ。言葉には言霊が宿るって前に言っていたじゃないですか」

 

「そうかもしれんな。だからつい、こんなものを拾ってきてしまった」

 

 そう言いながら、懐から一枚の紙幣を見せてくる。

 

「ちょっと待ってください、それ拾ったんですか?」

 

「いや、私も小銭ならばともかく、紙幣となれば落ちているカネをそのまま懐に入れるほど図太くはないぞ」

 

 例え10円や100円だろうと――あくまで100年後の価値での話になるが――落ちているものをネコババすれば犯罪だ。

 それに以前にとある成金の紙幣を、そのままかすめ取ろうとしていた事もあった気もするが、まあそれは置いておくことにする。

 

「これを見ろ、司」

 

「見ろって言われてもただの紙幣――じゃないですね、これは」

 

 見た事のない男性の顔が描かれている。

 大正の世でも、100年先の紙幣に描かれるような偉人でもない。

 

「えっと、100『ペラ』、ですか……」

 

 さらには、この紙幣には通貨単位を示すところに『園』ではなく『ペラ』と

カタカナで書かれてある。

 

「やっぱり偽札ですかね?」

 

「ああ。私もそう思う、と言いたいのだが」

 

 むう、と口元を歪ませる。

 

「としてだったら、ペラなどと書かずにそれこそ円にでもすればよいし、偽物としてもカネをかけすぎだ。未知の国の紙幣かもしれん」

 

「どちらにせよ、日本では換金できませんけどね」

 

 仮にどこかの国で凄まじい価値を持とうと、その価値を認めて金を払ってくれる人がいなければ意味がないのだ。

 

「じゃあ、どうするんですか?」

 

「何やら事件の匂いがするではないか。特に、偽札となれば許されざる犯罪だ。本物のカネの動きを阻害し、経済活動にも悪影響を及ぼすからな」

 

「まあ、いいですけど。間違っても実際に使ったりしないでくださいね」

 

「わかっているとも。私は冷静だからな」

 

 明らかにわかっていなさそうな様子ながらも、この100ペラ紙幣に興味深々といった様子で机の中に所長はしまい込むのだった。

 

 

 

 




だいぶ間が空いてしまって申し訳ないです。
今のところ、エタらせるつもりはありませんので気長に応援していただけましたら幸いです。
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