自然溢れる立地ゆえに、鳥たちの鳴き声が響き渡る。
まるで幾種もの鳥類が輪唱しているかのようだ。
カーテンのない窓から朝の木漏れ日が差す。
サルバトーレ・ドニを説得――と言っていいのか
揺すり起こされた草薙護堂は、目の前の光景に己の正気を疑った。
「おはようございます、御主人様」
アリアンナが着ているのと同じ種類の、というより彼女のメイド服を着ている少女。
護堂より頭一つ二つ分は小さい、小柄な身長。
随所を見るに、
指通りのいいサラサラの髪。
その感触を知る銀髪から、黒曜の瞳が覗いている。
「食事の用意が整いましたので、ご起床下さい」
鈴の音色を思わせる可愛らしい声が眠気を払う。
寝癖のついた髪を整えようと、額に触れる肌は柔らかい。
まだ夢の中かと不思議に思って声をかけた。
「………………アテナ……?」
「はい。あなたのアテナですよ、御主人様」
何をおかしな事を、とでも言いたげに首を傾げる彼女。
困ったように携えられた微笑が、夢見心地を吹き飛ばした。
「……稲妻よ降れ」
バチィッ!
「ぐぉっ――ぁ!」
脳天から電流が突き抜け身が竦むが、眼は覚めない。
つまり、この光景は夢ではない。
(――アテナがメイドになっている!!)
草薙護堂は、再度己の正気を疑った。
まったく事情を理解できず、ただ呆然としてアテナの後について食卓に着いた護堂。
そんな彼に語りかけてきたのが、世話役として共に暮らしているアリアンナだった。
彼女は得意げな表情でこう語る。
「エリカ様とわたしで考えたんですよ。護堂さんとアテナ様は離れ離れになってしまう訳ですから、その前に何か思い出を作っておいたらいいんじゃないかなって!」
それでエリカとアリアンナの悪乗りが始まり、アテナがメイドさんになっていたと。
経緯を聞いて頭を抱える。
(だよなぁ……アテナに対してこんな事を考えた挙句、面白がって実行に移させるのはアイツしかいないよなぁ!!)
どう反応していいか分からず横目でアテナの様子を伺う。
視線に気づいた彼女は、裾を持ち上げてその場でクルリとひと回転。
「この服はアリアンナが一晩でやってくれました」
(アンナさんマジ
音なき声で出来る従者を褒め称える護堂。
所詮は男子高校生、
「そういう訳ですので、護堂さん」
「本日は私がお世話をさせて頂きます」
二人並んでペコリとお辞儀。
その作法を完璧にこなしているアテナは、女王として良いのだろうか。
Part2――
アリアンナ作の朝食を終えて、自室に戻った護堂。
当然のように着いて来たアテナが、一日メイドとして言葉を発した。
「昨日の事で色々とお疲れでしょう。横になって下さい、マッサージをします」
ニッコリと微笑む彼女だが、マッサージはメイドの仕事なのか?
護堂は疑問に感じつつも、素直に従いベッドに横たわる。
うつ伏せになって目を閉じると、腰の上に重さを感じた。
「それでは、始めますね」
白い指が肩に添えられ、徐々に圧迫されていく。
幼子のそれである小さな手が、成長途中の護堂には思ったよりフィットして気持ちがいい。
肩甲骨の内側を親指がなぞって行く。
「んっしょ、んっ……しょ」
筋を揉みほぐしながら下降していくと、指は腰に到達する。
体重を乗せて手のひらの付け根で押されると、大した重さもないアテナのそれが丁度いい力加減を生んでいる。
「う……おぉぉ」
痛みと快感が入り混じり、くすぐったいような感覚に声が出てしまう。
腰を揉みほぐしたらまた肩へ上がって行き、それを幾度か繰り返す。
次は肩から肘、肘から手首にかけて。
同じように筋を指先で探り当てながら、あまり力を入れすぎず揉み込んでいく。
手のひらにたどり着いたら、骨の合間の筋を指圧する。
また同じように肩に戻るとまた下降し、今度は腰を通り過ぎる。
以外に凝ることがある臀部――尻の筋肉をほぐし、腕と同じようにして股下から足首まで下がっていく。
この辺で変に羞恥心が掻き立てられたが、護堂の年齢やアテナとの関係を考えると致し方ない事と言える。
膝の近くまで行くとひどく
……大人しくしていて下さいと、召喚された蛇に拘束された事も忘れはしないだろう。
足の裏の痛みも合わせて、女神によるマッサージを堪能したのだった。
Part3――
ノズルから出た細かな流水がタイルを打ち付ける。
立ち上る湯気が室温を上昇させている。
アテナとのやり取りで逆に疲れた体を、風呂に入って癒そうとしているのだ。
しかし、所定の場所に石鹸がなかった。
無くなるほど使った記憶はないが、置いていないのだから取ってくるしかない。
やれやれとため息を吐いたとき、後ろから手が伸びてきた。
「こちらをお使い下さい」
小さな手のひらにはお馴染みの石鹸が載せてある。
これはありがたいと受け取る護堂。
そこで、猛烈な違和感に気づく。
振り向くと、そこにはスクール水着を身に纏ったアテナが――!
「――うぉわぁっ!!」
状況が状況のため、即座に背を向ける護堂。
混乱しながらも首だけ振り返り、紺色の衣装を着けた女神に問い質す。
「なんでここに!!」
「お背中を流しに参りました」
当然のように笑いかけてくるアテナを一喝する。
「来なくていい!! っていうかその水着はっ!?」
「エリカが送って来ました。なんでもリリアナのメイドが用意したものらしく、少し大きいですが」
手足の付け根を見ると、確かに隙間が空いている印象を受ける。
胸のゼッケンに書かれた「あてな」の文字が、誰かの悪戯心を匂わせてもいる。
頭に付けたままのヘッドドレスが、妙な一体感を生み出し背徳的だ。
気付けば護堂は、普段は見えない位置の肌を視界に焼き付けていた。
数秒後には我に返りアテナを追い出したが、鮮明に思い出して離れない光景に苦労したのだった。
Part4――
風呂からあがり、湯冷めしないようにと早めに床に着いた護堂。
しかし、カンピオーネに風邪の心配がいるのだろうか。
日本には「馬鹿は風邪を引かない」という言い伝えがあるし、それでなくとも彼らの肉体がその程度のウイルスに侵されるのか、
そういった余人の考えを撥ね退け、布団を被る。
ひと息ついたところで、先に潜り込んでいたアテナが声をかけた。
「もう眠るのですか?」
「ああ、明日は早いしな」
この程度の事は、別段驚くに値しない。
闇に潜む女神の気配など感じ取れはしないが、彼女が忍んでいたところで自分に不都合はないのだから。
幸いにして、彼女は水色のパジャマに着替えている。
奇抜な格好をしていないのなら、追い出すような理由もない。
「一ヶ月、会えないんだなぁ……」
「ですね……」
この二人が行動を共にするようになってから三ヶ月。
これほど長期間も顔を合わせないような時期はなかった。
明日からは離れ離れだと思うと、不思議な感覚になる護堂。
辛いのは辛い。
寂しいのは寂しい。
しかし、悲しいのとは何か違う。
心に穴が開く、という感覚でもない。
自分たちは繋がっている。
そういう信頼が、確かにあるのだ。
「今日はこのまま、一緒に寝ようか」
「ええ、そうしましょう」
どちらからともなく見つめ合う。
そのまま顔を近づけ、触れるような淡い口付けを。
互いに相手の身を寄せ、言葉なく静かに眠りに着いた。
女神の麗らかな髪が、窓から差す月明かりに輝いていた。