リザードマン in ダンジョン 作:蜥蜴太郎
「……ドコだ、ココは……?声ガ、オカシイ?」
男が気が付くと、見慣れない場所に立っていた。
周囲を見渡せば、薄暗い広大な洞窟のような景色が広がっている。しかしその一方で視界に困る様な薄暗さは無かった。
その答えは、男の耳が聞き取る。
「あの水ガ、光ってイル……ノカ?ぬぅ……口ガ、マワラナイ」
周囲の事も気に無かるが、それ以上に男は妙なエラーを起こしている自分の身体が気になってしょうがない。
喉がおかしいのか、口がおかしいのか。分からずに手を伸ばし、はたと止まる。
「な、何ダ、コレは……!?」
視界に入った両手。
ソレは最早、人間のモノではなかった。
いや、人の形はしている。五本の指があり、掌があり、手首へと繋がる。
変化しているのは、その皮膚。
ずらりと並んだ深緑の鱗に包まれた両手がそこにはある。爪も黒曜石の様な艶と滑らかさがある鋭いものへと変わっている。
慌てて、男は近くの水場へと駆け込みその水面を鏡として覗き込んだ。
「なっ……」
絶句。水鏡に映っていたのは、人間の顔ではなかった。
哺乳類の皮膚の軟らかさなど欠片も感じられない、両手と同じく深緑の鱗が重なり甲殻となって形を成す。毛髪類はつるりと無くなり、代わりに頭部から後方へと流れるような一対の爪と同じく黒い角が生えていた。
尻餅をつくように後方へと倒れ掛かり、完全に倒れる前に違和感がその動きを止める。
恐る恐る男が右手を自分の臀部へと伸ばせば、そこには何やら異物が。
慌てて振り返れば、そこには尻尾や顔と同じく緑の鱗に覆われた太く長い一メートル半はありそうな尻尾が生えていた。同時に、足は爪先立ったような逆関節。最早人間のソレではない。形態としてはどちらかというと鳥類やカンガルーに近いだろう。
尻尾が邪魔になり、男はその場に膝をついてただただ呆然と虚空を見つめた。
何が起きたのか、なぜこうなったのか。それは彼にも何一つわからない。
そもそも、
「オレは……誰ダ?」
自分が何者なのか分からない。ただ、その脳に魂に刻まれた人間としての規範と化物と化した見た目の差異によって精神が軋む。
男の姿は、二メートル半ほどの爬虫類を人型に押し固めた様な姿と化していた。
そんな彼の絶望感の一方で、生物的欲求を無視する事もまた出来ない。
不意に、男の前に広がった水面に影が走った。その影に、爬虫類の縦に裂けた瞳孔を持つ瞳が吸い寄せられるように動く。同時に、腹鳴が響いた。
「……腹、減ッタ……」
ぼんやりとしていたその表情に、生物的な覇気が戻ってくる。
生物の三大欲求。
食欲!性欲!睡眠欲!
生物は本能的に上記の欲求を満たす事を求める。例外は存在するが、三大欲求は生きていく上で必須なモノなのだ。
男は、未だに混乱していた。していたが、しかしその一方で食欲が警報を鳴らす程度に空腹を覚えても居た。
そして、目の前の水面下には魚が泳いでいる。
大きな口の端から涎の雫がしたたり落ちる。興奮で動向が細まる。尻尾が無意識のうちにゆらゆらと揺らめく。
崩れ落ちた両足に力がこもり、座り込んだ姿勢がそのまま次の動きへの溜めモーションへと変わる。
勝負は一瞬。その優れた動体視力が魚影を確認した瞬間、男は水面へとその体を躍らせていた。
*
「――――今日はこの辺りで終わるとしよう」
ドワーフのセンシは、釣り竿に掛かった刃魚を確認して、丁寧に釣り針を外しながらそう呟いた。
地下迷宮第四階層。魔力を含んだ水によって明るい地底湖の様な様そうであるこの階層では、主に魚介類系の魔物が多く生息していた。
魔物食など、地上の人間に聞かれれば正気の沙汰ではないと言われる事だが、センシはこの魔物食の専門家。捕えた刃魚などは、美味しく調理する。
顔馴染みとなった
「どうした、アンヌ。何を警戒している?」
耳を立てて周囲を見渡す水棲馬の首を撫でながら、センシは得物である斧を握り周囲を見渡す。
静かなものだ。遠くの水の流れ落ちる音が鮮明に聞こえるほどの静寂。
だが、その直後、ポコポコと水泡がセンシの立つ筏から少し離れた水面に浮かび始める。
水泡は勢いを増し、黒い影が大きくなり――――
「ぬぅ……!」
盛大な水しぶきと共に、水面を突き破って何かが筏の上へと飛び乗ってきた。
水に濡れ、てらてらと輝く深緑の鱗。揺らめく、太く長い尻尾。裂けたように大きな口。頭部ある一対の黒い角。
「……リザードマン、か?」
警戒を怠らず、センシは首を傾げる。ダンジョンに潜って長いが、それでもお目にかかった事が無い相手だった。
一方で、リザードマンもまた反応に困っていた。
その縦に裂けた瞳孔を持つ瞳が細まり、しかし何かをする様子はない。
だが、沈黙の時間は長くは続かなかった。
「っ……」
大きな腹の音が鳴る。その大本は、リザードマンだ。
彼?の両手には捕えたであろう刃魚が合計で十匹ほど握られていた。
腹の音に反応したのは、リザードマンだけではない。
「腹が減っているのか?」
センシだ。
普通ならば、声を掛けない。件のリザードマンは、二メートルを超えており体格相応の屈強な体つきをしているのだから。
センシ自身もある程度は戦えるが、足場が不安定のこの場での戦闘は水中も移動できるであろうリザードマン相手には、不利。
それでも声を掛けたのは、その眼に戦意を感じ取れなかったからか。
声を掛けられたリザードマンは、その眼を一度大きく見開く。
「…………戦わないのカ?」
そして、その大きな口を開くとそこから零れ落ちるのはザラザラとした言葉。それも、ちゃんと意思疎通を可能とする言葉だ。
言葉を発する魔物。それも、明確に意思疎通が可能であり、且つ相手への配慮が感じ取れる声色だった。
センシが、目の前のリザードマンを亜人認定しなかったのは偏にその見た目が圧倒的に魔物寄りであったから。
だが、こうして対話可能であると示され、尚且つ食事を採ろうとしているのならセンシとしても否は無い。
「ああ、戦わない。代わりに、食事をしようじゃないか」
「食事……?変ワった、奴だナ。オレが、コワく無いノカ?」
「確かに見た目は変わっている。だが、それだけだ。その手に在る刃魚も必要な分だけを狩猟したのだろう?生態系を理解し、ただ暴れるだけの不作法者ではあるまい」
ついてこい、とセンシが先導しその後をリザードマンは少しの間をおいてゆっくりと着いていく。
驚くべきは、その身体能力か。少なくとも、縄梯子などが用意された数メートルの高さの足場へと軽い動作で跳躍、着地していた。
「お前、名は何という?」
「名ハ、無い」
「無い?だが、会話できるだろう?」
「オレは同族に出会ッタ事が、ナイ。ヒトと会話しタのも、オマエが初メてだ」
「そうか……ならば、名を決めると良い」
「ナゼだ?」
「こうして、誰かとコミュニケーションを必要とする場合に、名乗る名が無ければ切っ掛けが無いからだ。わしは、センシ。ドワーフ語で、探求者を意味する」
「名前……」
先を行くセンシの背を追いながら、リザードマンは考え込む。
この場所で目覚めてから、彼は自身の身体にある程度の折り合いをつけて、今は身体能力の限界を測りつつ環境に適応していた。
人間としての感性から、この辺りまでやって来る人々へと近付こうともしたが、彼らが容赦なく
センシと出会ったのも、本当に偶然であった。同時に、ある種の転機でもあるのだろう。
「……………………ザルド」
「ん?その名に決めたのか?」
「アア。そう、名ノる事ニした」
名乗る瞬間は無いだろうが、内心でそう続けるリザードマン改め、ザルド。
彼は、ヒトの排他的な部分をよく知っていた。そして、自分の容姿が決して人間社会に適応できるものではないという事も。
それこそ、無抵抗に受け入れるのは、