深い深い闇の中、くつくつと笑う声がする。
「お集まりいただきありがとうございます。それでは……始めましょう。我らゲマトリアの、定例会を」
伝説の裏に、密かに暗躍する影。ひび割れた頭のスーツの男が一礼すると、まばらな拍手をもって返答が返される。
交わされた問答、やりとりは至極以て暗躍するものたちに特有のもの。『進捗は?』と問われた座に着いた者たちは、頷いて返す。
「そろそろ私の芸術は完成を見るだろう」
彫像の芸術家はそう言ってカラコロと身体を鳴らし。
「我々の研究は常通り。スランピアの存在も安定し、いよいよもって進むところへと進みそうです」
「そういうこった!」
顔のない紳士と顔だけの絵画は成功を語り。
「こちらは……悔しいですが、不調と言わざるを得ません。あの存在がこちらにとって極めて不都合なだけではなく……教団の教祖とやらが邪魔すぎる!」
女は怒りに身を震わせながらただひとり不調を語らねばならぬ不幸を晴らすように、扇子を手のひらに打ち付けた。
眉を顰めるものもあれば、彼女の怒りに思うところがあるものも無論いる。
「ふむ……血の教祖、朝君アミ。アレも分からない存在です……外の世界より来た我々だからこそわかる、異常な神秘。神や信仰されるべきものの名を持たずして神秘たる、謎の存在」
「黒服、あなたはあの女に興味が?」
「……ないと言えば、嘘になりますが」
「ならば、協力してください。あの女がどうなろうが私にとっては良いのです、ただ排除されればそれで……それで私は神になれる」
しかし、と黒服と呼ばれたひび割れた顔面から蒼い光を漏らす、スーツを着込んだソレは続けようとして、やめた。それは自重したのでは無い。強いて言うなら、その現象に驚いたのだ。
「……マダム、それは?」
「『狂い火』。そう言うそうです……今日ここに来たのは、私に与するとあるモノの紹介の場とするためでもあるのですよ、黒服」
女の目が、黄色く光ったように見えたのだ。そして、暗闇の奥深くから、その中心に暗く昏い黒を宿した、黄黒の炎を頭の代わりと成した、ローブに身を包んだソレが姿を現す。
ソレは、言葉を発することなくその場で慇懃に一礼して、マダム……ベアトリーチェの傍にいた。
「『狂い火』……?」
「遍くを灼き溶かす混沌の灯火、だそうです。分け隔てなく融かし、混ざり合い、崇高なる神になる。それが狂い火なのだと」
「まさか……いえ、マダムがそれを選ぶのであれば、お止めはしませんが、私個人としてはやはり、おぞましいという言葉でしか表現できませんね」
ソレが、身動ぎして、ベアトリーチェの肩を軽く叩く。
ベアトリーチェは、それを『自己紹介をしてくれ』とでも受け取ったか、おっと、と言いながら。
「そう、忘れていました。彼こそは『狂い火の王』……とある世界において神を殺し、世界を灼き融かし、新たなる狂い火の律で世界を変えた……正しく、神の写し身とでも言うべきものです」
その言葉は、酷く重く、集まった影たち……ゲマトリアの面々に響いたのであった。
会議初日は粛々と終わりを告げ、アミの宣言……モーグウィン派の設立と、サンクトゥス派の復活は受け入れられた。というか、そうせざるを得なかった。全体として、問題が起きればアミに正式に追及をかければ良い状態にできるのならそれはそれで良かったから、というのも理由に大きく加味される。
残りの理由として、アミを取り込めない場合はセイアの予言は成就しかねない、という共通認識があったこともあろう。
エデン条約とトリニティ、その未来図の話を受けたナギサの、一度各所で考えをまとめた上明日再度集合しよう、という声に異存は上がることなく、会議は二日目に突入していた。
そんな大事な日の、早朝である。
「夢を見た」
率直に、そうセイアが告げる。訪れたアミに、酷く焦った様子で。
「夢……詳しく聞かせてください」
「ゲマトリアと名乗るものたちの会合だ……」
「内容とかはどうでもいいです。私に聞かせなきゃならないとこだけくれませんか、セイアさん」
「……はぁ。相変わらず君は……まあいい。マダム、ベアトリーチェなる者が君を邪魔だと言っていた。君に邪魔されてから、新たな協力者を迎え入れたともね」
その言葉にアミは軽く眉根を寄せた。マダム。その言葉をアミは聞いたことがあった。
「捕らえたアリウス生が言っていましたねぇ。今更戻ったところでマダムに殺される……でしたか? 今は教団で保護させていますがもう少し細かく聞きたいですね……今わかるのはベアトリーチェとやらがアリウスの実権を握る支配者ということだけですね」
「なるほど。そうなれば君が邪魔、というのは……」
アミはまあ……と考えを巡らせるように視線を宙に舞わせてから、二三の思い付きを口にする。
「ミカさんの蜂起の折、相当数の戦力を捕縛した上で止めましたし、それでしょうか。私を排除できるのか、私込みのトリニティを超える算段がついたのかはわかりませんが……その新たな協力者については?」
セイアはその言葉に頷いて、ベアトリーチェの協力者として現れた男の話を始める。
「黄色の炎の中心に黒い炎を宿し、それを頭としたような異形だ。確か……なんと紹介されていたかな」
「……『狂い火の王』?」
「あぁそうだ、『狂い火の王』……待て、なぜアミ。君がそれを知っている?」
セイアが驚きにアミの顔を見る。アミは、その笑みの絶えぬ傾国の美女たる所以を戦慄かせ、恐れていた。
「……正気じゃありません! キヴォトスがどうなろうが知ったことでは無い、とでも言うつもりですかそのマダムとやらは!?」
「待て、狂い火とはなんだ! 君は何を知っている!?」
アミに追及をかけようとしたセイアを、アミは立ち上がることで制止させて。
「事は重大です。……セイアさん、私は至急やらなければならないことがあります! サンクトゥスの伝令をお借りします!!」
「件のことは話してくれるんだろうね?」
「もちろんです! ただ今は! 今だけはトリニティだけでこの情報を抱えるべきではありません! 端的に言ってキヴォトス滅亡の危機です!! 最低限、先生には話を回さなくてはなりません!! 対策にも先生のお力が必要です! なんて、なんてものをキヴォトスに呼び込んだのですか……!」
かくして、至急の要件のため招集を早める、即座に集まるようにとの伝言を手に飛び出して行った連絡員たちを後目にアミは先生へ直接電話をかけた。ツーコールで電話に出た先生。
「おはようございます」
『おはよう。珍しいねアミが電話なん……』
「申し訳ありませんが、歓談に興じる時間すらありません。至急、大至急トリニティにお越しいただけますか!?」
通話先の先生は沈黙し、それから、真剣な声音になった。
『今トリニティの補習授業部の部室にいる。どこへ向かえばいいかな』
「お迎えに上がります。即座に」
『……即座に?』
アミは、外に出ていた。胸元のポケットから小さなビンを取り出すと、即座に叩き割り……
「血は示す。道先を、進むべき宿命を、御身に至る道筋を……道筋は、補習授業部の部室の、レイが作ったマーキング……あの子ほんと優秀ですね。褒めてあげましょう……では!」
足元に僅かな血を零しただけのはずのビンが、やはり一瞬で血溜まりを生み出す。そして、その血溜まりに潜りこむと……
「失礼しますね」
「うぉあぁぁぁっ!!?」
「えなにっ!? なに!!!?」
「……あら? アミさん」
補習授業部の面々と先生の前にその姿を現していた。
「……今明らかに地面から生えてきましたよね!?」
「気にしない方がいいですよヒフミさん。この世には知らない方がいいことだってあるんです……先生。お迎えに上がりました。行きましょうか。……そうだ、ハナコさん」
「はい? なんでしょう、アミさん」
アミはハナコに頭を下げる。誰もがそれを驚きの目で見つめた。
「あなたの知識が必要です。あなたが政治とか派閥とかそういうのが嫌いなのは重々承知の上で、トリニティのためではなく、ただここにいる皆さんを守るためにあなたの力をお借りしたい」
ハナコは、僅かに逡巡することもなかった。行くつもりか、と自分のひねくれた心が笑う。縮こまった過去がお前は今更戻るのかと問う。それらをハナコは一瞬の時間もなく一蹴した。
知ったことでは無い。この目の前の、大切な人たちを守るために。
「大変、不本意ではありますが。お付き合いしますよ」
「……変わりましたねぇ。以前のあなたとは」
「えぇ。今なら分かります。私にとっての補習授業部のみんなは……あなたにとっての、『神』と同じ。そこになくては私でなくなるものですから」
アミの頭を手を取って上げさせたハナコはそう微笑んで。
アミは頷いてその手を引いた。
「それでは、おふたりをお借りします。御礼はまた後々ヒフミさんあてにお送りしておきますね」
「なぜ毎回私宛なんですかぁ……」
「ナギサさん経由で発送しているからです」
「そういうことでしたか……」
微妙な真実が判明してしまらなくなった空気を振り払い、アミは再び血の沼にその身を、2人の手を握ったまま沈めていった。
そんな訳で無理やり招集された話し合いの場に集まったのは先日のメンツに加え、サンクトゥス派の客人ということで招聘されたハナコ。それに、シャーレ代表の先生。そして。
「申し訳ないけれど桐藤さん……私は本当にここにいていいのかしら。さすがに気まずいのだけれど……?」
アミが飛び込んできたと思ったらもう一度出ていき、訝しんでいた面々の前にアミとともに姿を現した最後のピース。
ゲヘナ風紀委員会委員長、空崎ヒナであった。
「重要なことです……トリニティ内部で収めたかったのですが、アミさんが必ず、絶対に空崎さんの力も借りられるなら借りたい、呼ぶことが必要だとおっしゃるので…… 」
「……ゲヘナの風紀委員会の代表。なぜ彼女を呼ぶことが必要だったのですか、朝君アミ……」
殺気立つようなハスミをアミは真っ直ぐに見据えた。
「お話しましょう。『狂い火』と、その王がこのキヴォトスにいることがわかりました……セイアさんを経由してですが。『神』……『三本指』と言いますが、『三本指』の存在はまだ確認されていません。ですが、王がいる以上は居ても不思議ではありません」
先生がそこで躊躇いなく発言する。
「うん、分かりやすくしよう。ひとつ聞こうかな、アミ……『狂い火』を放置するとどうなる?」
「世界が焼き溶け、混沌に沈む……分かりやすく言えば、滅亡します」
アミは断言し、円卓に重苦しい空気が満ちる。
未来は如何様にも書き換わる……それは、決して良い方向だけでは無い。