君の痴態が忘れられないんだ。   作:雅鳳飛恋

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第50話 ラブホテル

 時を遡ること数日。

 三人で水族館に行った日から数日後のこと。

 この日も実親の家に泊まりに来ていた紫苑はリビングで寛いでいた。

 ソファに身を預けながらテレビを観ている紫苑に、書斎から出て来た実親が声を掛ける。

 

「椎葉の出番は六日だったよな?」

「うん。そう聞いてる」

 

 言葉足らずの問いだったが、紫苑には確りと意味が伝わったようで、テレビから視線を逸らして首肯した。

 

 実親が紫苑に質問したのはインターハイの日程についてだ。

 インターハイ自体は八月三日から開催されるが、女子高跳びの予選は六日から開始されることになっていた。

 事前に伊吹からスケジュールを聞いていたが、もし勘違いしていたら困るので念の為確認したのだ。

 

「十時からだって」

「そうか」

 

 実親はカウンターチェアに腰を下ろして考え込む。

 

「十時からとなると当日移動は厳しいな」

「飛行機でも電車とバスを乗り継がないといけないから四時間以上掛かるもんね」

 

 新幹線に至っては八時間弱も掛かる。

 十時に間に合わせることを考えると早朝に家を出なくてはならなず現実的ではない。

 

「前日に向こうに行って一泊するか」

「……その分お金掛かるけど」

「そのくらい安いもんだ」

「セレブ的発言……」

「お前の分も出してやるから安心しろ」

「愛してる」

 

 交通費を出してもらうとはいえ、流石に宿泊費まで出してもらうつもりはなかった紫苑は懐事情の心配をして語調が弱まっていた。

 しかし、そのことを理解している実親は初めから彼女の分の宿泊費も出すつもりだったので要らぬ心配であった。

 

 紫苑はソファで土下座をして感謝を示した後、顔を上げて宣言する。

 

「ご奉仕はお任せ下さい!」

「程々にな」

 

 せめてものお返しに出来ることはなんでもするつもりの紫苑は気合満々なご様子だ。

 

「一先ず今日は私が手料理を振舞っちゃうよ!」

 

 夕食の用意をすることが今すぐ出来る恩返しだった。

 尤も、彼女は実親の家に泊まりに来た時は良く手料理を振舞っているので特別なことではない。

 いつも何かしらの形でお礼している。恩恵を受けるだけの存在にはなりたくないからだ。

 その結果、現状の紫苑は最早通い妻と言っても過言ではない状態になっていた。

 

「でも、その前にお風呂洗ってお湯を張るね」

 

 立ち上がった紫苑は浴室へ向かおうとする。

 

「あまり気を遣わなくて良いぞ」

「私がやりたいことだから良いのー」

「なら良いが……」

 

 実親が一生懸命仕事をしているお陰でいつも泊めてもらえていて、今回も交通費を出してもらえるのだと紫苑は理解している。なので実親のことを労いたかったのだ。決して無理をしている訳ではない。

 

「だが、まだ話は終わっていない」

「ほえ?」

 

 すっかりその気になっていた紫苑は気勢を()がれてしまい間の抜けた声を漏らす。

 

「とりあえず座れ」

 

 間抜け面を晒す紫苑は実親に促されるままソファに座り直す。

 ちゃんと座ったのを確認した実親は続きの用件を告げる。

 

「向こうで一泊するとなるホテルに泊まる必要があるが、お前は親に同意書を書いてもらえるのか?」

 

 未成年が宿泊施設を利用する為には法定代理人の同意書が必要だ。

 実親は紫苑の家庭環境を理解しているので、親に協力してもらえるのかが気掛かりだった。

 

「あー」

 

 同意書のことを完全に失念していた紫苑は頬を掻いて視線を天井に向けてしまう。

 

「あの人放任主義だから書いてもらうこと自体は問題ないと思うけど、そもそも会えるかわからないからなー」

 

 放任主義と言いよりは娘に関心がないだけなのだが、そのことは敢えて触れない。

 彼女の母は毎日のように男を自宅に連れ込んでいるが、逆に男の家に泊まることも多々ある。ラブホテルで夜を過ごすことも(しばしば)だ。

 なので家で待っていても確実に会える保証はなかった。

 

「どちらにしろあの人に頼むのはなんか癪で気が乗らない……」

「それは……まあ、そうだな……」

 

 娘のことを(かえり)みない母親に頼み事をするのは複雑な気分だろう。

 その気持ちを察した実親は肩を竦めることしか出来なかった。

 

「父さんに頼んだら絶対反対するだろうし、そもそも物理的に無理だし」

 

 男とホテルに泊まるから同意書を書いて、と未成年の娘に頼まれて首を縦に振る父親など存在するのだろうか?

 公認の仲なら別かもしれないが、どこの誰かもわからない男と外泊することを認めるとは到底思えない。

 仮に了承してくれたとしても旭川にいる父親に頼むのは現実的ではないだろう。

 

 だからと言って嫌がっているのに無理やり母親に同意書を書いてもらえ、などと実親は口が裂けても言えない。なので代替案を提示するしかなかった。尤も、実親がやれと言えば紫苑は素直に言うことを聞くのだが。

 

「なら残された手段は一つだけだな」

「と言うと?」

 

 別の方法があるのかな? と紫苑は首を傾げた。

 母親に頼まなくて済むなのらそれに越したことはないので瞳に期待感が宿る。

 

「ラブホに泊まる」

 

 実親が端的に伝えると紫苑は一瞬目を見開いたが、すぐに元の表情に戻って首を傾げながら疑問を口にする。

 

「ラブホテルって未成年でも利用出来るの?」

 

 ラブホテルを利用したことがない紫苑には見当もつかないことだった。

 

「本来は駄目だが、明らかに未成年だとわかる外見でなければ基本的に年齢確認はされないな」

「ふーん。そうなんだ」

 

 バレなければ問題ないとはいえ、未成年がラブホテルを利用することは法律や条例で禁止されている。

 行為を行わなくても駄目だ。店内に入ること自体認められていない。

 なので良い子はルールを守り、くれぐれも足を踏みえれないようにしよう。

 もしバレたら補導されるだけでは済まず、保護者に連絡されてしまうぞ! その後は家で居心地の悪い思いをすることになってしまうからな!

 お兄さんとの約束だぞ! ――誰だよお前。

 

「バレなきゃ良いだけなら別に良いよ私は」

「……少しは悩んだらどうだ?」

 

 付き合ってもいない男とラブホテルに泊まることをそんな簡単に決めても良いのか? と自分で案を出しておきながら実親は苦言を呈したくなった。

 

「黛なら良いよ。こうして泊めてもらっているのに今更だし」

 

 行為を行っていないとはいえ、一緒に寝ている仲だ。確かに今更である。

 しかしラブホテルは特別な場所だ。雰囲気に飲まれることもある。

 

「それにラブホテルには興味あるから行ってみたい。その相手が黛なら嬉しいし安心かな」

「まあ、お前が良いならそれで構わないが……」

「なんなら()()()が起こっても良いよ?」

 

 男なら誰もが骨抜きにされてしまうような蠱惑的な表情で紫苑が囁く。

 

「それはないから安心しろ」

「つれないなー。寧ろ私は間違いだなんて思わないのに」

 

 しかし残念ながら実親には効果がなく、紫苑は口を尖らせて不満を漏らす。

 本当は我慢して平静を装っているだけなのだが、それは内緒である。

 紫苑の蠱惑的な表情を目にすると、脳裏に焼き付いた彼女の痴態がフラッシュバックしてしまう。なので全く効果がなかった訳ではない。

 

 拗ねていた紫苑がったが、ふと気が付いたことがあり(おもむろ)に呟く。

 

「それにしても黛はラブホテルのこと詳しいんだね」

「そうか?」

「うん。もしかして良く利用するの?」

 

 紫苑は窺うようにジト目を向ける。

 

「そんなことはない」

「ふーん。良く利用するってことは否定しても、利用すること自体は否定しないんだね」

「……」

 

 利用したことがないなら「そんなことはない」とは言わずに、「利用したことはない」と答える筈だと思った紫苑の指摘に図星だった実親は返す言葉が無かった。

 

「正確には利用したことがあるって程度だけどな」

 

 それでも変な勘違いをされるのは困るので訂正はしておかなければならない。

 あくまでも過去に何度か利用したことがあるだけだ。今でも頻繁に利用している訳ではない。

 

「ふーん。まあ、黛も男の子だもんね。それにモテるだろうし」

 

 少しだけ嫉妬していた紫苑の口調にはどこか棘があったが、「でも経験豊富な黛にリードされるのもありでは?」、とマゾっ気な考えを発揮してすぐに気持ちを切り替えた。

 

「それに俺の場合は小説の資料として色々調べるから必然的に知識が蓄積していくんだ」

「あー、なるほど。確かにそれは納得」

 

 小説の内容に矛盾や誤りがないように事前に確りと調べている。故に多少は知識が豊富だった。

 紫苑は得心したように頷いている。

 

「とりあえずこれで話は終わりだ」

「了解」

 

 確認しておかなければならないことは全て済んだので、後は当日を迎えるまで待つだけだ。

 

「ならお風呂洗って来るー」

 

 勢いよく立ち上がった紫苑は浴室へ足を向ける。

 「今度こそ本当にやるぞー!」という幻聴が聞こえてくるような気合の入れようだ。

 その姿を見送った実親は書斎に戻って仕事を再開したのであった。

 

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