護堂と侯爵の戦いが次の段階に移行し、そこにサルバトーレが乱入してきた頃。
アテナは裕理や冬馬と共に、裕理が巫女を務める七雄神社で待機していた。
日本生まれの日本育ちな人間二人ならまだしも、女神が正座しているという光景に強烈な違和感を抱いて然るべきだ。
しかし件の両者は、それを当たり前のように受け止めている。
裕理はしっかり者に見えて何処か抜けている天然少女であるし、常日頃から女神と魔王のイチャつきを見飽きている冬馬は言わずもがなである。つい先日など、白雪のような肌をした女神の太ももに護堂が頭を乗せていた光景を目撃しているので、尚更なのだろう。
「あの、アテナ様。不躾ながらお伺い致しますが、草薙さんはいま……?」
ただ座して待つしかない裕理は、その場にいながら戦場を把握しているであろう女神に情勢を問い掛けた。
「護堂か――ふむ、この様子は苦戦しているようだな」
「そんなっ、やはり侯爵程のお方が相手では……」
しかし返ってきたのは、護堂の苦戦という悪い知らせ。
思わず悲鳴にも似た声を上げてしまうが、アテナは見向きもせず平然としている。
「巫女の娘よ、お前は護堂を――神殺しを知らぬ。アレに劣勢など関係がないのだよ」
戦女神は悠然と、裕理の
「アレに理屈など意味を成さない。アレに戦歴など意味を持たない。アレに安寧など、求めるだけ無駄な事だ」
神殺しの王などと呼ばれているが、彼の者らは所詮獣に過ぎない。
条理や理屈など踏み躙り、不利不況など鑑みない。
「護堂の身を案じるならば、その力になる事を考え行動するがいい」
暖かく抱き留めるでもなく、冷たく突き放すでもなく、ただ平坦な口調で述べるアテナ。
女神は戸惑いを浮かべる裕理を、無表情ながらも横目に見守る。
(お前もまた、護堂に取り込まれた者なれば、自ずと動くようになるだろう。アレはそういう手合い故な)
サルデーニャでエリカが思ったのと似通った事を、彼女より以前に取り込まれた女神は思う。
それに続いて感じ取った魔術の予兆に、苦笑にも思える笑みを唇に浮かべた。
発動の基点は、障子の外に広がる神社の
「っこれは!」
「裕理さん、下がってください!」
同じく魔術の発動を感知した裕理は身を竦ませ、冬馬は目付きを険しくして前に出る。
しかし、のんびりと茶を啜るアテナは見向きもしない。
彼女には分かっているからだ。
それが誰によるものなのかを。
どのような意図によるものなのかを。
「随分と早く顔を合わせる事になったな、娘よ」
背を向けながらも見えているかのように声をかける。
いや、見えているのだろう。たとえそうでなかったとしても、この態度は変わらなかったに違いない。
正座する女神の背に向かい、声を上げるは西洋の乙女。
「早々の再会、心より喜ばしく思います。アテナ様――」
金糸の如き頭髪を振りまき、『
それに未だ背を向けたまま、半身だけ振り返り問い質すアテナ。
「して、此度の来訪は如何なる故あっての事か?」
「
いざとなれば護堂に着く、そういうエリカなりの意思表示なのだろう。
だがアテナとしてはエリカの身の振り方よりも、もうひとつの情報にこそ興味を示した。
「イタリアの神殺しが、消えた?」
「はい。彼の君は同胞たる王か怨敵たる神々にしか興味を示されぬお方。この情勢で行方を晦ましたとあれば、向かう先はこの国しかないと推察し、参上した次第であります」
暫しの沈黙。
だが女神の小さな体から静かに、ユラユラと立ち昇る神の呪力が言葉よりも行動を物語っている。
恐らく、戦場に向けているその知覚をより鋭敏にしているのだろう。
鮮明に、明確に、詳細に現状を把握するべく。
数秒後、こくりと一つ頷いた。
「ああ、今まさに護堂と剣を交えているらしい。神殺しが三者も同時に
「三者? もう一人いらっしゃるのですか?」
「うむ、デヤンスタール・ヴォバンとやらが、妾を目指してこの国へな」
「……なんというか、流石ですわね」
険しい表情をするより先に呆れを顔に出すエリカ。
それは敵手と戦場を嗅ぎ付けるサルバトーレの嗅覚にか、それとも厄介事と騒動を呼び込む護堂のトラブル体質にか。
しかし、そんな未曾有の事態をも好都合と、自らの考えに利用する
「そういう事でしたら、わざわざ出張ってきた甲斐がありました」
イタリアの騎士は不敵な笑みを浮かべ、眼前に
厳重に封じられていたそれを解除すると、アテナは
「娘っ、その神具は――!」
「重鎮の方々に誠心誠意
察するに、サルバトーレ居ぬ間に別の
そして子飼いの術者に己を転送させて、遠く日本まで逃げ
そうまでして手に入れた宝物、丁重に美装された木箱の蓋を開ける。
中から現れたのは、古い金属製のメダリオン。
その神具の名は――ゴルゴネイオン。
響きからも読み取れるように、ゴルゴン。
蛇の女怪メドゥーサの尊顔が描かれている。
アテナの探し求めていた、彼女の神格を構成する大きな要素。
それが、イタリアの結社よりエリカの持ち出した品の正体であった。
「ふふっ。その賢しさ、
もはや隠しきれない喜びを表情に出し、女神は騎士のそばに寄る。
エリカの掲げた両手にあるそれを、懐古の微笑みで手に取るアテナ。
遂に、遂に!
「我が名はアテナ、かつては命育む地の太母なり。闇を束ねし冥府の主なり。天の叡智を知る女王なり。ここに誓うっ! アテナは再び古きアテナとならん!」
吹き
放たれる輝きは、ともすれば生命を凍てつかせる大地の邪光。
本来の神威を顕せば周囲を死の国に変えるそれを、女神は意思だけで御してみせる。
結果、神の力はこの場の三人に影響を及ぼさなかった。
収まり、立っていたのは銀白の美女。
髪は伸び背丈が成長し、可憐な少女から端麗な乙女へと変貌していた。
「改めて、名を聞いておこう」
「《赤銅黒十字》が大騎士、エリカ・ブランデッリで御座います」
「ではエリカよ、この者らと此処で待つがいい。思惑通り、護堂の救援へ向かってやろう」
「思惑などと、とんでもない。私はただ、アテナ様の手助けをしに参っただけですので」
にやっ、そう擬音が付きそうな笑みを浮かべ、顔を見合わせるアテナとエリカ。
女神でも騎士でも、女は怖い。
影に徹しながらも遠い目でそう悟る男がいた。
それからアテナは冬馬と裕理を一瞥し、体調を確かめてから天へ飛び立つ。
向かう先は確かめるまでもなく、草薙護堂がいる戦場へ。