ぼんやりと、意識が浮上する。
「………….」
水面から顔を出すように微睡から目覚めて、瞼越しに伝わる光がじんわりと思考を刺激する。
鉛のように重い思考と身体が輪郭を伴って、薄らと目を開けて、焦点の合わない瞳で視線の先を認識する。
段々とピントの合ったその先は、カーテン越しの光が照らす変わり映えの無い天井。毎朝眺める、いつもの景色だ。
「…………あー」
しゃがれた声が喉から漏れる。酒焼けだ。
昨夜は飲み過ぎたような気がする。思いながらまた瞼を閉じて、少し痛む頭を労るように手の平で目元を覆う。
今何時だ、体内時計で昼頃だと感じながら手探りで時間を見る為に枕元を手探りでスマホを探る。
さらり。
スマホでは無い何かに触れる。細い糸の束のような、触れた事のあるような何かが俺の指先に絡まり、解ける。
何だこれ。癖になるような手触りのそれを弄んで、しかしこんな触感の物が俺の家にあっただろうかと思い再び目を開ける。
ピントが合う。首を傾けて、右手側の方へ視線を向ける。
「……ん…………」
「………………」
顔がいい女が居た。
ネイビーの髪が重力に従って垂れた、見覚えのあるボブヘアーの女。記憶の限り、昨晩二人で飲んだ気がする酒カスと呼んでいるコンカフェ嬢。
名前は…………いや、それはどうでもいい。
何で俺のベッドに入ってんだコイツ。
首に絡められている腕がやけに暑苦しい。何故か下着姿のソイツの肌が触れ合って明らかに事後みたいな絵面だが、健全な飲みしかしない俺にはそんなふしだらな展開など無い。
事後っぽいだけで。手先で弄んでいた髪から手を離し、首元に巻き付いているその腕を解こうと試みる。
クーラーつけてるとはいえ暑い。人肌が温い。コイツ体温高過ぎだろ。
「んん……!」
抵抗された。無駄にがちりと締められるその腕はさながら首輪のようにきつく、息苦しさも感じる程だ。
距離がまた縮まって、体が密着して柔らかい感触がより伝わる。下着姿故に、より鮮明に。
頭に血が上る。
「暑苦しいんだよ」
「ぐぇ」
離れろカスが。おっぱいデカくしてからくっつけ。
ぐいと押し退ければ、妙な声と共に酒カスは離れる。げしと手足で押しやって、ベッドから突き落とす。
どたんと後と間抜けな悲鳴が聞こえ、暫くして寝息がまた聞こえるのを耳にしながら俺は起き上がる。
「…………んぇ…………」
「まだ寝てんのか」
ベッドから落ちて尚熟睡。敷いてあるカーペットはどうやら有能なようで落下時の衝撃を吸収したようだ。
んな訳あるか。眠り深過ぎだろ。
すぅと穏やかな寝息とぐおおと涼やかなクーラーの稼働音が響く部屋で、固まった身体を解すように伸びをする。
ぼきぼきと骨が鳴る。首をごきりと回して、未だ重い瞼を擦りながらテーブルに放っていた煙草とジッポを手に取る。
咥え、火を点けて、吸う。親しみ慣れた香りが口腔から鼻腔へ広がり、肺へもくりと燻らせたソレをゆっくりと吐き出す。
じんわりと、暗い部屋に煙が昇る。
「…………酒臭ぇ」
換気しよ。カーテンを最低限開いた先から陽光が差し込んで目が焼かれる。眩しい。
窓を開けて、ふわりと優しい風が入り込んで酒臭さが一瞬マシになった気がする。暫く開けないと完全に換気は出来なさそうだが。
外を覗けば、空は真っ蒼に照らしあげられていてお天道様も元気に輝いている。
「…………」
てか今何時。枕元を見ればスマホは無く、酒カスを突き落とした方を見れば、ソイツの足元に転がっていた。日の光に差される太ももは、白くて余計に眩しく見えた。
まじで何で下着姿なのか不明なソイツの脚を除けて、スマホを手に取る。タップ。午後三時。
…………午後三時ぃ?
「寝過ぎだろ」
「…………んん……?」
身じろぎをする酒カスに腹いせの蹴りを入れて、スマホをベッドへ放る。
いつもコイツと飲むと俺は昼過ぎに起きる。コイツは夕方にしか起きない。夜職コンカフェ嬢が。
ザルの飲みに付き合うと満足するのは夜更けを超えて早朝近くになる。いっそコイツ用に度数の高い酒でもストックしておこうか。
いや、それはそれで奢った形になって寄生されるから自分で買わせよう。買った酒大体飲むのコイツだし。もう一回蹴りを入れておく。
「……なん、なに……なんなの……」
結局五回くらい蹴っていると、起きかけの呻き声が聞こえる。珍しい。いつもなら十回蹴っても起きないのに。
「もう夜だぞ」
「…………嘘つけ……」
「電話クソ鳴ってたぞ」
「……ほんとぉ……?」
「店から」
「………………仕事!」
一瞬で目が覚めたのか、慌てて飛び起きる酒カス。ばたばたとスマホを探して、床に落ちていたらしいスマホを手に取ってタップして。
固まる。「さんじ」と一言漏れる。嘘に気付いたらしい。
即座に力を抜いて床に寝転ぶと、深い溜息を吐いて手に持ったスマホを投げ捨てた。
「まだ寝れるじゃん……」
「起きる時間だけどな」
「アタシは違うの」
ごろりと仰向けになって、寝ぼけ眼で俺の事を睨む。
「うそつき」
「嘘も方便」
「意味違くない……?」
「許せって事」
「許せるか変な時間に起きちゃったじゃん」
「でもお前今日休みって言ってたじゃん」
「…………そうじゃん今日休みじゃん…………」
だらしなく項垂れる酒カス。ごろごろと横に揺れる度におっぱいが震えるのを見ているのも楽しいが、飽きたので掛け布団をばさりと投げる。全身隠れて、覆われたソイツはもぞもぞと揺れる。
「なにぃ……?嫌がらせ……?」
「お前の下着姿も飽きた」
「………………え」
「なんでお前脱いでんの」
「………………何で脱いでんの!?」
また目が覚めたらしい。掛け布団の中で「もしかして」とごそごそとして、ぴたりと止まった後にくたりと力が抜けるのが見える。
起き抜けに騒がしい。煙草を味わって、ニコチンが脳味噌に回ってぐるぐると思考が巡ってくる。
……あれ、今日なんか予定あったっけ。投げたスマホをまた拾う。
「……良かった、セーフ」
「何が?」
「何でもない」
「因みにアウトだぞ」
「えっ」
「昨日はお楽しみでしたね」
「…………冗談?」
「あんなに凄かったのに忘れちゃったのか?」
「えっえっ」
「俺は、忘れられないよ」
「…………か、からかわないで」
「はは」
「怖いって!」
顔だけ出して、酒カスは俺を見る。うぇっと飛び上がる音と驚いた声が聞こえる。
それを尻目に俺はスマホに届いていた連絡を返して、別に急ぎの案件は無い事を確認してメッセージアプリの通知達を消化していく。
……あ?『そろそろデッドラインです先生』?嘘つけ、まだ行けるだろ。締め切りのデッドラインは幾つもあるって知ってんだよ。『フォカヌポウ』……返信と。
「……な、何で」
「あ?」
「…………何でそっちも下着姿なの?」
「………………?」
見る。下着姿だった。はて。
「………だから言ったろ?凄かったって」
何で俺下着姿なの?軽口を叩きながら内心首を捻る。
「ちっ、違う違う違う!」
「忘れたのか」
「えっ、嘘。ホントに?」
「嘘だよ」
「良かった!!」
男女、一室、下着姿、宅飲み。何も無い筈が無く、と言う事も無く本当に何も無かった。記憶無いけど。
あったかもしれないし、なかったかもしれない。さながらシュレディンガーの猫だ。
お互いに記憶が無いようだし、これは開けてはいけないパンドラの箱という事で触れない方が吉なのではないか。
思いながら、ふと視界にコンドームの箱が見えた。開封済み。
「……………………」
「え、何どうし…………」
酒カスも視線の先をつられて見て、ひゅっと喉が締まるような悲鳴を上げた。
頭がすっきり覚める。待て。落ち着こうか。
無言で立ち、すっと拾ってその箱の中身を見る。空っぽだった。六個入りなのに。
「…………テメェ、記憶は?」
「ございません」
「嘘偽りは?」
「無いです」
「酒に誓って?」
「酒に誓って」
つまりこれは、記憶が無いからノーカウント?
ひやりと汗が流れる。もしかしてトラブルした?
いやトラブったとしてもまあ問題は無い。いやあるかもしれない。その時の記憶が無いというのが問題だ。ありうるかもしれない。
「どこまで覚えてる」
「家来て、飲んで、チャイナ服着て、飲んで、飲んで……」
「……その後何したっけ俺達?」
「…………わかんない」
「俺も」
そう、チャイナ服の後にまた飲んで凄い馬鹿みたいな飲み方をした気がする。ジャン勝ちがイッキ。そんな事をした記憶がある。
その後を覚えていないのだ。つまるところの致したか否か。
片方が事の顛末、つまりは下着姿で寝ていた事の経緯を覚えていればいいのだが俺達二人は悪ノリに興じて記憶を失ってしまった。
「……喉、乾いたな」
「……うん」
起き抜けにしては大分頭も心臓も何もかも痛む状況になっている。からからに乾いた喉を潤す為に、冷蔵庫へ足を進める。
しかし、仮に致したとして六個も使うだろうか。道すがらゴミ箱を覗き、コンドームは無いのを確認する。
部屋の中に転がっているのか。しかしティッシュも、ブツへの違和感も無いし。冷蔵庫を開ける。
「………………」
冷蔵庫を閉める。見間違いかな。
もう一回開ける。中身を見る。
変な物がある。目を擦る。視線の先の物は変わらない。
「………………んー…………」
「どうしたのー?」
「いや、これ」
「んー?………………んん?」
手に持って、たぽたぽと揺らしながらソイツに見せる。
大きく水によって膨らんだコンドームを。何で?
お互いに首を捻って、改めてその水がパンパンのコンドームを見て。やっぱり首を捻る。
冷蔵庫の中のそのブツの数を見る。三個あった。洗面所を見る。残骸が散らかっていた。恐らく三個分。
…………つまり、これは、何だ?
残骸もひらひらと拾って見せると、酒カスは一瞬目を細めて、「あ」と思い出したように声を漏らした。
分かるのかライデン。
「水筒にしたんだよ」
「は?」
「いや、水筒にした……って、今、思い出した」
「…………何で?」
「酔っ払いのテンション、じゃないかなぁ?」
「……まあ、酔っ払いのする事なら……?」
「ありえる、かも」
ひとまず胸を撫で下ろす。どうして兵隊のコンドーム活用法をしていたのかは分からないが、とりあえず記憶が無い間にナニかあった訳では無さそうだった。
友人の枠を超えるところだった。ラインは守らないと。
口に咥えたままの煙草を、改めて深く吸う。安心したからか、味がよく分かる。美味い。
「……良かったな」
「……うん、良かった」
「…………まさかな、酔っててもある訳ないしな、冷静になればな」
「そうだよね、いや、ホントに」
うんうん、と頷き合いながらお互いに不器用な笑みを浮かべる。安堵したような、何とも言えない表情。
ははは、とから笑いしながら酒カスはぐたりとまた倒れ込んで、横を向いて。
急に何故かびくんと跳ねた。何だよ。コップを取り出して、記憶には無いが折角入れたらしいそのコンドームから水を注ぐ。
「どうした?」
「いっ、いやっ!?何でもない!」
「ああ、そう…………うわこれ入れんのむず」
「……………えぇ、うそ、まじ…………?」
注ぎ口の無い物から水を入れるのがこんなに難しいとは。あっ溢した。
どぱっと勢い良く出たが、直ぐに止めたので被害は少ない。……後で拭けばいっか。
水浸しになったコップを持って、酒カスの元へ戻る。慌てて掛け布団の中に何かを仕舞ったように見えたが、はて、服だろうか。
「ん」
「あ、ありがとうございます…………」
「……何だよ」
「い、いや、何でも……」
「そう」
何故か赤いような気がするソイツにコップを渡して、空いた手で煙草を持ってコップの水を飲む。乾いた身体に染み渡る。
「……アタシ、これ飲んだら帰る」
「珍しいな、いつも夜からまた飲むのに」
「いや、まあ、ちょっと、野暮用が、ね」
「……歯切れが悪ぃな?」
「野暮用が!あるの!」
「うわ声でか」
急にデカい声出すなよ。マンボウだったら死んじゃってるだろうが。
「ともかく!……昨日は、付き合ってくれてありがと」
「ん。そろそろ酒は自分で買え」
「…………善処する」
「……………お前なんか変だぞ?」
「そっ、……そんな事、無いよ?」
あるだろ。いつもなら『嫌♡買ってよご主人様ぁ♡』とか言うのに。風邪引いたか?
「まあいいや。とっとと帰れよ」
「う、うん」
「…………?」
なんか、調子狂うな。違和感がある気したが、気のせいかとフィルターまで吸い切った煙草を灰皿に押し潰した。
少し開いてしまっていたカーテンを閉めてから改めてベッドに横になって、落ち着いてまた眠くなった身体が欠伸を伸び伸びと吐き出す。
もう一眠りしよっと。瞼を閉じる。
「んじゃ、おやすみ」
「……お、おやすみ……」
「……………….?」
レスポンスが大人しい。なんかやっぱ変。思いながら、けれどすぐ歩み寄って来た睡魔に従って思考を止める。
今日は休みだし、というか毎日休みだがタスクの小説は起きてから書けばいい。デッドラインは後二つはあると見た。
俺天才だから何とかなるだろ。また欠伸を吐き出して、段々と眠気が濃くなって意識がぼんやりとしてくる。
そうして意識が落ちる寸前、酒カスの声が聞こえた気がした。
「…………やば、全部思い出しちゃった………」
数時間後にまた起きた時には何て言ってたのか思い出せないし聞き取れなかったのを覚えていたが、まあしょうもない事でも呟いてたんだろう。
今回は宅飲みで散らかった部屋を掃除してから帰ったらしい酒カスは、書き置きに『アタシ達何があってもズッ友だよ』と残して帰宅していた。
……ズッ友って死語じゃねえかな。俺はアイツの忘れていったヘアゴムで髪を結びながらそう思った。最近忘れ物多いなアイツ。
因みに書き置きに下着姿を見た代金としてまた酒を買わされる旨が書いてあった。理不尽。
「カス」
・酒はよく飲む。記憶はたまに無くす。
「酒カス」
・酒はかなり飲む。記憶は後から思い出す。