女神を腕に抱く魔王   作:春秋

46 / 73


 

「うん、そう。承諾してもらえたよ、おじいちゃま。うん――それじゃ、よろしくね」

 

話を受けて幽世へ赴く事にした護堂。

快い返答をもらって喜んだ恵那は、裕理も伴って再び外に出た。

 

件の彼女は細長い紫染めの布袋――恐らく竹刀袋の類であり、彼女が媛巫女ということを考えると中身も想像がつく――を左手に下げ、もう片方の手で携帯電話を耳に当てている。

話し相手は、例の『おじいちゃま』らしい。

 

携帯なんて使えるのか?

 

疑問に思って裕理に聞くと、あれは念話の媒介として使っているだけらしい。

ようするに、イメージを固める為の小道具なのだとか。

 

通話を終えた恵那が、携帯をしまって振り向く。

 

「それじゃ、王様。今から向こうへ送るけど、動いたり暴れたりしないでね」

「俺が動いたり暴れたりするような方法なのか!?」

 

戦慄を露にする護堂に、黒の大和撫子は軽快な笑いを返す。

 

「ちょっと底なし沼に飲み込まれるだけだから、安心していいよ」

「……安心して、いいのかそれは?」

 

慰めのつもりなのだろうが、苦笑いしか返せなかった。

いや、ひょっとしたら頬が引きつっていただけで、苦笑いすら出来ていなかったかもしれない。

 

そんな護堂の内心を知ってか知らずか、彼女は袋の口を開ける。

現れたのは、予想通りな刀の柄。

 

布袋ごしに鞘を握りつつ、ゆっくりと柄を引き抜き始める。

 

――ドクンッ。

心臓が大きく脈を打った。

それほどまでに――神殺しの肉体が反応するほどに、その刀身は神々しかった。

 

「王様は一般の出だから知らないかな。それとも、結構有名だから知ってるかな?」

 

白銀の刃が日の目を浴び、鋼の美しさを魅せつける。

 

一般的に時代劇などで見られる剃りのある刀ではない。

もっと古い時代に作られた、倭国の直刀。

 

神々の時代に生まれ落ちた、蛇の御霊を宿すその《鋼》の名は――

 

天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)――読みはべつに『あま』でも『あめ』でもいいけど、知ってるかな?」

「ああ、日本人としてそれくらいはな……」

 

速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が八岐大蛇を退治したとき、その怪物の尾から見つけ出した神刀。

 

火のついた草むらをひと振りで薙いだとの伝承から、草薙の剣とも呼ばれるそれ。

後に『三種の神器』のひとつとして人間界に持ち込まれたかの剣が、こうして目の前にあるとは。

 

己の名との奇妙な縁もあり、必要以上にジロジロと観察してしまう。

 

「えへへ、恵那のことじゃないのに、なんか照れるね……」

「うっ、すまん」

「ううん、いいよべつに」

 

抜き身の刀を持ったまま身を縮める恵那。

若干の気恥ずかしさと申し訳なさから謝ると、彼女は笑って許してくれた。

 

しかし、こうも思う。

この年頃の女の子が男から不躾な視線を向けられて、嫌悪や羞恥を覚えるのではなく照れるだけとは……

 

やはり情緒が育ちきっていない印象を受ける。

 

彼女が生まれ持ったものなのか、育った環境が特殊だったからなのか。

前者の要素を後者の要因が後押ししている、と護堂は推測する。

 

そんな慣れない――言ってしまえばエリカなどがするであろう――思考に意識を傾けている間に、恵那の方は一通りの準備を終えたらしい。

 

「こっちの用意は出来たよ。王様はもう行ける?」

「ああ、覚悟は出来てるっ」

 

先ほどのやり取りから若干悲壮な決意を固めた護堂。

底なし沼に飲まれろなどと言われたのだから、本人は溜まったものではないだろう。

 

裕理はその反応を見て、僅かに呆れの感情を声に乗せる。

 

「……草薙さん、そんなに身構えなくてもよろしいのではないですか?」

「いや、でもさ、だって……底なし沼だぞ?」

 

普段は必要以上に敬われている裕理に(たしな)められ、護堂もしどろもどろだ。

しかし当の裕理にしてみれば、一体何を言っているのだという顔である。

 

「草薙さん。あなたは神々でさえも(しい)された羅刹の王なのですよ? 今更底なし沼など……」

「いやいやいや、神様とかカンピオーネなら戦って勝つけど、沼は倒せないだろっ」

「…………そういう問題なのでしょうか」

 

やっぱりこの人は何かがおかしい、と。

そう嘆息する裕理の顔に影は見られない。

 

態度を改める機会に恵まれていないだけで、彼女もかなり護堂に傾倒しているようだ。

 

二人の取り留めない会話に、恵那は少なからず驚かされた。

あの(・・)裕理が男の人と、カンピオーネと仲良く会話を楽しんでいる。

 

女神をも誑し込んだ手腕は伊達ではないのだと、感心を超えて戦慄に近いものすら覚えた。

 

しかし、そんな硬直も束の間。

恵那は長年の付き合いから、『おじいちゃま』が焦れている頃だろうと勘付いた。

 

「王様王様、そろそろ本当に始めるからね」

「じゃあ頼むよ清秋院」

「うん、それじゃ!」

 

恵那が手に持つ神刀へ意識を集中すると、待ちわびていたかのように神気が降ってくる。

護堂が咄嗟に上を向くと、そこには信じられない光景があった。

 

(これは――皆既日食だって!?)

 

照り付けるような太陽は姿を隠し、炎天が闇に沈む。

吹き付けるような暴風が、護堂に向けて冷気を運んでくる。

 

神刀の巫女が(うた)を紡いだ。

 

「ちはやぶる宇治の(わたり)(さお)取りに――けむ人し我がもこに来む。我が祀る神には非ず! ますらをに憑くきたる神ぞ、よく祀るべし!」

 

彼女が謳う言霊は闇に響き、世界の垣根を斬り裂いた。

凛とした姿に見入っている内に、足元が冷たい感触に包まれる。

 

「――っ!」

 

影よりも濃く、底知れぬ深さを印象付ける闇。

底なし沼と称されたのも、これは納得するしかない。

 

護堂が決して豊富とは言えない神話の知識で以て、皆既日食という現象を天叢雲劍と結びつけている内に、意識までも闇に飲まれてしまった。

 

 

 

 

 

気付くと、草薙護堂は山にいた。

 

青々しい草木が生い茂る山林の奥。

ただでさえ傾斜の厳しい山道だというのに、雨風がそれに拍車を掛けている。

 

それでも護堂は、前を向きながら思考を再開させる。

 

(清秋院の持っていた天叢雲に、この嵐――皆既日食は天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の岩戸隠れか……)

 

恵那が言っていたように、本来の護堂は一般人だった。

魔術の世界に古くから関わっている者からすれば、鼻で笑われる程度の知識しか持たない。

 

それでも、アテナのことがあってから多少は学ぶ姿勢を見せ始めた。

 

日本人として最低でも、有名どころの概要くらいは抑えている。

それでなくとも大御所の神は、昔から創作にも流用されやすいものだ。

 

学ぶつもりがなくたって、彼もその知識は頭にあった。

故に、彼女の『おじいちゃま』が誰なのか見当はついている。

 

その推測の真偽も、いま明らかになろうとしている。

 

歩き続けた先に、小さな山小屋を見つけたのだ。

時代劇にでも出てきそうな、木で作られた簡素な掘っ立て小屋。

 

戸の前に立って軽くノックしてみると、中から返答があった。

 

「入りな、草薙護堂。待ってたぜ」

 

警戒を怠る事なく引き戸を開け、素早く中を覗く。

 

そこに居座っていたのは、大柄な体躯の老人。

いかにも偏屈ジジイといった風貌の男が、囲炉裏の前で胡座(あぐら)をかいている。

 

「わざわざ呼び立てて悪かったな。狭いが、まぁ座れや」

「ああ、そうさせてもらう」

 

靴を脱ぐ様式ではない様子なので、土足で踏み込み対面に座す。

囲炉裏を挟んで向き合い、互いに相手から眼を逸らさない。

 

「そう警戒すんなよ。オレが誰でどんな立場なのか、お前さんだって分かってんだろ? そんな顔をしてやがるぜ」

「ダメだな。それは気を許す理由にはならないし、アンタという神の性格を思えば警戒しておく方が無難だろう」

 

眼光に宿る敵愾心と警戒心を隠さず、神殺しの王はその名を告げる。

 

「アンタは鋼の闘神にして、知恵で以て他者を欺くトリックスターだからな――須佐之男命(すさのおのみこと)

 

日本神話に語られる英雄神は、如何にもな曲者(くせもの)顔をニタリと歪ませた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。