女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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六巻が長引く長引く。まだ日光編の前編だというのに……
初めから読み返してみたら気になる点が多かったので、近いうちに修正に走るかもしれません。



15 乙女の語らい

 

 

 威勢のいい啖呵を切ったアテナは、西天宮の社を遥か下に置き去り上昇する。背には身の丈を優に超える両翼、猛禽のそれを背負っている。女神アテナはフクロウを象徴としている神ゆえ、フクロウの翼なのだろう。

 それを追うようにグィネヴィアもまた飛翔術を行使し、天へ舞い上がる。

 ただし彼女に追いすがろうという意思は薄く、あくまで緩やかな高度の上昇に留まっている。

 それもそのはず。いくらアテナの神威が衰えようと、神は神。地母神としての神格を失っている《神祖》とは、まるで違う格の差というものが存在している。

 故にグィネヴィアは戦神の相を持つアテナを相手に距離を詰める愚を犯さず、己の得手とする魔術戦の射程を保持しつづけているのだ。

 

「ふん、生意気な口を叩いて置きながら、戦場(いくさば)から一歩退いて俯瞰するか。その小賢しさはなるほど、今まで隠れ潜んでいただけのことはある」

「お許しくださいませ。グィネヴィアは我が主に仕える正統なる《神祖》、危険な真似をして命を失えば、転生には数世紀を要します。それだけ主の復活が遠のいて仕舞いかねないのですから、凶刃にわが身を差し出すような愚は控えさせて頂きます」

 

 薄く微笑むビスクドールの如き少女はその丁寧な口調と裏腹に、次々と魔術を組み上げていく。

 人間の魔術師ならば、数千人に一人の天才がその生涯を費やせば或いは届き得るかもしれない。そんな超常の領域にある術を、まるで片手間とでも表現すべき気安さで撃ち込むではないか。

 何故ならば、《神祖》とは名のとおり神を祖とする者。

 古の時代で神々の女王であった地母神らが零落し、神格を失った末に転生した姿を指す言葉。もはや神でないとはいえ、悠久の時を生きる彼女らは人類の遥か高みに座する存在なのだ。

 しかしその来歴故に、アテナはこの少女を強く敵視する。

 

「恥を知れ、かつての同胞よ! 我ら太母の(すえ)と、彼の竜蛇殺しの鋼は、神代の昔より不倶戴天の仇敵同士であるぞ。だというのにあの男の復活に我らの霊魂を捧ごうなど、よくもそこまで身を堕としたものよな!」

「畏れながら申し上げます。女神アテナよ、御身の仰せには誤りが御座います。神代の昔より、我ら大地の娘は《鋼》の英雄方に仕えるが運命(さだめ)。竜蛇となり、あの方々に牙を向けたこともありましょう。しかし、それもほんのひと時の夢に過ぎません」

 

 《神祖》は語る。

 女神と比べれば明らかに格の落ちる彼女だが、しかしグィネヴィアは胸を張り、毅然とアテナに物申した。

 

「我らは勇士に仕える『英雄の介添人(かいぞえにん)』なのです。御身にしてみても、オリュンポスの大神ゼウスに仕えた神話がございましょう。それに何より、今やその身は英雄(カンピオーネ)に降され、かの御仁に仕える乙女ではありませんか。御身のおっしゃりようには誤りがあると、どうぞお認めあそばしませ」

 

 可憐に微笑む少女の言葉に、しかし応えずアテナは迫る。

 襲い来る魔術を鎌で切り伏せ、刈り落とし。闇で呑み喰らい、邪視にて葬る。だが、一向に距離が縮まらない。何故か――。

 

「お優しいことですわね。草薙さまの帰り道を護っていらっしゃるのかしら」

 

 そう、アテナが手加減しているからだ。

 上空に飛び上がったのもそのため。西天宮には猿猴神君の御座す間との通路、その出入口が設置されていた。破壊されたところで中に影響などないかもしれないが、やはり懸念は捨てきれない。

 自分が上に行くことで、グィネヴィアの攻撃をすべて上空に向けさせることが狙いだった。

 無論、自分を放置してそちらに何かするという可能性も考え、意識を配ってもいた。だからこその接戦。

 

「好きに申すが良い。妾は妾の成すべき事がある、それだけのことだ」

 

 護堂に留守を任された。

 言ってしまえばそれだけのことだが、これは彼女のプライドの問題である。

 彼の留守中に祠が壊される。あるいは、アテナ自身が傷を負う。それがアテナにとっての敗北条件だ。彼女が勝手に決めただけだが、反故にするなど許せない。これは意地だ。

 しかし、だからと言ってこの硬直状態が悪いかと言われればそうでもない。時間を稼げば最終兵器(ごどう)が帰還してくるという大きな勝算があるし、何よりグィネヴィアの余裕綽々(しゃくしゃく)な態度が怪しくて仕方ない。

 下手に打って出るよりは隙を伺いつつ時間稼ぎし、倒せるようなら即座に動くべきだという方針。戦いの女神でもあっただけに、その辺の機微は的確だ。意固地になって勝負を捨てるような真似は決してしない。

 その辺りを察しているからこそ、グィネヴィアも余裕な態度を崩さないのかもしれないが。

 そして転機が訪れる。

 

「――っ! あらあら、よもやこの娘からわたくしに辿り着くとは。その霊視眼は侮っていましたね」

 

 《神祖》の意識が西天宮の祠に、その奥へ広がる封印の間に向けられた僅かな時間。

 その空隙を女神は見逃さなかった。

 

「冥神の与える死よ、我が刃に満ちよッ!」

 

 振り返ったグィネヴィアは死神の刃が己に迫り来るのを認め恐怖し――それが、騎士を呼び覚ました。

 

――キィィィィンッ!

 

 甲高い金属の衝突音が響く。

 降り降ろされた大鎌の凶刃は、横合いから差し込まれた槍によって払われていた。

 成し遂げたのは白き甲冑を身に纏った騎士。白馬に跨った清廉な姿と発せられる精強な気風からして、由緒ある《鋼》の軍神であることは明白だ。

 

「すまぬ、蛇の女神よ。その娘は余の愛し子である、刈り取らせる訳にはいかぬのだ」

 

 甲冑を通して聞こえた謝罪は、兜を取らずとも婦女子を魅了する偉丈夫の美声。

 素顔こそ見えぬまでも、絶世の美男子であることは想像に難くない。

 

「あなたは……」

「智慧の女神たる御身のことだ。その聖なる眼は余の名をも見通すやも知れぬが、礼儀として名乗ろう。余の名はランスロット・デュ・ラック。湖の騎士と人は言う」

 

 再び距離を取ったアテナを尻目に、グィネヴィアは弾む声で礼を述べた。

 

「小父様! グィネヴィアは小父様を信じておりました!」

「うむ、しかしこの難敵を相手によくぞ奮闘したものよ。いかな余とて、アテナを相手取って無事とはいかぬだろうに」

(たわ)けたことを。無事とは往くまいが敗北することはありえん、そのような口ぶりだぞ」

「戦場にて己が勝利を疑う戦士はおりますまい。貴女は強敵である、故に余も軍神の端くれとして高ぶるというものだ」

 

 白騎士の全身から発せられるのは微弱な火花。

 それは徐々に勢いを増していき、電流から雷鳴へと切り替わっていく。

 

「稲妻に騎馬とは、どちらも古くから剣と戦士を象徴する特徴よな。霧と雷鳴を呼ぶ最源流の《鋼》、あの男の家臣になったと風の噂に聞いていたが、あなたのことであったか!」

 

 文字通り横槍を入れられた形になるアテナだが、思わぬ強敵の登場に喜色の笑みを浮かべた。

 それを戦女神の度し難い(さが)と責められる者などどこにもいまい。彼女がアテナ神であるからには、欠かしてはならない要素の一つであるのだから。

 

「しかし軍神よ、あなたは些か安定に欠けるようだな。妾とはまた違う形であるが、同様に神として歪んでいる」

 

 それを証拠に、彼の騎士は《神祖》を護るようにして現れた。

 『まつろわぬ神』たる存在が郎党を組むというのがまずあり得ない。

 どこまでも奔放で何よりも自由でなければ、『まつろわぬ神』とは呼べない。だからこそアテナが変質している事をグィネヴィアも確信できたのであるし、同じくしてアテナもランスロットの異質さを悟った。

 

「流石に聡明であるな。いかにも、余は愛し子の剣として守護者の誓いを立てたのだ。ゆえに純正の神とは言えず、真なる意味でまつろっている訳ではない」

「あなた程の勇士が、そうまでして何故(なにゆえ)その娘御を庇い立てるか」

「さてな。余が守護者の呪法を受けて遥かな月日が流れた。もはや始まりが何であったのかはおぼろげだ」

 

――しかし、それでもこの身は未だ曇りなき《鋼》なれば。

 

「余もまた一振りの《鋼》として、今は貴女と鎬を削ることに没頭するのみ――ッ」

 

 騎士の形をした軍神は、槍を携えて悠然と構える。

 呼び名に相応しき湖のような静けさで、呼び名に反する厳かな雷鳴を響かせて。

 

 

 


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