「……よくお越しくださいましたね」
桐藤ナギサは目の前の客に一瞬言葉を失いかけた。
赤と黒の司祭服を悠然と扉の閉まる気流にはためかせたその女は、確かに君臨する者としての『威風』を纏い、その場に現れ、政治慣れしているナギサの心をも一瞬ながら震わせたのだ。
「えぇ。お招きくださり、光栄です」
澄んだ声が広がり、彼女はその場にてやや腰をかがめた。
凝ったデザインの司祭服……ナギサはなぜかそのデザインを見て『魔王』などと表現したくなったが……での礼は、よく様になっていた。
「わざわざ『朝早くから』『このような辺境で』申し訳ありません」
「ふふ……メッセージがきちんと届いたようで安心しましたよ。さて話しましょうか、ホスト代理」
「どうか、遠慮せずナギサと呼んでくださると」
「これは失礼しました。私も、アミで構いません……ナギサさん。百合園セイアさんの件で、聖園さんを絡めずお伝えしなくてはならないこと、というメッセージ。確かに伝わっていることと思います」
桐藤ナギサと、朝君アミの密会は、ティーパーティーの茶会当日、朝4:00から行われていた。ナギサが転々とするセーフハウスのうちのひとつ。もう老朽化のため建て替えを視野に入れていたそのセーフハウスならば、アミに知られようが知ったことでは無いと考えたのだ。
「えぇ、伝わっています。……なにを、というところまでは聞いていませんが」
「単刀直入に申し上げます。……百合園セイアさんの襲撃の前、私はあの場所でセイアさんとお会いし、そして『今後について』の幾ばくかのことを伝えられました」
「……は?」
腹芸を嫌うその性質から、実に直球にアミがブン投げたストレートがナギサに突き刺さる。ナギサというキャッチャーは、ナギサらしくもなくそれを受け止め切れずボールを取り落とした。
セイアと会っていた、そして今後について。つまり、セイアは自身に訪れる未来を予見していたにもかかわらずそれを回避せず、ティーパーティーの自分たちを差し置いて異端の宗教の教祖、更に特級の危険人物でもある彼女を信じたということか。
そんなことが有り得るか? という思考がナギサに過ぎる。つまり、『嘘』の可能性だ。この思考が過ぎった時点で、ナギサはこの会談の意味が失われゆくのを感じた。どう相手が出ようと、こちらの打つ手を変える必要が無いことを半ば確信し……
「セイアさんから手紙を預かっています」
「…………え? な、なんと……?」
半ばは半ばでしか無かったと思い知らされることになる。
長々とした文、末尾に押された印、代々サンクトゥスのトップしか使わないサンクトゥスの証印透かしの入った紙……これでもかとばかり、百合園セイアのものであると証明がなされているそれ。
あまりにも長々と認めすぎて四枚を超えたそれは、意訳すれば。
『私は死ぬ未来を予見した。回避は不可能に近い』
『エデン条約にあたっては排斥よりも共存を旨とするように』
『けれど融和はしてはいけない、あくまで仕切りを設けるんだ』
『混ざり合わず、されど共にある……ナギサ、君になら出来る』
『アミにこの手紙を持たせた意味はさすがにもう分かってるだろ?』
紙4枚を使って言いたいであろうことがわずか数行前後に纏まってしまったことに諸氏が若干の憐憫を抱くであろうことは想像に固くないが、しかしこんなもんなのだ。百合園セイアという女は、大回りで、直球が苦手で、皮肉屋で、その割に悪い人付き合いというものはトリニティの上層部であるからすることが無く、それ故に気遣いが要所に散っていて……つまり、本人の性質も、手紙を読み解くのも極めてめんどくさいのだ。
「……わ、かりました。とりあえず、今後のことについて……ですね?」
「そうです。ひとまずは……そうですねぇ」
アミは笑いながら、こう告げた。
「補習授業部と先生はこのまま招聘した方がよろしいかと」
ナギサの心臓は瞬間止まりかけた。補習授業部。その発想は、ティーパーティーの内でも、一切口にしていないような特級の一手として秘められた、ナギサの切り札に近い技だった。
「なっ……なぜ、あなたがそれを!?」
「ふふ……お忘れですかナギサ様。私は、『血の教祖』ですよ。情報網も、人よりも遥かに特殊で広範です」
「……これは、本当に今のうちにアミさんと話せて良かった、と思うこととします。セイアさんの『未来視』と同じか、それ以上に『大変な物』をお持ちでしたか」
アミの神秘が、血の教祖となったことにより変貌したことで獲得した、本来の意味での奇跡の力。それが、『血を読む力』である。
アミは自身の祝福を与えた者の血を経由して、情報を獲得する。
それは、虫であろうと同じ……アミは自分の尊厳のために言うつもりは無いが、このトリニティ全土の吸血生物という吸血生物に『呪血の儀式』と呼ばれるものを信徒たちにも協力させながら行い、ようやっと数匹生み出せた『祝福されし蚊』という小さな血を吸う以外はほぼ無害、あるいは邪魔なだけの虫の住処を各所に築き、小さな小さな偵察兵として用いていた。
信者を用いた『噂話のネットワーク』をきっかけにして、詳細な検索をかける際に用いるのが蚊たちの『血のネットワーク』であった。
それを知ることが出来るものはないので、これを知るのは諸氏とアミだけである。
「ふふ……まあ、とにかくセイアさん曰く『先生を頼らなければ最悪は最悪を極めることになる、それは回避したい』とのことでして。先生を呼び寄せるために、生徒の未来を奪うぞと脅しをかけるのはなんだか複雑なようですが致し方ないこととしましょう」
「……そうです、ね。えぇ、補習授業部はこのまま設立の方向で向かいます」
そうして、話は『なぜミカを外したのか』という部分に至る。
「思えば、なぜミカさんを外させたのですか?」
「……心苦しいお話ではありますが、私個人の意見として聞いてください。そして、確実なお話では無いことも」
まだ探っている最中です、ともアミが前置きをしてから。
「聖園ミカさんは、ゲヘナでもトリニティでもない、第三の勢力の旗頭の可能性があります。本質的に、トリニティサイドではない可能性がある人の前で機密の話はできなかったんです」
もうナギサの心は半ば限界だった。セイアの最後の意志を受け取り、自分の奥の手は既にアミに読み切られて、頼りになる親友はトリニティでもゲヘナでもない第三の勢力の旗頭……つまり、裏切っている可能性がある、など。
「そ、それは……なにを、根拠に……?」
「我々『血炎教団』の活動は大変! 極めて! 不本意ながら!! はあ……失礼。深夜に行わざるを得ないのですが……敬虔なる私の信徒たちから、最近『身体をできるだけ隠した、大きな翼持つ生徒』が見知らぬ白のコートを羽織った人物と会うのを見た、という話を聞きました」
「それだけでは……ミカさんと特定するには弱いですよね?」
えぇ、とアミは頷いてから、司祭服の胸元に手を差し込んだ。そして、テーブルの上にそれを置いてみせる……小さな、アクセサリーを。
「その生徒の通ったあとを調べさせてみたところ、こんなものが」
「……ミカさんの、羽根の、アクセサリー……? そんな、しかし、それでは……!」
「ナギサ様……いえ、ナギサ。落ち着いてください、ナギサ!」
ぐらぐらと自身が無意識に作ってきた幼なじみへの信頼の城塞が、自分が頑張るために作った足場が基礎の土台から崩れるのを感じているかのように揺れるナギサの身体を、アミは即座に立ち上がってそばまで行って支えた。
「アミさん……すいません、すいません……ありがとうございます。申し訳ありません……」
「いえ。どうしようもないことです……」
それは何に対する感謝かも謝罪かもハッキリしない混乱と絶望の中にあるが故の呻き。それを見るのは、アミにとっては幾度目かも分からない、慣れたものだった。教祖とは、すなわち依存させる者である。絶望と混乱に、神という救いを垂らしてやることも『布教』ではあるのだ。
「あなたに出来ることを、出来るままにやる他ありません。現在の勢力をまとめましょう」
だがアミは布教には至らない。ナギサには厳しめの言葉をかけてから、ナギサが用意していたホワイトボードに付属のペンで書き付けていく。
正義実現委員会、シスターフッド、血炎教団を『トリニティ』の括りでまとめるのを、ナギサが咎める。
「救護騎士団が抜けているようですが……」
「お聞き及びのとおり、現在蒼森ミネは失踪中でどこにいるか不明……頭のない救護騎士団は治すだけ、無害に近い。蒼森ミネが戻れば考えもしますが、今は忘れていいですね」
「そうですか……そうでしたね」
嘘である。ミネが失踪しているのは事実だが、アミはミネがどこにいるかだいたい察しがついていた。トリニティの外縁側の地下には救護騎士団が保有する、代々謀略によって狙われてきたティーパーティーたちを保護するための場所があることを、アミは蚊から知った。
まあ十中八九はそこだろうしセイアもそこに居るだろうな、などと当たりをつけていたのだが、とりあえずしらは切っておくものであった。
さらに、ゲヘナと書いてからその下に風紀委員会、万魔殿と書き、その間に風紀委員会に向かう矢印を書いて、ハラスメントと書き添える。
風紀委員会の下には、空崎ヒナと記した。
「ゲヘナの内部構造はテロリストたちと風紀委員会と万魔殿の3つに分かれているのはご存知の通りと思います。どうやら、万魔殿の議長殿は風紀委員会の委員長、ゲヘナ特記戦力の空崎ヒナに対して良からぬ感情をお持ちのようで、ヒナさんに対する嫌がらせが絶えないのだとか」
「ちなみに、その情報の信憑性は?」
「ゲヘナからトリニティに転校してきたとんでもない変わり者の証言です。多少は信頼してやってもいいと思います」
なお、その変わり者はゲヘナのえげつなさに心が折れて平和なトリニティに転校をし、そしてその先で陰湿なトリニティ仕草に心をまた折られたところでアミにひっかかって敬虔なる信徒になっていたりする。
どうもアミは人を依存させるのが得意なようだった。
「それで、ですが……こちらのゲヘナについては、処置の必要はほぼないと思います。強いて言うならテロリスト共が散発的に活動するでしょうから、こちら側にも来るようであれば正義実現委員会には頑張ってもらわねばなりませんが」
「まあそれはいつものことに分類されますね。それでは……その、ミカさんのところは?」
「それが最大の懸念です。トリニティに裏切り者が複数いるのか、それとも単一なのかは分からないので補習授業部は建てるべきですが、明確にその懸念が強いのはミカさんでしょう」
ナギサは頷いた。あくまでまだ噂だけだが、もし仮にミカが旗頭に立つようなことがあれば、その勢力は大いに脅威になり得る。ミカ自身が特級の戦力とカリスマを保有している上、トリニティは現在特級の戦力のうちひとつを失踪によって喪失している。
正義実現委員会の委員長、剣先ツルギがトリニティにはいるけれども、残りの勢力の大きさ次第では不足する可能性もあった。
なにより、後出しジャンケンにならざるを得ない裏切りという行為は、処置するのが極めて難しいのだ。剣先ツルギを初手から特級の戦力に当てるのは、ほぼ不可能である。
「警戒はさせたくない……となれば、本当に裏切るつもりじゃなきゃ引っかからない罠、ですかねぇ」
「そんなことが出来……いえ、出来ますね。なるほど」
「さすがに理解が早い。それでは詳細を詰めましょう……」
裏切り者が何人いるか、よりも、どう対処するか、に重きを置き、2人は話し合いを開始した。
数時間後。
『お入りください』
「こんにちは、ティーパーティーの皆様」
「やっほー! 聖園ミカだよ☆」
「桐藤ナギサです。この度は私たちの茶会への招待にお答えいただき、ありがとうございます」
「改めた場ではお初ですね。異端たる我々とあなた方との交わる機会はないのが当然のことですから、名乗らせていただきます。血炎教団というところで長の座を頂いております。朝君アミと申します」
お初、などとナギサにしか分からない大嘘をぶっこきながら、アミは黒基調の普通の制服に身を包み、茶会の場に現れたのだった。
ミカだけではない、辺りを守る儀仗兵たちの強い視線をなんの痛痒とも思わずに、泰然自若として歩み、ナギサが席を促した先の席に腰を下ろす。
ナギサが紅茶に口をつけたのを確認してから、一口嗜み、銘柄と何年物かをさらりと述べ、その希少性と美味に感謝を告げるその様は、アミが極めて高い教養を有していることを示していた。
「良い紅茶を頂いたところで、ゆるゆると本題に入りましょうか」
アミはそう告げるなり、2人に資料を渡す。資料の頭には、『エデン条約の遂行とそれに伴う不安要素』と記されており、ミカはそれにぶふっと噴き出した。
「あの……あのね? 少なくとも、一番の危険で不安な要素が貴女たちなの自覚あるの? アミちゃんさあ!」
「……? なんのことですかね? 想定される不具合はそっちにまとめてるんですけどね」
しらは、まだ切り得であった。強い視線が、また一段と強くなった。
アミはからころと鈴を転がすように笑ってから、真剣な瞳を見せ話し合いにとりかかるのであった。
・朝君アミの性質
他人と被らない情報網と、本人の切れ者という性質が合わさって極めて上層部適性が高い。正義実現委員会の副委員長は、渉外役に彼女を置けたのなら部費がもう半分は増える、と言って憚らないが、今の様子を見る度に口を噤む。
アミちゃん視点いるゥ?