第2話 九尾との対話
「……」
暗闇に包まれていた部屋の扉が開き、明かりが灯る。
部屋の主であるうずまきナルトは、自分の帰宅を知らせる言葉を言うこともなく、ただ無言で靴を脱ぐと、リビングへ行き、背負っていたリュックをテーブルに置いた。
何気なくリビングに目をやる。
家具や寝具が綺麗に整えられたリビングは、今朝アカデミーに行く時とほとんど変わっていない。
「……フッ」
少しだけ神経が過敏になっていたナルトは、自嘲気味に笑うと、風呂場へと向かった。
浴槽から掬ったお湯が入った桶を頭からかぶり、髪についていたシャンプーを洗い落としたナルトは、ふと頬に指を当てる。そこはさっき『自分の能力』を行使して殺害した酔客の返り血が付いたところだ。
前の壁に掛けられた鏡には、湯が滴り落ちる金色の髪、左目に黒い眼帯、そして腹部に九尾の封印術式が記された“今世の自分“が写っていた。
「うずまきナルトになって、もう2週間か……。早いな」
鏡に写る自分の姿を眺めながら感慨深くそう呟いたナルトは、湯船にゆっくりと足を入れると、湯の温かさを感じながら湯船に身を沈める。
顔を風呂場の天井に向ける。
ゆらゆらと上がる白い湯気をぼんやりと見つめながら、ナルトは、自分がうずまきナルトになった経緯を思い返す。
自分の名、そして自分を産んだ両親の名や顔を含めた前世の記憶はほぼ失われたが、彼はかつて日本という国で生きていた。そこでは中学生か高校生かははっきりしないが、黒い学ランを着ていた記憶がうっすらとあるので多分学生だった。
そんな彼は、朝起きて朝食を食べて身支度を整えて、学校へ行き、勉強をして、学校が終わると帰宅。変わり映えのない日々を送っていた。だが、ある日、帰宅途中に横断歩道を歩いていた時、信号無視をした大型トラックにはねられて短い人生を終えた。
死んだと思ったが、目を覚ますとなぜか病院のベットの上で全身を包帯で巻かれた状態で寝かされていた。処置が間に合い九死に一生を得たのかと思ったのだが、唯一視界が確保できていた右目を横に動かすと、そこには心配そうな顔で自分を見つめる1人の男がいた。
額には木の葉隠れのマークが刻まれた額当てを巻き、緑色のベストを着たその男の名は“うみのイルカ“。漫画『NARUTO』の主人公うずまきナルトの恩師でもあり、良き理解者である男だ。
ーーなぜ、漫画の登場人物が目の前にいるんだ?
イルカの姿を見てそう思った。どうして漫画の登場人物が目の前にいるのだろうか、もしかしたらここは夢の中なのか、と考えたが、意識が覚醒してから全身を駆け巡っている痛みがその考えを否定した。
痛みがあるということは自分は生きていて、そして今目にしているのは紛れもない現実だ。
ナルトが意識を取り戻したことに気づいたイルカは、ガバッと立ち上がると、覆い被さるように身を屈め、こう言った。
『ナルト! 良かった、気がついたんだな!!』
嬉しさのあまりに目に涙を浮かべたイルカにそう言われ、今の自分が主人公であるうずまきナルトなのだということを知った。
また目を瞑れば元の世界へ戻れるのではと思ったが、何度やっても目の前の光景は変わらなかった。
転生か憑依か知らないが、うずまきナルトになってはや2週間。もう、元の世界へ戻ろうという気もなく、今はうずまきナルトとしてひとまず第二の人生を歩んでいる。
幸いなことに前世の記憶はほとんど失っているので、ホームシックといった前世への望郷の年や郷愁などは全くない。
「ん?」
これまでの記憶を振り返っていたナルトだったが、何かを感じたのか、湯気で曇った風呂場のガラス扉の方へ顔を向けた。そしてパシャリと湯で顔を洗うと、湯船から出て、脱衣所に向かった。
パジャマに着替え、頭にタオルをかけた状態でリビングに戻ったナルトは、食器棚から1枚の皿を取り出し、テーブルに置くと、冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。そしてテーブルに置いた皿に牛乳を注いだ。
牛乳が注がれた皿を手に、窓の方へ歩いて行くと、窓の外には小さな影が浮かんでいた。
その小さな影を見たナルトは笑みを浮かべ、窓をゆっくりと開けた。
「「「なーご」」」
開けた瞬間、窓の外にいた3匹の野良猫が一斉に鳴いた。
「ごめんね、お腹すいたでしょ」
腹を空かせた野良猫たちに苦笑いしながら詫びの言葉を言ったナルトは、牛乳が注がれた皿をの3匹の前に置く。
皿を置いた瞬間、野良猫たちは小さな舌でチロチロと牛乳を舐め始めた。
三毛猫、白猫、黒猫。3匹の野良猫たちの食事風景をナルトは頬杖をつきながら眺める。時折頭や喉を撫でたりすると、気持ちいいのか野良猫たちは目を細めながら、ごろごろと喉を鳴らす。
「ふふ、いつもありがとうね」
野良猫たちに労いの言葉をかけるナルト。
綺麗に牛乳を飲み干した3匹は、チロチロと前足を舐めると再び夜の闇へと消えていった。
3匹の野良猫のたちを見送ったナルトは皿を流しに持っていき、綺麗に洗う。そして歯磨きを終えると、部屋の電気を消してベットに仰向けになる。
電気が消えた暗い部屋には、カーテン越しに淡い月明かりが差し込む。
「フゥ……」
ゆっくり息を吐き出しながら、全身の力を抜き、気持ちを落ち着かせる。
頭と心を空っぽにしたナルトはゆっくりと瞼を閉じた。
***
そこは足首ほどの水が溜まった、まるで地下牢のような場所だった。
両側のレンガ造りの壁に掛けられた松明の炎がそこを照らしている。その地下牢のような場所の中央の通路に1人の赤髪の女が立っていた。
ゆらゆらと揺れるオレンジ色の炎に照らされる、白のカッターシャツの上に黒のトレンチコートを纏い、下は黒のパンツスーツというシックな格好をした女。
女は、水面に写る自分の姿を静かに見つめる。
「なんで外界は男なのに、精神世界では女になるんだろうね……ほんと不思議だ」
鈴の音のような凛とした声音でそう呟く女、もとい、うずまきナルトはそう呟くと綺麗な指を顎に当てながら足元の水面に浮かぶ、精神世界での自分の姿を見つめる。
白く雪のような美しい肌に、細く整えられた眉、そしてまるで黄金のような黄色い瞳。
現実世界では12歳の少年なのに、精神世界ではなぜ赤毛美女になるのだろうか、とナルトは精神世界にやってくるたびに思っているのだがーー。
「これもうずまきナルトに転生したことで生じた結果かもしれない」
そもそも漫画という創作世界の人物に転生したということ自体説明の仕様がない異常なことなので真剣に考えること自体無駄だと、ナルトは思考をやめると、視線を地下牢の通路の奥へと向けた。
地下牢の通路の奥は闇に包まれており、禍々しい妖気が漂っている。
「さて、今日も“先輩“とお話ししますか」
一つ結びにされた赤髪を揺らしながら、ナルトは奥へと歩んで行った。
『ーー何しに来た、小娘』
先いたところよりも比べ物にならないほど巨大な牢屋の前にやって来たナルト。そんな彼を、まるで威嚇するかのような声音が迎えた。
だが、ナルトはそんな声に臆することなく、それどころか顔に笑みを浮かべると、牢屋の中にいる人物に優しく語りかける。
「何って、お話しに来たんです。“九尾“……いや、“クラマ“さん」
ナルトがそう言った瞬間、牢屋の奥から巨大な獣の爪がくり出され、ナルトの身体を引き裂こうとする。しかし、頑丈な鉄格子によってそれは阻まれる。
『ワシの名を気安く呼ぶなッ! 殺すぞ、小娘ェ!!』
ガタガタと巨大な爪で鉄格子を破壊しようするが、巨大なチャクラの塊とも呼ばれる尾獣を抑える強力な封印術が破られることはない。
尾獣の中で最強格と称される九尾、クラマの殺意剥き出しの叫びを聞いたナルトだが、まるでそんなどこ吹く風とも言わんばかりと気にすることなく牢屋の前に近づく。
「そんな邪険に扱わないでください。僕たち2人は、うずまきナルトという器に入れられた者同士じゃないですか? だから、もっと仲良くしましょう」
ナルトは笑みを絶やすことなくそう言うと、牢屋の中にいるクラマの顔を見つめる。
だが、クラマの瞳に浮かぶのは、嫌悪、怨嗟、憎悪などの負の感情ばかりだ。それを見たナルトは、両手をコートのポケットに突っ込むと残念という風に肩を落とした。
『仲良くだと? 笑わせるな、小娘』
落胆したナルトの姿を見たクラマは、ニヤリとしながらそう吐き捨てた。
『入れられた、だと? フッ、乗っ取ったの間違いじゃないのか? 小僧の身体を』
「確かにそういう捉え方もできますね。実際、ここ2週間精神世界に来ていますが、この身体の本来の主人であるうずまきナルトの思念などは感じ取れませんでした」
クラマの言葉に、ナルトはそう答えた。
うずまきナルトに憑依した日から本来のうずまきナルトを探しているが、残念ながら発見することはできなかった。
「この身体の以前の主人であるうずまきナルトの精神はすでに消失している」
『……』
「つまり、それは言い換えればーー」
それまで柔和な笑みを浮かべていたナルトだったが、突如顔から一切の感情を消し去った。
「僕が“新しい主人“だということです、クラマさん」
そう言った瞬間、再び鋭い爪がくり出された。だが、最初と同じように鉄格子で阻まれる。しかしわずかな隙間から爪の先が飛び出し、ナルトの鼻先スレスレを一閃した。
目と鼻の先にあるクラマの爪を冷たい視線で見つめるナルトだったが、ゆっくりと視線をクラマの紅い瞳へと向けた。
黄金の瞳でクラマの紅い瞳を見つめながら、ナルトは静かに、そしてはっきりと告げた。
「ーーこれは命令です。僕に従いなさい」
束の間沈黙が空間を支配する。
と、それまでナルトを上から見下ろしていたクラマがゆっくりと頭を下げ始め、最終的には身を折り、ナルトと同じ目線の高さになる。
そしてーー。
『フッ、舐めるなよ。貴様程度の術がこのワシに通用するわけなかろう。……身の程を弁えろ、小娘』
睨みつけながら、目の前のナルトにそう吐き捨てた。
クラマの言葉を聞いたナルトは、ニヤリと口角を上げた。
「さすが九尾の化け狐。そうですよ、そうじゃないと面白くない」
『フン、暗部の連中にどんな幻術をかけた知らんが、ワシに幻術の類は効かん』
「おや、気づいてましたか?」
『フン』
クラマの言葉を聞いたナルトは顎に手を当てる。
「さすがと言いたいところですが、残念ながら僕のは幻術ではないです」
『……』
ナルトの話が気になるのか、クラマは何も言わずただじっと聞き耳を立てる。
「人柱力であるうずまきナルトに常時暗部1班の監視が付いているのは分かっていました」
『腐っても木の葉の暗部だ。なぜ奴らの気配に気づけた?』
クラマの問いにナルトは指で自分の鼻を指しながら、「僕は特別に鼻が利くんです。だから分かりました」と言って、ウィンクした。
「監視員の位置を見つけ、術をかけるのは簡単でしたよ。まあ、監視班の班長が女性だったのは意外でしたけどね……。だけど彼らを支配し、手駒にしたことで生活は幾分か楽になりました」
『夜道に癇癪で人を殺しても連中に処理させればバレないからな』
「心外ですね、僕は快楽殺人者じゃない。あれは正当防衛です」
アカデミーからの帰り道に2人の酔客を殺害したことを思い出しながら、クラマの言葉を否定するナルト。
『貴様、何者だ? 暗部に幻術をかけ、自らの手駒とし、なおかつ体格差のある人間をいとも容易く殺せる実力を持つ……』
2週間前に突然自分の前に現れた謎の少年または女にその正体を問うクラマ。
ナルトは最初と同じように柔和な笑みを浮かべる。
「僕はあくまで人ですよ、クラマさん。ただ、そうですね、しいて言えばーー」
ナルトはくるりと背を向ける。
「この世界とは違う別の世界からきた異邦人かな」
『……』
クラマはナルトの背中をじっと見つめる。
「また来ますよ、クラマさん」
『フン、二度とくるな』
歩きながらひらひらクラマに手を振っていたナルトだったが、何か思い出したのか、くるりと振り返ると、
「ああ、それとこんななりですが、僕はれっきとした男ですからね。それじゃ」
と、言ってナルトはクラマのいる精神世界を後にした。
ありがとうございました。
ちなみに、精神世界でのナルトの姿はチェンソーマンのマキマさんです。