釘崎がその少女と初めて会ったのは、死滅回遊が集結し、一段落着いた2019年の2月末の事だった。
「非術師の魂と呪力を天元様と同化させた結果……そのひとつのモデルケースがこの子よ」
少女はベッドの上で瞬きひとつしないまま虚ろに空を見つめていた。
一億呪霊という巨大な呪力と、拡大された死滅回遊の結界は呪術師と呪霊の覚醒という未曾有の混乱を全世界で引き起こした。
新たに呪力と術式に覚醒した非術師の内のひとり……繁縷輝沙。
「繁縷輝沙は意識も魂も、この子のものでありながら、肉体だけが生きたまま呪物化してしまっている状態にあるの」
「呪物化っても……元々この子の身体なんでしょ?」
「詳しくは私たちにも分からない。羂索は殆ど資料を遺してないし。ただ、九十九が遺したノートには“呪物化”は魂に縛りを課し、肉体の方はソレに引きずられる事によって起きる……そう記されていた。羂索が、遠隔での無為転変をトリガーとしたのも、その辺りが関係しているんじゃないかしら」
「私を呼んだ理由は?」
「芻霊呪法を使って、この子の魂の形を正しく生きられる形に叩き直して欲しい」
「なんで?」
釘崎は言った。
「私も自信無いわよ? 自分の体じゃないし、この顔みたいに直る保証はどこにも無いわよ」
釘崎は自らの共鳴りで形を直した顔半分を歌姫に見せた。
何とか治療できる様に顔の形に整えたが、未だ傷は癒えていない。
「この子の親はもういない。調べた限り、血縁者もね」
「……マジで言ってるわけ」
歌姫の襟を掴み釘崎は言った。
「死んでもいい奴だから…モルモットにしろってことか? ああ?」
「言い方が悪かったわね。このままじゃあ、繁縷は数カ月後には肉体的な死を迎えるしかないの」
「だからってーー」
「この子には生得術式が2つ刻まれている」
「はぁ? どう云うことよ、肉体には1つしか……」
釘崎は気がついた。
「魂か?」
「ええ。私も同じ考え。肉体に元々あった術式と、同化の際、なんらかの原因で魂に刻まれた術式……その2つが生得術式となったのなら」
「聞いた話じゃ、羂索は虎杖香の術式も使ったって言ってたよな……」
魂か肉体か、虎杖香のどちらかを呪物化し、取り込むことで反重力機構と呪霊操術を両立させていたのなら辻褄が合う。
「この子の生得術式の1つはーー」
それを歌姫の口から聞いて釘崎は手を離した。
「……そういうことかよ」
「馬鹿げた感傷にすぎないことは自覚しいるし、理由のひとつにすぎない」
「私は私のために、この子にしてられる事をするだけよ。さっきの話はカンケー無いから」
「ありがとう。感謝するわ」
釘崎は少女の手をを開くと、自らの呪力を指先に集中させ、トンと叩いた。
その日から釘崎は、日が暮れるまで毎日少女に術を施した。
高専に出席するにも任務に出ることもまだ難しい。
時間なら幾らでもあった。
2月が終り、3月が去り、4月の初め。
桜の季節に成った時、魂の解れていた糸がようやく釘崎にも見えてきた。
術式と呪力の世界の輪郭に触れる。
「……蒭霊呪法、共鳴りーー」
(魂の形はこれで術式の形に沿ったはず……)
釘崎は小さな手を握る。
「後はアナタの意志。ここに戻りたかったら戻りなさい」
魂に呼びかけるように言って、釘崎は制服を着る。
「……ありがとう…ございます……」
少女の目が動く。
黒かった髪は魂を呼ぶ内に銀と青に変わっていた。
「勝手にアンタが助かっただけよ。また来るわ」
釘崎は輝沙にはらりと手を振った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(この命は釘崎さんが助けてくれた。でも呪術師になったのは私の意思ですーー)
輝沙は刀を構え、リチャードを牽制しながら、箭島の襟首を掴む。
(呪霊との呪い合い必要なものは平常心。術者との呪い合いに必要なものは狡猾さ)
呪術師になるにあたって、釘崎に教えられた事を輝沙は思い出す。
術式には大まか3通り存在する。
①自らの呪力を別の形に利用するもの。
式神を使役したり、呪力によって生じる物理現象を操る。凡そ八割がこのタイプ。
②設定された手順を満たす事で発動するもの。
蒭霊呪法や、領域がセットになった術式がこれにあたる。
数は少ないが、基本的には手順を満たされた時点で勝敗に直結するほど決定力のあるものも存在する。
③理不尽。
かなり稀にある術式だが、簡易領域による中和や、呪術戦に置ける奥義、領域展開さえ関係なく理不尽に発動できるタイプ。
これに関しては対策も不可能だが、ほぼ確実に言えることとして、攻撃力は持っていない。
(相手の術式がどのタイプでも、どんな相手の行動にも、ポーカーフェイスたれ)
リチャードはシャツと腰のベルトを手に握る。
「術式解放(リリース)」
一瞬にして全裸になった男は、全身の筋肉を集合住宅の通路でさらけ出す。
「変態だぁあ!!」
(先に口に出してくれて有難うございます)
顔には出さず、輝沙は箭島に心のなかでお礼をして、両手で刀を握る。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
「ぅわぁ…!な、なんだよこれーー」
リチャードが掌を握った瞬間、箭島の体が宙に浮く。
(浮かせる術式。しかも理不尽なタイプ……でもリチャードの目的は誘拐なら殺す事はしないはずです)
「捨てましたか。場数は踏んでいるようですね」
リチャードはぐっと拳を握り、跳躍する。
(っ……刀が浮くーー)
手を離した輝沙に、リチャードの拳が迫る。
「シン・影流、簡易領域っ」
輝沙は居合の構えをとり、結界を張り、自らの生得術式を発動させる。
「精錬鐵術(せいれんてつじゅつ)」
浮かんだ刀が砂鉄に変わる。
自らの呪力を、鉄に変えて操る。それが輝沙の術式のひとつ。
「針鼠」
簡易領域に触れた途端、砂鉄の棘がリチャードの腕を切り裂いた。
「うわぁあ!」
落ちる箭島を肩に抱いて、輝沙は住宅から飛び降りた。
(浮かない。やっぱり重量制限があるみたいですね)
そしてそれは服を脱いだ事から推察すると……。
「逃さないよ。安心です」
リチャードは通路から身を乗り出すと空に浮かぶ。
(自分自身の体重で当たりです)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
並の呪術師なら、近代兵器の敵ではない。
「並みでない事を知ってきたってことは……」
暗殺者達が自ら乗ってきたワゴンを奪い、釘崎は西宮に電話をしながら、車を走らせる。
『そいつ等の身元だけど、民間軍事会社の傭兵みたい。観光ビザで入国してるし、釘崎の事は知らされてなかったんじゃない?』
「そんな事ある?」
『……日本国内へ武器の持ち込みなんていう怪しいまね普通は取らない。呪術師だけを派遣した方がバレにくいし、リスクは低いし、私ならそうするけど』
「無関係って事か……なら何だよこいつ等」
『合法的に武器を国内に持ち込める外国の組織が日本にもある』
「米軍か」
『ええ。払い下げになる武器なら、足が付いたとしても末端のせいに出来るし、何より急だったから、独断で動かした可能性もあるわね』
「まあ、いいわ。民間人ね。オッケー、それが判ったら問題ないわ。ありがと西宮先輩さて……もう起きてんだろ?」
スマホを切って、釘崎は助手席に乗せた女に言った。
「所属と名前は?」
「……エリックファースト。ティア・カレノラ」
「ティア。了解。ティア。あんたらのせいで、時間を無駄に食った」
釘崎は電子タバコを吸いながら、ティアに言った。
「民間人なら、こっちの法律で呪術規定に基づいて“協力者”として縛りを結んで欲しいんだけど?」
「何をいうかと思えば……日本人は奥ゆかしさが自慢なんじゃなかったかしら?」
黒人の女はヘラヘラと釘崎を笑う。
「忘れてたわ。呪術規定は呪いを祓う為の縛りだけだった」
電子タバコを仕舞って、釘崎は左手に金槌を握る。
「蒭霊呪法極ノ番……梁刺し」
軽く金槌を振り、釘崎は再び電子タバコを咥え、運転に集中する。
「なんのつもり……」
「あら? 呪われてるみたいね。魂の形が歪んでんぞ」
「な、なにを、何をしたっ゙!!」
頭から下の感覚を無くしたティアは錯乱した様に騒ぎ立てる。
「五月蠅えよ。呪われたって言ってんだろ? 魂の形が肉体とズレてるから、カラダが動かせねぇんだよ」
釘崎はハンドルを切りながら言う。
「お前ら傭兵は死ぬ覚悟ってやつをしてるんだろ。けど呪い殺される覚悟までは出来てねぇ……だから素人なんだよ」
「ッーー」
「ま、でも安心して? 私たち日本人は奥ゆかしいから殺生ないよ♡」
その言葉にティアは青ざめる。
ようやく気がついた。自分以外の仲間も、殺されないまま拘束された。いや、魂とやらを歪められ、肉体の自由を奪われたのだ。
殺さない。殺されないまま……呪われ、一生不自由を強いられる。
「待て! さっきの……縛りを受け入れるっ!」
「はあ? なになに? さっきは鼻で笑ってたじゃないの?」
釘崎は片手を車窓から出す。
「お願いします縛りを結ばせてくだい。だろ? 舐めてんのか?」
協力関係の中の上下関係を。釘崎は静かに言った。