ダークエルフの忍者は忍び刀を抜いたものの、右手に握ったまま構えもせずに無造作に、今から散歩にでも行くような足取りで距離を詰める。
構えがないからといって油断せず、俺は打刀を鞘におさめて居合の構えを取る。
「居合か? 師匠に教わっては居たが本物の侍の技がどれほどのものか、確かめようか」
それでもなお、歩みを止めない忍者。
まだ抜刀の距離ではない。
もう少し、あと三歩、二歩、一歩……。
地面を踏む足に力がこもる。
刀を柄を握るか握らないか、今か今かと右手が待ちわびている。
あと半歩。
ざり、という砂の音が不意に止まった。
忍者は間合いから半歩の所で足を止め、目を細めた。
「そこだろう、お前の間合いは。居合は見た目以上に刀のリーチが伸びるんだよな」
俺は答えない。
確かに間合いにはわずかに届かないが、こちらから踏み込めばいいだけの話だ。
距離を詰めるべく、足指に力を込めてにじり寄る。
忍者はなおも動かない。
明らかに俺の居合を「見る」つもりだ。
いいだろう。
お主の誘いに乗ってやる。
柄に手をかけ、抜刀。
打刀の刃が閃き、忍者の胴体目掛けて弧を描く。
ざん、と人を斬った音がした。
だが血が噴出した様子は見られない。
いや、それどころか俺が斬ったものは人ですらなかった。
地面に倒れたのは忍者を模した人形だ。
「何処に消えた?」
周囲を見回す前に、背中にぞくりと寒気を覚えた。
咄嗟に前に転がると、鎧に金属が衝突する音が聞こえる。
同時に舌打ちも。
「流石に反応が速い。今まで相手にした雑魚どもとはわけが違うな」
立ち上がり振り向けば、忍び刀を振り下ろした状態の忍者が立っていた。
「身代わりの術か。何度か見せてもらった事はあるが、実戦で使う奴は初めて見た」
「侍と真っ向勝負なんざ、おっかないからなぁ」
おっかないという割には、忍者は戦いを愉しんでいるように思える。
気を取り直して今度は正眼の構えを取り、一足飛びに間合いを詰めて袈裟斬りを仕掛ける。
今度こそ斬ったかと思いきや、手ごたえがまるでない。
残った影だけが不気味に目を細めて消えてゆく。
「残像か!」
「ご名答」
背後ではなく右から声が聞こえる。
流石に後ろまでは回り切れなかったのだろうが、既に忍び刀の一撃が俺の体に迫ってきている。
肝臓を狙った一刺しを篭手で払い除けると、忍者は僅かに体勢を崩した。
「噴!」
払い除けた勢いのまま、胴を横薙ぎにしようと刀を振るう。
三度目の正直と行きたかったが、忍者の反応も中々に良い。
金属同士が衝突しあう、甲高い音がした。
火花が生じ、次いで宙を舞っているものがある。
それは忍び刀の刀身であった。
忍者の刀は真ん中から真っ二つに折れ、折れた刃先は回転しながら地面に突き刺さる。
俺の刀を脇差より少し長いだけの刀で防ぐとは。
「この刀、それなりに名が通った鍛冶屋に打たせた業物なんだぜ。それでもこの様か。やはり本当の侍は違うなぁおい」
「……胴が泣き別れしなくて助かったな」
「へっ、そんなすぐ死ぬような奴じゃ主の護衛は務まらねえ。だが、こんなモノに頼っていたらお前には勝てないだろうな」
忍び刀を投げ捨てた忍者は、素手のまま構えを取った。
忍者の神髄は素手にある、と西方に来てから誰かに聞いた覚えがある。
素手でどうするのかは誰も知らない。
せいぜい噂話であれこれ聞いたくらいで、どの話も嘘くさかった。
忍者に出会ったと吹聴する奴は数多く居たが、誰もその詳細を知らないなんて笑い話にもならない。
俺とて故郷の忍びたちとは幾度となく話をし、手合わせもしたがいずれの忍びも何らかの武器を使っていた。
俺の認識する忍者とは、また異なる存在かもしれない。
「小手調べは終わりだ」
ダークエルフの忍者から構えた腕から何やら赤い
それは腕全体を覆うように展開されている。
「それは、気か」
「わかるか。やはりお前も使えるのだろうな」
構えたまま、忍者は動かない。
後の先を狙っているのか。
微動だにせず、じっと目線だけでこちらを追っている。
行動する前に、人はどうしても予備動作が必要になる。
戦いに身を置き続けた者が何故強いかと言えば、彼らは動きを見るのが上手いのだ。
肩が動いた、足が進んだ、目線が何処を泳いだか……。
見て、観察して、次の行動を読む。
それこそが総じて気配を読む事に繋がる。
それ以上に手練れの者となれば、殺意や攻撃の気をも感ずることが出来る。
お互いに睨み合って、どれくらいの時がすぎたか。
一瞬のようにも思え、永い時が経ったかのようにも感じた。
不意に、忍者が動いた。
予備動作なしに真っすぐ、鋭く撃ち抜かれた矢の如き突進だった。
全くのけん制も陽動も仕掛ける事なく、ひたすらに俺めがけて貫手を放って来た。
忍者の神髄は素手にある。
その言葉に嘘偽りはない。
しかし付け加えるならばこうであろう。
気を完全に操る忍者の素手は、あらゆるものに勝ると。
「ぬおっ!?」
俺の心臓目掛けて放たれた貫手は、辛くも身を翻す事で回避できた。
しかし、着ている鎧の右半身がズタズタに斬り裂かれている。
よく鍛えられた
対して、忍者の手は全く無傷である。
金属のような硬い物に素手で打ち込めばただでは済まないはずなのに。
拳法家のように拳や足を鍛えているのならまだしも、忍者の修行でそのようなものは聞いた事が無い。
やはり気で守っている為なのだろう。
貫手を躱しざま、打刀で左上から袈裟斬りに打ち込む。
忍者はそれを見るなり、左腕の篭手で守ろうとする。
その手ごと叩き斬る!
瞬間、刃は確かに腕に当たった。
だが俺の腕に伝わってくるのは人を斬った感触ではなく、分厚い皮に包まれた丸太に対して木刀で打ち込んだ時のような、鈍い感触だった。
衝撃がそのまま返ってきて、にわかに手にしびれを覚えた。
忍者の目が細くなり、俺を見つめる。
「腕ごとぶった切ろうって斬り込み、中々痺れたぜ。俺以外の相手ならそれで通用しただろうがな!」
よく見れば、忍者の篭手に当たったのではない。
赤い気にぶつかって、刀の勢いはそこで殺されていたのだ。
「しゃあっ」
貫手を喉に向かって繰り出してくる。
赤い気は薄く展開していたかと思えば、貫手の形に合わせて収束し、刃の如き輝きを見せている。
打刀で貫手を防ごうとするも、気の部分が刃をすり抜けて首の皮を切り裂いた。
出血が生じ、砂の地面に赤い雫が滴り落ちる。
「浅かったな。次は確実に喉笛を抉る」
面頬の下で、忍者が凶悪な笑みを浮かべたように見えた。
防御に使おうと思えば物に干渉し、攻撃に使えばすり抜ける。
意思によって性質が変わるのか。
厄介極まりない。
しかし、俺はある一つの確信をもっていた。
「ずあっ!」
忍者の次の一手が襲い来る。
脳天を、頭蓋を断ち割るかの如き手刀。
勿論、気の刃で覆われているそれはどんな武器よりも鋭い。
防ぐ手段を持たぬものは、避けられなければ死、あるのみ。
既に避けるには間に合わないが、俺にはもう一つだけ手段があった。
「呼!」
霊気を身体に巻き起こし、打刀にまで霊気を宿らせる。
霊気を纏った刀は気の刃と衝突し、お互いに衝撃に耐えきれずに弾き飛ばされる。
二人とも壁際まで転げまわる形となった。
「す、ごい……」
壁際で戦いを見守っていたアーダルから感嘆の声が漏れる。
目が輝いており、特に忍者の戦い方に見惚れているように見えた。
「気同士が衝突するとこんな風になるのか。これもまた面白い」
「同感だ」
竜人の騎士は確かに闘気を使っていたが、気同士をこうやってぶつけ合った事は無かった。
これだけの気を使いこなす手練れは初めてだ。
忍者は頭巾と面頬を脱ぎ捨て、顔を露わにする。
短い銀色の髪に、長いエルフの耳。
麗しき顔をしている。
口も達者だし、なろうと思えば商人で一財産築く事も容易い筈だ。
それが何故、血腥い暗殺者稼業を経て忍者などになったのか。
出来れば殺し合う前にもう少し言葉を交わしたいが、さて。
「宗一郎。お前を殺すのは非常に惜しい」
「そうか。ならば身を退いてくれぬか。俺は戦いに来たのではない」
これは半分本当で、半分は嘘だ。
戦いを求める獣の本性は、もっとこの男と戦いたいと叫んでいる。
理性ではこれ以上戦うのは不味いと感じ取っている。
それほどまでにこの男は強い。
竜人の騎士とはまた違う性質の強さを持っている。
奴が鉄塊であれば、この男は剃刀だ。
「殺したくはないが、もっと手合わせしたいのは本音だ」
忍者は肉食獣の如き笑みを浮かべた。
「その結果、お互いが倒れても致し方ないよな」
二人ともじりじりと近づき、闘技場中央まで歩み寄った時、ふと真ん中に俺でも忍者でもない影が落ちている事に気づいた。
「何だ?」
「ちっ、来ちまったか」
影の中から、ぬるりと人が現れる。
いや、それは果たして人であるのかどうか、俺には判別がつかなかった。
姿かたちは人である。しかし体から滲み出る気配はあまりにも人から遠かった。
例えるならば怨嗟のうねり。
呪詛の叫びや嘆きを一身に背負いなお、その男はそれらを喰らいつくさんばかりに引き連れている。
「両者とも、そこまでだ」
「うるせえ影法師。お前だってこいつとは一戦交えたいだろうに」
忍者が言うと、影法師は忍者をぎろりと睨みつけた。
「主が言葉である。控えよ」
「ああ、しょうがねえな。わかったよ」
忍者が気の刃を納め、殺気を纏うのを辞めたので俺も刀を納めた。
同時に、錆び付いた鉄格子が三度音を鳴らす。
鉄格子の向こうから現れたのは小柄な、しかし日々よく見かける男であった。
「イシュクル。お前にはその侍を私の下まで案内せよと言ったのに、悪い癖だぞ」
「申し訳ありません」
イシュクルと呼ばれた忍者は、主にひざまずく。
「やはり暗殺教団の教祖は貴方だったか。アル=ハキム」
名を呼ばれると、アル=ハキムは店に立っている時と同じような微笑みを返す。
「話に来たんだろう。ようこそ、アサシンギルドへ」