女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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今朝バレンタインというイベントを思い出し、バイトから帰って急いでキーボードを叩いて現在。
結果、ただのチョコレート教室になってしまった件について……



閑話 アテナさまがんばる

 

 

「バレンタインデー?」

 

クッションを胸に抱き首を傾げる銀髪の童女。

我らが女神は愛らしい瞳をパチパチと瞬かせ、義妹(予定)より告げられた言葉を(かんが)みる。

 

「二月十四日はバレンタインデーって言って、好きな男の子にチョコレートをプレゼントする習慣があるんです」

 

ソファーに腰を落として思考に意識を割いてみると、女神の叡智がローマ帝国において神話に描かれるユノ、ギリシア神話におけるヘラの祝日がその日付であった事実を呼び起こす。

 

ユノは結婚、出産を司る女性の守護神であり、主神ユピテルの姉にして妻たる最高位の女神。

このあたりの属性はギリシア神話を取り込んだ事による成立過程から、ゼウスの妻である女神ヘラと起源を同じくする。

 

そうした関係性もあって祝日などという細々とした神話の記述を知っていたのだが、静花が言うにはそれも件のイベント成立に関係しているのだとか。

 

「ローマ帝国では兵士の結婚を禁止していた時期があって、その中でとあるキリスト教の司祭さんが隠れて結婚させてあげたらしいんですよ。その人も結局は捕まっちゃって処刑されちゃうんですけど……」

 

その処刑執行日に選ばれたのが二月十四日。

翌十五日には豊穣祈願のルペルカリア祭が控えており、その祭事に捧げる贄として前日の十四日に絞首刑が執行されたそうな。

 

後にキリスト教がルペルカリア祭を取り入れる際に彼の司祭、聖ウァレンティヌスの逸話に助けを請うたのだろうと。

 

「こうしてヴァレンタインさんの名前は、今もバレンタインデーとして語り継がれているのでした。っと」

 

諸説や解釈の違いはあれど、大まかな流れはこんなところだろう。

愚兄の愛くるしい恋人に説明を終えた静花は、最後に口元を隠してこう呟いた。

 

「チョコ云々は製菓会社の暗躍が発端だっていうのも有名だけど、イベント自体は美味しいしまぁいいよね」

 

見えないように毒を吐いてから、自覚なき魔王の妹は天使の笑みを浮かべた。

そして見る者が見れば小悪魔、或いは悪戯好きな女王様と称すかもしれない微笑のまま、少しばかり(・・・・・)畏敬の念すら抱いている小さな義姉(予定)へ助言する。

 

「アテナさん、チョコレート作ってみませんか?」

 

こうして、女神の小さく大切な戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

「半額になっているものより、3割引の方がカカオの配合量が多い」

 

特価販売していた板チョコ。

 

「40gで240円か、それとも100gで450円か……」

 

余裕をもって少し容量の大きい品を選んだココアパウダー。

 

「これは少量で構わんだろう」

 

静花から予備に買ってくるように頼まれた粉砂糖。

 

「あまり大きいと護堂が飽きるか?」

 

バレンタイン間近という事もあって設けられていた特設コーナーから、小ぶりのラッピングセットを探し当てる。

一点一点を用途要望と照らし合わせて再確認し、頷いてからレジに持って行く。

 

  ――1407円になりまぁす。

 

最寄りのスーパーでお買い物という女神の後に括弧付きで笑の字が当てはまりそうな用事を済ませ、アテナは帰路に着きキッチンに立つ。

 

「さあアテナさん、準備はいいですね?」

「はい、ご教授願います静花」

 

白地のエプロンに三角巾という格好のアテナ。

着衣だけ見れば小学生児童を思わせるそれも、女神が身に着けているだけで至上の衣と化す。

隣には袖を捲くった静花の姿も、普段から台所に立っているだけあってそれだけで様になっている。

 

教師役たる少女がまず取り出したるはアテナが購入してきた板チョコ数枚。

びりびりと包装を剥がしてまな板に並べ、包丁片手にただ一言。

 

「細かく切ります」

「はい」

 

左手は包丁の背に添えて右手を無駄なく動かす。

まな板の下には濡れ布巾を敷いて安定させ、包丁は刃が通りやすいように温めているという徹底ぶり。

 

伊達に草薙家の台所を預かっている訳ではない技が見える。

生徒役のアテナもそれに倣って両手を動かす。

 

彼女とてパンドラに女のすべき仕事の能力を与えた者であり、ローマ神話で工芸や芸術を司るミネルヴァに相当する女神。

 

決して料理下手という訳ではないどころか、その職掌には料理に通ずる物がある多芸な神格だ。

彼女自身の人格に料理経験がなくとも素養は十分に兼ね備えている。

 

手元が多少は覚束(おぼつか)ないながらも、見て教えられた通りに作業を進めていく。

 

「じゃあ次、湯煎で溶かして行きましょうか」

「はい」

 

チョコレートを刻む前にあらかじめ火にかけておいた鍋へ温度計を差し、50℃程度に調整してから過熱を止める。

金属製のボウルにチョコを移し、湯が入らないように気を付けて鍋へ浸ける。

 

泡立てたりしないように気を使いつつ、溶け始めた部分からゴムベラでゆっくりとかき混ぜていく。

 

完全に溶けたらチョコレートの温度を計ってみる。

40℃台前半になっていることを確認し、湯煎用の鍋から外す。

 

「これで最後、チョコを型に流して固めましょうか」

「はい」

 

別のボウルに水を用意し、そちらにチョコを溶かしたボウルを浸けて混ぜながら冷やしていく。

 

チョコレートが20℃台後半になったら再び湯につけ30℃に戻す。

この温度調整作業をテンパリングと呼び、成功すればあとは型に流し込むだけ。

 

前日から静花が準備しておいたハートの型を使う。

 

「後は冷やすだけです」

「はい……静花?」

 

あたかも顔色を窺うような態度で見上げてくるアテナ。

いつ見ても目を奪われる幼い美貌を前に、しかしまったく狼狽えず呼びかけに応えてみせる。

 

「どうしました?」

「これだけ、ですか?」

「これだけです」

 

もっと難しいやり方もあるにはあるが、初めてなので基本的なものに留めたというのが静花の思惑。

今回の手際からしてもう少し工夫を凝らして良かったかもしれないが、翌年のことも考えれば徐々に手間暇かけてグレードアップしていく方がいいだろうと納得する。

 

女王様な妹の策により午前中から奔走していた護堂が、帰宅後に妹の思いやりに感謝したのは言うまでもない。

女神と魔王がより一層濃密な甘々ムードを展開したことも、翌日に妹から色々と要求されて更なる奔走を約束させられたことも、やはり言うまでもない事だった。

 

 

 





いつものように思ってるけど、なんか書きたかったのと違う……
そして護堂君が出なかったゴメンよ。


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