女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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(わぁあああああああああああああああ――――ッッ!!)

 

 心中で大絶叫しているのは、何を隠そう万里谷祐理その人である。

 彼女の脳内はいま数十分前の己を思い返し、恥知らずな過去の自分を盛大に責め立てている最中であった。

 

(馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……私のっ、ばかぁ――ッ!)

 

 傍から見るまでもなく頬を真っ赤に染め上げ、合わせる顔もないとばかりに顔を手で覆い隠している。

 そんな彼女の様子を盗み見て、チラリと見えるりんごの様な色をしたうなじが色っぽい、などと考えている男が居ることを彼女は知らない。否、知ったとて知らずとて、祐理が羞恥で身悶えている事に変わりはないだろう。

 万里谷祐理は現在、恥ずかしすぎて死ぬかもしれないとまで考えていた。

 

(……いえ、むしろこのまま死んでしまいたいっ!)

 

 大胆で艶やかだった先ほどの祐理はもういない。妖しい色香を纏った姿は何処へやら。ここにいるのは普段と変わらぬ、純朴で臆病なただの少女であった。

 とは言えそれこそが少女の本来の姿なのであるが、あの時の彼女は熱に浮かされていた。

 ひかりを通した神祖との接触により、己の内に眠る血の因果が活性化していたというのも、その理由の一端であるのだろうが、少女はそれを知るよしもない。

 乱心中の媛巫女を一時的にであれ救う存在が、背後より声を投げかける。

 

「――そろそろオレの話を始めさせろや、ガキ共ォ」

 

 ヤクザ者を思わせる厳つい声音と、それに恥じない貫禄の男。それは以前、清秋院恵那の執り成しによって知己を得たスサノオ神に違いなかった。

 後ろから掛けられた声に祐理が振り向くと同時、スサノオから放たれた力によって少女はその姿を失う。

 代わりに床を転がったのは、なんの変哲もない竹の櫛ひとつであった。

 

「――祐理ッ」

「慌てんな坊主。この場を離れりゃ何事もなく元に戻るさ」

「なんのつもりでこんなッ!」

「神の御前って奴よ。神殺しであるお前さんならともかく、一介の巫女風情の前にそう安安と出られるほど、(オレ)の顔は安くねェのよ」

 

 睨み合う神と神殺し。尋常ならざるその場を納めたのもまた、人ならざる貴婦人であった。

 

「御老公、遊興に過ぎます!」

 

 声を張り上げたのは妙齢の女性。

 いつの間にそこにいたのだろうか。それは十二単を着込んだ目を張る様な美女であり、あまりに整いすぎた美貌がその正体を示唆している。女神の如き――神の美貌だ。

 

「どうか怒りをお鎮め下さい、羅刹の君よ。御身に仕える巫女への対応も、不躾ではありますが故あっての事なのです。わたくしの如き女の頭でありますが、これで平にご容赦下さいませ」

 

 玻璃の瞳を伏せて土下座の格好になる女性。

 流石にそこまでさせておいてまだ怒りに身を任せるほど恥知らずではない。護堂は渋々の事ではあったが、彼女を(おもんぱか)って腰を落ち着けた。

 

「改めてご挨拶申し上げます。わたくしは玻璃の媛と呼ばれている者。御身が既にお気づきでしょう通り、かつて女神として降臨した成れの果て、神祖と呼ばれる者でもあります」

 

――神祖ッ!

 護堂は、どこか納得と共に目を細めた。

 女神としての相を持ち、しかしまつろわぬ神には届かぬ、玉座を追われた姫君。神と相対した時の高揚感がないからもしかしたらと思ったが、この女性がそうなのか。

 しかし何だろう。亜麻色の髪に玻璃の瞳。きめ細かい象牙色の肌と彫りの深い可憐な美貌は日本人離れしているが、なにか言い知れぬ親近感のようなものも沸き上がってくる。

 その正体にたどり着く前に、姫君は次なる同僚を指した。

 

「こちらが御坊、御老公や同じくわたくしと志を同じくする方でもあります」

「我ら一同、御身と言葉を交わす日を心待ちにしておりました。以前老公に呼び出された時には、そんな暇もありませんでしたからな」

 

 言外に待ちぼうけを食らったのだと皮肉をこぼすのは黒衣の僧侶。

 神と神祖に並ぶだけあって、この僧とて只者ではない。端的に言って、木乃伊(ミイラ)である。僧侶であるから即身仏の類なのだろうか。乾ききった肌に削げ落ちた肉。生きているとはとても言えない有様だ。

 

「アンタたちは、何なんだ……?」

 

 志を同じく、我ら一同。

 この三者が何らかの目的を持って行動しているのは明白だろう。そしてそれは、順当に考えるなら前回にスサノオが話していた例の神。

 

「『最後の王』って奴に関係してるのか?」

「……そうさ、オレたちはあの小僧を起こさねぇように見張ってる老いぼれ集団よ」

「今は時として現世とも関わりを持ち、委員会の後見役などしている古狸ですな」

 

 そういえば祐理が言っていたなと思い出す。

 正史編纂委員会を監督する後見人、通称・古老。その正体が目の前の三人。まつろわぬ神を引退した老英雄神スサノオ、黒衣を纏った即身成仏、そして玻璃の瞳を持つ十二単の神祖なのだ。

 

「今回はなんで俺を呼んだんだよ」

「違う違う、お前さんが勝手にオレの前に現れただけだ。オレはなんもしてねぇよ。お前が咄嗟に思い浮かべたのがここだったのか、もしかしたらオレの剣が連れて来たのかもな」

「そうか、コイツがいたんだったな」

 

 護堂は右腕に目を落とす。

 英雄神スサノオに征服者としての属性を与える《鋼》の剣、天叢雲はスサノオの愛刀だったのだ。

 そも移動の際に要となったのが天叢雲であり、以前も幽世に訪れたのはこの場所だった。ならばこの神の前に現れたのは当然の結果だと言えよう。

 

「ったく、神殺しと来たら油断も隙もねェわな。ちゃっかりオレの(モン)を持って行きやがって」

「コイツが俺の所に来たのは俺のせいじゃないって。返して欲しいなら持って行けよ」

「いらねえ。つーより、ソイツはそんなことを望んじゃいねぇよ。天叢雲は古い《鋼》だからな、隠居したオレの所よりそっちの方が性にあってんだろう」

「……そういうもんなのか」

 

 サルバトーレやヴォバン侯爵のような戦闘狂という奴を、護堂はまるで理解できない。右腕に宿る神剣も似たようなものだと言われれば、なるほどそういう物なのかと納得するしかないのだ。

 

「まあ長い付き合いだった相棒だ、役に立つのは保証してやる。大事にしてやってくれや」

「さっきも助けられたばかりだからな。よろしくやっていくよ」

 

 一瞬だけ走った鼓動が、まるで新たな主へ返答しているかのようだった。

 

「申し訳ございませんが、羅刹の君よ。些か事態は切迫している様子ゆえ、談笑はここまでとして頂きたく存じます。どうぞご覧なさいませ」

 

 そう言って姫君が差し出したのは、中身がなみなみと溢れそうな水盆。

 なんの変哲もない水ではないか。と、疑念を抱いたのは一瞬。まばたきの後には、そこに映像が映し出されていた。要は術を用いた映写機とスクリーンなのだろうと理解し、故に映った光景に焦りを覚えた。

 

「あの猿っ、復活しようとしてるのか!?」

 

 猿猴神君が石になり、その天頂がひび割れている。

 祐理の逃走から不味い事態になっている事は察していたが、まさかまつろわぬ神に立ち戻ろうとしていたとは。それに、傍にいるひかりの様子もおかしいのが気掛かりだ。

 

「彼の猿王を封じる術が解かれようとしているのです。禍祓いの巫女を傀儡として枷を緩め、神格を取り戻したのちに『弼馬温(ひつばおん)』の術式を破壊する心算なのでしょう」

「傀儡……って、ひかりは操られてるんですか!?」

「はい。あなたさまとも縁が繋がった太子さまの臣、グィネヴィアと呼ばれる神祖によって」

 

 グィネヴィア、それが件の神祖の呼び名。

 縁が繋がったというのは言い得て妙だ。天叢雲を通じて縁が通じ、ひかりを操る事で因縁となった。そして次に映された光景をもって正確に、草薙護堂は神祖グィネヴィアを敵視した。

 

「アテナ――ッ!?」

 

 水盆の中では驚くことに、彼の妻たる女神がこの一件の元凶とも言える少女に向かい合っていたのだ。

 

 


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