「羅刹、降臨」
自然と俺の口からはそのような言葉が漏れていた。
羅刹。
俺の中に宿る鬼神はまさにその様な存在だ。
未熟な俺に御しきれるような力ではない。
かつて俺は、鬼神の口車に乗って力を借りたが、悪魔を倒した後に体を乗っ取られかけた。
いずれはこの体に宿るものを排除し、打ち倒さねばならない。
それが俺の定められた宿命だ。
奔放に振舞い、災いしかもたらさない荒ぶる神であろうとも、その忌まわしき圧倒的な力が今の俺には必要だった。
心、技、力。
全てが目の前に立っている敵と比べて劣っている。
フォラス老が言っていた事を噛み締めている。
力のみを追い求めてもいずれは頭打ちになる。
全てを備えてこそ人間は真に強くなれる。
俺は未熟を悟り、噛み締めるしかなかった。
「それでも俺は、貴方に勝つためにはこれしか無いんだ」
俺の願いを叶える為に。
「羅刹、か。確かにその名にふさわしい姿よ」
貞綱は変貌した俺を見て、鋭い目で俺を睨みつけている。
額には冷や汗をにじませており、いつのまにか歯を食いしばらせていた。
完全に余裕を失っている。
一度たりとも見せた事のない、師匠の顔。
俺の姿は、前に完全に鬼の力を借りた時とは異なる。
二本の角ではなく、額の中心に一本のみ角が生えている。
体は大きくはなっているものの、赤銅色の鬼の肌には変化していない。
しかし体からは無限に溢れる力を感じている。
その証拠に、闘気が体を勢いよく巡っている。
鬼の力の源泉である闘気は、自らを高揚させ、体に掛けられている制限を解き放ってくれる。
それは本来持っている力以上のものを引き出してくれる。
「闘気錬成の型・刹那」
鬼の呼吸法を始める。
貞綱もこの呼吸法を使っているが、やはり霊気錬成は元は鬼の闘気錬成の型から来ているのだと確信する。
三船家は鬼を喰らう事でこの呼吸法を会得し、さらに強くなったのだろう。
俺の体から溢れんばかりに闘気の渦が立ち上る。
「宗一郎。そなたはその体内に如何様な化け物を飼っている?」
「これは異な事をおっしゃる。見ておわかりになりませぬか。悪鬼羅刹、即ち鬼ですよ。地獄に住まうもの、現世にて傍若無人に振舞い人を喰らい魂を呑み込むものです」
「その力は酷く危険だ。宗一郎、御身を滅ぼすものになりかねん」
「……重々承知の上ですよ。貴方が自ら退くのであれば使う必要のない力。お互いに譲れぬ事がある以上、俺の力が及ばぬ以上、使うしかないのです!」
呼吸から、攻勢に転ずるべく一歩踏み出す。
そのまま兎の如く跳ね、一気に距離を詰める。
「なっ」
貞綱は目を見開いて目前まで迫った俺を見た。
空間転移をしたわけではない。
ただ圧倒的な速さでもって、刀の届く位置まで俺が来ただけだ。
人知を超えた領域の速さを貞綱はまだ体験したことはないだろう。
俺だけが知っている。
魔物などではなく、真の化け物と相対し、使っている俺だけが。
「奈落墜とし」
両腕の筋肉が盛り上がり、刀を振りかぶって叩きつける。
それだけの、技と呼べるものですらない斬撃だ。
兜割のように仰々しく飛んだりする必要すらない。
剣術の中では基本の型の一つだろう。
もっとも、鬼の膂力をもってすれば基本技すら必殺の威力となる。
刀を振り下ろした時、既に目の前から貞綱は消えていた。
地面に叩きつけられた野太刀は、轟音を立てながら盛大に石床の破片を辺りに撒き散らす。
耳をつんざく轟音にマルクは耳を手でふさぎながら顔を歪めていた。
貞綱は俺の背後に回っていた。
先ほどと同じ状況だが、流石に刀を振るうほどの余裕は無かったようだ。
居合の構えに入り、
「奥義・
居合の型のまま踏み込み、貞綱の姿は幻影の如く揺らめいて消える。
いや、姿を消したのではない。
全てのものを、ありのまま斬るべくその体を一時的に幽界へと性質を転じたのだ。
霊魂や怨霊、あるいは神や悪魔と言った存在は現実世界に置いては実体を持たない事が多い。
虚実定かならぬ相手を斬る為に生み出された技こそが
だが俺は、鬼そのものではない。
鬼と人が雑じり合った存在だ。
その技は効かない。
また鬼の目を以てすれば、全てが鮮明に見える。
今師匠がどのような動きをしているのか、何もかもがわかる。
見えてさえいれば、受けるのは簡単だ。
霊気を帯びた物干し竿を闘気で覆った野太刀で受けると、互いに強烈な反発力が発生し、お互いに後ずさった。
俺は一歩だけ下がったのに対し、貞綱は大きく何人分もの距離を下がっている。
石畳の上をたたらを踏んで後退し、俺を睨みつけながら。
俺の下がった一歩は、石畳を踏みつけて割り、土に足首まで沈めている。
貞綱は歯噛みし、刀の切っ先を向ける。
「今ようやく某は理解した」
「何を?」
「某が師より会得した技は、人や魔物を斬る為ではない。そなたのような化け物を斬る為にあったのだ」
「成程」
「故に、これより使う技は一度も実戦で使った事の無い技。お覚悟願おう」
貞綱はまず、何やら経を唱え始めた。
印を結び、呪文を唱える度に体には黄金色の光がにわかに宿り始める。
「金剛身」
構わずに野太刀を叩き込むべく踏み込んでいく。
今の俺なら技すら不要である。
がむしゃらに刀を振り回し、どれかが当たれば人間の貞綱は斬られ、死ぬ。
簡単な事じゃないか。
ほくそ笑み、油断さえ俺の顔には浮かんでいた。
忘れようとしていた筈の、圧倒的な力の愉悦。
そうだ。この力さえあれば、どのような相手であろうと敵ではない。
さっさとこの障害を叩き潰し、カナン大僧正を連れ戻し、王の用命を果たしてもらう。
その次には俺の願いを叶えてもらう。
振り下ろした刀を、貞綱は体で受けていた。
馬鹿め。
これはもう、袈裟切りにされて地面に屍を晒す以外の未来はない。
刀が体に当たった瞬間、俺の脳髄は勝利の歓喜に打ち震えていた。
しかし、刀は甲高い金属音を立てて弾かれた。
「なにっ!?」
弾いた貞綱の顔も苦痛に歪んでいる。
体を硬化する術とは恐れ入った。それでも体に衝撃は伝わる以上、全く打撃が通らなかったわけではないようだが。
黄金の輝きはすぐに失われ、その瞬間に貞綱は刀を抜いていた。
「奥義・
居合の構えから踏み込み、それは繰り出された。
鞘から抜かれた刀に音は無く、振りぬいた刀の音も聞こえなかった。
人の身であれば、瞬きしている間に終わっている動作だったろう。
その動きは単純極まりない。
ただ刀を抜き、相手を斬るのみだ。
異様に速かった。
いや、それこそ神速と例えるべきだろう。
如何に剣を無駄なく、速く、それでいて力を伝える為に振るか。
何千、何万、何億、何兆と何度も何度も何度も、教わった技を繰り返し、最適化し、一切を研ぎ澄ませる。
分を超え、塵を超え、さらに
それこそが阿頼耶なり。
稲妻の如き速さで駆け抜け、一刀の下に斬られた。
俺の体に出来た、一筋の刀傷。
「ぐあっ」
一泊遅れ、血が噴き出した。
赤い血、熱を持った液体がどくどくと流れ石畳にしずくを垂らす。
痛みはまだ訪れない。
驚くべき鋭さで斬られると、身体が認識するのが遅れるとは言うが、これほどの傷でもそうなるというのは恐るべき技の鋭さ。
この技で深く斬られた者は、痛みを感ずる間もなく絶命するだろう。
鬼に転じていなければ胴体ごと両断されていたに違いない。
「ぬうっ、浅かったか」
貞綱は大きく肩で息をしている。
一撃必殺の技だったが、鬼の体の頑強さを見誤ってくれたおかげか。
恐らく貞綱は魔物程度なら対峙した事は幾らでもあるだろうが、神魔の領域に踏み込んだものと戦った事はない筈。
ここで経験の有無が出た。
しかし、師匠の剣の腕には改めて舌を巻いた。
人間は人知を超えて強くなれる。
神や悪魔のような相手であろうとも相対し、通用し打倒できる。
少なくとも、そのような希望を抱ける程には貞綱は強い。
だからこそ、俺も今振り絞れる全力を出さねばならない。
「鬼神滅衝」
俺は左手に掌底の形を作り、前へと手を突き出した。
それだけで周囲の空気が収束、爆裂圧縮し、見えない空気の弾を作り出し発射する。
「むうっ」
貞綱は見えぬ弾丸を刀で弾き、斬って避ける。
「殺気がこもっているものなど、感じ取れるわ!」
「なるほど。ではこちらで貴方を仕留めさせてもらう」
もとより、それも囮に過ぎない。
遠距離攻撃で殺せるなど毛頭思っていない。
命を捨てる勢いで接近し、顔をつき合わせて斬り合ってこそが命のやり取りだろう。
戦いは俺たちの性分であり、永遠に求めるものだ。
それこそが鬼。鬼神なり。
「奥義・獄炎」
悪魔を倒した時と同じように、野太刀に地獄の炎を宿らせる。
「かあっ!」
炎を纏った野太刀を上段から振るう。
貞綱は物干し竿で受けるが、獄炎の熱によってあっという間に刀は溶けてしまう。
「なにっ」
それどころか、青白い炎は近くに居るだけでも他のものに害を及ぼす。
間近でその熱と接した貞綱は、発火し始めた。
「ぐわああああああああああっ!」
飛び退き、即座に地面に転げまわる事で何とか火の難からは逃れられたが、貞綱は火傷を負ってしまう。
戦えない訳ではないだろうが、そこそこの深手だ。
しかも得物を失ってしまった。
「どうします、師匠。まだやりますか。俺とて、貴方に手を掛けたいわけじゃない。貴方とは人生の半分ほどを一緒に歩んできた思い出がある。貴方は俺の兄と言っても良い存在だった」
それでも、まだ俺の前に立ちはだかるか。
問うと、貞綱は口を一文字に結び、ぎゅっと目を瞑る。
ああ。それもまた、過去に苦しい事があった時に見た、師匠の姿だ。
ここまで苦しむ姿は、俺は見たくなかった。
その苦しみを与える存在になりたくなかった。
出来れば歓び、楽しみを分かち合いたかったのに。
やがて歯噛みしながらも、貞綱は静かに身を退き始めた。
「刀が無くては侍は戦えない。なれば今は退こう。カナン大僧正をそなたに返す。しかし忘れるな。いずれまた、某は取り返しに行く。必ずな」