女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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バレンタイン? 何それ?
そんなの俺には関係ないよ。

って事で普通に投稿です。うん、そんな日はなかった。



12 赤銅騎士の独白

 

 

ルクレチア・ゾラが住む屋敷にて。

草薙護堂というカンピオーネとの出会いを、エリカ・ブランデッリは反芻(はんすう)していた。

 

敬愛する我が叔父、《赤銅黒十字》総帥パオロ・ブランデッリ。

彼に反発して神殺しという偉業を果たすべく意気込んでいたが、今となっては何と愚かだったのかを痛感する。

このサルデーニャの地で実際に神が降臨している事を知り、自尊心と責任感から神に挑む事を決意した。

 

しかしそれは、あまりに不用意で危機感の欠ける行いだったのだ。

 

生まれて初めて対面した神――正確にはその一部でしかない神獣、化身の一つ――に、心底から身が震えた。

絶対的な存在感。神威とでも形容すべきそれを受けて、足が竦んで体が硬直してしまった。

 

こういう表現は少しばかり傲慢かもしれないが、神との戦いに臨む身として私は、優秀であり過ぎてしまったのだ。

 

下手に有能だったから、勝てないと分かってしまった。

人より秀でていたから、逆らってはいけないと思ってしまった。

誰より優等だからこそ、私はそれで終わってしまうと、私が私で認めてしまった。

 

しかし、それで良かったのかもしれない。

そう思えたのは、草薙護堂に出会ったからだ。

 

神殺しの魔王、カンピオーネ。

そう呼ばれる存在が、普通の少年だったから。

 

私がとった仰々しい態度に窮屈さを覚え、甘えるアテナ様に頬を赤らめ、ルクレチアのイタズラに困惑する。

刃物を前にすれば緊張を覚え、人の涙を見れば義憤に駆られ、自分に非があれば謝罪する。

ともすれば神々をも打倒しうる神殺しは、そういった普通の感性を持つ少年だった。

 

それは神々の戦場に於いても変わらず、常に己を見失わない自然体。

 

ああ、王とはこのような存在なのだ。

私はそう納得した。

 

ヴォバン侯爵であれば絶対君主として自然と頭を垂れ、サルバトーレ卿なら放し飼いの獣のように関わらないように動く。

草薙護堂は二人のように力尽くで他者に己を主張するのではなく、自然と溶け込んで周囲を味方に付ける、そんな人だ。

意図してではなく、ただ己を確固たるものとして行動した結果、人が彼らを中心に据えて行動するようになる。

 

それこそが魔王という者の在り方なのではないだろうか。

 

そう、例えばあのように。

 

「え? ムール貝を生で?」

「ああ、少年は日本人だから馴染みが薄いか? レモンをかけて食すと中々の美味だぞ」

「ここサルデーニャ島は体に良くて美味しいものが多いですからね、護堂様も是非お召し上り下さい」

 

アテナ様を膝に乗せたまま、ルクレチアと歓談する護堂。

それに片付けを終えたアリアンナも加わっていた。

 

ルクレチアは生来の性分もあるのだろうが、顔を合わせた時から護堂にストレスを与えない接し方を貫いている。

きちんと分別を弁えているアリアンナも、自ずから護堂の疲労を和らげようと世話を焼いている。

アテナ様も場の空気を読まれたのか、護堂の膝に収まりながらも大人しくなされている。

 

人をからかうのが好きで気が合うルクレチアが、護堂を振り回す傍らで気にかけている。

あれでなかなかガードの固いアリアンナが、気を緩めて笑顔を見せている。

まつろわぬ神という言うに及ばずなアテナ様が、行動の主体を護堂に委ねている。

 

あれが魔王。

あれが神殺し。

あれが草薙護堂。

 

敗北した、完敗だ。

あれでは如何なる人間も彼を害す事は出来ない。

混ざり、溶け込み、取り込まれる。

 

そうなってしまっては、いずれ魔王を倒そうという気概を持つ者すらいなくなるのではないか。

そんな考えさえ浮かんでくる始末。

 

そして、そんな女殺しの人誑しに感化された女が、ここにもひとり。

 

「あら護堂、随分とアリアンナを誑し込んだようね」

「エリカ!? いや、別に誑し込んだ覚えはないぞ!」

 

振り向いた顔は少し赤みが刺し、口元は僅かに震えている。

誑し込む、という言葉に羞恥を覚えているのだろう。初心(うぶ)で可愛らしい反応だ。

 

それを見た茶目っ気たっぷりの我が従者と屋敷の主は、共に面白い物を見つけたという風な笑みを浮かべている。

きっと私も、鏡を見れば同じような表情をしているのだろう。つくづく気の合う人物たちだ。

 

「申し訳ございませんエリカお嬢様。私はもう、護堂様に逆らえないのです」

「アリアンナさんっ!?」

 

嘘は言っていない。

たかだか一魔術師、それも見習い風情が魔王陛下の命令を拒否することなど不可能だ。

床に崩れ落ち瞳から水滴を落とす従事服姿の少女を見て、どういう想像をするかは個人の自由なのだし。

 

なお、瞳からこぼれ落ちる水滴に塩分は含まれていない。

 

「可哀想にアリアンナ、王の権威で体を……」

「ちょっとエリカ!?」

 

体を動かす事になるなんて。

思わず目尻にキラリと光る水滴を浮かべてしまうわ。

護堂がこの時間に目覚めなければもう少し(くつろ)いでいられたでしょうに。

 

もちろん、目尻の水滴に塩分は含まれていない。

 

「すまないエリカ嬢、私の体は――」

「ルクレチアさんも乗らないで下さいよ!」

 

これくらいが潮時かしら。

色々と堪能できて有意義な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の晩、食事を終えた私は屋敷を抜け出して夜風に当たっていた。

 

なんだかんだで私も緊張していたのだろう。

意識していないところで気が緩むのを感じた。

 

「麗らかな月夜だ」

「――っ!」

 

瞬間、背後から声がかかる。

その場を飛び退きつつも振り返ると、目に入ったのは女神の尊顔。

 

優しい月の光に当てられた頭髪は、それ自体が光り輝いているかのように錯覚する。

物憂げに空を眺めるのは黒く、深い瞳だ。それが、私の方に向けられる。

 

よく表現される己が暴かれる、というような感覚ではない。

ただ、気が付いたら飲み込まれそうな深い瞳。

 

漆黒――艶やかで吸い込まれそうな、漆のような黒だと護堂は思った事がある。

それと同じような感想を、エリカもまた抱いた。

 

「これは醜態をお見せしました」

「そう卑下する事もない。其方(そなた)は美しき乙女、勇ましい騎士だ。忠誠を誓うというのであれば、我が下僕に取り立てても良い程に」

「身に余る光栄ですわ、ええ本当に。しかし私のような者では、貴女方には追い縋れませぬ」

 

ああ、この女神がわざわざ口に出したのだ、本当にそう思っているのだろう。

だがしかし、本当に身に余るのだ。私のようなただ優秀なだけの人間には。

 

辞退の返答は予想していたのか、それともどうでもいい事に過ぎないのか、彼女はあっさりと引き下がる。

 

「誓わぬというならそれも良かろう。して、これからどう行動する腹積もりだ?」

「どう、と言われますと?」

「惚けるでない娘。妾と護堂の実情を知って、この国の神殺しの子飼いであるお前はどうするのかと問うている」

 

闇の如き両眼は氷の印象を抱くほど冷たく輝いている。

死の温度、なのだろうか。

 

草薙護堂(カンピオーネ)アテナ(まつろわぬ神)が共に生きているという事実を、他の神殺しに伝えるのかどうか。

それは彼女らにとって文字通りの死活問題。故に、被害を(こうむ)る前に私を始末する。

それも取りうる選択肢の一つだと、言外に彼女はそう言っているのだ。

 

それに対する、私の返答は――

 

「私は、貴女様に仕える気はありません。しかし彼、草薙護堂にならそれもいい――かもしれないと考えています」

「…………続けよ」

「私は彼に出会い、王という者の真理の一端を垣間見た気がしております。それを感じさせてくれた彼になら、私の剣を預けるに不足はないでしょう。しかし、彼以上がいないとは限らない」

 

沈黙を守る女神。

それを傾聴の意と捉え、更なる思いを吐露していく。

 

「このエリカ・ブランデッリ、一度顔を合わせた位で人生を委ねるほど、安い女ではありません。故に彼を、私の主候補(・・)として見極めさせて頂きたいのです」

「人の子が我が伴侶を試すと?」

「恐れながら、そう申し上げております」

 

冷眼から目を逸らさず、逸らせず、静かな夜が続いている。

やがて私は、冷や汗が流れ始めた。

 

いつまでこうしていればいいのだろう。

夜の外気と女神の圧力、死の恐怖で体が震え始めた。

 

そこで、女神は瞳を閉じた。

 

「仕える主となるやもしれぬ相手に、要らぬ騒動は持ち込まぬな?」

「無論でございます」

「……許す、下がるがいい」

「ありがたく」

 

周囲に満ち満ちていた圧力が消えている。

無音の夜に、風の声と生命の音が戻ってきていた。

 

(ゆめ)忘れるなよ娘、妾が夜の使者であることを」

 

心得ていますアテナ様。

この闇は貴女の眼となり耳となる。

害成すと判断されれば葬られるのでしょう。

 

しかし、貴女もお忘れ無きよう。

貴女の夫は草薙護堂、神殺しの勝利者なのだということを。

 

護堂が私の生を望むなら、貴女の謀略を破壊する事でしょう。

そして私は、彼の庇護下に居続ける自信がある。

 

さぁ護堂、覚悟しなさい。

私を誑かした罪は重いわよ。

いつか必ず、力を付けて日本に追いかけて行くんだから。

 

 

 

 

 


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