転移して来た祐理の姿に、護堂は何より羅濠教主へ警戒心のすべてを集中させた。
先ほどあの女傑は、天女の如き相貌で処断すべしと告げたのだ。前回は彼女なりの理屈に則って有耶無耶にできたようだが、まさか戦闘の最中に割って入った少女を相手に、情状酌量の余地など考えはしないだろう。
「魔王と魔王が
この通り、放っておけばまず間違いなく殺されてしまう。
すぐに対応できるよう敢えて自分から駆け寄ったりはせず、少女の方から傍に寄ってくるのを待ち構えた。思えばこの判断も、ウルスラグナの権能から齎された恩恵に基づくものかもしれない。
自分に力を与えているのはゼウスの雷だが、その力に強さを裏付けてくれているのは黄金の剣だ。その黄金の光が進むべき道筋を照らしている。即ち、早々に撤退すべしと。
「――はっ、ぁ、草薙さんッ!」
「万里谷、そのままこっちへ!」
逃げるが勝ちという言葉もあるのだ、生きていれば負けじゃない。
幸いにして、逃走の段取りは整った。たった今、祐理が証明してくれたのだ。大掛かりな術などなくとも、幽世では容易く転移ができる。幽世であるが隔離されたこの空間。猿猴神君の封印の間を抜け出す出口は、この天叢雲――破魔の宝剣が作ってくれる。
あとは、この絶世の武侠から逃げ
(それが一番の難題だよなあ……)
祐理がこの場に現れてから一瞬だって視線は逸らしていない。
だが、それが余計に危機感を煽る。何故なら羅濠は、その瞬間からずっと、呪力を練り上げ続けているのだ。
いつ爆発するとも知れぬ、指向性の核爆弾のようなものだ。ここまで祐理を殺す挙動を見せないのは、恐らく纏めて吹き飛ばすつもりなのだろう。護堂自身が持つ太陽の一撃を考えれば、果たして五体満足どころか骨も残るか疑問である。
願わくば教主の繰り出す一撃が、そういう類の技でない事を信じるほかない。
この一撃で敵を降すために。この一撃を何としても凌ぐために。互いに力を高め合い、ついにその時が訪れた。
祐理が手の届く範囲にたどり着いた瞬間、不発弾が着火する。
「去年は戦う
それは美しい
しかしその透き通るような音韻が、周囲の全てを無情に荒らす。
嵐のような、と形容するのは不適切だろう。彼女を中心に暴風が渦巻いているのではない。彼女を中心として、彼女から暴風が発生している。
魔獣の咆哮より
咄嗟に祐理を抱き止めて庇ったが、それは失策であった。教主に向けた背が幾重もの衝撃波によって強打されていく。神殺しの骨格は鋼を上回る強度であるが、外郭が無事でも内部までは守りきれない。
臓腑を傷つけられ、肺から空気を押し出される。満足に呼吸すらさせてもらえない暴力的な死の魔風に晒されて、それでも護堂は諦めてなどいない。彼なら言うだろう。半身が消し飛んだ程度で諦められるならば、そもそも神殺しなどしていないと。
「八雲立つ、出雲八重垣、
ろくに息を吸うことも出来ない護堂が残り少ない空気を使って吐き出したのは、やはりというか力の篭った
古事記に記された須佐之男命の作品である。
月頭に学校の図書室でパラパラと流し読みしたそれが自然と出てきたのは、後押しを受けていたからだろう。身の内に眠る神刀の支援を。
『
護堂の口ずさんだ祝詞、主の紡いだ聖句に応え、神刀が破魔の権能を解き放つ。
神君を封じるための箱庭を切り裂き、脱出するために温存しておいた力だったのだが、出し惜しんでは死ぬと確信した。ゆえに護堂は、教主の魔風諸共にこの空間を斬り裂くのだと決めたのである。
しかし、そこに陥落があった。
「一千の剣を掘り立て、城郭として――ッ、うっ……」
「草薙さんッ!」
『王よッ!』
溜め込んだ呪力を破魔の力として吐き出した事により、衝撃波の打撃は止んだものの体を支える体力が尽きかけていたのだ。
よろめいた体を腕の中の祐理が抱きとめる。
足枷になって庇われてしまったと自分を責める少女を、しかし彼女以外に責め立てる者はいない。少なくとも護堂は祐理に対して思うところはなかった。だが、少女は元来内罰的な性格をしている。
自分のせいだと落ち込み、そんな暇はないと己を律して、そして思い起こすのだ。
学校の廊下ですれ違い、突如として降りてきた霊視に肝を冷やした春先のこと。草薙護堂という人物を初めて見据えたのがあの時であった。放課後に彼の妹から話を聞いて気が動転し、慣れない全力疾走で筋肉痛に陥ったのも今となっては笑い事だろう。
それから少し経って、イタリアでウルスラグナを討ち果たした護堂。新たな権能を手にし力を増した彼に怯え、しかし変わらぬ日常の姿に戸惑いを覚えていた時期。そんな時に伝わったヴォバン侯爵来日の報せは、祐理だけでなく日本呪術界全てを震撼させた。
魔王来襲という急報に意を決して護堂へ接触した彼女は、そこで一人の少女と出会う。エリカ・ブランデッリ。イタリア魔術界では有名な騎士であり、そして草薙護堂に忠誠を捧げた者。人の身でありながら魔王と軽口を叩き合い、女神に張り合おうとすらしている少女を見て、言い知れぬざわめきを覚えた事実。
再び渡欧してまたもや神殺しを成した護堂が、伴侶たる女神をイタリアに残して帰国した際には、昔馴染みの清秋院恵那が顔を出して来た。彼女は護堂とすぐさま意気投合し、それを遠巻きに見ているしかなかった悔恨。この時分には既に、護堂に対する
思い出す。思い出す。思い起こして、憶いを起こす。思い返して、想いを返す。
迷惑を掛けた。嫌な思いをさせた。お世話になった。仲良くなりたい。罪には罰を、
「――――……そう、でしたね」
――ああ、思えばなんて馬鹿な事を考えていたのだろう。命を救われ窮地を助けられた。今だって身を呈して庇われ、足でまといとなっている。その上でまだ、妹の救助を嘆願しようとしているというのに、その代償に差し出せる物を、私は何も持っていない。私はただの人間で、アテナ様のように彼の隣に立てる訳じゃなく、エリカさんのように彼へ献上するものも無く、恵那さんのように気兼ねしない関係も築けず。だったらもう、
そうして少女は、自分に差し出せるものなど
しかし、なんだろう。
この
ならば他に選択肢はない。いや、あっても選ばないだろう。より良い選択肢など、他に存在している訳が無いのだ!
「草薙さん――護堂さん。受け取って下さらなくても構いません。
そっと目を閉じ、静かに彼へ口付ける。
彼の驚愕が唇を通して伝わったが、それも少女には微笑ましかった。どうやら自分は熱に浮かされているらしい。普段なら恥ずかしくって、布団を被って耳を塞ぎたいくらいだが、不思議と今はそうでもない。
僅かながら感じる鉄の味は、もしかしたら彼の血の味だろうか。そう考えるとなんだかたまらなくなって、思わず舌で舐めとってしまう。すくい取ったそれをゴクンと取り込むと、体の内が彼で満たされるような錯覚を起こして。
甘美な悦に入る少女は、自身の瞳が玻璃色に変化している事を知らない。
「護堂さん、治癒の術を吹き込みます。天叢雲の制御に集中してください」
「あっ、ああ……」
目を瞬かせる護堂の表情が何とも初々しく、妻帯者でしょうにと心中で
もう一度唇を合わせると、今度は彼も吸い付いて来た。それが嬉しくてこちらも返したくなったが、状況が状況なために断念。当初の予定通り治癒の術を体内に吹き込む。
「ありがとう、祐理」
「あ――いえ、こちらこそっ」
名前で呼んで貰えた。
それだけの事が飛び上がりたいほどに胸を満たす。
「行くぞ天叢雲。一千の剣を掘り立て、城郭として楯籠り給ふ」
『応! 是所謂、天叢雲剣なりッ!』
支援を受けた神刀が輝き、軍神の威を宿す《鋼》の鉄剣が魔王の風を、封印の間を切り拓く。
こうして若き魔王とその巫女は、羅濠教主の暴威から離脱したのだった。
万里谷さんが覚醒しました。
そろそろ祐理に「護堂さん」って呼ばせようか。くらいにしか思ってませんでしたが、なんか原作エリカ的な「愛人の貫禄」を身に付けたような(汗)
祐理が小悪魔になってしまったΣ(゚д゚lll)
でも妹が原作からして結構な小悪魔っぷりだし、素質はあるかもだよね(言い訳)
それもこれもきよひーが可愛すぎるせいなんだ!!