女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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 ポタポタと滴り落ちる鮮血が、足元を赤く染めていく。

 至高の武技を誇る絶世の佳人を前にして、護堂は呆然と立ち尽くしていた。

 

(どうして……)

 

 完全に不意を打ったはずだった。息を潜め、策を弄し、神速で裏をかき不意を突いたはずだったのだ。

 だが羅翠蓮は、その顔に喜色を浮かべている。護堂の胸を裂いた手刀から血を滴らせて。

 

「――素晴らしい」

 

 だから、その一言が理解できない。不意打ちに対処され、浅くとも胸に手刀を喰らった。今の攻防に敗北したのは護堂の方だ。

 だというのに、彼女の口から称賛された理由が分からない。そう呆ける護堂を尻目に、魔教教主は言葉を尽くして褒めちぎる。

 

「本当に素晴らしい一戦でした草薙王(くさなぎのおう)! 剣を執ったあなたに武の先達として指導すべきと舞っていましたが、よもやこの羅濠に血を流させるなど! 昨今を思い返してみてもこの十年は記憶にない偉業です!!」

 

 その言葉に血濡れの右腕をよく観察すると、微かに一筋。白い肌に薄い切り傷が走っていた。傷を撫でながら可愛らしい顔を綻ばせる彼女と裏腹に、護堂の顔は引き攣るばかり。

 そんな様を微笑ましそうに見守りながらも、教主は朗々と語っていく。

 

「あなたは元来、武の道を知らぬ者である様子。というのにわたくしの制動を見抜く眼力こそ、あなたが簒奪せし神の権能に由来しているのでしょう。それが如何なる神かまでは見通すこと叶いませんが、武と戦に精通する軍神の類であったのは明白。それに刹那の間とは言えわたくしの背後を取って見せた神速閃電の速さにも驚嘆しました。己が身を変生する類のそれは扱いが難しいと聞きますが、中々に使い慣れている様子。あなたの戦歴は未だ十に満たない程度と推察しますが、端々に工夫が見られます」

 

 あのやり取りだけで権能の一端は確実に見抜かれてしまっているらしい。

 そこまで卓越した洞察力には恐怖すら覚える。

 同時に護堂は悟った――彼女は毒の艷花だ。武を尊ぶゆえに力を信奉し、敵手がそれを持つ事を大いに喜ぶ。それはいずれ、己が糧とするために。

 華麗にして美麗なる佳人は、故にこそ笑顔をもって後進を称える。

 

「拙い武技を猛る闘争心と冷徹な戦略で以て駆使し、この羅濠に手傷を負わせたその武勲。まさに感嘆の極みと言えましょう。故にこそ――」

 

 教主の笑みが更に深まった。

 肌が粟立つ。血流が加速する。心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ、羅翠蓮の本気が来るぞ――ッ!!

 

「先駆者の重みというものを示してやりましょう。誇りに思いなさい、草薙王よ」

 

 ゆらゆらと炎のように立ち上る呪力が、やがて形を成し質量を宿す。

 それは厚みを増し、影を生み、遂には地を踏みしめた。

 

「羅濠の武威をその身に刻む事を許します!」

 

 羅翠蓮の権能、黄金に輝く武神の暴威が現れる。

 それは巨大な仁王像。剛力無双を誇る金剛力士であった。

 開いた口が塞がらない護堂に容赦なく、巨人は頭上から拳を振り下ろした。

 我に返った若き魔王はゼウスの雷を活性化させ、神速の速さでその場を飛び退く。が、相手は地上最強の武を誇る王である。その顕身たる仁王像もまた彼女自身と繋がっており、神速の護堂をはっきりと捉えている。

 

「さあ如何しますか倭国の王よ。羅濠に傷を付けた勇士を前にして、侮るなどという愚行は致しません。あなたがこの程度の苦難を跳ね除けるであろうと確信しています」

「ありがたくて涙が出るよッ」

 

 反復横飛びの要領で右に左にと攪乱するが、物ともしない心眼でもって叩き潰そうと連打してくる。

 避け続けるだけでは埒が明かない。もとより相手は自分など及びもつかない達人なれば、なにか反撃の手段はないものかと頭を回す。

 草薙護堂が所有している権能は今や三つ。

 一つは護堂がカンピオーネとなった象徴でもある雷霆の権能。現在進行形で使用している神速もこの権能による化身であるため、攻撃に回すとなれば神速に容量(リソース)が割かれている分だけ火力低下が否めない。

 二つ目は護堂にとっても印象強い黄金の剣。神格を切り裂き貶める知恵の剣は、カンピオーネの権能に対しても有効であるとサルバトーレやヴォバン侯爵によって証明されている。が、それも前提として対象となる神格について深い知識が要求されるため、真価を発揮するには至らない。

 三つ目はアテナとも縁深き白翼の天馬。神獣召喚はこの状況では逃走の隙も見いだせず、かと言って太陽召喚は日に一度の制限を持つ。まだ手札が残っているであろう教主に対し、そう易々と使っていいものかと迷いどころだ。

 と、ここまで考えた時に右腕が熱を持った。

 

(――王よッ!)

 

 護堂の脳裏に電流が奔る。そうだ、コイツがいた!

 己の権能――という訳では正確にはないが、それに準ずる鋼の神刀。銘を天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)。護堂を主と定めたスサノオの宝剣が、実体を解き帰還したのである。

 魔王の権能に準じている今の性質から、護堂は叢雲の持つ能力を把握している。通常の権能が段階的に掌握が進むように完全ではないのかもしれないが、その一端は確かに。

 須佐之男命(スサノオのみこと)――彼のまつろわす神としての性質の根幹を成す蛇殺しの鉄剣。敵を討ち、神性を降し、遂には己へ取り込む《鋼》の武神にして文化英雄(トリックスター)。故にその愛刀たる剣が有する異能こそ。

 

「でやあああああああああァッ!」

 

 覚悟を決めて羅濠教主本人に突っ込んでいく。

 ただでさえ逃げ惑う護堂を追い詰めていた仁王像である。それが自分から近づいてくるとなれば、迎撃するはむしろ容易い。だが、護堂としては願ったり叶ったりである。

 何故ならば、最初からこの展開に勝機を見出していたのだから。

 正面から落ちてくる(・・・・・・・・・)正拳を見据え、敢えてケラウノスの恩恵を途切れさせる。神速に回していた呪力を抑え、全て全てを右腕に。利き腕に宿る神刀へと注ぐ。

 

「グッ、おおおおオオオオオオオオオォォ――ッ!」

 

 衝突する巨人(こぶし)小人(こぶし)。圧倒的な、絶対的な質量差の前に挽き潰されるはずの少年は。しかし何たる事だろう、矮小なその身で仁王像の金剛力と張り合っていた。

 その絡繰りは右腕に宿る天叢雲の献身だ。

 彼の神刀が有する異能こそ、《鋼》の武神にして文化英雄(トリックスター)たる須佐之男命の本質。外敵をまつろわし、その神格を取り込む軍神の存在証明。即ち、敵の権能を盗み取るという偸盗(ちゅうとう)の魔力である。

 この性質はスサノオと同じく文化英雄として著名なギリシア神話の神を由来とした例の石板、護堂の渡欧に一役買ったプロメテウス秘笈(ひきゅう)も有していた属性だ。

 あの魔導書と同じく、この神刀もまた偸盗の力を持っているのである。

 天叢雲が持つ力はプロメテウス秘笈と比べ、即応性の代わりに奪取力が犠牲になっている。敵と相対すればすぐにでも発動できるという点では戦闘向きだが、こちらはあくまで権能のコピー。奪い取るのではなく真似るのであり、相手は問題なく権能を使える上に自分が使えるのは劣化コピーの域を出ないという、些か決定打に欠ける仕様だ。

 しかし、それでも利便性と応用力は計り知れない恩恵を齎す。

 劣勢ながらもギリギリで押し留まっているという状態ながら、それでも何とか持ち堪えられているのもまた事実。膂力(ちから)が足りないというのなら、更なる火力(ちから)を加えてやれば打ち勝てるという事だ。

 

「王の威光たる稲妻よ! この身に降りて、覇を示せッ!」

 

 護堂の右腕が熱を帯びる。身の内にて奮える《鋼》ではなく、身の内にて猛る嵐の暴威が放つ熱。呪力が熱となり嵐となり、そして雷となり顕れる。

 

「いっけぇえええええええええッ!!」

 

 ゼウスの雷光は肌を通して仁王像へと伝わっていく。表層を走る激しい熱が巨体を焼き、内側まで侵し焦がしていく。

 それは仁王の化身に同調している羅濠教主にも傷を与え、魔王の呪力が芯の近くまで影響を及ぼす。瑞々しい唇から血を零す教主の様子を見た護堂は己の勝利を信じ――

 

「成程、あなたが化身した神速閃電の権能は、何処(いずこ)かの天空神より簒奪した雷轟電撃の威光より生じたものでありましたか」

 

 自分を覆う影に頭上を見上げる。そこには確かに傷を負ってはいるが、まだ健常な五体を有する仁王像の巨体があった。

 何故だ。ゼウスの雷は仁王の臓腑を焼き打ったはずだ。

 目を見開く護堂の驚愕に答えを与えたのは、他ならぬ羅翠蓮その人である。

 

「しかし、不運であったと言わざるを得ません。如何に天災地変の象徴たる天の怒号とて、同属たる神を相手にはその威光が霞むのも道理というものです」

 

 そして彼女は語った。

 仁王像として型を成した権能の正体は、金剛仁王像。日本でも仁王様と呼び親しまれているその神格は、金剛力士という仏教の守護神。人並外れた剛力のことを金剛力と呼ぶこともあるように、筋骨隆々なその姿は力強い憤怒の化身として描かれる。

 そして金剛力士という名の由来は、金剛杵を持つ者。金剛杵(ヴァジュラ)を持って悪竜ヴリトラを討った雷霆神、帝釈天(インドら)の宝具で仏敵を粉砕する役割を持っているのだ。

 つまり、その神格は根柢の部分で雷神としての性質を有している。護堂の権能、ゼウスの雷霆を浴びて傷が浅かったのは、そういう理由があったからなのだと。

 露呈した相性の悪さに歯噛みしながら羅濠を睨んでいたその時。

 護堂の視界に、血相を変えた祐理の姿が飛び込んで来たのであった。

 

 

 






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