護堂とアテナのデートから数日が過ぎた頃。
城楠学院の終業式が終わり、夏休みが始まろうとしていた。
燦々と輝く太陽に照らされる炎天下。
式を終えて帰宅した護堂は、同居状態にある金髪の令嬢から声をかけられた。
「ねぇ護堂、お願いがあるのだけれど」
「……またロクでもない事じゃないだろうな?」
甘えるような声音で、しかし嫌な媚び方ではない。
護堂が嫌悪を抱かない絶妙なさじ加減のそれは、まさにエリカの才能の現れだろう。
だがこちらとしては警戒せざるを得ない。
ここ何日かの生活で、彼女の態度の意味は学んだ。
誘惑するように甘い響きで、猫なで声というほどに
今から口に出すのは厄介事に違いない。
護堂は密かに確信を持った。
「そんなに警戒しないで、簡単な事よ。わたしと一緒にイタリアへ来て欲しいの」
「え? 俺たちも行くのか? っていうか行ってもいいのか?」
ポカン、と音が鳴りそうな顔で呆ける護堂。
ここで自然にアテナも含めている所は、もう彼らの間で当たり前の事だ。
エリカとて当然の如く受け止めている。
対する護堂は未だに固まったまま。
エリカと共にイタリアへ、それはあまりに衝撃だったのだ。
そこに畳み掛けるように、エリカは更なる言葉を放つ。
「わたしと繋がりがあることを明白にして貰いたいのよ。一人で帰ったら家出娘が帰るために、ありもしない事実を吹聴していると難癖付けられてしまうもの」
そうまで言われてしまっては、護堂としても頷かざるを得ない。
言っている事は分かるし、先日もアリアンナに責任は取ると頭を下げたばかり。
事情が事情なので、ここはアテナにも存在を明らかにしてもらおう。
「分かった、アテナにも話しておくよ。じいちゃんと静花には、お前から説明しておいてくれよ」
「ええ、勿論よ。感謝するわ護堂」
現地にはサルバトーレもいるので証言してくれるだろうと、護堂は
仮にも剣士として渡り合った仲なので、勝者にあたる自分に今回は一歩譲ってくるだろうと、能天気な顔を思い出して妙に納得したのだ。
流石に剣の王のアホさ加減。
曰く「それとこれとは話が別さ」という言い分までは、護堂も読めなかった。
この中途半端なサルバトーレへの理解が、イタリアの地で待ち受けている災難と遭遇する要因になることを、彼はまだ知らない。
その数時間後、護堂はアテナを引き連れて買い物に出ていた。
イタリア行きの準備を整えるためだ。
「大体の物はこの前イタリアに行った時のを使うからいいとして、向こうで着る夏服を買わないとな」
前回に用意していった服は、ウルスラグナによって使い物にならなくなった。
なので、今回は一応の予備として多めに買っていく事にした。
「あなたは動乱を呼び、その中に飛び込んで行く男だものな。用意をしておくに損はなかろう」
「いや、トラブル体質な所は否定できないけど、飛び込むっていうのは止めて欲しい……」
騒動に飛び込んでるんじゃなくて、知らない間に巻き込まれてるんだ。
そう主張して頷いてくれるのは、一部の出来事に関してだけだろう。
ウルスラグナやメルカルトの件にしても、大局的に見れば飛び込んだと言う他ない。
アテナは進んで追いかけたし、ゼウスもその流れで戦っている。
護堂だけが悪いのではないが、責任の一端は握っているはずだ。
唯一ヴォバン侯爵に関しては向こうから攻めてきたので、後のサルバトーレと合わせて飛び込んだ訳ではないと言える。
「アテナは、今回も俺が戦う事になると思うのか?」
「さてな。妾は予言や託宣の神ではない、先を見通す事は出来んよ」
言って笑うが、何かを含んだような笑みだ。
しかし、と女神は続ける。
「草薙護堂の旅路が無事に終わる訳が無い。そう思わせる何かが、あなたにはあるのだ」
「……お前がそこまで言うなら、気を付けておくよ」
気にかけたからといって、その行為が実を結ぶとは限らない。
或いは、
十中八九は何か騒動が起きるだろうと、確信に近い物を感じているアテナだった。
「あっ、これなんかいいんじゃないか?」
会話の合間に護堂が手に取ったのは、一見すると青いスカートに見えるそれ。
中身はハーフパンツと同じ構造をしていて、キュロットスカートと呼ばれる。
なお、護堂はこの名称を知らない。
「着てる服はいつもスカートとかドレスばっかりだけど、これなら履いてもいいんじゃないか?」
「ふむ……」
護堂から受け取ったアテナは手の中のそれをじっと見つめる。
裏返したり広げたりと観察し、そのままフィッティングルーム――俗に試着室と呼ばれる場所に持って行く。
途中で白いフリル付きのシャツを手にした所を見ると、どうやら試しに着てくれるようだ。
(なんか、少し緊張してきた……)
自分が選んだ服を恋人が着る、というのは初めての経験だ。
しかもそれが
衣擦れの音を聞きながら、カーテンの前でソワソワと待つ。
「では、開けるぞ護堂」
「お、おう」
中から響く声に、思わず跳び上がりそうになる。
ひとつ深呼吸をはさみ、心の準備を整えた。
咳払いをして、カーテンを開ける。
そこには――女神が立っていた。
「どうだ?」
彼女は元々女神なのだが、これはもう美の女神と呼ぶべきだろう。
後ろ手を組み下から見上げてくるアテナに、護堂は感嘆の声を上げる。
「――似合ってるよ、凄く」
「ん、そうか」
言葉少なに返事をするアテナも、僅かながら照れが見える。
護堂が熱心に見つめてくるものだから、羞恥心が刺激されたのだろう。
アテナは商品を着たままレジに行き、護堂がそのまま買い取った。
新しい服を着て歩く女神は、心なしかご機嫌なようだ。
耳をすませば、鼻歌すら聞こえて来そうである。
それから暫く。
夫婦仲良く旅行の準備と題しショッピングを楽しんでいると、背後から女の声が掛かった。
「仲いいわね、二人共……」
まだ年若い、可愛らしい少女の声だ。
護堂が振り向くと、まず目に入ったのは黒のツインテール。
常は強気な性格が現れたつり目だが、今は困ったように目尻が下がっている。
護堂と静花の昔からの知り合い、幼馴染の徳永明日香だった。
「明日香、こんな所で奇遇だな」
「お久しぶりです、明日香さん」
右手を上げて挨拶する護堂と、ペコリと頭を下げるアテナ。
日本人として正しいのがギリシアの神とは、世も末である。
「久しぶり、護堂にアテナさん。二人はお買い物?」
「ああ、ちょっと頼まれてイタリアに行くんだよ。今日はその準備なんだ」
「の割には、普通にショッピングしているようにしか見えないんだけど?」
呆れたと言わんばかりの表情で首を竦める明日香。
思うところがあった護堂は、カラ笑いを浮かべて目を逸らす。
準備を名目にデートしている事は自覚していたらしい。
「はい、スカートも護堂さんが選んで下さいました」
「へぇ。アンタ、なかなかセンスいいじゃない」
明日香は感心した、この男にそんな甲斐性があったのかと。
感心し、そして観念した。
(やっぱりお似合いなんだなぁ、この二人……)
――心の何処かで
「まぁそういう事なら、わたしはさっさと退散するわ」
「そっか。近いうちにまた食いに行くから、その時はよろしく」
明日香の実家は寿司屋を営んでいる。
護堂はアテナの紹介にと、店へ訪れたことがあったのだ。
その時に散々見せられたイチャラブっぷりを思い返し、彼女は辟易しながら二人から離れる。
「はいはい、お幸せにね~」
――命脈尽きようとしている火種から、熱がなくなる。
女神の登場によって、遅ればせながらも自覚した心。
今頃遅いと分かっていても、今日まで引きずっていたそれ。
(まぁアテナさんなら、いいのかな……)
背後に手を振り歩き去る明日香は、物憂げな笑みを浮かべ足を進める。
暑い日差しに目を瞑った、刹那――
「お前に護堂の手綱は握れんよ、娘」
「っ――!」
耳元で囁かれた声に振り返る。
視界の端で、女神がたおやかに微笑んだ。
そのまま護堂に腕を絡め、連れ行く。
「ああ、そう。そう来る……」
――光の消えた火種が、送り込まれた空気に蘇る。
「なんのつもりで煽ったのか知らないけど、後悔しないでよね。アテナ
徳永明日香。
彼女は一度も、アテナを下に見たことはなかった。
初めから一貫して「アテナさん」と、そう呼んでいる。
女神本来の笑みを見て対抗心を燃やせる彼女は、一般人ながらも普通ではない。
やはり草薙護堂の幼馴染と、そう言うべきなのだろう。
――心の灯火は、今や煌々と燃え盛っていた。
「なぁ、明日香に何かしたのか?」
「さて、な」
腕を取られた護堂は、アテナの笑みからエリカのそれに似た意図を感じ取る。
新しいおもちゃを見つけたような、小悪魔的な笑み。
知らぬが仏と、それ以上は聞かない事にした。
明日香を焚きつけたのは、作者の意思ではありません。
アテナ様が勝手になさったことなのです。
途中から手が勝手にキーボードを叩き出し、気が付いたら明日香がアテナに対抗心を燃やしていました。どうしてこうなった。
明日香も出さなきゃなー、くらいにしか考えていなかったので、この展開に意味がある訳ではありません。なので注意、明日香は一般人です。変な設定はありませんので悪しからず。