護堂は己の
以前は緩やかながらも薙いでいた刀身が、今では完全に反りを無くしている。より簡素で華もなく、《鋼》の
手の中の感触を確かめつつ、まず先手を繰り出したのは護堂の側。
実力の程は比べるべくもない程に離れているのだから、手を
「うおおおおおおおおおお――ッ!」
抱き止めようとしている様にも見える格好で佇む羅濠は、しかしそのまま斬らせてはくれない。
ゆったりとした動作でありながら、無駄なく的確に精密に、護堂の腕を取ってあっさりと投げ飛ばした。
女の細腕で成したとは思えない勢いで、回転すらしながら地面に叩きつけられる護堂。
だが彼とて
「くっ……はぁああああああああああ――ッ!!」
侮られていると反骨心が湧き上がり、再び神刀を振りかざす。
今回は逆袈裟、教主の左脇腹から右肩に掛けて斬り上げるべく向かっていく。だがそれも敢え無く失敗。刀身が着物へ接触するより先に、左手で剣の腹を跳ね上げられてしまう。
ならばとその勢いで体ごと右に回転し、反対方向から胴を回し斬る。が、次は微動だにせず右手の二指で白羽取られる始末。
どこか微笑ましいものを眺めるような視線に諫められ、思わず身を引くと呆気なく右手から剣を解放した。
羅濠から視線を外さずに後ろへ下がって距離を取った護堂は、変わらぬ姿勢で立ち続ける彼女を観察する。
(そうか……一見無防備なようでいて、あの体勢もある種の構えなんだ。サルバトーレが剣を下げて遊ばせているように見えるのと同じ。羅濠教主はあの状態でも隙がない)
あれもまた剣の王と同じ無行の位。しかしながら、彼女のそれは彼の魔王よりもタチが悪い。
サルバトーレと違って彼女は無手、天下無双の拳法家だ。それもあの男を赤子扱いするほどまでに、武芸を極め極めた武林の頂点。彼女にとってはあの格好ですら隙を見せているのだろう。本領を発揮したならば、自然に歩きながらでも敵を圧倒できるに違いない。
しかし、手を抜かれているからと安心できる要素は何もない。
完全に制御され静まり返った呪力を視るに、権能どころか呪術・魔術さえも使っていない。
武芸百般を修めた武闘家にして、高度な方術をも使いこなす卓越した術師。それこそが羅翠蓮という神殺しの謳い文句だというのに、いまは等身大の人間としての身体能力しか使っていないのだ。
それでこの様。素のままで動体視力も反応速度も飛び抜けている。
いや、それ自体は自分も同等の物を持っているのかも知れないが、それを駆使する技術と経験の差が圧倒的だ。二百年の長きに渡り練武し続けた彼女の技巧は、その一端でさえ他を圧する。
だが、それでも――
「負けてなるものか、と。克己心と反骨心を高めている様子。良い気迫です草薙王、武技は拙いとて貴方もまた神殺しの
正しく『暴れる子供を見守っていた』彼女の笑みに、初めて怖気が混じった。
それに気圧されてなるものかと、ひたすら前に出て斬りかかる。
「だァアアアアアアアアアッ――!!」
唐竹、袈裟斬り、胴薙ぎ、斬り上げ。
正道に則った握りと型で斬りつけることもあれば、ときに持ち替えときに振り回しと、下手に武道武術を知らないからこその自由さで挑み掛かる。
されど、それでも、武林の至尊と謳われる頂点には届かない。
如何に達人と名高き武芸者であれ一刀に伏すであろう剣閃は、未熟なりと言わんばかりに避けられる。
相応の速さで振るわれる剣風でさえも、彼女の肌を撫で付ける事すら遠く及ばず。
我が肌に触れる機会は我が許したその時のみと、時折、天叢雲劍の軌道を変える程度に留まる。
護堂が右手の神刀を頭上から斬り下ろそうと振りかぶり、思いついた様に指を滑らせ逆手に握り直す。そのまま肩を潰す意図で叩きつけるが、そうは問屋が卸さない。
武を極めたなどと思えぬ程に細く滑らかなその指は、しかし決して
地面に突き立つ鉄剣を固定した護堂は、それを軸として蹴りを放つ。それもまた、羅濠は予定調和の如くひらりと躱す。
幾度そんなやり取りが続いただろう。
未だ攻防の体すら成していない不本意な
(……また定石を外れた、かと思えば理に適った剣も振るう。不可思議な挙動をするものです)
武の至尊とまで呼ばれる実力は伊達ではない。
羅翠蓮は護堂の動作を観察し、根底にある芯を暴き立てようとしている。とは言え、既に条理の一端は見えていた。
この者は野生である。
獣の駆動と本能を以って戦場を駆ける獰猛な魔獣。であるのに、戦士としての武功が垣間見える胡乱な男。
獣の性と戦士の武、両者はまったく噛み合っていない。噛み合っていないのに、どちらをおろそかにすることもなく目一杯駆使して、羅濠に立ち向かう羅刹の王。
そうとも、彼女は草薙護堂を多少なりとも認めている。剣を振るう彼との立ち合いに付き合っているのもいい証拠。常の教主ならば己の決定に異を唱える相手など、抵抗をすら許さず誅罰を下していて当然。
それが護堂に合わせて舞い、剣閃に
羅翠蓮は微笑した。
嗚呼、この者は勇者である。勇猛果敢な愚者である。それに何より、我が背に追い縋る王者である。
何故ならば羅濠は武林の頂点。天に立つ者であると自負する故に、後進をより高みへ導くことに憂いはない。むしろ責務であるとすら考える。
ただし、彼女の眼鏡に適う逸材は中々見いだせず、もし見つけたとしてもあまりの苛烈さから煙たがられる。そして、羅濠の天意を拒む不敬は処断するべし。なるほど人間社会から逸脱している。だからこその魔王であると、そう言えるのかもしれないが。
「来ますか、草薙王――」
瞳に宿った必殺の意思を汲み、羅濠は更に笑みを深めた。
動かぬ戦況に焦れた護堂が、羅濠教主に突きを放った。
今まで彼は、斬りかかることも叩きつけることもあったが、教主本人に切っ先を突いたことはなかった。勿論回避や防御がされやすいという欠点もそうだが、それをしたが最後、相手も決着を付けに来ると悟っていたから。
そして、現実はその通りになった。
剣道家が見れば理想形とも言える見事な突きだったが、それ故に彼女は容易く狙いを見定める。
当たれば僥倖と中心線を狙ったそれは、いとも容易く軸をずらされ刀身を脇に抱え込まれた。左手で鍔元を握られたことで、護堂も次の狙いを看破する。
(――このまま折る気だ!)
その予想を裏付けるように、羅濠は右手に拳を握る。至高の武闘家を自認する彼女が初めて拳を構えたのだ。
彼女は本当に折ってみせるだろう。本当に折られてしまうだろう。だが、草薙護堂はこの瞬間を待っていた。初めて攻勢に出るその一瞬。この刹那にこそ勝機を見出した。
柄から放して自由になった左手に、再び新たな柄を握る。
ペルセウスの時と同じように、ただ《鋼》の武具としてだけ顕れた黄金の剣。天叢雲を囮として、最低限の動きで腹に突き立てるべく突き穿つ。
神殺しの宿らぬ黄金だが、その本質を脅威に感じたのだろうか。教主は神刀を解放し、そのまま背後に飛び退る。
――その背後を、神速の護堂が忍び寄る。
声は上げない。呼吸もしない。そんな迂闊な真似など、この絶世の武人を前には命取りだ。
音を立てず、口を閉じ、息を殺して忍び往く。いくら心眼とて、この至近距離の神速移動には対応できまい。
両手に携えた黄金で護堂は再び突きを放つ。
神殺しの向かい合ったこの戦場にて、遂に初の流血が飛び散った。
教主の本気は飛鳳十二神掌、つまり掌打による拳法。
ただ手を広げただけの第一形態、拳を握った第二形態。次に待つのは掌と権能を使う第三形態に、邪道を駆使する第四形態。まだ二回の変身を残している教主の本気に、護堂は耐えられるのか!? ←負ける前提。