女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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――時は戻り現在。

 

あの後に、少し海を越えてイタリアの方まで観光(・・)してから日本に帰った両名。

帰国に至る空白の一週間にあった出来事は次の機会に置いておこう。

 

護堂は記憶の旅から帰還し、女神の横顔から目を離した。

 

一度振り向いて首を傾げたアテナは、まぁいいかと立ち上がる。

そのまま自動販売機の横手に設置してあるゴミ箱に、空になった紙パックを捨てにいった。

 

護堂も手に残るそれを一気に飲み干し、アテナの後に続く。

女神様主導、水族館デートの再開だ。

 

「では護堂よ、続きと行くか」

「そうだな、目玉のジンベエザメも見たし、軽く流して次に行こうか」

「フッ、それは早計というものだぞ」

 

挑戦的な笑みを浮かべ、館内のパンフレットを広げるアテナ。

突き出された面を見てみると、空を飛び跳ねるイルカの写真とその説明が載っていた。

 

イルカたちの躍動感に溢れ、跳ねた水飛沫が涼しげな印象を抱かせるそれ。

 

「イルカショー……そろそろ午後の部が始まる時間だな。周りきる前に少し休憩しようって言い出したのは、このためだったのか」

「ああ、今から向かうなら良い頃合であろう?」

 

感心する護堂を見て、得意げな顔で胸を張るアテナ。

予定を立てて来たと言うだけあって、しっかり時間割を把握しているようだ。

 

流石は知恵の女神、優れた頭脳を持っている。

 

(それを俺とのデートに活用してるっていうのは、喜んでいいのかな……)

 

アテナは俺の嫁。

そう声高々に叫んだ事もある護堂だが、やはり女神の庶民化という事態には得も言われぬ心象を覚えずにはいられない。

 

開き直るに直れないこの微妙な葛藤こそ、彼が草薙護堂たる所以なのかもしれない。

 

「さぁ、遅れるな。劇が始まってしまうぞ!」

 

自然に手を取って歩き出すアテナに、敵わないなと追従する護堂だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁああああああああああ!!」

 

――ザバァアアアンッ!

 

「きゃぁああああああああ!!」

 

――ザッブゥウウウンッ!!

 

水飛沫が飛ぶ毎に、黄色い悲鳴が交差する。

発生源は巨大な水槽と、それを遊泳するイルカたちだ。

 

時に飛び跳ね空を切る、愛らしくも美しい勇姿。

 

彼らは列を成し、陣形を組んで芸を魅せる。

上空に吊るされた玉を、水中から飛び上がりタッチ。

 

あの体躯で凄まじいジャンプ力を誇っている。

 

次は水面の端から端まで飛び上がっては水に潜り、繰り返し繰り返し水を跳ね上げる。

飛び散る水滴が観客にまで降りかかるが、それもまた場を盛り上げる要素となるのだ。

 

飛沫は護堂たちが座る席にも飛んできた。

彼は咄嗟の動体視力でその軌道を見極め、目元口元に来る分を払い除ける。

 

「きゃっ」

 

払い除けたそれは、左手にいたアテナの胸元に。

 

耳に届いた可愛らしい悲鳴。

その出処は――わざわざ考えるまでもない。

 

女神は不覚とばかりに口元を押さえ、もう片方の手で濡れた部分を隠す。

どこか悔しげに寄せられた眉根と、頬を染める桃色が愛らしい。

 

「冷たかったろ、大丈夫か?」

「この程度のこと、何の問題もありはしないっ」

 

吐き捨てる、というのに近い語調で無事を告げるアテナ。

護堂の前で醜態を――むしろ可愛らしいと表現すべきだが――晒した事が余程に屈辱だったと見える。

 

瞬間的に放出した極微量の呪力が、人知れず水気を弾き飛ばす。

水玉柄の白いワンピースは、元の乾きを取り戻した。

 

「護堂、次の芸が始まるぞ」

 

澄まし顔で水槽(プール)へ視線を向けるその姿は、今の一幕をなかったことにしようという意図が透けて見える。

 

それに苦笑するでもなく、素っ気ない態度で同じ方を向く護堂。

こういう時は素直に従うが吉と知っているのだ。

 

見るとアテナの言うとおり、イルカたちも次なる見せ場に入っている。

 

飼育員がフラフープを投げ水面に浮かべると、真下からイルカが出てくる。

なんとそのまま、鼻先で回し始めたではないか。

 

「おお! あれは凄い!」

 

それからもイルカ(かれら)は観客を魅了してくれた。

 

水中からジャンプしての宙返り。

上半身を水面から出してぐるぐると回転。

どれも優雅に力強く、子供達にも大人気であった。

 

「また来てもいいかもな」

「うむ、なかなかに楽しめた」

 

暑い日差しに当てられて、夫婦仲も更に暖まったようである。

 

 

 

 

 

――夕暮れの頃。

 

「ただいま~」

「只今」

 

水族館デートから帰宅し、玄関を開ける。

わざわざ出迎えに来たのは、予想通りのアリアンナであった。

 

「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」

 

行きと同じく綺麗な礼を見舞ってくれた出来るメイド。

だがしかし、その発言には少々引っかかる。

 

「えっと、アリアンナさん?」

「どうなさいました、旦那様?」

「どうしたって、その……」

 

あなたがどうしたんですか?

そう口走りそうになった護堂だが、ぐっと堪える。

 

「昼間は呼び方が違いましたよね?」

「そのことでしたら、エリカ様と取り決めまして」

 

曰く、「ねぇアリアンナ。ここは護堂の家、彼のお祖父様が家長と言うべき場所でしょう? なら、わたしの従者として彼らをこそ敬うべきではないかしら」とのことらしい。

 

護堂は思った。

どうせその後に「だって、その方が面白そうじゃない」、とか言っていたんだろうと。

 

その旨をアリアンナに問うと。

 

「流石は旦那様、良く理解されていらっしゃいます♪」

 

との回答が返って来た。

より正確に言うと「だって、その方が護堂の反応が面白くなりそうじゃない」だった事は、話せば悪乗りしたことが悟られてしまうので語らずにいたのだった。

 

本当にイイ性格の主従である。

 

「静花さんも帰宅されていますので、着替えて来られては?」

 

有能なメイドの言うことなので、大人しく従う事にする。

 

護堂とアテナが部屋着に着替えてからリビングに行くと、静花もソファーで(くつろ)いでいた。

デートの件を黙っていた事もあり護堂は恨めしそうな視線を送るが、妹は目もくれずにアテナへと声をかける。

 

「お帰りなさいアテナさん。今日の経過はどうでした?」

「順調に行きました。静花さんのお陰ですね、ありがとうございました」

「いえいえ、こんな事で良かったらいつでも協力しますから!」

 

共に笑い合う義理の姉妹。

ニヤニヤと笑う主従と合わせて、黒一点で疎外感を感じる護堂。

 

ひとり寂しく黄昏ていた彼の元に、救世主がやって来た。

 

「おや、随分と賑やかだね」

 

何を隠そう、草薙一郎である。

 

「護堂、こちらの可愛いお嬢さんを紹介してくれるかな」

「じいちゃん、こちらアリアンナさん。エリカの専属メイドさん、でいいのかな? こっちは分かる通り、俺と静花の祖父です」

 

護堂が両者に軽い説明をすると、アリアンナが前に出て頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります、大旦那様。エリカ・ブランデッリお嬢様の付き人を務めさせて頂いております、アリアンナ・ハヤマ・アリアルディと申します。護堂様のご好意によりこの家に置いて頂くことになりましたので、主人共々もう暫くお世話になります」

 

神も魔王もない貴族の従者として、真摯に挨拶をと努めるアリアンナ。

彼女の畏まった様子を見て、一郎は朗らかにそれを諌める。

 

「君のような娘に頭を下げられるほど、僕は偉い人間じゃないよ。非があると思うなら、笑っていてくれればいいさ。君の笑顔が、僕に元気を分けてくれるからね」

 

軽くウインク。

少しキザな言い回しだが、それを嫌味に感じさせない貫禄。

 

アリアンナはルクレチア・ゾラの言葉を思い起こす。

確かにこの男性は、傑物の器を持っているのだと。

 

ついでに、やはり草薙護堂の祖父なのだと再確認もした。

 

素直な従者はニコリと笑い、夕食の準備を始める。

その日の食卓は、アリアンナの独壇場だった。

 

静花のそれとは違う味わいに、アテナも舌鼓(したつづみ)を打ったのであった。

 

 

 

 

 


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