女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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11 媛巫女の逃亡

 

 

 眼光を鋭くした護堂が羅濠教主を連れ立って馬小屋を離れて暫し。猿猴神君と共に取り残された巫女の姉妹は、何をする事もできずに硬直していた。

 大陸の神殺し、羅翠蓮の無遠慮な圧力に対する形で放たれた、草薙護堂の濃密な覇気。大魔術師の数十から数百倍にも昇る甚大な呪力に由来するそれは、本人が意識せずとも感情の動きだけで万人をひれ伏させる王者のカリスマ。

 戦闘直前の緊迫状態で昂っていた彼の威圧にこそ、少女らは身を竦ませていたのである。

 

「――っ、神君様、御身を前にご無礼を致しました」

 

 発生源が離れて行ったのち、まず我に返ったのは姉の裕理。周囲を見渡し地べたに座り込んでいる小猿を見つけた彼女は、名を奪われているとは言え神の前で呆然としていた非礼を詫びる。

 姉の声を耳にして意識を取り戻したひかりも遅れて頭を下げた。

 

「よいよい。あんな物騒な輩がバチバチ火花散らしておったら、そりゃおぬしら人間は気が気でないじゃろ。斯く言う我とて、空気に当てられて腕を振るいたいと疼く反面、ああも凄まれるとおっかなくって敵わんわい」

 

 などと嘯きながらも、神君はニタニタとした笑みを崩さない。猿の顔ながらはっきりと分かる厭らしい笑みは、護堂が見たらこう評するだろう。まるで悪戯を仕掛けた悪ガキのようだと。

 猿猴神君は理解しているのだ。草薙護堂が姉妹のもとを離れたこの瞬間こそ、巫女が格好の餌食となる狙い目であると。

 そして成程、百戦錬磨の英雄神たる猿の推察は的を射ていた。

 

「ひかり、どうしたの?」

 

 西天宮の媛巫女たるひかりの異変に気付いたのは、やはりというか隣に立っていた姉の祐理。突如として白木拵えの小太刀を抜き放った妹の暴挙に、神君への不敬と叱咤する彼女だが。

 

「あなた、――ッ!」

 

 虚ろな表情で小太刀を手にする妹に自意識が宿っていない事を悟る。この幼き巫女の体を動かしているのは、少女自身の意思ではなく小太刀――斬竜刀に刻まれた、得体の知れない呪法であった。

 

「ほのぼのと明石が浦の朝霧に、嶋がくれ行く舟をしぞ思ふ」

 

 東の方位を斬り、南の方位を斬り、西の方位を斬り、北の方位を斬る。

 くるりと一回転したそれは、優雅な仕草でありながら不気味なまでに滑らかな動き。少女自身の意思では、そして体を突き動かす斬竜刀の呪法だけでこうはいくまい。

 祐理はその様を、まるで操り人形(マリオネット)のようだと思った。内側からの働きかけによるものではない。外側から肉体の動きを把握し、それこそ上から吊るされた糸で操っているかのような、美しすぎる(・・・・・)歌劇のような立ち回りだった。

 それは繰り手の趣味(・・)が多分に現れており、華麗だからこそ苛立たしかった。この少女を、延いては人類を完全に下に見ている。人を出来の悪い人形のようだと俯瞰しており、故に出来のいい人形にしてやっているという、幼稚で傲慢な全能感が垣間見えた。

 

「男の一陽の女の一陰に合して懐妊す。其の最初をひとまるという。十月(とつき)に満して人体となる。所詮我が身をはなれぬ人丸と知るべし」

 

 少女が謳うは斬竜の祝詞。

 世界最高と称して不都合無き卓越した眼力が真相を、その奥に潜む深層を見抜く。そして、蒼玉の瞳と目が合った(・・・・・・・・・・)

 お前が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

 

『あらあら、よもやこの娘からわたくしに辿り着くとは。その霊視眼は侮っていましたね』

「きゃッ――!」

 

 冷え切った蒼玉(サファイア)の瞳に見つめ返され、祐理は心臓を握られたような錯覚に陥った。

 アレは人ではない。人を見下す温度のない眼光は神の如く、しかし神に似つかわしくない深い情念と執着を感じた。そう、ならばあれこそ先月に竜を顕現させたという、神ならざる神に連なる女――神祖と呼ばれる存在。

 身を震わせる祐理は次の瞬間、更なる異変を視界に捉えた。

 今しがた自分たちが通ってきた四角い穴。人が背をかがめて通れる程度だった現世との回廊が、いまや厩の壁一面にまで広がったのだ。そこから見えるのは先の見えぬ暗闇ではない。朱色の光が眩しい夕焼け空。現世の景色だった。

 しかも、上空に巨体が浮かんでいる。とぐろを巻いた蛇――龍蛇の神がその神威を振りまいている。

 

「呵々ッ! アレも羅刹女(らせつめ)の仕込みかのォ、我を昂らせる蛇神の息吹よッ!」

 

 振り返ると、神君の体が灰色の石となっていた。

 彼の神は岩から生まれた岩猿として語られている神格である。この石が卵の殻のように割れるとき、猿猴神君は『まつろわぬ神』へと新生する! 霊視の導きで確信した祐理は、だからこそ決断の時が迫っているのを理解した。

 神祖が背後にいる以上、祐理にひかりは止められない。ならば、見捨てて逃げて、護堂に救援を求めるしかない。しかし、妹を見捨てるなど――ッ!

 肉親の情に苛まれる媛巫女だったが、逡巡(しゅんじゅん)している暇がない事もまた悟った。

 

「おお、そうであったそうであった! 我は鋼の郎党、竜蛇を征する星のもとに生まれし神! 今にして思えば、ただの猿として怠惰に遊び暮らす日々も悪くはなかったがのう。じゃが、それも既にして過去のことよ!」

 

 開いた瞳は――火眼金睛。

 猛火を思わせる眼球と、中心に浮かぶ黄金の瞳。火刑として炉に入れられた証たる、斉天大聖の特徴のひとつである。

 それほどに神としての力を取り戻しつつあるならば、もはや迷っている時間はない。護堂のもとに参じる決意を固めた祐理は素早かった。幽世に揺蕩う『虚空(アカシャ)の記憶』に意識を繋ぎ、護堂の居場所を霊視する。

 一瞬だけ最愛の妹を目に焼き付け、魔王の傍へと転移を成功させるのだった。

 

 

 

 この場を逃げ出した巫女の後ろ姿を眺めて神君は――猿猴神君という殻を打ち破ろうとしている神は、もうひとりの巫女へ声を掛けた。

 いや、正確にはその深層に潜む乙女の意思に対して。

 

「あの娘っ子は逃げおったが、良いのかのう。神殺しの若造へ助けを求める気じゃぞ。それとも、おぬし(・・・)の思惑の内かね?」

『かも知れませんわね。ですが、貴方には関係のない事でありましょう。何故ならばその身は猛き武の神。ただ外敵を葬る剣なのですから』

 

 姿なき声は、祐理に暗躍を暴かれた神祖の少女。

 神君に対する忌憚なき言葉はともすれば「闘うだけの能無し」という罵倒にすら聞こえそうだが、張本人がその裏の意まで含めて肯定してしまう。

 

「で、あるな。じゃが神祖とか言ったかな、蛇に連なる金毛の女よ。おぬしもまた我の退治すべき獲物であるぞ?」

 

 武神でありながら仙人の端くれとして術にも長けた神君の霊眼は、幽世という場所の影響もあってかその正体を看破してみせる。

 わたあめのようにきめ細やかな黄金の髪と、両の瞳に宝玉の蒼を宿す人形の如き乙女。

 

『承知しておりますとも。ですから、こちらは矮小なる身を更に縮こませる他にございません』

「抜かしおってからに性悪め。(しか)らば固唾を飲んで待ち侘びるがよい。この猿猴神君……(いや)さ」

 

 笑うような声で嘯く神祖に悪態を吐く神君。

 その(たもと)から神力が湧き上がる。

 ひかりの持つ禍祓いの呪力が体内を駆け巡り、神の権能には劣る術のみを。猿猴神君に掛けられた封印の楔を緩めていく。

 

「血の道は父と母との血の道よ、血のみち留めよ、命も止まる血のみちの神──」

「……大聖様の復活をなッ!」

 

 ピシッ。

 石像の天頂に亀裂が生じた。

 卵の殻が割れようとしている。

 封じられた神格を取り戻し、まつろわぬ神が降臨しようとしていた。

 

 





なんだろう、グィネヴィアの声がCV種田で再生される。
具体的にはきよひーのイメージで脳内再生されてしまう。
でも地母神=ヤンデレという個人的解釈と時代錯誤なロリという共通点から、納得できなくもないような……皆さんはどう思います?

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