アンチテーゼ・ダービーガールズ 作:A・ジルー
実は、アウター選びにはさほど時間をかけない。
『──さぁ、この日がやって参りました!栄冠を掴み、新たな夢を見せてくれるのは、はたしてどのウマ娘か!?』
学園のカフェテリアにて、共用のモニターに映されていたのは、クラシック戦線を象徴するレースの中継映像だった。
『日本ダービー、間もなく出走ですッ!!』
……ウマ娘とトレーナーにとっても、ウマ娘ファンにとっても特別なレースであるそれは、条件にして芝・2400m。
トゥインクル・シリーズにおける『クラシック三冠』のひとつだ。
「きゃ〜〜っ!テレビで見てるだけなのにドキドキしちゃう!」
「ホントホント、こっちまで緊張感伝わってくるよねー!」
自分の近くでレースを見守るウマ娘たちからは、そのような言葉が聞こえてきた。
一生に一度しか挑めないこの舞台にて、優勝の栄誉を手にするのは『一国の宰相になるよりも難しい』とすら評される。それゆえに、出走者から放たれるオーラが画面越しにも伝わるほど高まってきているのだろう。
(格も、注目度も随一。だからすべてのウマ娘の憧れとなる……)
普段ならば『自分が目指すべき場』として、興奮を胸に見届けていたこのレース。しかしどこか一歩引いて見てしまっているのは、先日に目の当たりにしたウマ娘のセリフが耳に残っているからだろう。
──ダービー如きで測れる器ではありませんの、私
ティアラ、スプリンター路線など、ダービーが絶対的な目標にならないウマ娘はそこそこに多い。しかし、ああも敵意を向けてダービーを捉える者は稀といってもいいだろう。
(何が、彼女の逆鱗に触れたっていうんだろう)
そのウマ娘を目にしたときから、消えてくれないその疑問にまたもハマっていく。
「──その申し出は、お断りすると伝えたはずですわ」
そんな折に、あの日聞こえた声が耳へ響いたのは天の思し召しだったのだろうか。
「何が不満だって言うの!?私のチームなら、あなたと高め合える相手だって十分に用意できる!明確なプランもここに──」
「──方向性の違い、それ以上に挙げられる不満はないでしょう」
声がした方を向いて目にしたのは、先日に続いてスカウトを跳ね除けるウェブの姿だった。
「あなたのお母様についてもよく知ってるわ、ダービーで入着した実績があるって!だからあなたにも同等の、いやそれ以上の結果を……その舞台で出させてみせる!」
「……っ、その言葉が出る地点で対話の余地はありませんわ、お引き取りを」
食い下がるトレーナーに対し、語気を強めてその場を後にした彼女は、こちらに向かって歩みを進めてきた。
「腹立たしい、この世界にはダービーしかGIがないって言いたいというの……?」
そう呟いたのが、自分には聞こえた。すれ違うか、という距離まで近づいた、そのときだった。
「あ、あの!」
半ば無意識に、声を出してしまった。どうやら自分には、思っているより彼女へ未練があったようだ。
声を聞き届けたのだろうウェブが向けてきた瞳には、まだ苛立ちがある。もしこのまま沈黙を続ければ、退けられた先輩方と同じ道をたどるだろう。
その結末を避けようと回転しだした頭脳からは、ひとつの質問が弾き出される。
「君は、ダービーが嫌いなのか」
先ほどの会話の中で、彼女が特に拒絶を示していたその単語を突きつける。
やはり眉をひそめたウェブの表情を受け、疑念は確信に変わった。
「俺は、昨日のレースを見ていたうちのひとりだ」
あえてそう前置いて、ぶつける問いを練る時間を稼ぎながらも、結局無難なものしか捻り出せずにこう告げた。
「君が何を目指したいのか、聞きたい」
その問いに、大きく息を吐き出して溜飲を下げたらしいウェブは、若干柔らかい物腰でこう口を開いた。
「……あなたとなら、建設的な話ができそうですわね」
今までの振る舞いと比べれば、いくらか友好的な言葉に対話の希望を見出していると、付近のモニターへ目をやった彼女が耳へ口を近づけてきた。
「場所を変えましょうか。ここは少しばかり、私に似合わない場ですわ」
その原因は問うまでもなかった。
「──私は、この世界に憤りを覚えているのです」
それは屋外へ場を移して間もなく、切り出された言葉だった。
──曰く、トリプルティアラ路線の者たちは、クラシック三冠路線の者たちと比べ実力・実績を軽んじられる傾向にあることを憂いているのだという。
「かつて、私はオークスに夢を見ましたわ」
ウェブが想いを馳せるこのレースは、言うなればダービーと並ぶ栄誉を競う舞台だ。開催時期と条件の近さから、『トリプルティアラにおけるダービー』と称されることは少なくない。
……『ダービーの前座』と称されることも。
「この舞台がダービーに劣るなどと嘯かれるのは、とても耐えられません……故に」
胸元に拳を引き寄せた彼女は、思いの丈を口にする。
「この身を以て、愛するレースを最高の舞台へ仕立てたいのです」
そう言い放ったウェブの姿は、一角の人物に見える。しかし、まだもうひとつの質問には答えられていなかった。
「……本当に、それだけなのか」
未だ残る疑問を胸に呟いたその言葉は、ウェブの表情をわずかに変える。
「さっきのスカウトでの話だけど」
聞きかじっていたその会話の中では、『ダービーを駆けた母がいる』と言われていた。
ウェブが決定的な決裂を表明したのはそのすぐ後だったために、最大の理由はそこにあるのではないか、と考えたのだ。
そう伝えてやると、彼女は諦めたように息をつき、こう語った。
「……ええ、そうです。私がダービー憎しとするのは──
──母の夢を、奪ったからです」
え、と語られた言葉に洩らす。『入着した実績がある』と聞いていたことから、敗北を悔やんだのかと考えたものの、それは口に出る前に抑えられる。
「私の母は、そこそこに由緒正しい家の出なのです。現役時には、才にも友にも恵まれ、オークスへの出走を目標に鍛えていたと聞きます」
補足された過去に、首を傾げる。そのウマ娘が実際に出走したレースと、目標としたレースが食い違っているからだ。
「……出走したのはダービーじゃなかったか?」
黙っていられずそう突っつくと、ウェブは項垂れるように頷く。
「ええ。ダービーです。オークスにて特に懇意にされていた友人全員で競い合おうと、誓って間もなく……より大きな栄誉を欲した家によって反故にせざるを得なくなった、とのこと」
クラシック級路線の二台巨塔であるクラシック三冠、トリプルティアラの道のりを選ぶにあたって、特段制約は存在しない。
栄誉を望む身であれば、ダービーを擁する前者が好まれることは多かった。
「母のダービーは映像で見届けましたが……あれほど悲しげに走るウマ娘を、私は今の今まで見たことがありませんわ」
その後、彼女は対戦を誓った友人たちとターフで顔を合わせることはなかった、と語ったウェブに、鋭い怒気が巡る。
「人は言います。『ダービーには夢が詰まっている』と。なるほど、それは正しいのでしょう。ウマ娘ひとりの想いを潰せるほどの夢を、外野に見せることができるのですから」
わかりやすい皮肉ながら、思わず気圧される。そこには、底なしの復讐心が存在していた。
「もしダービーとオークスの間に確たる差が存在し、それが母の夢を奪う引き金となったのであれば──
──私は、オークスウマ娘として、ダービーを否定します」
言外に、ダービーウマ娘の打倒を明言した彼女。おそらく、これこそがウェブの本心であることを察し、自分の中で迷いが生じた。
(彼女なら、達成し得る目標かもしれない)
選抜レースで見た走りから、そう感じるだけの素質は見えていた。
しかし、あの復讐心のみでこのウマ娘を歩ませるのは、それこそ彼女の母の件よりも悲しいことなのではないか──。
「──俺と、組んでくれないか」
その言葉は、考えるより早く出ていた。ルーザーズウェブの真剣さは、ここまでのやり取りで痛いほど伝わってきた。
「……ええ、言い出されなければ、こちらから声を掛けようかと考えておりました」
返されたのは、了承を意味する言葉だった。こちらの情報は何も開示していないが、それでも応じたのは、方針の共有以外にトレーナーへ求めているものがないからだろうか。
「なに、心配はいりません。ただの物好きでは済ませないことを、約束しますわ」
若干考え込んだ仕草を懸念ととったか、そう声を掛けて掌を差し出すウェブ。
彼女には悪いが、心配はしていた──尤も、それはウェブの思っているものではないが──。
(このウマ娘は、きっと誰よりも強い、そして──)
──誰よりも脆い。
まだ、行くべき道が見えているわけではない。だが、放ってはおけなかった。その一心で、彼女の手を取る。
こうして、ルーザーズウェブとの道のりは、至極静かに始まったのだった。
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