侍は迷宮を歩く   作:DRたぬき

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第六十三話:救出

 結城貞綱(ゆうきさだつな)は火傷を負った体を引きずりながら、退いていく。

 

「師匠、待ってください。マルクはどうなさるつもりです」

 

 マルクは俺と師匠を交互に見回し、戸惑っている。

 

「火傷を負った身では、マルクの面倒を見る事は出来ぬ。自分の身を癒すので精一杯だ」

「でも教祖様!」

 

 マルクは叫ぶが、師匠はゆっくりと首を振った。

 

「マルク。お前はもう十歳になった。この辺境より出て、世の中を見て回るのだ。それがより信仰を深める糧になるはず。……宗一郎殿。悪いがマルクを頼んだぞ。そなたであればマルクも懐いてくれるだろう」

 

 そのまま、師匠は階段を上がっていく。

 マルクは戸惑いながらも、俺の方へ歩み寄って服の裾を掴んだ。

 口をとがらせているが、教祖様にああ言われては従うほかないと言った風だ。

 もとより家族もなくなった以上、他にすがる相手もいないのだが。

 

「……よろしくな。侍のあんちゃん」

「お主は俺が怖くないのか」

「……見た目は怖いよ。でも、中身はあんちゃんだってわかってるから怖くない。本当に怖いのは、魔物や化け物なんかじゃない。人間の皮を被った、悪魔だ」

「むう……」

 

 それもまた真理ではある。

 人間はどこまでも残酷になれる。

 ましてや自分の理解が及ばない、知らないものに対しては。

 

「全く、師匠は勝手な事をおっしゃる」

「昔からそうなの?」

「ああ。困ったものだろう」

 

 ようやく、マルクは少しだけ笑った。

 この子を見捨てるつもりは毛頭ない。

 この国の首都アグマティで面倒を見てくれる人を探すか、イル=カザレムまでつれていくべきか。

 

「マルク。お主は国の外を見てみたいか?」

「うん。色んな所に行ってみたい」

「そうか。俺は今はイル=カザレムに住んでいる。そこに行こうか」

「おらはシュラヴィク教の信者だけど、大丈夫かな」

「イル=カザレムは異教徒に対して寛容だ。金さえ払えば住んでいても何ら問題はない。俺もその為の税を納めている。ただ、おおっぴらに公言するのは避けた方がいいな」

「なんで?」

「心の狭い者は何処にでもいる。シルベリア王国でもシュラヴィク教の者が迫害されている場面を見なかったわけではあるまい」

「……うん」

「シュラヴィク教はイル=カザレムでは周知されていない。理解の無い者の心無い仕打ちを無闇に受ける必要はない」

「そうだね。シュラヴィク教をもっと広めなくちゃ」

 

 マルクはそう言って、黙り込んでしまった。

 

 俺は鬼化を解いて、人間の体に戻る。

 戻った途端に、鉛を背負ったかのように体中が重くなり、筋肉という筋肉が悲鳴を上げている。骨も軋み、この状態では戦うのも難しい。

 自分の限界以上の力を引き出すのだから、当然と言えば当然。

 やはり自分の実力以上の相手と対峙した時以外には使えぬな。

 そして左手に掛けている追儺(ついな)の数珠の玉の一つが、ひび割れて砕け散っていた。

 同時に、俺の中にいる存在の気配が大きくなった気がする。

 枷が一つ外れ、鬼は雄たけびを上げている。

 

 ハヤクオレヲ(クビキ)カラ解キ放テ。

 

 数珠の玉は残り幾つであろうか。

 いや、数が問題ではない気がする。

 この数珠の力が弱まれば弱まるほど、枷を外す力は強くなっていくだろう。

 鬼の力を使えるのはあと二、三回くらいかもしれない。

 それ以上となれば俺はまた鬼神に体を乗っ取られるに違いない。

 先ほどの戦いでも、俺は気づけば圧倒的な力を振るう事に愉悦を感じていた。

 師匠に斬られていなければ正気に戻れなかったかもしれない。

 鬼の力を解放するたびに、あの愉悦が襲い掛かる。

 耐えられるのか。

 

 俺は怖い。

 

 自分が怖い。鬼が怖い。

 もし鬼へと成ってしまった時、俺を殺してくれる者など居るのだろうか。

 人でなくてもいい。

 竜でも、悪魔でも、神でも何でもいい。

 鬼になった俺を止めるものが居なければ、世界を亡ぼすのは俺なんじゃないか。

 そんな未来が訪れたらどうしたらいい?

 

 震えていると、マルクが不思議な目で俺を見ていた。

 

「なあ、あんちゃんどうしたんだ? 早く大僧正を助けに行こうよ」

「あ、ああ。今行くよ」

 

 マルクの声で、宙に浮いていた俺の意識は現実に引き戻される。

 そうだ。俺はその為にここまで来たんだった。

 そうなった時の事を考える前に、俺は成すべき事をやる。

 確か大僧正は、聖堂の祭壇の奥の部屋にいると聞いた。

 祭壇の奥とは言うが、目の前には祭壇があるだけで奥に進む為の扉などは見当たらない。

 と言う事は。

 少し考え、俺は祭壇を横に押してみた。

 すると、祭壇は音を立ててズレ始めた。

 

「成程な。巧妙な隠し部屋か」

 

 恐らくはそこから外へも通じているだろう。

 開かれた隠し通路を通り、道なりに進むと確かに部屋があった。

 鍵は掛かっているようだが、扉には硝子(ガラス)窓がついており、そこから中の様子を窺い知る事ができた。

 カナン大僧正だ。本を読んでいる。

 見た目に傷もなく元気なようだ。

 師匠は大僧正を次の教祖に据えると言っていたように、大事に扱っていたのは本当のようだ。

 

「カナン大僧正! 俺です、三船宗一郎です!」

「おお、ミフネ殿。助けに来てくれるとは、これもまた神の思し召しか」

 

 カナン大僧正は中の鍵を開けてくれた。

 部屋の中に入ってみると、部屋のほとんどは本棚と本で満ちており、あとは本を読む為の机や椅子、寝る為のベッドしかない。

 そして追っ手から逃れる為の、床下に仕込まれた扉。

 

「その読んでいる本は?」

「サダツナ殿が信仰していた、シュラヴィク教の経典ですよ」

「持って帰るおつもりで?」

「うむ。シュラヴィク教とやらはもう他国にも布教をしているでしょう。イル=カザレムにも来ていると考えるべきだ。どのように彼らの信仰が書かれているのかを調べておく必要があります。商売敵になるでしょうからね」

「一方的に排除などは考えないのですね」

「排除したところで、信仰は止められはしません。それよりも興味深い事があってね。この宗教、一部イアルダト教と似ている部分がある。もしかしたら、根っことなる部分は同じ宗教かもしれません」

「イアルダト教と、シュラヴィク教の基となった宗教があるのですか?」

「そうです。異教徒の君には興味の無い話しかもしれませんがね。それに、イアルダト教よりもある種進んでいる教えとも言えます。神の言う事はすべてこの経典に書かれており、それさえ守っていれば神の国へと行ける。これほどわかりやすい教えはないでしょう」

 

 我らのような僧すら要らぬというわけだ、と大僧正は自嘲する。

 坊主さえ要らぬ、平民だけでやっていける神の教え。

 それはまさに革新的な信仰だろう。

 

「……カナン大僧正は、神の存在を信じておられていますか」

「私は神の代理人です。神の奇蹟を降ろす存在でもあります。口が裂けても神がおられないなどとは言えません」

 

 そうだろう。

 なぜ俺はこんな馬鹿げた質問をしてしまったのだろうか。

 

「しかし。神の存在をこの目で見た、と言う者はいません。私を含めてね」

「カナン大僧正でさえも神をその目で見た事が無いのですか?」

「うむ。大抵、神を見たとうそぶく者は薬物をやった上での幻覚か、死に際の脳の誤認によるものでしかないのです。本当に、真の意味で神を見た者はまだ居ない」

「死ねば天国とやらに行けるのでしょう。そこで神を見た者は居ないのですか」

「天国へ行ったら二度と帰って来れません。我らは死んだとき、天国へ行く前に狭間の世界へ魂が行きます。蘇生の儀式を受けて帰って来た者は、狭間の世界で魂がうろついているのは見たという証言はありますが」

 

 しかしそれでも、神はその場所には居ない。降りても来ない。

 カナン大僧正は額に皺を寄せて難しい顔をする。

 

「悪魔は神に比べて気軽に現世に現れ、かどわかすのにね。神を試してはならぬ、とはよく言われますが、人のような矮小な存在としては、せめて信ずるものには一度で良いからその姿、いや存在を感じられる何かで良いから見せてもらいたいと思うのは当然の心理です」

 

 俺も仏陀教の教えを信ずるものとして、少しは理解できる気がする。

 仏陀は人間でありながら悟りを得て入滅、解脱した。

 しかしどうやって悟りを得て、輪廻転生から抜け出したのか。

 仏陀以外に成し得た者は居るとは言うが、俺の周りの人間で悟りを得た者はいない。

 誰もが苦悩し、死を恐れ、人以外に成り下がる事を怖れている。

 

 俺は疑問に思っている。

 本当は神も仏も居ない世界で、俺たちは辛い世の中を生き延びる為にそのような幻想を作り上げているだけではないのか。

 そうだとしたら、俺たちが生まれた事に何の意味がある?

 神も居ない、仏も居ない。

 しかし地獄はあって悪魔は居る。

 誘惑に耐えて善を成し、寿命を迎えた所で俺たちはどうなる?

 誰もその答えを用意していない。

 神はいつ俺たちに手を差し伸べてくれるんだ?

 少なくとも現世で教えてくれなければ、意味など無い。

 俺にとっては。

 現世での利益は捨て、来世を求めよと言われてもそんなものはクソくらえだ。

 今の為に俺は生きているんだ!

 

「神とやらが本当に居るのであれば、我らにもう少し優しくしてくれてもいいでしょう。困難など、与えられた所で弱者にはどうしようもありません」

「そうかな。私は神は実に気まぐれな子供のようなものだと思っていますよ」

「子供、ですか」

「例えば、子供が蟻の巣を見つけたとします。次に子供はどうすると思いますか?」

「それは……その子供が何をしたいかによると思いますが」

「その通り。蟻の巣に熱湯を注ぐかもしれない。あるいは、手に持っていた飴玉を与えるかもしれないし、何もせずに通り過ぎるかもしれない」

「神が何を考えているかなど、我らにはうかがい知れぬという訳ですか」

「そう言う事です。少なくとも、神と同じ次元に立てなければ我らにはその思考はわからないでしょうね」

 

 神と同じ次元に、か。

 鬼神は神と名はついているが、果たして同じ領域に辿り着けているのであろうか。

 もしかしたら、鬼と同化すれば神と同じ次元に立てるのかもしれない。

 鬼神が本当に神の一種であるならば、だが。

 

「さて、問答はここまでにしてアグマティへ戻りましょう。シルベリア王が首を長くして待っているでしょうから……おや、その子は?」

「マルクというザフィード残党の子です。親は魔物に襲われて死に、俺が預かる事になりました」

「そうですか。辛いでしょうが、この侍は信用できる者です。私が保証しますよ」

「……」

 

 マルクはカナン大僧正を見るや、俺の背後に隠れてしまった。

 

「おやおや。嫌われているのかな」

「イアルダト教の大僧正と聞かされていれば、彼らにとってはいい気分ではないかもしれませんな」

「まあ、仕方ないですね。ではこの洞窟から早くおさらばしましょう。王の用命を済ませ、早く国に戻らなければ。君の為にも」

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