四肢の末端に至るまで力が行き届き、体のコンディションが万全に近付く。
まつろわぬ神と対峙した時の感覚を感じ取り、三人のカンピオーネは空を見上げた。
頭頂に青い花冠を乗せ、純白の絹を合わせた衣装を纏っている。
各所に散りばめられた黄金の飾りも、彼女の美しさを際立たせる脇役でしかない。
そこにいたのは銀髪を風に揺らす美女、闇を司る知恵の戦女神アテナであった。
「妾はアテナ、まつろわぬ女王である。神殺しよ、
清涼な夜風に揺られながら、女神は高みより一言する。
――グルゥウウウウウウウウウウウウウ
『アテナだと? 今更出てきていったい何のつもりだ?』
「へぇ! じいさまに護堂、次はアテナか! この国は面白いねぇ……」
言葉を投げられた二人は疑いと感嘆を表すが、それよりも大きな反応を示したのは護堂である。
両者から神速で距離をとり、上空から俯瞰するアテナに声を上げる。
「なんで出てきた、待ってるように言っただろう! っていうかその姿はなんだ!?」
「護堂、あまり声を荒げるな。この姿は貴方の騎士が《蛇》を進呈してきたお陰だ。此処へ来たのは、その褒美として願いを叶えてやるために他ならぬ」
アテナの言う《蛇》、つまりゴルゴネイオンを渡して来たという者。
その行為にも疑問が沸くが、それよりも先に。
「俺の、騎士――?」
いったい誰の事を言っているのか分からず、眉を寄せ首を傾げる護堂。
その脳裏に、とある少女の顔がふと過ぎった。
『私は《赤銅黒十字》の大騎士よ』
大騎士と、そう名乗った彼女。
あの少女は、確か別れ際にこんな事を言っていなかっただろうか。
『また会いましょう護堂。その時は、私たちがもっと近しい関係になっている事を祈るわ。魔王陛下♪』
……思い出して頬が引きつっていくのを感じる。
護堂はもはや確信に近いものを感じつつ、控えめに妻へ問い掛ける。
「あー……その騎士って、この間の、アイツ?」
一応すぐそばに彼女が所属するイタリアのカンピオーネがいるので、変に疑われても
「うむ、初対面で刃を突き付けてきたアレだ」
「そんな事もあったなぁ……何してんのアイツ!?」
人間の魔術師が、それもイタリア在住でカンピオーネの配下でもあるはずの彼女が、よりにもよってまつろわぬ神の手助けをするというとんでもない事態に、護堂は人目も
アテナがいるので不意打たれる事はないという、無意識の信頼もあっての行動だろう。
「もしも実家に戻れなくなったら、貴方の庇護下に入れてやるが良い。大きな働きをしてくれたのでな」
(おーい、何考えてるんだエリカの奴……)
護堂はそのまま熟考しそうになったが、除け者になっていた二人の挙動を察知して視線を向ける。
既に思考は、戦闘態勢に入っていた。
「あっちの二人も待ち侘びてるようだし、先にケリをつけるか……」
「うむ、妾も存分に力を振るいたいところだ」
ゆるりと降下し、護堂の隣に降り立つアテナ。
親しげに会話し並び立つ神と魔王に、もう二人の神殺しが胡乱な目を向ける。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンッッッ!!
『小僧貴様、やはりアテナと通じていたか! 王ともあろう者が篭絡されるとは情けない、アテナ諸共この場で引導を渡してくれよう!』
「短慮な事だな神殺し、
女神は端正な美顔に嘲笑すら浮かべ、宿敵たる神殺しを誹る。
それに、と続け。
「篭絡されたのが、彼の側とは限るまい?」
するりと伸ばした手を隣にいる護堂の首に絡め、そのままの流れで口付ける。
それは、昼間の再現。即ち――
ケルト神話の神王ヌアダ、幸運をもたらす者を意味するダーナ神族の王。サルバトーレ・ドニに『斬り裂く銀の腕』『
神々の来歴を齎らす情報伝達。
『教授』や『啓示』と呼ばれるその術で、黄金の剣を研ぎ澄ましていく。
サルバトーレ・ドニへ対抗するために。
そして――
「これが、あの巫女が齎した
道中に送られてきた思念の内容、ヴォバン侯爵を象徴する二つの権能に関する神の来歴を、女神の知識が及ぶ範囲で吹き込む。
エリカの行動に触発されて、霊視を授かれるように祈ったのだろう。
万里谷裕理は世界屈指の霊視能力者、その行動はこうして実を結んだ。
四柱の神を刻み込んだ護堂は、アテナの肩を持ち優しく引き離す。
今は戦時、そして人前。草薙護堂の性格からして、甘い情事に耽るには状況が悪かったようだ。
口元を引き結んだ護堂は、二人の敵を見据え宣う。
「さぁ、そろそろお引取り願うぜ。そんでもって、暫くこの国には近寄るな」
「連れない事を言わないでよ。もっともっと楽しもうじゃないか、僕は君が気に入ってきた所なんだ」
「俺はアンタが嫌いだよ、サルバトーレ・ドニ」
残念だけどフラれちゃったと、少しも残念そうに見えない笑顔で首を竦める。
カチンと来る態度だが、まずはあの無敵の鎧を剥がさないとどうしようもない。
そう判断した護堂は、最初の標的をサルバトーレに、彼の鋼の権能に定める。
狙いを付けられた事を悟った本人も、それを望むかのように笑みを深くする。
「我は言霊の技を以て、世に義を顕す。これらの呪言は強力にして雄弁なり。勝利を呼ぶ智慧の剣なり」
そして此処に護堂がウルスラグナより簒奪した黄金の剣が、後に『
――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォンンンッ!
『新たなる権能、神格を貶める言霊の剣か! 小癪な物を隠し持ちおって!』
「わぉ、君も剣を使うんだね! じゃあ僕も気合を入れようかな!」
手を抜かれていたと感じたのだろうか、文字通り大声で吠えるヴォバン。
それと裏腹に笑顔を子供のように無邪気な物へ変え、剣を持つ右手をダラリと下げる。
ただ立っているだけのその姿を見て、護堂の背筋に
「ここに誓おう。僕は、僕に斬れぬ物の存在を許さない!」
それは、この戦場で二度目の聖句。
剣の王もまた、その魔剣を新生しようとしているのだ。
黄金の剣を抜いた護堂に、剣士として対峙しようとしているのだ。
「この剣は地上の全てを斬り裂き、断ち切る無敵の刃だと!」
右腕から溢れ流動する銀色が、侯爵の牙によって刃こぼれしていた剣を修復していく、
いや、それどころか更に剣身の全体を覆い、より威圧感を感じさせる巨体へと変えていく。
全てを断ち切る魔剣の権能は、剣そのものを強化する事も出来るのだ。
その光景を目にしても、護堂は斬る対象であるジークフリートの事しか考えていなかった。
何故なら彼は知っている、信じているのだ。
ウルスラグナより受け継いだこの黄金は、出来合いの魔剣などには負けないと。
「では、妾も露払いに勤しむとしよう。来るがいい獣の神殺しよ、元々の狙いは妾だったのであろう?」
主役はあくまで護堂であり、己は脇役に過ぎぬと断じる。
主人公の敵手という主役の座を、サルバトーレに奪われた侯爵もそれに乗る。
――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォンンンッ!
『良かろう! 貴様を我が手に掛け、その権能であの小僧を葬ってくれる!』
「それでこそ神殺し、諸人に魔王などと唱われる逆縁の徒なり!」
アテナが召喚した大蛇と狼の巨体で取っ組み合うヴォバンを尻目に、剣を下げた二人の魔王は互いに向き合う。
共に右手には権能の刃。
方や無敵の魔剣、方や神殺しの聖剣。
燻し銀と黄金が、剣の王とまつろわぬ王が、西洋と東洋の魔王が激突した――