君の痴態が忘れられないんだ。   作:雅鳳飛恋

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第59話 運

 一メートル七十六センチのバーを跳び越えた後、今帰仁のもとに戻った伊吹は、呆れたような視線を梅木に向けられた。

 

「椎葉さん……跳べて当然みたいな態度がマチみたいね……」

 

 そう口にした梅木は、二回目の試技を行う為に歩を進めた。

 余裕綽々としている態度が町野と似通っていたので、長年のライバルとして言わずにはいられなかったのだろう。

 

 伊吹は「何かまずかったかな?」と思い、首を傾げながら頬を掻く。

 

「別に気にすることないよ。あれは怒ってる訳じゃないから」

「そうなんですか?」

「うん。寧ろ燃えてるんじゃないかな」

 

 上級生を怒らせてしまったのかと少し不安になっていた伊吹の心情を察したのか、今帰仁が苦笑しながらフォローする。

 

「それなら良かったです」

 

 安堵した伊吹は地面に腰を下ろしてスポーツドリンクを手に取ると、二口ほど啜って喉を潤す。

 

「梅ちゃんは厳しそうに見えるけど、理不尽に怒ることはないから大丈夫だよ」

 

 梅木は自分に厳しくて他人にも厳しい。

 自校の後輩の指導を確りと行うのは勿論、他校の後輩にも遠慮なく指導や注意をする。勿論、他校の後輩の場合は、相手の先輩の顔を潰さないように出しゃばり過ぎないようにしている。

 また、年上年下関係なく誤りがあれば指摘する上に、意見があればはっきりと口にする性分だ。

 それだけ自分に厳しくて責任感がある証拠なのだが、跳躍スタイルが豪快なのも相まって、苛烈な性格の持ち主だと誤解されることが多々あった。

 

 しかし本人は至って優しい性格だ。

 優しいからこそ放っておけないだけだった。要は面倒見が良いのだ。姉御肌とも言う。

 実際に部の後輩からは慕われているし、他校の生徒である今帰仁も慕っている。

 そもそも今帰仁がタメ口をきいているのに怒っていない時点で梅木の性格を察せられるだろう。梅木が今帰仁のことを認めており、親しい友人関係を築いているからこそという但し書きはつく。それに今帰仁の人懐っこさが最大の理由かもしれない。

 

「面倒見が良いのはわかります」

「あれ? その視線は何かな……?」

 

 伊吹は「今帰仁さんの相手をしている梅木さんの姿を見ていればね……」、という意味を込めた眼差しを向けると、意図を察した今帰仁は視線を逸らしてしまった。

 梅木に面倒を掛けているという自覚があったのだろう。それでも反省しないのだから呆れるしかない。

 

「それにしてもブッキーは跳んだ後にバーを見向きもしなかったけど、確信でもあったの?」

 

 居心地が悪くなった今帰仁は話題転換を図った。

 

「踏み切った瞬間に跳べたと確信しましたね」

「ほへー」

「思い描いた通りの跳躍が出来たので、これでバーが落ちたら仕方ないと思っていただけです。なので余裕綽々としていた訳ではありませんよ」

「なるほどねー」

 

 伊吹は余裕があった訳ではなく、完璧な跳躍をして失敗したら実力が足りなかっただけだと割り切っていただけだ。

 苦笑している伊吹の様子に、今帰仁は「凄いなー」と漠然と思いながら頷いていた。

 

「梅木さんが跳びますよ」

 

 そう伊吹が言った直後に、梅木が助走位置から走り出した。

 

 いつも通り右側から半円を描くように助走し、左足で踏み切ると跳び上がる。

 しかし踏み切った位置が悪かったのか、高さが全然足りなかった。

 右肩から突っ込んだ梅木は、ぶつかる前に右手でバーを掴んで立ったままマットに着地する。

 

「あらら……嚙み合ってないねー」

 

 今帰仁が残念そうに呟く。

 

「踏み切りが遠かったですね」

「だねー。多分助走の歩幅も合ってなかった」

「今日は上手くいってないので余計な力が入ってるのかもしれないですね」

「やっぱり最後のインターハイだから気負ってるのかなー。高校生のうちに一回くらいはマッチに勝ちたいのかも」

 

 改善点を言い合う二人。

 

「でも梅ちゃんならちゃんと修正出来るよ」

「今帰仁さんと違って基礎が確りしてますもんね」

「そうそう。私と違って――いや、ここで私を引き合いに出す!?」

 

 今帰仁は思わず「うんうん」と頷いてしまったが、伊吹の言葉を咀嚼したら揶揄われていることに気付いて素っ頓狂な声を上げた。

 

「次は跳べると良いですけど」

「なんか私の扱いが段々雑になってない……?」

「気のせいですよ」

 

 ジト目を向ける今帰仁だったが、伊吹は意に介さずに三回目の試技を行う梅木へと視線を向ける。

 

 その視線の先では、梅木が両手で左右の太股を叩いて筋肉と緊張を解していた。

 

「行け、梅ちゃん」

 

 と今帰仁が小さく呟くと同時に梅木は走り出した。

 

 二回目の試技の時よりも勢いをつけて跳び上がる。

 本来なら慎重になってもおかしくない状況なのにも(かか)わらず豪快な跳躍だ。

 跳んだ後は身体を反ってバーに接触しないようにし、最後に通過する足に神経を研ぎ澄ます。

 しかし、僅かに踵がバーに触れてしまった。

 

「あ」

 

 誰の声だろうか。呆然とした声が漏れている。

 いや、もしかしたら会場にいる大多数の人が発した声かもしれない。

 

 マットに背中から着地した梅木は、勢いよく首を起こしてバーへ鋭い視線を向けた。

 梅木だけではなく、会場にいる誰もが息を飲んで揺れるバーを見守っている。

 

 すると、梅木の背を後押しするかのように風がピタリと収まり、静寂が場を満たす。

 少しずつ揺れが小さくなっていき、「止まれ!」と梅木が心の中で唱えたと同時にバーの揺れが完全に収まった。

 

「よしっ!」

 

 会場中から発せられる歓声が、小さくガッツポーズをする梅木の背に浴びせられる。

 

「やったね。梅ちゃん」

 

 今帰仁はほっと息を吐いて嬉しそうに微笑む。

 

「流石梅木さんです。努力している人には運も味方するってことですね」

「ブッキーの言葉のナイフが私に突き刺さるよ……! 中々の切れ味だよ……!!」

 

 努力していない自覚があるなら改めれば良いのに、とは口が裂けても言えない伊吹であった。

 

「何やってんの……」

 

 胸に両手を当てて蹲る今帰仁の姿に、戻って来た梅木が若干引きながら冷めた目を向ける。

 

「え、衛生兵……!」

 

 右手を伸ばして助けを求めるが、梅木はスルーして地面に腰を下ろす。

 

「椎葉さん、さっきの私の跳躍なんだけど、背中とバーの間にどれくらい間隔があった?」

「多分ですけど、掌くらいだと思います」

「そう。ありがとう」

「む、無視ですか……!」

 

 完全に無視された今帰仁は滑稽な姿を晒しているが、梅木も伊吹も気に掛けることはなかった。

 

「まだ噛み合いませんか?」

「ええ、少しずつ良くはなってきているのだけれど……」

 

 首を傾げる梅木は苦笑しながら額の汗をタオルで(ぬぐ)う。

 

「梅ちゃんなら大丈夫だよー」

 

 そう言いながら自己再生した今帰仁は梅木の腰に抱き着く。

 

「はいはい。ありがとうね。でも暑いから離れなさい」

「えー、けちー。梅ちゃんの引き締まったお腹に頬擦りさせてよー」

 

 梅木は離せと言いながらも今帰仁のことを引き剥がそうとはしない。

 今帰仁なりの励ましだとわかっているから好きなようにさせていたのだ。

 

 優しくて温もりのある眼差しを今帰仁に向けている梅木の姿に、伊吹が微笑みながら口を開く。

 

「お二人は仲の良い姉妹みたいですね」

「こんな手の掛かる妹なんてごめんよ」

「そんな悲しいこと言わないでよお姉ちゃんー」

 

 嬉しそう頬擦りする今帰仁と、眉間に皺を寄せて首を左右に振っている梅木は対照的な反応であった。

 

 微笑ましい光景を繰り広げているが、いつの間にか一メートル七十七センチのセットが完了しており、試技開始の合図が出て町野が助走位置に向かっていた。

 

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