女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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10 Part1――

 

自然溢れる立地ゆえに、鳥たちの鳴き声が響き渡る。

まるで幾種もの鳥類が輪唱しているかのようだ。

 

カーテンのない窓から朝の木漏れ日が差す。

 

サルバトーレ・ドニを説得――と言っていいのか(はなは)だ疑問ではあるものの――した翌朝。

揺すり起こされた草薙護堂は、目の前の光景に己の正気を疑った。

 

「おはようございます、御主人様」

 

アリアンナが着ているのと同じ種類の、というより彼女のメイド服を着ている少女。

 

護堂より頭一つ二つ分は小さい、小柄な身長。

随所を見るに、急遽(きゅうきょ)仕立て直した跡が伺える。

 

指通りのいいサラサラの髪。

その感触を知る銀髪から、黒曜の瞳が覗いている。

 

「食事の用意が整いましたので、ご起床下さい」

 

鈴の音色を思わせる可愛らしい声が眠気を払う。

寝癖のついた髪を整えようと、額に触れる肌は柔らかい。

 

まだ夢の中かと不思議に思って声をかけた。

 

「………………アテナ……?」

「はい。あなたのアテナですよ、御主人様」

 

何をおかしな事を、とでも言いたげに首を傾げる彼女。

困ったように携えられた微笑が、夢見心地を吹き飛ばした。

 

「……稲妻よ降れ」

 

バチィッ!

 

「ぐぉっ――ぁ!」

 

脳天から電流が突き抜け身が竦むが、眼は覚めない。

つまり、この光景は夢ではない。

 

(――アテナがメイドになっている!!)

 

草薙護堂は、再度己の正気を疑った。

 

 

 

 

 

 

まったく事情を理解できず、ただ呆然としてアテナの後について食卓に着いた護堂。

 

そんな彼に語りかけてきたのが、世話役として共に暮らしているアリアンナだった。

彼女は得意げな表情でこう語る。

 

「エリカ様とわたしで考えたんですよ。護堂さんとアテナ様は離れ離れになってしまう訳ですから、その前に何か思い出を作っておいたらいいんじゃないかなって!」

 

それでエリカとアリアンナの悪乗りが始まり、アテナがメイドさんになっていたと。

経緯を聞いて頭を抱える。

 

(だよなぁ……アテナに対してこんな事を考えた挙句、面白がって実行に移させるのはアイツしかいないよなぁ!!)

 

どう反応していいか分からず横目でアテナの様子を伺う。

視線に気づいた彼女は、裾を持ち上げてその場でクルリとひと回転。

 

「この服はアリアンナが一晩でやってくれました」

(アンナさんマジGJ(グッジョブ)!)

 

音なき声で出来る従者を褒め称える護堂。

所詮は男子高校生、陥落(かんらく)させるのはチョロいものである。

 

「そういう訳ですので、護堂さん」

「本日は私がお世話をさせて頂きます」

 

二人並んでペコリとお辞儀。

その作法を完璧にこなしているアテナは、女王として良いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

Part2――

 

アリアンナ作の朝食を終えて、自室に戻った護堂。

当然のように着いて来たアテナが、一日メイドとして言葉を発した。

 

「昨日の事で色々とお疲れでしょう。横になって下さい、マッサージをします」

 

ニッコリと微笑む彼女だが、マッサージはメイドの仕事なのか?

護堂は疑問に感じつつも、素直に従いベッドに横たわる。

 

うつ伏せになって目を閉じると、腰の上に重さを感じた。

 

「それでは、始めますね」

 

白い指が肩に添えられ、徐々に圧迫されていく。

幼子のそれである小さな手が、成長途中の護堂には思ったよりフィットして気持ちがいい。

 

肩甲骨の内側を親指がなぞって行く。

 

「んっしょ、んっ……しょ」

 

筋を揉みほぐしながら下降していくと、指は腰に到達する。

体重を乗せて手のひらの付け根で押されると、大した重さもないアテナのそれが丁度いい力加減を生んでいる。

 

「う……おぉぉ」

 

痛みと快感が入り混じり、くすぐったいような感覚に声が出てしまう。

腰を揉みほぐしたらまた肩へ上がって行き、それを幾度か繰り返す。

 

次は肩から肘、肘から手首にかけて。

同じように筋を指先で探り当てながら、あまり力を入れすぎず揉み込んでいく。

 

手のひらにたどり着いたら、骨の合間の筋を指圧する。

また同じように肩に戻るとまた下降し、今度は腰を通り過ぎる。

 

以外に凝ることがある臀部――尻の筋肉をほぐし、腕と同じようにして股下から足首まで下がっていく。

この辺で変に羞恥心が掻き立てられたが、護堂の年齢やアテナとの関係を考えると致し方ない事と言える。

 

膝の近くまで行くとひどく(くすぐ)ったくて、脹脛(ふくらはぎ)は地獄の苦しみだった事は忘れられない。

……大人しくしていて下さいと、召喚された蛇に拘束された事も忘れはしないだろう。

 

足の裏の痛みも合わせて、女神によるマッサージを堪能したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

Part3――

 

ノズルから出た細かな流水がタイルを打ち付ける。

立ち上る湯気が室温を上昇させている。

 

アテナとのやり取りで逆に疲れた体を、風呂に入って癒そうとしているのだ。

 

しかし、所定の場所に石鹸がなかった。

無くなるほど使った記憶はないが、置いていないのだから取ってくるしかない。

 

やれやれとため息を吐いたとき、後ろから手が伸びてきた。

 

「こちらをお使い下さい」

 

小さな手のひらにはお馴染みの石鹸が載せてある。

 

これはありがたいと受け取る護堂。

そこで、猛烈な違和感に気づく。

 

振り向くと、そこにはスクール水着を身に纏ったアテナが――!

 

「――うぉわぁっ!!」

 

状況が状況のため、即座に背を向ける護堂。

混乱しながらも首だけ振り返り、紺色の衣装を着けた女神に問い質す。

 

「なんでここに!!」

「お背中を流しに参りました」

 

当然のように笑いかけてくるアテナを一喝する。

 

「来なくていい!! っていうかその水着はっ!?」

「エリカが送って来ました。なんでもリリアナのメイドが用意したものらしく、少し大きいですが」

 

手足の付け根を見ると、確かに隙間が空いている印象を受ける。

胸のゼッケンに書かれた「あてな」の文字が、誰かの悪戯心を匂わせてもいる。

 

頭に付けたままのヘッドドレスが、妙な一体感を生み出し背徳的だ。

 

気付けば護堂は、普段は見えない位置の肌を視界に焼き付けていた。

数秒後には我に返りアテナを追い出したが、鮮明に思い出して離れない光景に苦労したのだった。

 

 

 

 

 

 

Part4――

 

風呂からあがり、湯冷めしないようにと早めに床に着いた護堂。

 

しかし、カンピオーネに風邪の心配がいるのだろうか。

日本には「馬鹿は風邪を引かない」という言い伝えがあるし、それでなくとも彼らの肉体がその程度のウイルスに侵されるのか、(はなは)だ疑問である。

 

そういった余人の考えを撥ね退け、布団を被る。

ひと息ついたところで、先に潜り込んでいたアテナが声をかけた。

 

「もう眠るのですか?」

「ああ、明日は早いしな」

 

この程度の事は、別段驚くに値しない。

闇に潜む女神の気配など感じ取れはしないが、彼女が忍んでいたところで自分に不都合はないのだから。

 

幸いにして、彼女は水色のパジャマに着替えている。

奇抜な格好をしていないのなら、追い出すような理由もない。

 

「一ヶ月、会えないんだなぁ……」

「ですね……」

 

この二人が行動を共にするようになってから三ヶ月。

これほど長期間も顔を合わせないような時期はなかった。

 

明日からは離れ離れだと思うと、不思議な感覚になる護堂。

 

辛いのは辛い。

寂しいのは寂しい。

しかし、悲しいのとは何か違う。

 

心に穴が開く、という感覚でもない。

自分たちは繋がっている。

 

そういう信頼が、確かにあるのだ。

 

「今日はこのまま、一緒に寝ようか」

「ええ、そうしましょう」

 

どちらからともなく見つめ合う。

そのまま顔を近づけ、触れるような淡い口付けを。

 

互いに相手の身を寄せ、言葉なく静かに眠りに着いた。

女神の麗らかな髪が、窓から差す月明かりに輝いていた。

 

 


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