「うん、そう。承諾してもらえたよ、おじいちゃま。うん――それじゃ、よろしくね」
話を受けて幽世へ赴く事にした護堂。
快い返答をもらって喜んだ恵那は、裕理も伴って再び外に出た。
件の彼女は細長い紫染めの布袋――恐らく竹刀袋の類であり、彼女が媛巫女ということを考えると中身も想像がつく――を左手に下げ、もう片方の手で携帯電話を耳に当てている。
話し相手は、例の『おじいちゃま』らしい。
携帯なんて使えるのか?
疑問に思って裕理に聞くと、あれは念話の媒介として使っているだけらしい。
ようするに、イメージを固める為の小道具なのだとか。
通話を終えた恵那が、携帯をしまって振り向く。
「それじゃ、王様。今から向こうへ送るけど、動いたり暴れたりしないでね」
「俺が動いたり暴れたりするような方法なのか!?」
戦慄を露にする護堂に、黒の大和撫子は軽快な笑いを返す。
「ちょっと底なし沼に飲み込まれるだけだから、安心していいよ」
「……安心して、いいのかそれは?」
慰めのつもりなのだろうが、苦笑いしか返せなかった。
いや、ひょっとしたら頬が引きつっていただけで、苦笑いすら出来ていなかったかもしれない。
そんな護堂の内心を知ってか知らずか、彼女は袋の口を開ける。
現れたのは、予想通りな刀の柄。
布袋ごしに鞘を握りつつ、ゆっくりと柄を引き抜き始める。
――ドクンッ。
心臓が大きく脈を打った。
それほどまでに――神殺しの肉体が反応するほどに、その刀身は神々しかった。
「王様は一般の出だから知らないかな。それとも、結構有名だから知ってるかな?」
白銀の刃が日の目を浴び、鋼の美しさを魅せつける。
一般的に時代劇などで見られる剃りのある刀ではない。
もっと古い時代に作られた、倭国の直刀。
神々の時代に生まれ落ちた、蛇の御霊を宿すその《鋼》の名は――
「
「ああ、日本人としてそれくらいはな……」
火のついた草むらをひと振りで薙いだとの伝承から、草薙の剣とも呼ばれるそれ。
後に『三種の神器』のひとつとして人間界に持ち込まれたかの剣が、こうして目の前にあるとは。
己の名との奇妙な縁もあり、必要以上にジロジロと観察してしまう。
「えへへ、恵那のことじゃないのに、なんか照れるね……」
「うっ、すまん」
「ううん、いいよべつに」
抜き身の刀を持ったまま身を縮める恵那。
若干の気恥ずかしさと申し訳なさから謝ると、彼女は笑って許してくれた。
しかし、こうも思う。
この年頃の女の子が男から不躾な視線を向けられて、嫌悪や羞恥を覚えるのではなく照れるだけとは……
やはり情緒が育ちきっていない印象を受ける。
彼女が生まれ持ったものなのか、育った環境が特殊だったからなのか。
前者の要素を後者の要因が後押ししている、と護堂は推測する。
そんな慣れない――言ってしまえばエリカなどがするであろう――思考に意識を傾けている間に、恵那の方は一通りの準備を終えたらしい。
「こっちの用意は出来たよ。王様はもう行ける?」
「ああ、覚悟は出来てるっ」
先ほどのやり取りから若干悲壮な決意を固めた護堂。
底なし沼に飲まれろなどと言われたのだから、本人は溜まったものではないだろう。
裕理はその反応を見て、僅かに呆れの感情を声に乗せる。
「……草薙さん、そんなに身構えなくてもよろしいのではないですか?」
「いや、でもさ、だって……底なし沼だぞ?」
普段は必要以上に敬われている裕理に
しかし当の裕理にしてみれば、一体何を言っているのだという顔である。
「草薙さん。あなたは神々でさえも
「いやいやいや、神様とかカンピオーネなら戦って勝つけど、沼は倒せないだろっ」
「…………そういう問題なのでしょうか」
やっぱりこの人は何かがおかしい、と。
そう嘆息する裕理の顔に影は見られない。
態度を改める機会に恵まれていないだけで、彼女もかなり護堂に傾倒しているようだ。
二人の取り留めない会話に、恵那は少なからず驚かされた。
女神をも誑し込んだ手腕は伊達ではないのだと、感心を超えて戦慄に近いものすら覚えた。
しかし、そんな硬直も束の間。
恵那は長年の付き合いから、『おじいちゃま』が焦れている頃だろうと勘付いた。
「王様王様、そろそろ本当に始めるからね」
「じゃあ頼むよ清秋院」
「うん、それじゃ!」
恵那が手に持つ神刀へ意識を集中すると、待ちわびていたかのように神気が降ってくる。
護堂が咄嗟に上を向くと、そこには信じられない光景があった。
(これは――皆既日食だって!?)
照り付けるような太陽は姿を隠し、炎天が闇に沈む。
吹き付けるような暴風が、護堂に向けて冷気を運んでくる。
神刀の巫女が
「ちはやぶる宇治の
彼女が謳う言霊は闇に響き、世界の垣根を斬り裂いた。
凛とした姿に見入っている内に、足元が冷たい感触に包まれる。
「――っ!」
影よりも濃く、底知れぬ深さを印象付ける闇。
底なし沼と称されたのも、これは納得するしかない。
護堂が決して豊富とは言えない神話の知識で以て、皆既日食という現象を天叢雲劍と結びつけている内に、意識までも闇に飲まれてしまった。
気付くと、草薙護堂は山にいた。
青々しい草木が生い茂る山林の奥。
ただでさえ傾斜の厳しい山道だというのに、雨風がそれに拍車を掛けている。
それでも護堂は、前を向きながら思考を再開させる。
(清秋院の持っていた天叢雲に、この嵐――皆既日食は
恵那が言っていたように、本来の護堂は一般人だった。
魔術の世界に古くから関わっている者からすれば、鼻で笑われる程度の知識しか持たない。
それでも、アテナのことがあってから多少は学ぶ姿勢を見せ始めた。
日本人として最低でも、有名どころの概要くらいは抑えている。
それでなくとも大御所の神は、昔から創作にも流用されやすいものだ。
学ぶつもりがなくたって、彼もその知識は頭にあった。
故に、彼女の『おじいちゃま』が誰なのか見当はついている。
その推測の真偽も、いま明らかになろうとしている。
歩き続けた先に、小さな山小屋を見つけたのだ。
時代劇にでも出てきそうな、木で作られた簡素な掘っ立て小屋。
戸の前に立って軽くノックしてみると、中から返答があった。
「入りな、草薙護堂。待ってたぜ」
警戒を怠る事なく引き戸を開け、素早く中を覗く。
そこに居座っていたのは、大柄な体躯の老人。
いかにも偏屈ジジイといった風貌の男が、囲炉裏の前で
「わざわざ呼び立てて悪かったな。狭いが、まぁ座れや」
「ああ、そうさせてもらう」
靴を脱ぐ様式ではない様子なので、土足で踏み込み対面に座す。
囲炉裏を挟んで向き合い、互いに相手から眼を逸らさない。
「そう警戒すんなよ。オレが誰でどんな立場なのか、お前さんだって分かってんだろ? そんな顔をしてやがるぜ」
「ダメだな。それは気を許す理由にはならないし、アンタという神の性格を思えば警戒しておく方が無難だろう」
眼光に宿る敵愾心と警戒心を隠さず、神殺しの王はその名を告げる。
「アンタは鋼の闘神にして、知恵で以て他者を欺くトリックスターだからな――
日本神話に語られる英雄神は、如何にもな