草薙護堂は神殺しである。
世界に七人しか存在しない覇者にして、神々より簒奪せし権能を操る絶対の魔王。
そして、世界に七人しかいないという事は、
欧州で最も悪名高き魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。欧州最強の剣士、サルバトーレ・ドニ。草薙護堂は彼ら二人に引き続き、三人目の同胞と合い見えようとしていた。
日光は東照大顕現を祀る神宮と別に、境内で最も高位に坐する神域。神厩舎の奥地に広がる林を抜けた場所に、長い歴史を感じさせる神社が佇んでいた。
九法塚の次期党首たる幹彦は、本来なら秘するべきその場に一組の男女を連れ込んでいる。
一人は中華大陸の魔王、羅濠教主の弟子である少年、陸鷹化。一人はロサンゼルスにて敗退した神祖、名をアーシェラ。
幹彦がいくら人格者であり、四家の跡取りという有能な人物であるとはいえ、神殺しの直弟子と神祖を相手に何か出来るほどの逸脱者ではない。いまや彼は、神祖アーシェラの傀儡でしかなかった。
自我なき人形を尻目に、鷹化は膝を着き礼を尽くす。頭を下げ、崇め奉る。そうまでする相手は神かと言えば、それは違う。
大陸より参じた神殺しが直弟子と、西天宮の守護を担いながら操り人形にされた男。彼を操る人ならざる蛇の女に、今や一柱などとは呼べぬ零落した猿猴が一匹。そして、その猿を上回る王が一人、この聖域に足を踏み入れる。
「
最強にして最凶。武の至尊にして武の至極。武芸を極め、方術を極め、不敗にして求敗の境地に至った
轟――ッ! 鷹化は一喝されると共に衝撃を受けて後ろに吹き飛ぶ。
中華大陸の神殺し、羅濠教主の発声はただそれだけで圧を齎す。いくら魔王の力による風圧とはいえ、まさか師の前でそのまま地を転がる無様を晒せるはずもなく、持ち前の身軽さを生かした体捌きを駆使してふわりと緩やかに着地した。
柳眉を逆立てる師の怒気に怯みながらも、鷹化はトラウマと恐怖から来る手足の震えを押して、命が惜しいからこそ声を張る。
「師父のご尊顔を曇らせる失態に弟子陸鷹化、心底より恥じ入るばかりにございます。しかし何卒、この不肖の弟子の進言に耳を傾けては下さりませんか」
「ほう、この羅濠に意見を申すと?」
ギロリッ――視線が射貫く。怨敵を睨むような、という訳ではない。鬼のような視線に含まれるのは、己が弟子へ向けた叱咤激励の意。ただし、頭に
その鬼神も斯くやという
あまりに苛烈な師弟の対面であるが、陸鷹化にとってこれは日常だ。齢十四にして、内の十年を共に過ごした羅濠の直弟子。彼にとって師は己を育てた母であり、頭の上がらぬ横暴な姉であり、迷いなく膝を折るべき主人であり、天に仰ぎ見るべき太陽であり――最も身近な死の具現でもある。
故にこの程度は最早慣れたものである。と、自分を騙し誤魔化して、恐怖のあまり逃げ出しそうになる体を押さえつける。
弟子の様子をじっと見定めていた羅濠は、
「よいでしょう。見るに、我が下を離れてから格段の成長は見込めませんが、鍛錬は怠っていないようです。そのおまえがわたくしに助勢を請うたという事は即ち、己が身に余る事態を悟ったのであると確信しました。――王が出陣しましたか」
「仰せの通りに御座います。流石は師父、その天眼は雲を見て風を知るが如く、地の果てまでも
「無論です。しかし鷹児、たとえこの国の王が参ったと言えど、彼我の格の差は明白なこと。果たしてわたくしが遅参していたところで、いくらの誤算があったことやら。傍に侍る蛇とて、さして障害にはならぬでしょう。その点に関しては何と申し開きをするつもりですか?」
「畏れながら、師父――」
変わらず
「彼の王は女神を侍らせる奇矯なお方。神殺し二者を退け、女神を傍に置く。
神祖が描き、神を贄として、神殺しが加わった
だから何だ……?
そこに飛び込むのもまた神殺しなれば、そのすべては藻屑と消える。そこに理由も理屈も必要ないし存在しない。何故ならば、それがカンピオーネなのだから。その一言ですべてが完結している。
彼が短い半生を通して実感と共に学んだ結論を、過剰にならない程度に飾り付けて口に出す。結局、彼の言が頑固な教主を説得するまでに、もう二度の
この事態を見越してその場を離れていたアーシェラが鷹化から恨みを買い、顔を合わせた途端に悪態を吐かれたのは仕方のないことだったろう。
甘粕冬馬の案内によって西天宮に辿り着いた護堂一行は、九法塚幹彦と合流して神君に会いに行こうとしていた。中に入るのはこの一件の主役であるひかりと、保護者代わりとして祐理。そして、少女の後援者という立場の護堂を含めた三名。
あくまで案内役でしかない冬馬や幹彦。護堂に着いて押しかけて来たかたちのアテナも、その存在ゆえの不安要素から外で待つ事となった。
流石の女神も《鋼》の英雄神と顔を合わせるのは不味いと理解していたのだろう。道中の社内で見られたような不満は漏らさず、淡々と頷いて了承していた。
ただし、無表情なまま護堂に抱きついた状態で、ではあったが。
「アテナ、そろそろ行ってくるよ」
「ん、もう少し」
「そろそろひかりの準備も終わるぞ?」
「まだ終わっていない」
あと五分、とでも言いたげな口調に苦笑い。封じられているとはいえ神に会おうという状況で、離れ離れになるのが嫌なのだろう。つい先月に、神獣とはいえ一人で戦ったことに思う物があるようだ。或いは親離れを寂しく思う母親の心境に似ていたりするのだろうか。護堂は
さりげなく引き剝がそうともしたのだが、抵抗されて思うようにいかない。身長差から背ではなく腰に回された腕はまあいいとして、胸元に感じる吐息には些か照れるのだ。二人きりならばともかく、冬馬と幹彦の目がある場所で開き直れるほど、彼はまだ年を食っていない。
「相変わらずお熱いことで。いやぁ、独り身の私には堪えますなあ」
「仲睦まじいご様子で、私としても喜ばしい限りです」
煽る冬馬と、それに追従する幹彦。後者は純粋に良好な夫婦仲を――夫婦喧嘩による神魔大戦が起こらないようなので――喜んでいるようだが、前者は明らかに面白がっている。
それなりに付き合いが長くなりつつあるとはいえ、この夫婦にちょっかいをかけるその勇気には脱帽ものである。
惚れた弱みか強く拒絶することもできず、傍からからかってくる男の口を閉じることもできず、そんな護堂に救いの声がかかった。
「お待たせしました、お兄さまっ!」
「おかえり。よく似合ってるよひかり」
「ありがとうございます!」
巫女装束に着替えたひかりは、やはりというか良く似合っていた。流石は裕理の妹というべきだろうか、幼いながらも将来の美貌を匂わせる顔立ちに、彼女の持つ爛漫な空気が合わさってとても微笑ましい。
手には白木で
流石に目の前に出て来られては、もう時間の引き延ばしようがない。アテナは名残惜し気に頭を擦り付けて腕を下ろす。甘えるような空気はすぐに霧散し、次にはいつも通りの女神があった。
「じゃあ、行こうか」
異なる世に隠された西天宮の奥の間。神ならぬ神、猿猴神君の坐する神域。草薙護堂はいよいよそこに踏み込もうとしていた。
思惑が進み口元を吊り上げるビスクドールの少女と、彼女を守護する騎士甲冑がそれを見守る。
「では参りましょうかおじ様」
「うむ。心躍るぞ、愛し児よ」
魔女王グィネヴィア、守護騎士ランスロット・デュ・ラック。
神魔入り乱れる壮絶な舞台の幕が上がる。
日本の神殺し、草薙護堂。彼の妻、女神アテナ。その同伴者たる万里谷祐理とひかりの姉妹。運転手を務めた甘粕冬馬。
中国の神殺し、羅翠蓮。彼女の直弟子、陸鷹化。その同伴者たる神祖、アーシェラ。
加えて全ての絵図を描いた張本人、神祖グィネヴィア。彼女の守護を担う神格、ランスロット・デュ・ラック。
これだけの偉人賢人超人魔神が集まりながら、役者は未だに揃っていない。
「…………ふんっ」
東照宮から数キロメートルは離れた山の木の上で。
スーツを着こなす黒の貴公子が、紫電を奔らせその場を後にした。
原作見つけて読み返してみたら、祐理って封印されてるのが悟空だと知ってたんですね。今更書き直すのも大変なので、このまま行かせてもらいます。平にご容赦を。
そして鷹化の教主に対するおべっかが難しいの何のって。途中でめんどくさくなって省略しましたが、これ以上書ける気がしません(´;ω;`)
16/8/13
ひかりの着替え後の描写を加筆しました。