君の痴態が忘れられないんだ。   作:雅鳳飛恋

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第42話 両腕

 コーヒーショップを後にした三人は水族館に向かっていた。徒歩で十五分ほどの道のりだ。

 

「この辺は風があって気持ちいいね」

 

 紫苑は風で靡く髪を左手で抑える。

 

 街中はあまり風がなくて蒸し暑かったが、海沿いの道は潮風が吹いていて心地よい。

 

「それより何故くっつく?」

「え、駄目?」

 

 紫苑は自分の右腕を実親の左腕に絡めてぴったりとくっついている。

 彼女の豊満な胸の感触に大歓喜している左腕だが、そもそも何故くっつくのか謎だったので実親は尋ねた。

 

 しかしまさかの疑問形で答えが返ってきた。

 紫苑は首を傾げながら実親の瞳を見つめている。

 

「駄目ではない。寧ろありがとう」

「ふふ、相変わらず正直すぎ」

 

 美少女に胸を押し付けられて嫌な男など存在するのだろうか?

 少なくとも実親が嫌がることはない。

 

「……本当に二人は付き合ってないの?」

 

 どこからどう見ても恋人同士がイチャついているようにしか思えず、伊吹は改めて確認せずにはいられなかった。

 

「うん。付き合ってないよ」

 

 紫苑が頷く。

 

「それが二人の距離感なんだね」

「そうなるかな?」

 

 伊吹は紫苑が実親の家に頻繁に泊まっていることを知らない。

 二人は一緒に寝ているからか感覚が麻痺して距離感がバグっている。特に紫苑が。

 

「黛の右腕空いてるし伊吹もどう?」

「ええ!?」

 

 突然の提案に伊吹は素っ頓狂な声を上げる。

 

「俺の意思が介在する余地はないのか……?」

 

 何故か当人を無視して進められる話に実親は思わず口を挟んでしまう。

 

「嫌なの?」

「そんなことはないと断言する。だが、そもそも何故そういう話になるんだ?」

「そうだよ」

 

 紫苑の問いに実親は間髪入れずに答えた。

 伊吹のようなスーパーモデルにも劣らないスタイルを誇る女性に腕を組まれて不快に感じることなどあろうものか。

 流石に赤の他人なら勘弁願いたいが、伊吹は親しい異性の友人だ。不快な訳がない。

 

 しかし話の発端である紫苑の提案が脈絡なさ過ぎる。

 理由を問いたくなるのは無理もない。

 

 実親の問いに伊吹も相槌を打っているので彼女も同じ気持ちのようだ。

 

「何故って……そこに右腕があるから?」

「答えになってないだろ……」

 

 イギリスの登山家ジョージ・マロリーが残した、「なぜ、山にのぼるのか。そこに、山があるからだ」を想起させる返答に実親は肩を竦めてしまう。

 

「まあまあ、折角だし腕組んじゃいなよ。黛も満更じゃないようだし」

「そんなこと言われても……」

 

 案の定伊吹は困り顔になり、視線は実親の顔と右腕、紫苑の顔の三カ所を行ったり来たりしている。どうするべきか懸命に思考を巡らせていた。

 

 伊吹は別に実親と腕を組むのが嫌な訳ではない。

 実親には好感を抱いているし、好きか嫌いかで言えば好きだ。勿論恋愛的な意味ではない。友人として、人としての好きだ。

 

(経験ないから好きとか良くわからないんだけどね……)

 

 伊吹は胸中で自虐をかます。

 彼女の場合は高跳び一筋だったので恋愛をする暇などなかった。

 恋愛はしたくてするものではないが、高跳びに全てを捧げていたので異性を意識することもなく、恋に落ちることもなかった。

 強いて言えな高跳びが想い人――人ではないが――だ。

 より高いバーを飛び越えることに夢中な日々だった。まるで恋焦がれる少女のように。

 

 なので彼女は恋愛的な意味で人を好きになったことはないと思っている。

 だが、経験がない故に恋愛的な意味での好きか、友人としての好きか、人としての好きなのかの区別がついていないだけなのかもしれない。

 

「あまり椎葉を困らせるなよ」

 

 視線を彷徨わせて困惑している伊吹のことを見かねた実親が苦言を呈す。

 

「困らせるつもりはなかったんだけどなー」

 

 そう言うと紫苑は両腕で実親の左腕に甘えるようにしがみつく。

 先程までよりも一層密着することになり、彼女のお胸様に左腕が挟まれた。

 

 誘惑しているのかわからない彼女の態度に実親は溜息を吐きたくなる。

 油断すると脳裏に刻み込まれた彼女の痴態がフラッシュバックしてしまう。こんなところで下半身を元気にさせたくないというのが彼の心情だ。

 

 故に忠告も兼ねて「反省しているのか?」と口にしようとしたが、その前に伊吹が口を開いた。

 

「じ、じゃあお言葉に甘えて……」

 

 緊張しているのかおずおずと左手を伸ばして遠慮がちに実親の右腕に絡める。

 

 伊吹としても男子と腕を組んで歩くことに憧れがない訳ではなかった。

 いくら高跳び一筋とはいえ色恋に興味がないと言ったら嘘になる。

 故に紫苑の言う通り折角の機会なので、好感を抱いている実親相手なら良いと思って腕を組んだ。

 

 平均よりも大分背の高い伊吹には、自分よりも高身長の実親は優良物件だった。

 高跳びをする上で身長は高い方が良いので不満はない。寧ろもっと背が伸びてほしいと思うくらいだ。

 

 しかし女子としては複雑な面もある。

 何故なら男子よりも背が高いからだ。

 

 勿論実親のように伊吹より背の高い男子もいる。

 立誠高校の場合はスポーツ強豪校なので高身長の男子は多い方だ。バスケットボール部やバレーボール部を筆頭に。

 

 それでもやはり背の高い女子は恋愛対象から除外されてしまうことが多い。

 伊吹はモテたい訳ではないので除外されても不満などないが、一般的な日本人女性の身長が羨ましいと思う時はどうしたってある。

 小さいと可愛いと思うし、何より着るものに困らない。

 

 女性で百八十センチ近い身長だとあまり服が売っていないのだ。海外なら別かもしれないが、ここは日本だ。どうしてもサイズがない。

 仮にあっても可愛くなかったり、欲しいものではなかったりする。でも妥協してまで買いたくはない。

 レディースの服よりメンズの服の方がサイズが合うのも女子としては複雑な気分になる。

 

 話が逸れたが、伊吹にとって実親は魅力的な男子だった。

 自分より背が高く、イケメンであり、性格も良い。そして学業も優秀だ。

 大人のように落ち着いた雰囲気も居心地がよい。

 男子と腕を組んで歩くという乙女のささやかな願望を叶える為にはピッタリな相手であった。

 

「両手に花だね」

 

 紫苑が扇情的な表情で囁く。

 

 左腕にはグラビアアイドルにも負けない豊満で凹凸の激しい身体つきをした美少女を、右腕には世界的なスーパーモデルにも引けを取らないスレンダーな麗人を侍らせる形になった実親は周囲の注目を集めていた。

 

「まあ役得だな」

 

 実親は男なら誰もが羨む状況を素直に甘受する。

 

「は、恥ずかしい……」

 

 伊吹は顔を真っ赤に染めていたが、薄く化粧しているお陰であまり目立っていなかった。尤も真っ赤な耳は丸見えだが。

 それでも腕を離さないので意外と満更ではないのかもしれない。

 

 周囲には「あの三人はどういう関係!?」と興味深々な視線を向ける女性、「う、羨ましい……!」と血の涙を流す男性、「イケメンに美女二人……なんだあの組み合わせは……」と驚嘆するサーファー、羨望の眼差しを向ける彼氏の脇腹を抓って「二股したいの?」と怒気を込めながら詰め寄る彼女、「あらあら、まあまあ」と見守るような温かい眼差しを向ける老婦人、「あの若者やるのう」と感心している老紳士などの姿が散見していた。

 

 三人は様々な視線を浴びながら水族館までの道のりを歩むことになった。

 周囲の視線を完全にないものとして扱い自分達の世界を形成している実親と紫苑は流石だ。

 しかし伊吹は視線が気になって終始恥ずかしがっており、「椎葉は初々しくて可愛いな」と実親は思っていた。

 

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