女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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15/5/12
神殺しを終えた護堂が、食べ物をがっつく描写を追加しました。



4 過去編

 

「ここは『生と不死の境界』って言ってね、平たく言うと『あの世の一歩手前』。()の世と此の世。現世と冥府。物質世界と精神世界。そんな世界間の狭間にある中間の空間なの」

 

どうでもいい事だが、(かん)って言い過ぎじゃないか。

と、そんな所に目を付ける護堂は現実逃避に入りかけている。

 

無理もあるまい。

彼の主観では数秒前まで、ギリシア神話の主神と(おぼ)しき男と殺し合いを演じていたのだ。

 

いきなり訳の分からない場所で初めて会う女が一人で語り出せば、それは混乱に陥るのも致し方ない事と言える。

 

「あたしはパンドラ、『まつろわぬ神』じゃない、本物の女神様よ。可愛い息子の誕生だから、『不死の領域』から頑張って出張してきたってわけ」

「まつろわぬ、神? 不死の領域って……いやその前に、ママとか息子っていったい?」

 

体を起こしてパンドラと名乗った女に向き合う護堂。

矢継ぎ早に質問を返すが、女神は取り合おうとしない。

 

どころか、逆に黙っているように促す。

 

「あたしは正真正銘の神だから、あまり地上やそれに近いこの領域に長居は出来ないの。あなたは知識が不足しているから、前にサーシャにやったようにまずはそれを叩き込むわ」

 

サーシャ、というのは人の名前だろうか。

日本人である護堂には、その名だけで人種や性別を判断できない。

 

後にそれがサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンという男の名だと知るが、彼女にそう呼ばれている事はこの領域にいる時しか思い出せないので、それも良いか悪いか。

 

「とりあえず目が覚めたら、すぐにその場を離れること。魔術師が集まってきて変に騒ぎ立てられると、あなたの目的からは遠ざかってしまうもの」

「俺の目的って……」

「アテナさまよ。あの方と関係を築きたいのなら、他の邪魔や横槍が入らないように接触すべきなの」

 

右手の人差し指を護堂の鼻先に突き付けるパンドラ。

もう片方の手を腰に当てるその様は、態とらしいながらも媚びる意図は感じられない。

 

その眼光が鋭い事もあって、護堂も大人しく忠告を受ける事にした。

そうした方がいいと、自分のどこかが訴えてくるのだ。

 

「それから、次はあなた自身についてね」

 

フッと微笑を浮かべ、彼女は目尻を緩めた。

 

「まさに天の采配、と言えばいいのかしら。全ての条件が揃った事で、あなたは新生することになったの」

「しん、せい……?」

 

続ける女性、女神パンドラの言葉を護堂は理解できない。

理解するための下地が、彼には欠けているからだ。

 

「エピメテウスとあたしが遺した呪法。愚者と魔女の落し子を生む、暗黒の生誕祭。神を贄として初めて成功する、簒奪の秘儀――」

 

しかしそれを知りながら、なおもパンドラは言葉を紡ぐ。

理解できなくても、記憶に残らなくても、その知識は魂に刻まれるから。

 

「ゼウスさまと相打ちになった事で神殺しを成し遂げたあなたは、カンピオーネになるの。神殺し、王の中の王。カンピオーネに――」

「カンピオーネ……」

 

何を言っているのか護堂は欠片も理解が及ばなかった。

しかし、なぜかその単語だけが妙に頭に残る。

 

パンドラの声を子守唄に、護堂の意識は闇に落ちた。

 

「今度会った時はママって呼んでね~」

 

その一声を最後に、護堂は『生と不死の領域』から姿を消した。

残った女神は、灰色の空間で独りごちる。

 

「あたしは神々の創りし最初の女、忌まわしき箱を持つ災厄の魔女。アフロディーテさまから異性を誘惑する魅了の力を、ヘルメスさまから狡猾な知恵を、そして――アテナ様から女性としての器量を与えられた、ヘパイストスさまの落し子」

 

語る女神も、徐々にその身を薄れさせていく。

 

先に述べたように、彼女はまつろわぬ神に非ず。

神話にまつろう存在が、地上やそれに準ずる場所に長居は許されない。

 

「あたしは元々ゼウスさまの意向により、あらゆるものを与えられて生まれたんだもの。『すべてを与える女』であるあたしは、ゴドーにもすべてを与えてあげる。力を、地位を、名声を。そして――」

 

既に全身が透過し、世界の色が侵食するその身で。

驚喜にも、歓喜にも、悲嘆にも、慟哭にも思える声音で。

 

「――出会い(きぼう)別れ(ぜつぼう)の可能性を平等に」

 

神殺しの最大の支援者とも称される女神は、慈愛の笑みで謳ったのであった。

 

 

 

 

 

「あれ、なんか変な娘に変な話をされて変な呼び方を強要されたような……?」

 

地上で目を覚ました護堂は、まずその場を離れた。

脳裏で何かが囁いた気がしたので、それに従ったのである。

 

自分で自分の言葉に首を傾げる彼に、そのやり取りの記憶はない。

地上と『生と不死の境界』を行き来する時に、その出来事が削ぎ落とされてしまうからだ。

 

あの領域での記憶を保つには、悟りを開き世界を超えるしかない。

そしてそんな精神を持てるような人間は、神殺しになったりしないのだ。

 

前日から泊まっていた小さな地元ホテルに帰り、豪勢に過ぎる夜食を摂る。

帰路の途中で気付いたのだが、異常なまでに腹が減っていたのだ。

 

夜中に大仕事を与えて申し訳ないと思う暇もなく、次々に注文しては食べ尽くす。

 

普段の二倍三倍は軽く超えるであろうそれが、見る見る内に口へ消えていく。

手持ちの半分以上を注ぎ込んだ食事は、一心不乱に食べ続けて数十分は長引いたのだった。

 

湧き上がる食欲がようやく満たされた護堂は再び寝入る。

目覚めたのは翌朝、現地時間で午前五時を回った頃だった。

 

起床した直後は呆けたように天井を見つめ、目を(しばた)かせた。

ベッドに横たわったまま、妙に耳にこびり付く単語を口にする。

 

「カンピオーネ……」

 

どこで聞いたか分からない。

しかし、どことなく馴染むような気がする単語。

 

朝食の時間が来るまで何をするでもなくダラダラと過ごした護堂。

彼が違和感を覚えたのは、ホテルの食堂で料理を注文した時の事だ。

 

ウェイトレスの女性が話しかけてくる。

 

「朝食にコーヒーはお付けしますか?」

「お願いします」

「別料金で一ユーロ掛かりますが、構いませんか?」

「ええ、大丈夫です」

 

なんてことない日常会話。

女性が過ぎ去った後、護堂は猛烈な違和感に襲われた。

 

(あれ? 俺いま、日本語で話してた? いや、違う。今のは日本語じゃなかった。じゃあ、何で……)

 

女性が話していたのは現地のギリシャ語。

護堂が話していたのも、何故かギリシャ語。

 

何かがおかしい。

 

草薙護堂は生粋の日本人だ。

話せる言語は母国語のみ、流暢に話せるのは日本語に限る。

読み書きなら英語とギリシャ語も少しはできるが、それも付け焼刃で心(もと)ない。

 

なのに、今の会話だ。

護堂は女性に釣られるようにギリシャ語を話した。

 

この変化の原因は、どう考えても昨夜の出来事だろう。

 

(ゼウス……最後の方は何がどうなったか覚えてないけど、確か相打ちになったって言ってた(・・・・)よな?)

 

そう考える彼は、自分の思考に違和感を持たない。

これも『生と不死の境界』が齎らす作用なのだろう。

 

詳しい事情こそ知らぬものの、己に起きた変化がゼウスの死を引き金にしている事は把握した護堂は、その変化がどういうものなのかを確かめるべく行動を始める。

 

朝食を掻き込んだあと、多くの人と話そうと宿を出る。

それから暫く街を歩き回ってみた彼は、ふとある事に気付いた。

 

「言葉は解かるのに、文字は解からないんだな……」

 

そうなのだ。

行き交う人々の会話は、耳に入ると自然と理解できる。

だが店先の看板などを見ても、意味は解からない。

 

持ち歩いていた単語帳を開き、文字を見比べ、読み解く。

そうしなければ何が書いてあるか理解できなかったのである。

 

これは一つ収穫だ。

言葉の翻訳と文字の翻訳はまた別物らしい。

 

……分かったからどうなるという事でもないが。

 

そうやって近くの広場で、力が強くなったりしていないか。

またはボールを投げたりして、視力が上がっていないか。

 

そんな身体の変化を確かめていた護堂が、不意に背後を振り返る。

 

(なんだ、急に体が熱くなって――)

 

振り返った先に、いた。

白い布衣装を身に纏い、銀幕のような頭髪の間から黒曜の如き瞳を向けている。

 

「あなたからはゼウスの気配を色濃く感じる……この都に顕現した奴を殺したのはお前か神殺し――」

 

アテナと名乗ったあの少女が、女神の神威を振りまき佇んでいた。

 

 


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