君の痴態が忘れられないんだ。   作:雅鳳飛恋

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第75話 涕泣

 翌日の夜。

 激しい雨が窓を打ちつける中、実親は書斎に籠って執筆に励んでいた。

 

 雨が降っていることに気付かないほど集中しており、キーボードを叩く手は止まる気配がない。

 黙々と執筆を続けていき、ディスプレイに表示されている文字数が増えていく。

 

 時折書いた一文を消して改めて書き直し、満足のいく文章に修正する作業を行う。

 きりの良いところまで書ききったら推敲をするので、今のところは軽く書き直すだけに(とど)めていた。

 

 展開に行き詰まったらプロットに目を通して熟考し、考えが纏まったら再びキーボードを叩く。

 

 そうして暫く執筆を続けていた実親は、一度手を止めると背凭れに背中を預ける。

 デスクに置いてあるマグカップを手に取って口元に運び、中身を啜って珈琲を味わう。

 

 珈琲の苦みが疲れと眠気を吹き飛ばして頭が冴えるが、反対に身体は脱力していく。

 

「雨降っていたのか……」

 

 一息ついたことで激しく窓を打ちつける雨音に今更気が付いた。

 その事実に少し驚きながら窓へ視線を向ける。

 

「昨日じゃなくて良かったな」

 

 苦笑交じりに呟く実親は、昨日のことを思い出す。

 

 昨日は友人達と祭りを楽しんだ。

 もし祭りの開催日が今日だったら大変な目に遭っていたことだろう。

 尤も、雨が降っているのは立川周辺だけかもしれないないのでたらればに過ぎないが。

 

 翔と彩夏のカップルと別れた後はいつもの六人で屋台を巡ったり、催しを見学したりなど、充実したひと時を過ごした。

 

 創作意欲が刺激されたお陰で姉存(あねそん)の執筆が捗っている。

 本来はPGRの方から先に手を付ける予定だったのだが、祭りはラブコメとの相性が良いので姉存を優先してしまった。

 

 颯真と亮が馬鹿なことをすると、それを冷ややかな目で見る女性陣。

 甘い物を味わって頬を緩ます女性陣に、胃袋はどうなっているのか? と思うほど炭水化物を食べまくる亮。

 颯真は隙あらば女性をナンパし、実親はナンパされる女性陣の盾になるという対極な行動をしていた。

 唯莉に腕を引かれて連れ回されたのも良い思い出だ。

 

 感慨に耽って頬を緩ませていると、ピンポーン! と音が鳴った。

 実親は「こんな夜遅くに誰だろうか?」と思いながら立ち上がって書斎を出る。

 そして階段を下りて二回へ移動し、インターホンのモニターを確認する。

 

 すると、そこには傘を差さずにびしょ濡れになって突っ立ている紫苑の姿があった。

 

「……久世か? 少し待て」

 

 実親は驚きながらも、モニター越しに紫苑へ言葉を掛ける。

 急いで浴室に移動してバスタオルを手に取り、階段を駆け下りた。

 そして一階へ移動すると玄関へ向かい、鍵を解錠して扉を開く。

 

「傘を差さないでこんな時間にどうした?」

 

 紫苑は問いに答えずに扉を潜り、実親に正面から抱き着いた。

 

「お、おい、どうした?」

 

 突然のことに流石の実親も驚きを隠せなかったが、バスタオルを紫苑の頭に被せるくらいの冷静さはあった。

 

 びしょ濡れの紫苑に抱き着かれている実親は、自分が濡れるのも厭わずに優しく拭いていく。

 彼女が無言のままでも、発言を促すことをせずに黙って拭き続ける。

 抱き着いている紫苑の身体が微かに震えており、ロングTシャツ一枚着ただけの明らかに部屋着だとわかる外出するのには相応しくない格好から、何か良からぬことがあったのだと察してしまった。

 

 どれ程の時間が経ったか体感ではわからない頃合いになると、実親に拭かれることを拒まずに受け入れていた紫苑が力なく呟いた。

 

「ねえ……お願い……抱いて……」

 

 耳を疑う発言に実親は手を止めてしまう。

 ただならぬ様子に冗談だとは思えなかった。いつものような軽いノリで言っている訳ではなく、本心から口にしていることだとわかってしまったのだ。

 

「それは抱き締めるという意味ではなく、セックスをするって意味か……?」

 

 一応「抱いて」の意味を確認する。

 

「うん……駄目……?」

 

 紫苑は頷いた後に、実親の胸に(うず)めていた顔を上げた。

 

「……」

 

 彼女の目を見つめ返した実親は、思わず黙り込んでしまう。

 何故なら、紫苑の目が真っ赤に充血して腫れ上がっていたからだ。

 

 扉を開けて紫苑のことを見た時は俯いていたので良くわからなかったが、顔が濡れていたのは雨だけではなく、涙の所為でもあったようで、今も微かに目から涙が零れている。

 

「……何があった? いや、その前にまずはシャワーを浴びてこい。このままじゃ風邪を引いてしまう」

 

 明らかに冷静じゃないとわかる紫苑の様子に、実親は訳を尋ねようとした。

 しかし、抱き着いている彼女の身体が冷え切っていたので他に優先させることがあると思い至った。

 

「……そうだね……流石に私も今の状態で抱かれるのは嫌だし言う通りにする。黛まで濡らしちゃってごめんね」

「いや、俺のことは気にするな」

 

 紫苑は実親の温もりに包まれて少しだけ冷静さを取り戻した。

 どんな理由があれ、折角抱かれるなら綺麗な自分の時に抱かれたいし、濡れていて冷え切っている身体で抱かれるのは実親に悪いと思ったようだ。

 

「ありがと」

 

 一言お礼を告げた紫苑は実親から身体を離すと、靴下を脱いで自分の足を拭き始めた。

 こんな時でも家を濡らす訳にはいかないと配慮出来るとは立派である。

 もしかしたら泊めてくれている相手を不快な気分にさせないように身に付けた処世術の()せる業かもしれない。

 

「それじゃシャワー借りるね」

「ああ」

 

 足を拭き終わった紫苑は、無理に笑おうとしているのがわかる違和感のある笑みを浮かべながら、覇気のない声を発して階段へ向かう。

 

 その背を心配そうに見つめながら後を追う実親は、楓のことが脳裏を(よぎ)っていた。

 紫苑も楓のように何か良からぬ事件に巻き込まれてしまったのだろうか? と勘繰ってしまう。

 

 お互いに無言のまま階段を上っていると、なんとも形容し難いどんよりとした雰囲気が充満していく。

 

 紫苑の背から漂う悲しみのような暗い感情が痛ましく、トラウマとして刻み込まれている楓の件がフラッシュバックしてしまい実親の心まで沈んでしまう。

 

 不安を抱えながらも見守るように紫苑を浴室まで送り届けると、一度寝室に移動して濡れてしまった衣服を着替える。

 着替えた後は書斎に移動して執筆途中の小説のデータを確りと保存し、パソコンの電源を落とす。

 そしてリビングへ移動して紫苑が浴室から出てくるのを待つことにした。

 

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